グランベル大陸よ、俺は帰ってきた

 ■ 352 ■ 出港






「おお、俺船乗るの始めてだよ! イーは乗ったことあるか!?」

「ない。あと騒ぐな、エーやビーが怒る」


 まだ出航前だというのに、乗船券を握りしめたフェルナンは甲板を走り回り、興味津々でマストや帆、それを操る船員たちに珍しげな視線を向けている。


 剣槍は刃先の予備ごと纏めてリクスが預かっており、また今は七人ともローブを脱いで庶民服に身を包んでいる。

 そうしてお上りさんそのものの姿になったフェルナンは余計に年頃より幼く見えて、ビアンカなどは同類と見られるのが恥ずかしいらしい。


「フェルナン、船員さんたちの邪魔はするなよ。彼らは仕事中なんだから」

「分かってる分かってる!」

「絶対分かってませんよアレ」

「まあ、最悪海に投げ捨ててやればよいでしょう」

「……やらないでね?」


 ビアンカとエーメリーなら本気でやりかねないので、一応リクスは釘を指しておく。

 冗談だと思ってたら本気だった、みたいな折檻がこの港町に来るまで何回かあったのでリクスとしては戦々恐々なのだが、エーメリーとビアンカは納得がいかないらしい。


「御兄様はフェルナンに甘すぎます。あの山猿は口で言うだけでは何も反省しないのですから」

「そうですよ。これまで私たちが下した罰なんかじゃあいつ、全っ然懲りてないでしょ?」

「……いやうん、それはそうなんだけど」


 フェルナンのパワーは本当に凄まじく、エーメリーやビアンカにボコボコにされても全く懲りない。無痛症なんじゃないかってくらいに懲りない。


「ま、まぁやる気が溢れるようならレモラの駆除でもやってもらおうか」

「レモラ?」


 それが船底に張り付いて船足を遅くする魔獣だ、と告げるとエーメリーもビアンカも納得したらしい。


「そうですね、皆のお役に立てますし」

「それなら命綱なしでいいですよナシで」

「良くないから」


 ペシッとビアンカのおでこにチョップかまして、リクスは鞄と背嚢を担ぎ直して船室へと向かう。

 エルダートファミリーは七人一部屋の九人用船室を用意して貰っている。一グループで一部屋使えるのは、わりと上流階級という扱いをしてもらえているということだ。


 このご時世、まだまだ需要、供給両面ともに専用の客船などというものが求められておらず、故に客船というのは貨物の他に客も乗せる、程度の位置づけである。

 積荷と違い水も食事も消費し、しかも生活空間を用意しなきゃいけない客は積荷として無駄が多い。よって船旅がかなり高額になっているのは仕方ないだろう。


 実際、リクスたちの客室もかろうじて三段ベッドがあるのみで机や椅子などは無く、だから客がいない時はこの部屋も貨物室として使われているのだろう。要するにそれはベッドではあり同時に棚なのだ。

 そもそもからして扉もなく仕切りはカーテン一枚だし、それも部屋と廊下を分けるのみで室内の仕切りは一切なし。男女別など夢のまた夢である。


「私一番上。リクス兄の上」


 イーリスが三段ベッドの一番上に跳ね乗ってリクスに「ん」と己の下に入るよう要求してくるが、


「いや、俺とエーメリー、ビアンカで一角を使う」


 リクスとしてはそれだけは譲れないので、イーリスの提案を素気なくはね退ける。


「……リクス兄、エーとビーを贔屓しすぎ」

「そんなことはない。エーメリー、ビアンカ、寝場所を決めてくれ。俺は余りを使う」

「はい、御兄様」

「じゃあ私真ん中で」


 ビアンカが早速両者を分断する中央を選び、そんなビアンカを軽く睨んだエーメリーが躊躇った末に大人しく上を選んだ。

 二人が特に反対せず素直に従ってくれて、リクスはホッと胸を撫で下ろす。

 リクスとしては二人を側に置きたいのではなく、逆に視界から締め出す為に同じ列を選んだからだ。


 元訓練兵の中でも上二人のエーメリーとビアンカは、そろそろ女性らしい身体的特徴を備え始めている年ごろだ。

 特に最近のエーメリーは身長も凹凸も著しく成長しているので、着替えや体を拭ったりなどをリクスの視界内で行うのはほら、流石に色々と世間体が悪かろう。

 いくらエルダートファミリーしかこの部屋にはいないとはいえ、だ。


「エーメリー、夜番兼留守番の順序を決めておいてくもらえるか? いくら航海中は逃げ場なんかないとは言え、盗人が入らないとも限らないからな」

「はい、御兄様」


 リクスの鞄にはオラス金貨こそなくなったものの、まだ他の大陸で使える金貨に聖霊銀剣、霊薬エリクサーに天使弾まで入っているのだ。

 前三つはともかく天使弾だけは失ったら二度と手に入るまい。盗難に遭うようなマヌケな失態だけは何としても阻止せねばなるまい。


「沈没以外の何が生じても、必ず一人はこの船倉に残るように心掛けろ。海賊が出ようと魔獣が出ようとだ。船から降りるまではここが俺たちのホームだと思え。皆、いいな」

「かしこまりました」

「了解です」

「動物もいないしね」

「私、お留守番しますね」

「ディアナがやる」


 一人だけ心配になる回答だったが、とりあえずは問題あるまい。

 食事は決まった時間に取りに行って自室で食べろとのことなので、全員が部屋を空にせねばならぬような事態は訪れまい。それこそリクスが言ったように沈没でもしない限りは。


「兄貴、部屋どこだい兄貴!」

「こっちだフェルナン、あまり大声を出すな。他の客の迷惑になる」

「分かったよ兄貴!」


 分かってないな、とリクスが頭を振ると、


『どうやらこの船にはマナーを知らぬサルが放し飼いにされているようだな』


 カーテンの向こうから聞えよがしにそんな苛立った声が響いてきて、流石にこれはフェルナンを諌めないと不味かろう。

 「だから言ったのに」と言わんばかりの視線がベッドの上から降ってきているような気がするのは、たぶん気の所為ではないだろうし。


「逃げ場がないんだ、他の客と面倒を起こすなよ。せっかくの船旅をギスギスした不愉快なものにしたくないだろう? フェルナン」

「わ、分かってるよ」


 リクスがマフィア時代の殺気を滲み出すと、流石にフェルナンも怖気を感じずにはいられないようで、青い顔でコクコクと頷いた。




 何にせよそれぞれが寝場所を確保し靴紐を緩め、武器の手入れや魔術、裁縫の練習などで大人しく時間を潰していれば、無事警笛の響き渡った後に船が出航したようだった。


――さて、この船上では特筆すべき事は起こらないはずだな。


 【リベル】の内容を確認しながらリクスはそう緊張を解く。


 もっともリクス五十二人分の人生を詰め込んだ【リベル】はあくまで普通の【リベル】であって超大容量を誇る【書架アーキウム】ではないため、五十二人分のリクスの人生全てを書き込めているわけではない。

 リクスたちが重要と取捨選択した情報のみがピックアップされて記載されているだけなので、完全な未来予測ができるわけではないのだ。

 ただそれでもリクスの誰一人として、この船旅でリクスが困難に陥ることはない、と判断しているのは、特記されていない以上は間違いない筈だ。


 シヴェル大陸からリュカバースへ直行する客船は存在しないため、一度ハブ港での乗り換えをするまでは乗組員と客に変動はない。

 つまり、一ヶ月ほどはずっと同じ人と顔を合わせることになる。故に無駄に体力精神力を消費する人間関係のトラブルだけは避けたいところだ。


 そう、リクスは思っていたのだが……






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