■ 094 ■ 燃え尽きゆく力




「では、始めるとするか」


 ふわり、とある廃墟の屋上に着地したラオは翼を畳むと、眼下――目は虚ろな穴でしかないが――に死闘を繰り広げるラジィたちを収めながら、意識を集中する。

 今のラオの身体は、物質的にはラジィの肩に乗る程度の大きさしかない。だが元々が古死長竜アンデッドエルダードラゴンだったラオの霊精アストラル体はその千倍以上の大きさを持つ――筈だった。


 しかし今のラオの霊精アストラル体もやはり外見相応の大きさしかない。霊精アストラル体の大部分をラジィに同化吸収されているからだ。

 ラジィの身体は、まるで奪われた何かを補填しようとでもするかのように、ラオの霊精アストラル体の大部分を貪欲に取り込んでしまったのだ。


 ただ、何が足りないのか、ラジィは取り込んだ古長エルダーとしての力を全く発揮できないでいるようだが……


霊精アストラル体に刻まれた秘蹟紋フォーミュラが無事なのが不幸中の幸いだな。酷く小さくなってはいるが」


 秘蹟紋フォーミュラが小さくなったラオにもまだ残っているので、魔術の発動自体は可能だ。無論、出力は大幅に低下しているが、今はそこまでの出力をラオは求められていない。

 霊精アストラル界で発動した秘蹟紋フォーミュラによって、ラオの意識は肉体から離れてふわりと漂い始める。


 ラオの周囲の世界は、薄もやがかかっているかのように酷く曖昧でぼやけている。

 さもあらん、いまラオがいる世界は物質世界から薄壁一枚を隔てた感覚センス界だ。


「ふむ、ここにはおらぬか、ではより深く」


 秘蹟紋フォーミュラが光り、ラオの世界は更にぼやけていく。

 ただ、周囲の光景は酷く曖昧だが、その代わりに人の姿だけははっきりとよく見えるようになっている。


 霊精アストラル界第二層、情動モタス界。

 だいたいのアンデッドやスケルトンの魂はこの世界に属する。故に彼らを使役するにはここへ足を踏み入れられることが最低条件になるが――いた。


「ふむ、やはり第三層理性ラティオ界ではなくこちらか」


 ラオがモザイクのような世界を滑るように進んでいくと、目の前にはまるで数多の衛星を引き連れた惑星のような巨体が姿を現した。

 巨星には一切触れないよう、ラオはその巨星の周囲を取り巻く衛星へとその手を伸ばすと――


――『だれ?』


 声が聞こえて、ラオは重々しく頷いた。


「吾はラーオコーンゴートネースフォルナス・ナウィタコンバスティオ。少しばかり死出の旅路へ向かう汝らと話をしたくてこの場に罷り越した」


 さて、望みを聞いてみようではないか。


「死後の世界まで麻薬の効果は及ばぬであろう? 汝らが何を思うてグラナに手を貸すのか、それを聞いてみたくてな」


 彼女たちがどれほど強く救済を望んでいたのか。それをラオは確認しなければならない。




      §   §   §




 黄金の御髪が尾を引くように宙を踊り、輝く翼は光の残滓を残してハラハラと無人の街を明るく染める。

 宗教画から飛び出してきたような奇跡の存在が振りまくのはしかし、血と臓物と肉片だ。



「歪に組まれし世界の歯車、貴方の怒りに応えましょう」



 ラジィの固く引き結んだ口から聖句が零れる。地母神マーターの聖句ではない、この世に未だ存在しない神へと祈る聖句が。

 それと同時にラジィの頭上に、光輝く光輪ハロゥが現れ、ラジィの肉体を更に一段、強化する。


 翼を翻してグラナに迫る。交差された両手を貫通した槍がグラナの右肺に刺さり、もはや詠唱も不要。

 【破砕剣エルプティオ エンシス】が破裂してグラナは両腕を失い腹に穴が空いた状態で――平然と頭蓋をラジィの腹に打ち付ける。


「すまねぇ、アリツェ!」「ッツ!」


 即座に再生した腕が、一瞬グラナの正面で止まってしまったラジィの脚を掴んで地面に引き摺り下ろす。


「掴まえたぜラジィイ! って邪魔をするなよぉおおおっ!」


 だが、それでグラナの周囲への警戒が薄れた。

 横合いから突っ込んできたガレスの胴回し回転蹴りとロクシーのタックルにグラナはよろばい、


「っくしょお! ラジィイ、ラジィイイッ!!」


 弧を描く竜麟の槍がラジィの脚を掴んでいたグラナの腕をあっさりと切断。返す刃がグラナの両目を切り裂いて空へと離脱する。

 追って飛来する二柱の業火が着弾、炎上してグラナの肉体を、今宵何度かも分からぬほどに焼却する。


「なんて、怪物だ……」


 それを実行した張本人であるクィスはそう呻いてしまう。

 幾ら怪我が再生するといっても、痛みは間違いなくグラナにもある筈なのだ。なのに幾度となく致命傷を負いながら、あの男は全く怯まない。


「すまねぇ、ヨラナ!」


 だからとて、クィスの意思もまた挫けない。あの時地下牢で麻薬を求めて狂ったような雄叫びを上げるラジィの姿が、網膜に焼き付いているから。

 ああいう風にこの男は家族を作り出し、その人々に命を捧げさせてここに在るのだ。グラナが名前を呼んだ者は皆、あのようにして死んだのだ。

 この怪物を生かしておいてはいけないと、だからクィスの膝は折れない。



「歪に組まれし世界の歯車、貴方の怒りに応えましょう。傲慢の塔を砕き堕として世界を平らに均しましょう」



 食いしばる歯の隙間から聖句を零しながら、ラジィが虚空で刃を振るう。【不動剣フェレウム エンシス】。ラジィ最強の斬撃も、もはやラジィは聖句の詠唱も無しに易々と放てる。

 伸びる光の刃がグラナの胴体を半ばで切断し、


「すまねぇ、レータ。強い、本当に強いなお前はラジィイイ!? ハハァだが見える、分かるぞラジィイ、お前の焦りが手に取るように分かる!」


 それでもグラナは倒れない。首、心臓、頭蓋の三つだけは確実にラジィの射線上から巧みにかわし、絶命を全力で避け続ける。

 押しているのはラジィだ。だが圧されているのもラジィだ。


 身体能力で凌駕し、移動環境で凌駕し、頭数で凌駕し、装備の差で凌駕してなおグラナは未だ倒れない。傷一つ無く立っている。

 数多の命、数多の嘆き、数多の怒りを薪と燃やして、グラナはなおも生きている。


 それ即ち、グラナの家族になって理不尽に一矢報いてやりたいと考える民草がそれだけ、それこそ無尽蔵にでもいるという事実。

 その事実が、今や神にも等しくなりかけている存在のラジィを苛むのだ。



 世界にはこれ程にも、救われることを望んでいる人たちがいるのに。



 お前はこんなところで何をやっているのだ、と。救いを求める民草の存在がお前の目には入らないのか、と。



 グラナが強いことそれ自体が、ラジィ・エルダートの消滅と新たなる神への渇望を意味している。

 そんな救われない者たちを救うために【創造神デウス】は天使をこの世に派遣し、少しでも人が穏やかに暮らせるようにと願い続けている。


 だから、この男に勝てないのは必然なのか。


 ラジィは人を救済することを諦めた。

 だが、この男は人を救うために今もこうやって苦痛と苦難に耐えてここにある。



「歪に組まれし世界の歯車、貴方の怒りに応えましょう。傲慢の塔を砕き堕として世界を平らに均しましょう。全ての者に等しき希望を。遍く人に無限の未来を」



 そうして、全ての聖句が口からこぼれ落ちるのを止められなかったラジィの、限界がついにここで来た。

 これまで自在にラジィやガレスたちを動かしてきた、【霊算器マシヌラ・カリキュメトリア】が展開されている【書架アーキウム】が緊急停止する。一同の動きが途端にぎこちなく鈍る。


 地母神マーター魔術が運命神フォルトゥナ魔術に侵食され、機能不全に陥っている。


「終わりが来たようだなラジィイイッ!!」


 動きを止めたラジィにグラナが拳を振り抜いて――しかしラジィは微塵も動じない。

 もはやラジィは拳程度で傷つけられる存在ではないというのに、ラジィはこれ以上動けない。指の一本も動かせずただその場に肖像画のように滞空する。


「ぐ、が……ハッ……ァ……」


 呼吸すらままならず空中で棒立ちするラジィの身体は、全くラジィの言うことを聞かず微動だにすらしない。

 神として機能するために、最も必要なものがラジィからは既に奪い取られているから。

 だからこれ以上無い程にまで仕上がったラジィは、ここから身動ぎ一つすることができず――虚空を貫いた光線に翼を焼き切られて落下、グラナの前に膝をついた。


「ガハッ、ハァッ……はぁっ、はぁ……っ!」


 ラジィから引き剥がされた二枚の翼がひらり、ひらりとラジィの背中を覆うように舞い落ちる。

 限界まで魔力を圧縮し聖句を込めて編まれたフィンの太陽神アムン魔術、集束光線砲【陽裂光ラディ ソリス】がラジィの人にあらざる器官を切り離したのだ。


「あ……ぐっ、ありがと、フィン」


 次いで、二撃目。光の速さで駆け抜けた光線砲がラジィの頭上にあった光輪を消し飛ばすと、少しだけ身体の制御が戻ってくるが、


「ここまでか。流石に強いなぁ強かったなぁラァジィイイ、俺の魔術が身献神サクリコラじゃなければぜってぇに負けてたろぅよぉ」


 グイ、と首を掴まれてグラナに引き起こされたラジィには、もう殆どろくに手足の感覚も無く抵抗すらままならない。

 かろうじて動くのは口のみで、だから、


「さっきから……女の子の名前ばっかり」

「ぅん?」

「貴方、女の子しか救わないの?」


 そう論うように聞いてみると、グラナが当然だろうとばかりに笑った。


「こんな弱肉強食な世の中じゃあ踏みつけにされるのは男より女が多いって、そう分からないわけじゃないだろラジィイイィ!?」


 分かるけど分かるか、とラジィも笑った。そこで男女差別をするなよ、と。事実としてグラナの前に現れた弱者は女性だけだったのかもしれないが――いや、そんなことはあるまい。

 だから、ラジィもまた嗤う。その笑みにグラナは何か引っかかったようだが、それを問いただすより速く、


「邪ぁ魔をするなあああって言っただろうがよぉお!」

「するに決まってるだろうが!」


 ガレスが振るった爪がグラナの腕を切り裂いて握力が緩み、ズルリとラジィの身体が、既に粗方石畳も剥がれ落ちた地面へと落ちる。

 それと同時にロクシーが二つ、いや三つの頭を同時に顕現させてラジィに三つの口で噛み付き、三つの首を振ってラジィの痩躯を遠方へとぶん投げ一時退避させる。


「雑ぁ魚が、遅えぇんだよぉ!」


 後退しようとしたガレスをグラナの腕が蛇のように追い、叩き付けられた拳に一撃でラジィのアミュレットが砕け散る。

 だが、かろうじてガレスは無事だ。そのままガレスは次に現れた足場へと飛んでグラナから距離を取った。


 かろうじての連携は生きているが、先程までと比べれば余りに拙い。

 足場はガレスの望む位置に現れず、現れた水の板が凍り付くまでにタイムラグがある。


「やぁっぱりあの連携はラジィイがなんかやってたわけだなぁ。で? まぁあーだ俺に勝てると思ってんのかぁ?」


 よっ、と一声かけての跳躍は、グラナ本来の筋力で以てグラナの身体を土竜の悪意から易々と脱出させる。

 【演算 再現スプタティオ レフェロ】による支援を失ったティナには、もう最適解でグラナの足元だけを崩し続ける術がないのだ。


 既に綿密な連携は失われ、徹底して前線を維持し続けてくれていた主力も失われた。

 グラナの態度から恐らくまだ生け贄も十人以上は優に残っているに違いない。残るクィスたちの勝算は、極めて薄い。


 ならば、どうする?


 決まってる。


「お前は……お前は私たちの戦勝パーティーの肴になるのだ! 正確には魚の餌だ、全身細切れにされて海に捨てられるのが負けたマフィアの習わしだ! 死ねだぁ、死ね死ねだぁ!」


 雄叫びと共にシンルーが再び足場を作り、


「戦闘続行! やる気がある奴は支援しろ!」


 迷うことなくガレスが凍り付いたそれに足をかけて疾駆。


「援護します」

「頼む!」


 既に大火力を放つだけの魔力を失ったナガルが、ロクシーが咥え投げてきたラジィの槍を受け取って前線に立つ。

 ナガルは純粋なる戦闘職だ。確かに遠距離射撃の方が火力が出るが、だからとて接近戦が苦手なわけでも、ましてや敬遠しているわけでもない。


「懲りねぇ奴らだなぁ。まあいいさ、全身細切れにされて海に捨てられるのが負けたマフィアの習わしだもんなぁあ!?」


 押し切れなかった時点で負けた? 何を寝言を言っているのだ。

 こんなもの、たかがラジィからの支援が無くなっただけじゃないか。


 まだこの身体に四肢はあり、まだこの身体に命あり、まだこの身体に意思がある。

 走れば、動ける。であればまだなにも終わっちゃいない。むしろまだ始まったばかりだ。


「群れなきゃ何の役にも立たねぇ雑魚共が、力の差って奴を思い知らせてやらぁ!」

「抜かしよるわほざきよるわ友達の一人もいない変態野郎が上から目線で何を語るかフハハ失笑だ失笑ぅ! オメーみたいな根暗は一人で家族ごっこに興じてろ陰険クソワカメ! 私たちはパーティーでこれからパーティーなんだよぉ!!」


 前半はそれお前のことじゃないか? とシンルー以外の全員が感じなくもなかったが、その率先して放たれるシンルーの闘志と熱意は確かに皆の背中を押してくれる。

 故に、仕切り直しだ。後悔も反省も死んでからでいい。


 確実にグラナを削ってはいるのだ、ならば力尽きるまで戦うのみだ。




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