ノクティルカにて

 ■ 399 ■ ノクティルカの昼間






 名も知らぬ岩山と裸の島々との間を縫うように風をつかんで走っていた船が速度を落とし、桟橋へと船を寄せる。

 商港であったリュカバースやレウカディアとは異なる、覚えがないほどに生々しい魚の匂い。

 箱にたんまりと乗せられた、てらてらと光を反射しながら青や銀色の魚たちが次々と運ばれていくそこは、漁港であり魚市場でもある。


「悪くない活気だ、民の生活は嫌いにはなれないかな」


 桟橋に降り立ったリクスが大きく伸びをして陸地へ歩みを進めれば、目の前に立ち並ぶのはペンキのはげかけた木造の家々。

 こぢんまりとしたそれらはそこそこの年期を帯びた風格を纏って、しかし風格よりも劣化を思わせるから、リクスらを圧倒するには些か威容が足りていない。


「レウカディアと比べちゃうと、ちょっと劣りますね」

「そりゃそうだ。あっちは国を代表する商港でこっちは十把一絡げの漁村だよ。税関もいないしね」


 ちょこんとリクスの横に並んだビアンカにそう告げる。そう、ここは漁港だ。

 リュキアの北にあるノクティルカという国の最南にある、古びた漁村の一つに今、リクスとエーメリー、ビアンカの三人は降り立っている。


 漁村の名前は、たしかフヤラスダール。

 渓谷の谷間にある小さな港町は、それでも魚を近隣の内地へ出荷する商人たちが汗水垂らして大声を張り上げ、そこそこの活気に満ち満ちている。

 わざわざ辺境の町に降り立ったのは、リクスが己の目でノクティルカという国を見て回りたかったからだ。


 これから先に休む暇のなくなるエルダートファミリーに、リクスはまず二ヶ月の休暇を告げた。その上で自身はここ、ノクティルカへとやってきた。

 シータはレウカディアの海生生物の調査をやるらしく、ディアナは予定通り七人の衣服の増産に着手した。

 イーリスとフェルナンはダリルやシェリフと共にガストンと剣の鍛錬を重ねるらしい。


「二人とも、せっかくゆっくり休める機会だったんだから無理に俺に付いてこなくてもよかったんだぞ」


 そして当然のように、エーメリーとビアンカは今リクスの右隣と左隣にいる。


「無理に、ではありませんよ御兄様。他国を訪れる機会を万全に活用しているだけです」

「そうですよ、それにリクス兄様が言ったんじゃないですか。色々判断するのは色々なことを知ってからでも遅くない、って」


 そう二人に指摘されれば、まぁそれもそうかと頷かざるを得ない。


「言っておくけど、俺は重犯罪を犯すためにここに来たんだ。である以上、二人に危険が及ぶ、と判断したら俺から離れて待機していて貰うぞ」

「わかっております。御兄様の足手纏いにはなりたくありませんので」

「その時はのんびり食べ歩きでもしながらリクス兄様を待ってます。料理のレパートリーも増やしたいですしね」


 そう素直に頷いた二人の頭をさらりと一度撫でて、リクスは食糧と革袋が詰まった雑嚢を背負い直した。そのまま街道へと歩みを進める。

 パッと見回したところ乗合馬車のようなものはなかったので、ここから先は歩行での旅路となるだろう。エーメリーとビアンカもまた、それぞれ雑嚢を背に即座にそれに続く。



――久しぶりの、長閑な旅だな。



 視界の奥に立ち並ぶのは高い木々。その手前、長く広がる草原で草を食む毛長の山羊に黒い馬。

 黄色いカミツレカモミールの花が街道の脇で小さく踊り、下野草と釣鐘草がその華やぎにそっと唱和している。


 目の前の行く手には鋭い山々が立ち並んでおり、どうやらその合間を縫うようにノクティルカの街と街道が連なっているようだ。


「山岳国家なんだな、ノクティルカは」


 山の斜面では家畜の放牧が行われているようで、穀物の栽培はシヴェル大陸のヘイバブ領やリュキアとは異なり、そこまで多くはないようだ。


「とすると乳製品と肉が主食になるのかな」

「港なのに外食店もあまりありませんでしたしね」

「他国からの客をそもそも想定してない、ってことですかね」


 エーメリー、ビアンカの言葉にリクスは自然と頷きながら、のんびりとリクスらに寄ってきたヤギに視線を向ける。

 家畜がこれだけのんびりと放牧されている、ということは魔獣の脅威は抑えられているということだろう。


心呑神デーヴォロは獣為変態があるからな。他の神教からは受けが悪いし、鎖国気味になるのは仕方ないだろう」

「魔獣の姿になるからですか? それだけで人は忌避感を覚えるものでしょうか」


 そうエーメリーが疑念を呈するが、そのあたりは一般的な庶民の感覚を掴めないせいだろう、とリクスは思う。


「肉体が変化するのではなく神気で獣の肉体を編むだけの獣魔神フェラウンブラですら、優秀な魔術師が多いのに偉大なマグナ落ちしたくらいだからな」

「うーん、そういうもんなんだ……」

「まぁ、お前たちは一年以上前からずっと獣為変態する俺を見てるからな。若干感性がズレてるんだろうよ」


 ヤギと別れて歩みを進めるも、馬車とすれ違う事が殆どない。ということは、恐らく地方は完全に自産自消で回っているに違いない。


 日が暮れる前に小さな集落にたどり着いたリクスらは、そこの水場付近に腰を下ろして小さな火を熾す。

 自然火災もあるにはあるが、火の灯りとは即ち人の生きる証だ。焚火を囲んでいると心が落ち着くのは人が人たる所以だろう。


 そうやって火を囲みながら堅パンを齧っていると、


「お前たちは何者だ、名前と身分とここに来た目的を言え!」


 恐らく集落の守り手だろう。松明を手にした屈強な男が逆の手に爪を生やして、リクスらの前に現れる。

 リクスを特に睨んでいるのは、恐らくリクスが典型的なリュキア氏族顔をしているからだろう。


「外国民だ。母親のルーツを探しに来た」


 そうリクスはあらかじめ決めていたダミーの目的を語り、自らも爪を生やしてみせると、


「混血なのか……リュキアとノクティルカの」


 男のリクスに向かう視線に僅かに憐れみが籠る。


「リュキア王国はレウカディア、ワイバーンのリクスだ」


 リクスがそう名乗りを上げると、相手の男は少し緊張を解いたようだ。

 自分の所属する自治体と、取り込んだ魔獣と名前を告げるのがノクティルカの正式な挨拶で、それを尋ねられる前にリクスがやってみせたからだ。


「レミンツダール、兜割貂熊ウルヴァリンのホッグだ。ワイバーンとは中々の大物だな。自分で取り込んだのか?」

「ああ、二回目の更新だ。旅に出るために力が必要だったからな」


 実際は母親からの遺伝だが、流石にワイバーンを取り込める程の魔術師がリュキアの男と子を為すのは怪しすぎるため、ここは詐称する。

 基本的に初対面挨拶では遺伝でも自力取り込みでも、片方の魔獣のみ伝えれば挨拶としては十分なため、この嘘はほぼ露見しないだろう。


「母親を探す旅か……大変だな」

「いや、実のところ見つかるとは欠片も思っちゃいなくてね。母親の生まれ育った国を見て回るのが本当の目的かな。ああ、こっちは俺の義妹のエーメリーとビアンカだ。二人は心呑神デーヴォロ信仰じゃないが、俺の信仰に免じてくれ」


 エーメリーとビアンカが頭を下げると、ホッグは悪い男ではないようだ。二人を困らせないよう不器用な作り笑いで、拙い配慮を見せてくれる。


「心配するな。外国の民に心呑神デーヴォロ信仰を押し付けるほどノクティルカは狭量じゃない」


 そうホッグは不精髭だらけの顎を撫でたのち、


「ここで夜を越すつもりならウチへ来るか? リュキアと違って山颪があるから夜は想像以上に冷えるぞ。ベッドはないが外よりはマシだろう」


 監視の意味もあるのだろうが、気遣うようにそう提案してくれる。






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