■ 056 ■ 至高の十人合同会談




 真っ白な円卓に十の椅子が用意された、【至高の十人デカサンクティ】専用の談話室、通称会議室クリアは今日も重苦しい空気に包まれている。


「ジィが消息を絶ってからこれで一年が経過したわけですが、相変らずその後の連絡はありません」


 【神殿テンプル】、カイ・エルメレクがそう口火を切ると、会議室の面々はだいたい三種類の顔に別れる。

 即ち心配そうな顔、興味のなさそうな顔、まぁそうだろうなという顔である。


「便りがないのはいい返事っつぅだろ? いくら弟子だからってもうあいつも一人前なんだ、もう少し信用してやったらどうだ? 【神殿テンプル】」


 そう呆れたような口調で忠告する【武器庫アーマメンタリウム】アレフベート・ギーメルは三つ目の顔だ。

 ラジィの生死が不明という状況をある意味肯定的に捉えている。


「俺だって巡礼はこっそりやってたしな。位置を把握されるなんざ煩わしくて仕方ねぇ」

「それは貴方が興味のあること以外何もやらない趣味人だからでしょう、【武器庫アーマメンタリウム】」


 こっちはこっちでアレフベートに呆れているのは【宝物庫セサウロス】、サヌアン・メフィンだ。

 好々爺のような風貌のサヌアンが最初に浮かべた顔は二つ目、つまり興味なしで、というのもカイたちが捜索したリグレフォティス古戦場からはサヌアンがラジィに贈ったアミュレットの中枢たる封魔石が見つからなかったからだ。

 あれがまだ機能しているならラジィがそうそう倒れることはあるまい、という半分自画自賛、半分信頼故の判断である。


「ラジィは貴方よりもう少し真面目ですよアレフ。困っている人がいれば放っておけない性質のはず。そのラジィの噂が一切ない、となると」

地母神教マーター・マグナの目がない土地に潜んでいるか、もしくは死んだか、よね。ディー、ラジィの装備って今どんな感じだと思う?」


 地母神教マーター・マグナの防具作成における総元締め、【納戸ホレオルム】ラム・メドムにそう尋ねられ、ツァディは半瞬も置かずに口を開いた。


「あの時点のジィだと古死長竜アンデッドエルダードラゴン相手にはかなりギリギリの勝負になったはずだ。運良く相打ちに持ち込めても竜麟の剣は損壊、緋紅金剣は刃こぼれしてるしローブは穴だらけ、人工聖霊は潰れ霊薬エリクサーも全部使い果たしたろう」


 過不足ない、完璧な読みである。ここまでツァディの予想が完璧に正鵠を射ているのは、ひとえにツァディこそが誰よりもラジィと共に鍛練を重ねた、ラジィの実力と戦術を誰よりもよく知る男だからだ。

 彼女がどういう戦術を好み、どう戦うかは戦場跡を見るまでもなくだいたい予想できる。


 剣の消費もそうで、ラジィは使い勝手がいい道具から先に使っていくから、粘りと堅さと魔力伝導のバランスがよい竜麟の剣を最初に使い潰すとツァディは確信している。

 次に長期戦における魔力消費をなるべく節約しようとして緋紅金剣を使用し、専用剣はトドメまで温存しておこうとする。そういうスタイルまでツァディには手に取るように分かる。ラジィの性格を熟知しているからだ。


「穴だらけか。ならそれ以上ボロボロになる前に回収したいわね。ダメージコントロールの参考になるし」


 【納戸ホレオルム】ラムはラジィをそっちのけにして研究者の顔でそう呟く。

 古死長竜アンデッドエルダードラゴンと単独で戦った直後の防具の状態など、そうそう手に入らない貴重なデータだ。防具の改良のためにはそういう生データが何よりも重要なのだ。

 「お前防具じゃなくてジィの心配をしろよ」というツァディの視線にも気付かず【納戸ホレオルム】ラムが円卓に頬杖をつく。


「いずれにせよ、ジィは私たちに決して足取りを追わせたくはないようですね……」


 【御厨コクイナ】シン・レーシュがそう沈痛な面持ちでそっと零した。

 如何な理由があろうと、ラジィが【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】に自らの居場所を明かしたくないのは誰の目にも明かである。


 正直に言えば、古死長竜アンデッドエルダードラゴン討伐を遂げたラジィの功績はもう【至高の十人デカサンクティ】の巡礼として十分な成果だ。

 これだけのことを成し遂げれば後はラジィがどこでなにをしていようと地母神教マーター・マグナ徒なら文句など言えないはずなのだが……


「そりゃあ、口さがない連中ばっかりですからね。雑魚の方々は」


 ニコニコした穏やかな顔で辛辣な毒を吐くのが【菜園サジェス】テッド・ヨドカフの特徴である。

 特徴がないのが特徴のような凡人顔なのにテッドの顔が記憶に焼き付いてしまうのは、全てこの特徴のせいと言っても過言ではない。


「弱者を気取ればいくらでも一方的に強者を叩いてもいいなどという思考、いやはやどれだけ賤しい頭なら捻り出せるのやら。そんな腐った野菜屑にも劣る腐肉がおぞましくも地母神教マーター・マグナのローブを着て歩いているのです。あれらと同類に見られると考えただけでローブなど着たくもなくなりますね」


 テッドのその言葉はどこまでが本気かは不明である。

 というのも農地改良が専門のテッドはその仕事上、ローブなど邪魔だしすぐ汚れるとあって纏うことがそもそも少ないからだ。


「その程度の博愛しか持てないからジィを上回れない、それが分からずによくも地母神教マーター・マグナを名乗れるものです。私なら羞恥で首を括りたくなりますよ」

「その辺にしてください【菜園サジェス】、気持ちは分かりますが他人を罵倒する言葉は耳を穢します。美しくありません。ますます人が嫌いになれます」


 【スタブルム】ザイン・ヘレットがこう、なんというか焦燥感に駆られたようにソワソワしながらテッドの口を阻む。

 彼女としてはこれ以上会議が無駄に延びるのを何としても回避したいのである。ザインは病的な動物好きを自称しており、四六時中動物の毛並みを撫でていないと蕁麻疹が出る、というのがザインの言である。

 本当かどうかは定かではないが。


「フィンが戻ってきてない以上はラジィは無事ですよ。もうそれでいいじゃないですか。それに政治は【神殿テンプル】の領分ですし……もう私厩に戻っていいですか?」

「【神殿テンプル】一人に全てを押しつけないためのこの会議室クリアだ。君も【至高の十人デカサンクティ】なら責任を分かち合いたまえ、【スタブルム】」


 堅物を絵に描いたような顔の壮年、【温室ハーバ】ダレット・ヘイバブが無精髭一つない顎をつるりと撫でて【スタブルム】を諭す。


 【神殿テンプル】カイ・エルメレクは地母神教マーター・マグナにおける総元締め、最高指導者であるが、カイとてあくまでもっとも総合的に優れた【至高の十人デカサンクティ】、即ち本質は魔術師なのだ。

 政治家でも支配者層でもない以上、組織の効率的な運用のためには補佐役が必要で、そういう補佐役はだからこそ、政治的能力に長けている。

 彼らにそっぽを向かれると地母神教マーター・マグナ全体が機能しなくなるので、【神殿テンプル】カイ・エルメレクと言えどある程度の配慮を行なわねばならない。


 しかし腐敗は、そういう「ある程度の配慮」の中で進むのだ。

 だからラジィは【至高の十人デカサンクティ】の一柱でありながらたった一人で巡礼の旅に出て、その上で消息を絶った。


 おぞましい話だ、と残る九人は温度差こそあるもののそれぞれなりの思考で頭と心を痛めた。


 そう、地位と権力こそ全てと思っている一部の組織人には「上の連中を引きずり下ろす」ことに腐心している者が少なからず存在する。

 どのような組織にも一定数、そういうことに注力する連中は潜んでいるものだ。そしてそういう連中は、立場の弱い者をこぞって狙い撃ちにする。


「いずれにせよ装備の破損が予想されているのなら、補給を届けては如何かな? ジィも見知らぬ土地にたった一人、かつ穴あき防具に予備の武器無しでは厳しかろうに」

「それはそうですが、一体どこに届けるのです?」


 極めてまともなカイの突っ込みも【温室ハーバ】ダレットは気にも留めない。


「そんなもの、ディーにでも追わせればよろしかろう。ディーならある程度ジィの行動に当たりを付けられるのではないかな?」

「あ、私もそれ賛成。新しいローブ縫うからさ、穴あきになった古いの回収してきてよ」

「ハン、なら俺も竜麟からもう一本削り出してやらぁ。届けてやんなディー。それでカイが安心できるなら安い話じゃねぇか」


 【納戸ホレオルム】ラムと【武器庫アーマメンタリウム】アレフベートはダレットの案に賛成のようだ。

 というよりラジィに補給物資を送ることそれ自体に反対する【至高の十人デカサンクティ】は一人としていない。

 愚民がどれだけ愚考しようと、彼らはそんなことには毒されない。それこそが【至高の十人デカサンクティ】であることの何よりの証だからだ。


「ですが一般の信者や同行者ならさておき、【至高の十人デカサンクティ】と合流しては今度はラジィの巡礼の正当性が論われるでしょう」


 だが、それはそれとして【御厨コクイナ】シンの言うように別の方面からのラジィへの配慮というのも必要になる。

 【至高の十人デカサンクティ】の巡礼は五年交替で、従者や神殿騎士の同行者はいくらでも許されるが、あくまで一度に巡礼に出る【至高の十人デカサンクティ】は一人だけだ。

 他の【至高の十人デカサンクティ】の手を借りねば五年の巡礼もこなせない程度の実力では【至高の十人デカサンクティ】を名乗るのも烏滸がましい。シンが予想した非難にも一定の根拠が存在するのだ。


 だがそんな政治的配慮を嘲笑うかのような、


古長竜エルダードラゴン討伐を遂げた十三、いえ十四歳の少女に補給を渡すことすら拒む。そんなサル共が地母神教マーター・マグナを語るなど地母神マーターも腹を抱えて笑い転げるでしょうな。まず人の心を持ってはどうか、と」


 【菜園サジェス】テッドの皮肉を耳にした一同は期せずしてほぼ同時に、脳内で聖句を口ずさんでいた。


――かつえる民に温もりを、難き道行きに安寧を。只人にそれが成せぬというなら、私がそれを成しましょう。


 それが地母神教マーター・マグナ基本の聖句にして根幹となる教義だ。

 十四才の少女に難き道行きを歩かせ、安寧を与えられないというならここにいる全員が【至高の十人デカサンクティ】失格だろう。

 なにせそれをやってしまったら、自分たちは地母神マーターの代わりを成せぬ只人・・だと自ら暴露するに等しいのだから。


 【神殿テンプル】カイ・エルメレクは内心の溜息を噛み殺した。

 【至高の十人デカサンクティ】唯一の純戦闘職である【道場アリーナ】ツァディ・タブコフの派遣要請はシヴェル大陸の各地から声が上がっているのだ。

 それらを全て無視してディーに全く成果が出ないことが予定されている謎の遊撃任務を割り振るのは、反対と非難が数多上がるであろうが――


「では、【書庫ビブリオシカ】ラジィ・エルダートに支援物資を送るかの決を採ります。支援に賛成の者は挙手を」


 【スタブルム】ザイン、反対。フィンがついているので何も心配はしていない。ラジィと言うよりフィンに全幅の信頼を置いている。


 【菜園サジェス】テッド、賛成。地母神教マーター・マグナとして未成年の少女一人を助けないなど教義に悖る。このようなことに決を採るそれ自体が恥だと思っている。


 【温室ハーバ】ダレット、賛成。そも地母神教マーター・マグナが一人で行動すること自体が論外だ。もう一、二本霊薬エリクサーを持たせてやるべきだったと後悔している。


 【御厨コクイナ】シン、反対。【神殿テンプル】カイ・エルメレクの影響力が下がれば、以後もっと危ないときに今度こそラジィを助けられなくなるかもしれないという憂慮だ。


 【道場アリーナ】ツァディ、賛成。命令がなければ無視していくし、その為に【至高の十人デカサンクティ】の地位を捨てることにすら何らの抵抗もない。


 【納戸ホレオルム】ラム、賛成。というより今後に生かすためのローブの回収と改善が全てだ。ディーには早くラジィのローブを持って帰ってきて欲しい。


 【書庫ビブリオシカ】ラジィ、棄権。この場にいないので決の取りようもない。


 【武器庫アーマメンタリウム】アレフベート、賛成。ラジィには敬遠されているが、アレフベートの方はジィのことを俺の話が分かる奴だとかなり気に入っているのだ。


 【宝物庫セサウロス】サヌアン、反対。自分の与えたアミュレットはまだ仕事しているようだし、ちょっと皆は過保護がすぎる、むしろ自分たちが子離れできてないのでは? と思っている。


 【神殿テンプル】カイ、賛成。もうラジィは一人前、【至高の十人デカサンクティ】になったとはいえ、それでも可愛い未成年の愛弟子なのだ。


「賛成六、反対三、棄権一により【書庫ビブリオシカ】ラジィ・エルダートに支援物資を送ることとします。【温室ハーバ】、【納戸ホレオルム】、【武器庫アーマメンタリウム】、準備を」

「畏まりました、【神殿テンプル】カイ・エルメレク」




 そうして、新たに作られた竜麟の剣とローブ、霊薬エリクサー二本を携えて【道場アリーナ】ツァディ・タブコフが遊撃任務と称し【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】を出発する。


「先ずは最初で最後の手紙が投函されたっていうカルベッタの街だな」


 無駄とも言える最強戦力の使い方に【神殿テンプル】カイ・エルメレクの最高指導者としての才を疑問視する声は幾つか上がったが、炎上するほどではない。程なく鎮火される。

 しかし火種は確実に燻って、そして埋もれただけで消えてはいない。いつかそれは大火になるかもしれないし、何も起こらないかもしれない。


 先の予測を得意とする【書庫ビブリオシカ】ラジィ・エルダートを欠いた今の【至高の聖域サクロ・サンクトゥス】には、未来のことなど決して分かるはずもないのだから。




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