■ 277 ■ 歴史の裏で生きる者たち






 ラジィらが去り、もはや動くもののなくなった鍾乳洞の中、一人佇んでいたアズライルの前に仮面の人影が一つ、ふらりと現れる。


「……【七人神官セブンシスターズ】か」

「いかにも。パーティーリーダーのリクスだ。こうして対面で話をするのは久しぶりだな、懐かしいよアズライル」

「……私は以前に、其方と一度会ったことが?」


 長らく表舞台には立ったことのないアズライルである。最後の天屍を得たのも数十年ほど前であり、その時もアズライルは人前に姿を現してはいなかった筈だ。

 だが、このリクスという男――声音からしてまだそこまで年を重ねていない男だろう――は何故か、最初からアズライルを知っていたような口ぶりだった。


「ああすまん、こっちが一方的に知っているだけさ。お前が覚えてないのも仕方がない」


 そうリクスは苦笑し、そうして改めて鱗段の上に位置する土気色のアズライルの前に向き直る。


「これからウチが冒険者ギルドに、『アズライルという死屍神ヤマ・ヤミー教徒が天使の死体を操ってこの事態を引き起こしたが、我々が解決した』と報告をすることになるんだが」

「……概ね事実であろう。好きにするとよいが――それが?」

「そう報告するとこの地下空洞に調査隊が入り込むことになるけど、お前さんヒョイヒョイとは動けないんだろう? だから介錯してやろうと思ってね」


 土塊から作られたアズライルには、そもそも筋肉というものが備わっていない。

 ここにいるアズライルも、そもそもからしてアズライルの生前の形をしているだけの土の塊だ。


「……この身が持ち帰られても困ることはないが――処分して貰えるならそれに越したことはない……ふむ、それだけが目的か?」

「いぃや、本命はもっと別の話さ。これを聞いておかないと次に活かせないんでね」

「……次?」


 そう問うアズライルに、しかしリクスは応えずに向き直る。


「とりあえずこれで、お前さんの目的は達成できたんだろ? ってことをさ、俺は確認しておかなきゃならないんだ」

「……私の目論見は、其方らに阻止されたが」


 そんなアズライルの指摘に――仮面の下で恐らくリクスは笑ったのだろう。


「阻止されたのは十全な目論見は、だろ? ああ、魔術師優位の社会を破壊したことじゃない。お前の本当の目的・・・・・のほうだよ」

「……」


 アズライルは沈黙した。この男は一体己の何をどこまで知っているのか、と。


「言いたくないか。でも聞くんだがな。目的達成に至る可能性としてはこれで十分な筈だって、お前はそう当たりを付けてるんだろアズライル」


 そも、【七人神官セブンシスターズ】というパーティーで活動しながら、表向きのリーダーをエーメリーに任せているこの男。

 仲間を連れずにただ一人でこの場に訪れた男は一体何者で、何を目指しているのだろうか? と。


「お前の目的は天使に虐殺を行なわせた時点で既に果たされている。そうなんだろ?」

「……それを聞いてなんとする?」


 そう問うアズライルに、リクスは両手を広げておどけてみせる。


「何もしないさ。俺は何もしないし何もできない。この世に生じる唯一の変化は『ただ俺が識る』というだけの話でね。ただ知識を蒐集するだけの俺がそれを聞いたところで、この先の未来に変化が生じることもない。それは約束するよ」


 信じても信じなくてもいいが、とリクスは飄々と肩を竦める。

 実際、リクスは何一つ嘘は言っていない。本当にそれはリクスが識るか識らないかの話であり、この世界に何一つ影響を及ぼさず、リクス自身の行動にすらそれで変化が生じることはないのだ。


「だが、それでも俺は聞かねばならないんだ。頼むよ、教えてくれアズライル」


 そうして、


「……然り。封魔神オーディナリスが降臨していればより確実であったが、現時点で為すべきは為された。もっとも結果が分かるのは当代の天使が滅びてからになるが」

「なるほど、了解だ。語ってくれて感謝するよアズライル。正直言うと俺もお前の目論見が成就して欲しいと思っているからな」


 やはり、とリクスは頷いた。自分の予想どおりであったと。

 アズライルのこの凶行は、アズライルにその気が無かったとしても、やはりリクスにとっても必要なことだった、と。


「それを聞けて安心した。やはりお前は善良で優しいなアズライル。誰もが自分のことしか考えてない中で、自ら罪を背負って人類を救おうとしている」

「……その為の手段が無差別な虐殺でも、か?」


 表情も声音も変わらぬアズライルにそう問われて、しかしリクスはそこで平然と頷ける男だ。


「誰かがやらなきゃ人類が行き詰まるから、お前はやったんだろ?」


 リクスは後悔と共に生きる男だ。

 只人一人が救える命には限りが有り、だから真に救いたい者を救うためには、それ以外など冷酷に切り捨てなければならなかったのに。


 英雄なれば、救いたい全てを救えるのだろう。

 しかしリクスは自分が英雄になれぬ只人で、しかしせめて善良でだけはいたいという思いから取り返しのない失敗をしてしまった男だ。


 だからこのような、もはや死ぬこともできぬ身体にまでなってなお人類救済を願ったアズライルを、心底尊敬している。

 誰もが独り善がりな虐殺だと己を責めるだろうに、それでも自分を責める者たちを救わんとするアズライルを。


「もっとも、お前――いや、人類の誰かがそう行動することまでが【創造神デウス】の想定の内なのかもしれん。そうは思ったことはないか? アズライル」

「……どういう意味の、質問だ?」

「つまりさ、もうどうやっても天使が人を救えない時代が訪れた時、正義感の強い誰かがそうやって教えてくれる・・・・・・・・・・・と確信している。だから【創造神デウス】は人界の外側で胡座をかいてるって、そう考えたことはないかアズライル?」


 全ては神の目論み通りかもしれない、というリクスの指摘は流石にアズライルとしても業腹だ。


「……思いたくはないな。私たちは私たちの意思で生きてここにいる。そうではないか?」

「そうとも。だが虫かごの中の虫の自由意志などそんなものだろうよ」

「……そういう意味では、そうかもしれんがな」


 アズライルはリクスの言葉の正しさを認めた。虫かごの中にいる虫にどれだけご大層な自我があろうと、それは虫かごの外にいる者にとって何らの意味もない。

 この世界が【創造神デウス】の作った砂場であり、自分たちはその砂場で練られた、作っては壊される泥人形であろうとも――


「……関係のない話だ。私はここに在り、私の意思はここに在り、私の魂はここに在る。然るに私は成すべきを為した。それだけの話だ」

Penso, dunque sono.われおもうゆえにわれありか。同感だよアズライル。【創造神デウス】が何を思おうと、俺たちは俺たちの成すべき事のためにここにいる」


 頷いたリクスは拳を握りしめて、麟状に重なった石段に足をかける。

 語るべき事は語り、知るべき事は知った。であればもうここに用はない。リクスも、アズライルも。


「では、この身体は壊しておくとしよう。元気でな、と言うのも変だよな。お前さんは既に不死身なんだからな」


 リクスの拳が、アズライルに吸い込まれ――

 アズライルの身体が粉微塵になって砕け散る。あたかもそれは最初から土で作り上げた人形であったかのように。


「蒐集せねばならないピースは、俺たちが幾度となく積み重ねた結果が確かならばこれで全て揃った。後は自分自身で識らなきゃ納得ができないことだからな」


 それが人型であったなどと思えぬほどに破片を徹底的に蹴り砕いてから、リクスは踵を返した。


「さぁ、これから先は誰もが我欲を振りかざす暗黒の世界の始まりだ。呑み込まれるなよスティクス・リュキア。役目を果たせ、お前の希望と絶望がこの行き詰まったリュキアという国と――ラジィ・エルダートを救うのだから」






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