■ 400 ■ ノクティルカの夕べ






「ここで夜を越すつもりならウチへ来るか? リュキアと違って山颪があるから夜は想像以上に冷えるぞ。ベッドはないが外よりはマシだろう」


 ホッグは不精髭だらけの顎を撫でたホッグが、監視の意味もあるのだろうが、気遣うようにそう提案してくれる。


「いいのかい?」

「野郎はともかく女の子に野宿はさせられん。少なくとも俺の責任内ではな……ああ、家には妻と娘がいるから怖がることはないぞ」


 妻帯者、と聞いてリクスだけが胸を撫でおろした。エーメリーとビアンカはそこは大して気にしてなかったようだ、というのは剛毅と言うか何というか、リクスとしてはちょっと怖い。

 多分ホッグが夜這いでも仕掛けてきたら、この二人は容赦なくホッグを殺す気だったのだろうから。


「すまない、助かるよ」

「ありがとうございます、ホッグさん」

「助かります、すみません」


 熾した火を消してホッグの後に続き、丸太を組んで作られた、ホッグの自宅らしき小屋に三人は足を踏み入れる。


「客人を連れてきた、ジーナ」


 松明の火を消したそうホッグが声をかければ、炊事場から振り向いて顔を覗かせたのは二十路半ばの柔和な顔をした女性である。


「くだんの不審者? あら、随分と若い方たちね」


 エプロンで手をぬぐった女性が栗色の髪を揺らしながらにこりと微笑んだ。


「もうすぐ鍋が煮えるから食卓で待っててね、お客様。悪いけどそれまでそこの朴念仁のお相手をお願いできるかしら」

「誰が朴念仁だ誰が」

「娘の子守もロクに出来ない貴方」

「……」


 そこで言い返せないあたり、どうやらホッグは子育てが苦手なようで、リクスは少し親近感を覚えてしまう。


「おきゃくさまー?」

「さまー?」


 ふとそう声をかけられてリクスらが家屋の奥を見やれば、扉の隙間から四つの瞳が興味深そうに此方を覗いていた。


「ああ、一晩の客だ。お前たち、挨拶は?」

「えっと、こんにちは!」

「惜しかったな、こんばんは、だ」

「あってるもん! パパ嫌い!」

「きらーい!」


 一人はむくれ、一人は笑いながらエーメリーとビアンカに近づいてきたのは、髪の長さからどちらも女の子だとリクスには思われた。

 年の頃はまだ上の子でも五つぐらいにしかみえないから、もしかしたら男の子の可能性もあるが。


「娘のグレタとガビだ。上の子がグレタ」

「おきゃくさまのお名前は? なのられたらなのらなきゃいけないんだよ!」

「だよー!」

「ああ、すまない。リュキアはレウカディア、ワイバーンのリクスだ。こっちは俺の妹のエーメリーとビアンカ」

「エーメリーです、こんばんは」

「リクス兄様の妹のビアンカです、宜しくね。グレタ、ガビ」


 当然のようにグレタとガビはエーメリーたちとは距離を詰めるが、リクスには近寄ろうとはしない。怖いからか、それともホッグの教育の賜物か。

 何にせよリクスにとってはありがたい。女の子の相手は苦手なのだ。特に幼い女の子は。


 このまま夕食をご馳走してくれるとホッグが言うので、若干迷ったもののリクスはご相伴に与ることにした。

 図々しいかとも思ったが、断るのもそれはそれで角が立つだろう。


 夕食はヤギのミルクに麦と山羊肉を放り込んで煮たごった煮で、まあ庶民らしく素朴な味付けである。

 リクスたちが立ち寄らなければ多分肉は入らなかったのだろう。そう考えるとやはり少しだけ申し訳なくもある。


「山羊肉を食べるのは、そう言えば初めてかもしれないな」

「ほう、結構よい生活を送れているんだな」


 ホッグが顎髭を撫でながら、それは感心しているのか皮肉っているのか。山羊は資源のないやせた土地でも比較的飼育が容易な、庶民の心強い味方だ。

 山羊肉やミルクは牛などよりよっぽど庶民にとっては食べ慣れているお袋の味だが、特有のクセと臭みがある山羊肉を嫌う貴族は少なくない。


「そういうんじゃないよ、宗教上の理由ってやつさ」

「宗教上のって、お前さん心呑神デーヴォロだろうに、リクスよ」


 前時間軸のエルダートファミリーには山羊頭獅子体スフィンクスのフィンがいたから、アウリスが配慮して山羊肉を食卓に並べなかったのだ。


「俺じゃない、昔同居してた男のだよ。まあ、そいつは今は遠くに行っちまったけど」


 ただ、山羊肉はさておき前時間軸のエルダートファミリーは庶民食で慣らしていたから、クセのある山羊肉でもリクスは気にせず食べられる。况んや元孤児のエーメリーとビアンカもだ。


「ね、ね、外のおはなしきかせて!」

「きかせて!」


 夕食が終わる頃にはすっかり女子たちは打ち解けていて、恐らく家に一つしかないベッドは、今晩はエーメリー、ビアンカ、ジーナ、グレタ、ガビの五人で使うことになるだろう。当然、ホッグは蚊帳の外だ。

 エーメリーが神殿作成をしてノミやシラミを追い払い、五人が寝床に入ったのち、


「すまないな。寝床奪っちゃって」


 男二人は食卓の油皿に火を灯して、静かに向かい合う。


「いいさ、娘たちにくれてやれる数少ない娯楽だからな。礼を言う」


 ここらへんには何も無いからな、とホッグが木のマグに山羊の乳を発酵させて作った酒を注いでくれる。

 山羊づくしだな、とリクスは内心で少しだけ思った。多分、それ以外にはめぼしいものが何も無いのだろう。


「カタギには見えなかったから警戒したのだが……リュキアでは何を?」

「正解だよ、マフィアの護衛さ。僑族にできるのはそれくらいだからな」


 マフィア、と聞かされれば流石にホッグも一度、目を丸くしてしまうが、納得もしたようだった。


「そうか、案外当たるんだな、俺の危険察知の勘も」

「ホッグは駐屯騎士なのかい?」

「一応はな。もっとも兜割貂熊ウルヴァリンは近接特化だ、戦力としてより置いておくことに意味がある程度の虚仮威しだが」


 「ちゃんと騎士は配備しましたよ、というポーズさ」と笑うホッグは、確かにリクスの目から見ても、申し訳ないが脅威とは感じられない。


 それでも一応はホッグも騎士として叙任を受けた、正式な第二騎士団員だそうだ。

 もっともこのレミンツダール村にいる騎士はホッグだけで、とても人手が足りてないとのことらしいが。


「足りてないんだ。平和に見えたけど」

「十年に一回、三騎士団が総出で大規模な山狩をやるのさ。それが去年だったからまだ平和だが、七、八年後には酷いものだろうよ。一昨年は休む暇もなかったからな」

「それじゃ全く村を離れることができないんじゃないか?」

「ああ、巡礼の時以外はね」

「巡礼?」


 地母神教マーター・マグナにも同じ責務があるが、ノクティルカも同じ事をやっているのかと気になって問うと、


「いや、十年に一度、首都ノナクリスを訪れて礼拝しないといけない、って義務さ。心呑神デーヴォロ魔術師のな」


 単に王都を訪れて礼拝堂で心呑神デーヴォロに祈りを捧げる義務だそうで、割と気楽な旅らしい。

 いずれにせよ、その巡礼の間しかホッグが騎士の義務から自由になれる期間はない、ということだ。


 だが魔術師を増員してほしいとはホッグは愚痴を零しはしない。

 それは恐らく騎士団に入った時に礎についての教育を受けたからだろう。


「礎についてなら俺も知っているから気兼ねしなくていいぞ――やはり魔術師の増員は難しいのか」


 だからリクスがそう尋ねると、ホッグは再び目を丸くした後に、リュキア民なのに礎について把握しているリクスをどう扱ってよいか分からなくなったようだ。


「心配するな。偶然知り合ったヒッター家の者から聞いたんだ」


 ノクティルカ一族から聞いた、だとインパクトが大きすぎるのでリクスはアウリスの家名を借りたが、


「ヒッター家!? ノクティルカ一族の近衛じゃないか! それがなんでまたリュキアなんぞに……」


 それでもホッグからすれば驚嘆を禁じ得ないようだった。寒村の駐屯騎士であるホッグからすれば近衛騎士というだけでも十分に雲の上の存在である。

 塩梅が難しいものだな、とリクスは少し反省し、自らの発言の尻ぬぐいに回る。


「ノクティルカの都合は知らないよ。まあヒッターから聞いた話に照らし合わせれば、恐らく改編か何かだったんじゃないか?」

「第四騎士団、改編部隊か……なるほど」


 ただ、ホッグは素直な性格なのだろう。それで納得したのか、リクスに少しだけ憂鬱そうな視線を向けてくる。


「吐き出したいことがあるなら聞くぞ? どうせ明日にはいなくなるんだ。一人で抱えていられない不安を吐露するにはちょうどよいだろうしな」

「……確かにな」


 片田舎に騎士が一人、相談できる相手もいない、ということで重圧に耐えていたのだろう。ややあってホッグが徐ろに口を開く。






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