■ 278 ■ 神を喪いし者たちの未来
「臨界が止まる――そんな、どうして、ラジィ。どうして、ミカ、どうして……」
神になるはずだった。ラジィとミカがやってくれるはずだった。逃げようとするラジィをミカとラドゥエリが説得してくれると、そう太鼓判を押してくれたはずだった。
なのに天屍スイの身体は今や、急激に天使から人のそれへと組み換えられていく。
神臓が機能を停止し、スイを神から人へと戻そうと天屍スイの望みに反してその力を封じていく。
ぐらり、と身体が傾いだスイはそれで気が付いた。
今この上空で翼を失えば、
アズライルが調整した天屍の肉体は、あくまで神臓の並列臨界が可能な様に調整されているだけで、超人的な性能を持つわけではない。
慌てて萎みゆく翼を制御して天屍スイが地上へと降りると、
「天使だ! 降りてきたぞ!」
「天使様が降臨されたぞ! 横柄な魔術師連中から俺たちを救うために天から来てくれたんだ!」
「よかった! これで魔術師たちになんか頼らなくても私たちは救われるのね!?」
群衆がスイを取り囲む様に集まってきて、スイは逃げ場を失ってしまう。
――この人たちは、何を言っているの?
自分の周囲を取り囲んでいる者たちの意図が分からず、スイはただ狼狽えることしかできない。
天使とは神の卵であり、全ての神は天使から生まれているが――その事実を大神教は可能な限り抹消しようと努めてきた。
だがそれでも民間伝承のような形で天使という存在は「なんとなく人類を救ってくれる者」として、ある程度教養のある一般人には伝わっている。
だからスイが――究極的には魔力を持たない平民に対しては何も施してやれないということを彼らは知らない。
だけどそういう背景をスイも知らないから、スイは何故彼らが自分たちを崇めるのかが理解できない。
その一方で、群衆たちからすれば天使はまさしく天の救いだ。
どう救われるのかなど分かってもいない。天使に何ができるのかも知りやしない。だけどなんとなく、天使は人を救ってくれるのだと。
そう安直に考えた庶民たちがわらわらとスイの元へと集まってくる。
だが、そんな天使を囲んでの喝采など当然人が人を呼び寄せるわけで――
「どけっ! 愚民どもがぁ!」
本部神殿の中にいたことで
「に、逃げなきゃ……! アズライルの元に帰らないと!」
慌ててスイは
「天使が逃げるぞ! 奴の信仰は
「ゴーレムだ! 一斉にゴーレムを作成して逃げ場を奪え!」
正直土塊からゴーレムを作成するのが基本戦術の
天屍ではあるが単独のスイと、数を揃えてスイを半包囲している偶人騎士団では、どっちも土を操るからこそ単純に頭数の差でスイの方が押し負ける。
そうして操れる土が周囲になくなったスイの小さな身体を土塊人形が羽交い締めにして――
「志半ばで倒れた多くの仲間たちの仇だ!」
偶人騎士団の精鋭が抜き放った剣がスイの腹部へと吸い込まれ――鈍い音を立てて神臓がスイの体内で砕け散る。
「そ、そんな……! 私の神臓、私が神になるための――」
本来物質の括りに納まらない、物理的手段では決して破壊することなどできない神臓ではあるが――しかしそれは本来当代の天使ただ一人のものだけだ。
既に死せる天屍であるスイの神臓もまた、辛うじてその形を留めていただけで本来の神性は既に失われて久しく、だからこそそれはスイの体内で砂の様にさらりと崩れ、
「くたばれ天使! 路地裏から這いずり出た薄汚い小娘ごときが、よくもよくもよくも我らが同胞をォオッ!!」
ヒュッと剣が横一文字に振るわれて、天屍スイの頭が首の上から滑落して地に落ちる。
ゴーレムが羽交い締めにしていたその痩躯を解放すると、かくん、と天使が膝をつく。そのまま首から流れ落ちる血で未だ背中に残る翼を赤く染めながら、血溜まりの上に倒れ伏し、それが天屍スイの二度目の死となった。
「ブノワの命! エンゾの命! レジスの命! 全部全部、お前が皆の命を奪ったんだ!」
そうして感情のままに死せるスイの肉体をズタズタに切り裂いていたその偶人騎士団員ではあったが、突如としてガツンという衝撃を頭に受け、スイの亡骸に覆い被さる様に倒れ伏した。
その騎士にとって不幸だったのは、天屍スイが墜落する様を目にして押っ取り刀で防具も着けず、剣だけを帯びて現場に向かったことだろう。
街中であるが故に無防備に、怒れるがままに身体強化で頭部を保護することも忘れていたその騎士を殴り殺したのは、一市民が手にしているただの石材。
そう、ただのどこにでもある石材だ。
スイと偶人騎士たちが地面をかき回したせいで崩れて転がっていた、その辺のどこにでもある、誰もが普段踏みつけにしている、ただの石材である。
「騎士ともあろう者が――人を救う天使を殺すなんて! それでよく神の信徒を名乗れるな!」
騎士を殴り殺した庶民は、恐らく勇敢で真っ当で正義感が強いのだろうが――この世の現実を何も分かってなどいない。天使がどういう存在かもよく知りはしない。
だが、それも仕方のないことだろう。庶民が知恵を持つことを禁じることによって、貴族社会というのは維持されていると言っても過言ではないのだから。
庶民に真実を貴族が明かさなかったから、騎士の天使殺しなど庶民から見れば狂人の愚行にしか見えなかった。
だからある意味ではその騎士が死んだのはただの自業自得であり、
「貴様! 愚民如きが我ら偶人騎士団を害するなどと!」
しかしそれを自業自得と思わないのが貴族というものだ。
たちまち周囲の偶人騎士団員がその勇敢なる庶民を一太刀で斬り殺したことで――
それによって、これまで辛うじて保たれていた均衡が完全に崩れ去った。
「狂ってる! 偶人騎士団は狂ってるんだ! 奴らは天の使いたる天使を殺すことになんの躊躇いも覚えちゃいないんだよ!」
誰かの血を吐くような叫びに、周囲の人々は恐怖し、怯え、竦み――
しかしごく一部の人々は勇敢にも自らが成すべき事を自覚した。
まだほんの、十二歳にすらなっていないであろう小さな天使を平然と殺害し切り刻み、その白い体躯を血染めに貶める行為は――誰の目にも醜悪としか映らなかった。
よりにもよって天から使わされた天使を、たかが
その傲慢は――
その偏狭は――
そのおぞましき行為は――
「き、貴様ら……貴様らもまた、我ら偶人騎士団に逆らおうというのか……!」
「黙れ! 神の信徒を騙りながら天使を殺した罪人が!」
ゴーレムの数より石材を拾い上げた庶民の数のほうが圧倒的に多い。
そうして睨み合う余裕もなく人垣が怒濤となって魔術師とゴーレム立ちへと襲いかかり、只人と魔術師が激突する。
ゴーレムがその豪腕を振るえば庶民の二三人は軽々と吹っ飛ばされるが――そもそもの数が違いすぎる。
瞬く間に殴りつけられ、蹴りつけられ、粉砕されたゴーレムを乗り越えて、まさしく人垣となって迫る無数の手に騎士たちが地面へと引き倒され、
「や、止めろ! あの天使はそうじゃない! そうじゃないんだ! あれは人を救ったりなど――ギャアアアッ!!」
無数の手に腕を、脚を拘束された騎士の顔面に何度も何度も瓦礫が振り下ろされれば、肉体強化をどれだけ強固にしてもいずれ魔力が尽きて――
「やった、やったぞ……! 俺たちでも貴族を倒せるんだ!」
失禁と血の池に沈み事切れた騎士を前に、庶民が血に染まった石材を振りかざして鬨の声を上げる。
「天使を殺した
『おおっ!』
「天使を殺した
『おおっ!』
「
『然るべき報いを!』
それは
世界の在り方はこれで完全に一変した。
魔術師としての素養を持つ貴族の九割近くが死に絶え、辛うじて神殿内にいた主力だけが残された各神教。
そして人を救うはずだった天使が地上に降りてくるや否や、それを騎士がむごたらしく殺す様を様々と見せつけられた、数多の無傷に近い庶民。
彼らが理解を示し合うのか、それともそのまま永遠の対立を続けるのか。
アズライルとミカ・エルフィーネが一変させたこの先の世界がどうなっているのかを知る者は――この世には誰一人として存在しない。
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