■ 103 ■ 効率か、信心か






 【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】は【至高の十人デカサンクティ】のおわす十からなる神殿の集合体であるではあるが、無論神殿のみで構成されている、というわけではない。

 既にシヴェル大陸における最大の宗派となった地母神教マーター・マグナには、当然のように組織運営のみを任務とする組織が発足、運用されているわけで、


「そうか、分かった」


 部下からの報告を受けた地母神教マーター・マグナ司教、ウリエンス・ザムラディエル広報局員は額を揉んで椅子から立ち上がり、自室を後にした。

 十の神殿とは異なり、より機能的に作られた建築物は、だが絨毯や調度品を見れば【至高の十人デカサンクティ】が治める十の神殿より遙かに上等な、金のかかった品で揃えられていることが分かる。

 ガワは質素に、中身は華美に整えられた屋内を進むウリエンス司教は、淡い林檎の香りがそよぐ廊下を抜けて一つの部屋に音もなく滑り込み、そっと防音の扉を閉めて、


「残念ながら、【道場アリーナ】ツァディ・タブコフ帰還の足取りは追えなかったようです」


 ゆったりとしたソファに腰掛けるも早々に、その場に集った面々にそう報告する。

 ウリエンスを加えて四人になった面々は、それぞれがやはり愉快げな顔など誰一人として浮かべていない。


「ではやはり、【道場アリーナ】は【書庫ビブリオシカ】と接触したか。でなくては【道場あれ】ごときの頭で追跡の困難な帰路など選べまい」


 そう忌々しげに零したのは、ウリエンスと同じ司教であるシャリク・サンティファクサス外務局員。

 地母神教マーター・マグナの外部組織との折衝を一手に引き受ける地母神教マーター・マグナ外務局所属付の司教である。


「他の【至高の十人デカサンクティ】の手を借りねば巡礼一つこなせない。これを理由にあの忌々しい孤児を排除できれば良かったのだが……証拠がなければどうしようもないか」


 脳筋ツァディの帰還の足取りが追えない、という事実こそが逆説的にツァディの帰路を聡明なラジィが選んであげたのだ、という疑いない状況証拠なのだが――状況証拠では最上たる【至高の十人デカサンクティ】は裁けない。

 腐っても相手は【書庫ビブリオシカ】、【神殿テンプル】カイ・エルメレクの直弟子にして地母神教マーター・マグナナンバー2の実力者であるのだから。


「【神殿テンプル】聖下も配慮が足りぬ。幾ら才ありとはいえ、元麻薬中毒の孤児を【至高の十人デカサンクティ】になど据えれば火種にしかならぬと、その程度は弁えてほしいものだが」


 そう不快も露わに呟いたのはアンブロジオ・テンフィオス総務局次長。

 地母神教マーター・マグナの内政を司る組織のナンバー2であり、肥大化した地母神教マーター・マグナを纏め上げる手腕を持つ、疑いなく優れた政治家にして大司教である。


 アンブロジオ自身は孤児が庶民が、とかに興味はないが、それがいることで組織が荒れるのならば、やはりアンブロジオにとってもラジィ・エルダートは大いに迷惑な排除すべき存在だ。善悪ではなく、調和の観点でである。

 地母神教マーター・マグナが実力主義で動いていることもアンブロジオは理解しているが、巨大組織であるこの地母神教マーター・マグナを纏める側の苦労も理解し譲歩してくれてもいいではないか、と思う。


「その点についてですが、ようやく我が内赦局が一つ、情報を掴みまして」


 アンブロジオに頭を下げたのはヤマツ・ヘメセリス内赦局員。

 地母神教マーター・マグナ内の犯罪を取り締まる警邏、裁判組織の一員にして、この中では一段劣る主任司祭である。


「過去、【神殿テンプル】カイが拙速にダート修道司祭に毒杯を呷らせた際、ダート修道司祭の警備に当たっていた神殿騎士からようやく情報を絞り出せました」


 苦労しましたよ、と笑うヤマツ主任司祭の苦労が何を意味するのか。残る三人は正しく理解していた。

 それ即ち神罰の執行であり、有り体に言えば拷問による情報の搾取である。


 ダート修道司祭の警備に当たっていた神殿騎士とやらはもうこの世には存在していないだろう。

 ただ還俗して野に下った、という記録だけが公式に残るのみで、その後の足取りは誰にも追えない。永久に闇に葬られたのだ。


「狂えるダート修道司祭はしきりに神を殺した【神殿テンプル】と【道場アリーナ】に怨みの呪詛を吐いていたようです」

「神を殺した?」


 わけが分からぬ、と首を傾げる三者を前に、ヤマツ主任司祭が朗らかに口を細めて笑う。


「皆々様、孤児院が何のために建てられているか、今一度思い出して下さい」


 そう伝えられた三者は驚きに息を呑んだ。彼らも何故大神教が孤児院を建てて孤児を集め育てているかは知っているが――まさか、その本来の目的を達成していたとでも?

 しかし、だとすればあの公平公正なカイが自分の経歴に瑕疵を残した理由に納得ができる。


 訓練兵を麻薬漬けにしていたダート修道司祭の存在は地母神教マーター・マグナにとって忌むべき汚点であったからこそ、即座に毒杯を呷らせたことそれ自体はおかしくはない。

 だが公平公正なカイが尋問もそこそこに拙速に事を進めたのは、カイが善良だからこそ不可解であり、逆に特筆すべき事となってしまっていた。

 その、理由が、


「神を殺した……ダート修道教会の孤児たちの中に天使がいた、と?」

「あるいは、まだいるのかも」


 ヤマツ主任司祭が穏やかに続けたその一言は、落雷のようにウリエンス、シャリク、アンブロジオの三人を硬直させた。

 天使がまだいる、ということは――ダート修道教会の関係者で生き残っているのは【神殿テンプル】と【道場アリーナ】、そして何より天使は孤児としてこの世に生まれ落ちる例が極めて多い――


「あのラジィ・エルダートが天使だから、【神殿テンプル】カイはあれを殺さず生かしている、と? であれば神として降臨させぬ理由も殺さぬ理由も分からぬ」

「【神殿テンプル】カイはその神を人類にとって害悪、と判断したのではないでしょうか。であれば天使を殺さず、神にもしない理由は説明できます」


 そう説明を受けたアンブロジオ大司教は小さく呻いた。

 それが人類に御し得る神ではなかったから、カイはラジィ・エルダートを天使のまま生かし続けている。確かに筋は通ってはいるが、


「これもまた証拠がない話でしかないな」

「【書庫ビブリオシカ】を拘束して腹を割いてみれば分かりましょう。天使には子宮がないといわれていますから」

「……ふむ」


 ヤマツ内赦局長の言葉に残る三人は思考を巡らせる。その思考は面白いほどに似通っていた。即ち、



――その神がカイに御せないとて、私に御せないとは限らないではないか。



 と。

 【神殿テンプル】カイ・エルメレクは善人だ。それは事実であると四者は正しく認めている。

 だが、善人は善人であるが故にその行いには限界がある。自らが悪であることを認めれば、人の採り得る手段は劇的に広がるのだ。


 ヤマツ内赦局長が罪など何一つ無い哀れな神殿騎士を拷問にかけ、カイが秘匿しようとした情報を絞り出せたように、だ。

 あるいは、この四人がラジィ・エルダートを捕縛してその腹を切り開くことに、何らの抵抗を覚えないように。


 そして、何より。


――他人を思いやる心が力となる地母神教マーター・マグナでは、これ以上の地位は目指せまい。


 その認識が、政治組織に所属する者たち共通の課題である。地母神教マーター・マグナでは自分たちは頂点に立つことは出来ない。

 だが、新たな神を手にすれば話は別だ。誰も知らない神の力を恣に出来れば、それは強力な武器になる。

 地母神教マーター・マグナでの発言力が――否、新たな大宗教マグナを興すことすら夢ではない。


「もしラジィ・エルダートが天使だとすれば――それを個人的判断で秘匿しようとした【神殿テンプル】と【道場アリーナ】の罪を問わねばなるまい」


 重々しげにシャリク外務局員がそう言い放ち、ウリエンス広報局員がそれに頷いた。

 アンブロジオ総務局次長は天使の存在が引き起こす混乱を予想して、カイの判断に正当性があることを認めたが――それでもカイたちの判断に未来を委ねるのが正しいとは思えなかった。


 魔術の才能は組織運営の才能とは別物なのだ。だというのに地母神教マーター・マグナの基本方針は【至高の十人デカサンクティ】が会議室クリアで決めてしまう。昔からそうだから、と。

 政治のなんたるかも分からぬ十三歳の孤児が、巨大組織たる地母神教マーター・マグナの決定権の一割を持つなど、狂気の沙汰としか総務局には思えない。


「神は人を救うために降臨するのだ。その力はあくまで人類救済の為のもの。使い方さえ誤らなければ、数多の人々が救われるだろうに」

「それを人の身が勝手に掣肘するなど、これ以上に烏滸がましいことはない、か」


 アンブロジオたちのように、実力主義の地母神教マーター・マグナに倦んでいるものたちは少なくないのだ。

 実力主義、というならば魔術のみならず政治的手腕もまた実力として認められて然るべきではないか、と。

 政治担当者から【至高の十人デカサンクティ】を、最高指導者たる【神殿テンプル】を排出しても良いではないか、と。


 そこに「他人に手を差し伸べる」思考が一切含まれていないから【至高の十人デカサンクティ】になれないのだ、ということにこの部屋に集う面々は気づけない。

 彼らと【至高の十人デカサンクティ】では、根源となる思考が根底から異なっているのだ。


「政治を司るものが力を持たねば、地母神教マーター・マグナはこの先必ず行き詰まる。改革が必要なのだ、この大神教をこの先も生かす為には」


 即ち人を救うために研鑽するのが【至高の十人デカサンクティ】であり。

 自分の欲を満たすために研鑽するのはあくまで只人でしかない、ということ。


 組織の維持拡大とその中での地位固めに奔走すれば地母神教マーター・マグナの拠って立つ柱が失われることに、只人は只人だからこそ気づけない。

 否。本当は薄々気づいていて、しかしこの部屋に集う面々はそれを軽視しているのだ。


 革新派を自称するアンブロジオ達にとって重要なのは自分たちが所属する組織が盤石なことなのだから。

 支配欲と自己肯定感を満たすために地母神教マーター・マグナを揺るぎない組織にする。それを目的とする革新派はどうやっても【至高の十人デカサンクティ】とは相容れない。


「シャリク外務司教、ウリエンス広報司教は引き続きラジィ・エルダートの足取りを。私は【神殿テンプル】と【道場アリーナ】の周囲を洗う」


 ラジィを天使のまま留め置くのがカイの目的であれば、今のラジィは神臓を奪われている筈で、その行方を知るのは恐らく【神殿テンプル】と【道場アリーナ】しかいない。

 二人から神臓を取り戻し、ラジィ・エルダートの身柄を抑えれば――新たな神の力を独占することも夢ではない。新たな神派の、その最上位指導者になることも、だ。


 無論、それはラジィ・エルダートが天使であったらの話であって、そうでなかったら全ては泡沫の夢と消えるが。

 それでも、


「あのカイ・エルメレクが唯一不自然さを残した案件だ。何も出てこない、ということはあるまいよ」


 注力して調べてみるだけの価値はある。

 強い魔術師が組織を運営するという前時代的な現状から、優秀な頭脳が組織を運営する安定した組織に地母神教マーター・マグナを変えていかねばならない。

 それが組織を預かる者としての責任というもの。社会の何たるかを知らぬ【至高の十人デカサンクティ】など政治部に従って動くべきなのだ。その為の力が必要だ。


 たとえその過程として、ラジィ・エルダートという少女がこの世から消えることになったとしても、そんなこと――些細な問題でしかないだろうに。






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