■ 112 ■ 出番ですよ、シンルーさん(真)
「はいお疲れ様シンルー。あとは自分の神殿だけで
そうラジィに肩を叩かれたシンルーだが、既に息も絶え絶えの視界真っ白で椅子の背もたれに体重を預けていた。
黄色の虹彩が目蓋の裏に隠れそうになっているのは、白目を剥いているからか、それとも目蓋が落ちるのを止められないからか。
精も根も尽き果てた。尽き果てた傍から魔力回復ポーションを口に突っ込まれ無理矢理補充。はいと横から宝石をお出しされて次の挑戦を求められる。
そうやって目の前で次々と
今日一日だけで恐らく
壊した宝石の量も異常だが、壊されても壊されても延々次の
そうしてもう何も考えられなくなったのが功を奏したのか、無心にて行なった
「成功率が十割になるまで明日以降も練習するわよ。頑張ってね」
「は……あ……?」
ハイともイイエとも言えずにシンルーは身動ぎ一つできないままラジィのベッドに横たえられ、そのまま意識を失った。
寝付いた、という感覚すらも無いままクックドゥルドゥルドーと歌う鶏の鳴き声と隙間から差し込む朝日に目を覚まし、
「おはようシンルー、朝食と入浴を済ませたらまた続き、始めるわよ」
そうラジィにニコリと微笑まれてシンルーの頭は再び真っ白になる。
そうだ、私は
私は
「じゃあ先ずは成功した時の感覚を思い出すところから始めましょ。魔力行使は再現できないけど感覚だけなら再現できるからね。【
朝食を終え、神殿作成を終え。
そのままラジィの【
「【
昨日の成功時の感覚を流し込まれて手に再び
自分は
§ § §
「ぱんぱかぱーん! というわけでシンルーが【防腐】のアミュレットを作れるようになりました。はい拍手」
「おめでとうシンルゥー。貴方は凄く頑張ったよ!」
「本当におめでとう。あとウチの義妹がすみません」
「今晩はデザートにジェラートを付けましたので。ゆっくり夕食をお楽しみ下さい」
パチパチパチ、と
ティナとクィスの胸中に、自分をボコボコにしてきたツァディの慈愛に満ちた笑みが過ぎった。
ラジィ・エルダートは何だかんだであのツァディの妹弟子なのだ。やることと言うか性格がかなり似通っているのである。
「できるできないではない。できないならやれるようになるまでひたすら鍛錬だ」みたいなやり口がおそらくラジィやツァディ――というよりその師カイ・エルメレクの手管なのだろう。
朗報があります、とめでたくもこの夕食の場に呼ばれたウルガータとブルーノはぶっちゃけドン引きだ。
「これは夢だ、これは夢だ……私がアミュレットが作れるようになるとかあり得るはずがない。だからこれは私にとってあまりに御都合的じみた夢なんだ……」
一ヶ月どころかたった三日でシンルーがこれまで使えなかった魔術を身につけた、その事実にドン引きしているのだ。なおこの二人は金貨数約千枚分ほどの宝石がドブに捨てられたことを知らないので、もしそこまで伝えられたら落ちた顎が暫くは上がらなかったことだろう。
改めて両者は、ラジィの【
正確には【
(あのツァディの暴威につい目がいっちまうが、こっちも負けず劣らず異常だろうがよ……)
ただこの短時間で魔術師をいとも容易く強化してのけるラジィの価値はこれ、値段の付けられるような話ではない。
ラジィが
シンルーが優秀な魔術師であるのも無論疑いはないのだが、三十年修行を積んでようやくできるかできないかという
こんなことができる魔術師は世界広しと言えどラジィぐらいのものだろう。実際ツァディですらクィスを戦士として鍛えるのに
(というか、エルダート嬢のほうがよほど組織としては得がたい存在だろう。これだけの才女を
もっともこの認識のズレには絡繰りがあって、というのも【
更にラジィ自身が【
要するに
しかもラジィはラジィで、「どうせ自分の実力を見せつけたって麻薬中毒孤児のレッテルは剥がれないしね」と最初から汚名の払拭を考えなかったせいで、ラジィにはあまり理解者ができなかったのだ。
ここら辺は前にシェファが感じたように味方を作ろうとしないラジィ自身の自業自得でもあるのだが、実際実力を開示してどれだけ味方が増えたか、も怪しいので、一概に判断ミスとも言いがたい。
「と、いうわけでこのアミュレットを第五槽に沈めれば上水の改善は完了よ。これで水の味も持ちもこれまでとは比較にならないほど改善されると思うわ――はいブルーノ質問ね?」
そこで話を締めくくり、夕餉に移ろうとしたところでブルーノが挙手。
「【防腐】のアミュレットが量産できるようになったのなら、樽に備えて船乗りに貸し出すなりした方が利益が出るのではないか?」
せっかく作れるようになったのだし販路を広げては? というブルーノの提案に、この三日の地獄を思い出したシンルーがヒッと身を竦ませ、しかしラジィは首を横に振る。
「そこで販売する、と言わない辺りブルーノも分かってると思うけど、樽のほうが価値を持つようになっては絶対に転売されるわ。重要なのは補給地点としてのリュカバースの価値を高めることよ」
そう、確かに【防腐】のアミュレットを備えた樽を――販売は論外として貸し出すなりすれば、ある程度の束縛効果はあるだろう。
だがそれだと価値を持つのが樽になってしまい、どこの港で給水をしても水の持ちがよくなってしまう。
加えて樽が【防腐】効果を備えてしまえば、自然と補給に寄港する船の数もまた減少してしまうだろう。
故に樽に【防腐】効果を持たせるのは、短期的に収入は増えるが長期的にはマイナスなのだ。
「港の価値を高めるのが第一だったな。了解した」
単なる確認だったのでブルーノは頷き、続く質問がなかったので一同は夕食へと手を伸ばす。
ニンニクと唐辛子のきいたディアボロ風のパスタが、そろそろ秋風も涼しいこの頃には心地よい発汗を誘ってくれる。
「無論、将来的にはそういうのも視野に入れたいわね。一ヶ月しか持たない【防腐】のアミュレットとかをシンルーが作れるようになれば、樽に付与するのも十分現実的になるし」
ようやく基本の
程々に食事が進み、ラジィを除く全員にワインが程よく回れば、もう気心の知れた仲である。
和気藹々とした、気を張らずともよい
「さて、これであとはシェファの配下から船乗りに新色町での給水の価値を広めれば下準備は完了よ。劇的な効果は出ないけど、地道にやっていきましょ」
「上水の改良は結構だがジィよ、海藻の方はどうなってんだ」
「そっちもちゃんと始めるわよ。冬が近づくと寒さでやる気も鈍るしね。それにこれはシンルーの神殿作成鍛錬も兼ねてたんだから。でもまあ、期待はしないでおいてね」
リュカバースの冬の気温が氷点下より下がることは殆どないが、それでも冬の海はやはり寒い。もうそろそろ始めておかないと気後れするばかりだ。
また酷使か、と身構えるシンルーに一同が哀れみの視線を向けるが、それも仕方ないだろう。
もともと
故に今のシンルーの方が本来の姿であって、優秀な支援魔術師に戦闘をさせていたこれまでの方がどちらかというと間違っているというか、勿体なかったのだ。
「ある程度水の味が評判になったら幾つかのギルドは手の平返すと思うけど、残る上水路の修正計画はルガーに任せるわね。魔術師抜きで工事ができるようにならないと真の発展とは言えないもの」
「……そうだな、魔術師がいなくなったら元の木阿弥です、じゃあ何の意味もねぇ」
「ん。モルタルの作り方はあとで紙面で渡すから。オーエンがやったほど綺麗なものは出来ないだろうけど、そこは仕方ないと割り切りましょう」
ラジィの巡礼期間が残り三年半であることは、ここにいるメンバーなら誰もが知っていることだ。
ラジィは相変らず、自分がいなくなっても問題がないような町の発展方法を模索し続けている。それ自体はラジィがここに来たときからずっと変わらない。
だが少しだけ、「いなくなっても」の温度が温かくなっている。
ラジィ・エルダートが救われないことに変わりはない。だけどいついなくなっても構わない、みたいな虚無感は少しだけ薄くなっている。
それがウルガータやクィスにとっては、僅かながらの救いである。
§ § §
後日、船乗りたちがこぞってわざわざ港から距離がある新色町での給水を行なうようになった結果として、
「どのギルドも面白いほどに先月と言うことが違ってやがるぜ。どいつもこいつも手の平返しやがった。いや気持ちは分かるがよ」
自分も海の向こうにあるヤシ畑を管理しているハリー・ミッチェルがそう呆れたようにぼやく。
ギルドの誰もが新色町の上水路に水の味を確かめに来て、そして自宅付近との雲泥の差に耐えきれなくなった、ということだ。
手の届く距離に上質のものがあれば、それが自分のお膝元にも欲しくなる。まぁ当たり前の推移だ。
「では上水路改善を含むリュカバース区画整理をギルドも呑んだ、ということね?」
「ああ。現在の町並みを一度解体して手を加えることをギルド会議も市議会も了承した」
結構、とラジィはブルーノの言葉に頷いた。強権を発動せずにこちらの要望を通すには餌が必要だったが、どうやら上手くいったようだ。
「ではこれを機にリュカバースのこの乱雑な町並みを整えてしまいましょう。さぁ、ここからどんどんこのリュキアを使いやすい港町に変えていくわよ!」
「応!」
住民とギルド、そしてマフィアの足並みがこれでようやく揃ったのだ。これでようやく抜本的な改革に取り組むことができる。
領主をガン無視したマフィアによるリュカバース再建計画の、これが始まりだ。
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