■ 173 ■ 民よ我が神を崇めたまえ Ⅰ






 そうやって庶民への布教活動を始めようとしたクリエルフィだったが、


「庶民のお金持ちって……誰かしら? 大商人?」

「この都市ではマフィアがそれに該当するようですな。【書庫ビブリオシカ】はそのマフィアに与しているようです」

「なんと汚らわしい! 【至高の十人デカサンクティ】の名をどこまで辱めれば気が済むのでしょう! あの薄汚い麻薬中毒者は!」


 よりにもよって地母神教マーター・マグナがマフィアのような犯罪組織に力を貸すだなんて、罪悪感も羞恥心も失った最低のジャンキーだ、とクリエルフィは怒りに燃える。


「……ですがお嬢様。何故かこの街にはストリートチルドレンが全くいません。街は清潔であの忌まわしい麻薬の匂いも裏路地にすら漂っていないぐらいです」


 ここ数日、布教の手掛かりを得んと走り回ったマルクは、自分の目と鼻でそれを確認している。


「なら他の都市にでもばらまいているのでしょうよ。麻薬と武器取引と誘拐をやらないマフィアがどこにいて?」


 そんなクリエルフィの発言は常識でもあったので、マルクは然りと頷いた。

 リュカバースに麻薬が蔓延っていない、というだけでリュカバースマフィアを善良などと考えるのは、流石にお人好しが過ぎるというものだ。


「そうなると、布教活動は極めて小規模な範囲で始めなければなりません。金という最大の集客力を扱えないのですから」

「……貴族相手に無駄な投資をしてしまったのが痛いわね」


 爪をかみそうになった指を慌ててクリエルフィは口元から離す。

 はしたないので止めろ、と幼い頃からガヴァネスに言われていた癖がストレスで再発したようだった。


「貧民がほぼいないため、炊き出しなども意味がありません。ポーションなどを売って、その効果を宣伝することで地道に客足を伸ばしていくしかないかと」

「……気の遠くなるような作業ね」

「リュキア貴族が幅をきかせているこの街にはポーションなどの魔道具を扱うギルドは存在していないようですし、地味ですが商売敵はいません。回り道のように見えますがこれが最短の道でしょう」


 確かに、他に手段はないなとクリエルフィは頷いた。

 犯罪者であるマフィアと結び付くなど、気高き【書庫ビブリオシカ】候補生にできるはずがない。


 クリエルフィは父と家族に愛され将来を嘱望された若き英才であるのだ。

 あんな孤児上がりの麻薬中毒者なんて恥知らずとは違うのである。常に正しい道を歩き続けているのだ。


「幸いまだポーションを作って売るぐらいの余力はありますもの。マルク、市庁舎でこの国における一般商業権を取得してきて頂戴。それが終わったら布教活動を始めましょう」

「心得ました、お嬢様」


 そうやって市政的には正しく商業権を購入し、地母神教マーター・マグナとして街の一角でポーション販売を始めたクリエルフィであるが、


「お前たち、商売を始めるのに必要な布施を支払っていないようだが」


 黒服の男たちが店に踏み込んできて、難癖を付けてくるからクリエルフィはむかっ腹が立つ。これだからマフィアというのは嫌なのだ。

 真っ当に商売を行なっている連中を脅し、みかじめ料を払わなければ暴力を振るい人を傷つけ店を破壊する。こんな社会のウジ虫にどうして真っ当な人間であるクリエルフィが荷担できよう?


「マルク、叩き出しなさい」

「畏まりました」


 聖霊銀剣を抜く必要もなくマルクが黒服たちを優しく店の外に叩き出すと、


「……なんだ?」


 店の前を通り過ぎる民が皆、驚愕――というより畏怖の顔でマルクを見ている。

 その目に宿る色は勇気を称えるでもなく、蛮勇を哀れむでもなく、純粋にマルクに対して恐怖、あるいは敵意すら抱いているかのようで――


「片付けましたか」

「はい。ですが、何か変です」


 みかじめ料を払わないで頑張るものを愚かだと笑うなら分かる。新参が何も分かってない、と哀れむ見方もあるだろう。

 だが、なんだろう。あの視線は。あれではまるでこの街の民はマフィアよりマルクの方にこそ怯えているような――


「……マルク」

「はい、お嬢様」


 クリエルフィとマルクは油断なく聖霊銀剣を手に取った。

 魔力持ちが近づいてくる。先ほど叩き出したマフィアが応援を呼んだのだろう。つまりマフィアお抱えの魔術師の登場だ。


 両者が佩刀して店の外に出ると、


「あなた方ですね。我々のシマで許可なく商売を行なっているのは」


 そう、穏やかな声で語りかけてきたのは艶やかな黒髪と褐色の肌を持つ、一見して弁護士か何かのように落ち着き払った三十路頃の成年である。

 その横にあるのはややそりのある片刃の刃を肩に担いだ茶髪の青年で、その鍛えた肉体はマルクに勝るとも劣らない筋肉の塊だ。


 ただ印象の違いはあれど、どちらも穏やかに弛緩しつつも油断なく動けるよう、意識を身体の隅々にまで行き渡らせている。

 どちらも優れた戦士であることが両者には一目で読み取れた。決して油断などしてはならない優れた魔術師であると。


「市庁舎にて正当な許可を取りました。あなた方のような外道の許可など私は必要としておりません。下がりなさい下郎」

「悪いことは言わん。大人しくみかじめ料を払っておけ。この街のみかじめ料はそう高いものでもない。それで安心が買えるのであればお互いに益となろう?」


 低い声で茶髪の方にそう窘められれば、クリエルフィの内心に怒りの火が灯る。


「まるで脱税者を咎めるかのような傲慢な物言いですわね。いつから貴方たちゴロツキはこの街の為政者になったのです?」

「本来治安を守るべきカルセオリー伯とその配下のリュキア騎士が強盗強姦魔まで落ちたときからですよ」

「左様。貴族の名を盾に、暴力と略取を正当化する。そんな貴族連中に嫌気が差した民がマフィアを望んだのだ」


 長い黒髪の男や筋肉達磨が語る声には哀愁と悲観が滲み出ているが、それはクリエルフィの知ったことではない。


「それを詭弁というのです! 天が許そうとこのクリエルフィ・テンフィオスが貴方たちの存在を許しませんわ!」


 そう剣を鞘から抜き放ったクリエルフィを前に、マフィア魔術師両者が顔を見合わせて残念そうに瞳を細めた。


「でしたら貴方は結果はどうあれ、カルセオリー伯とリュキア騎士のほうをこそ矯正すべく動くべきだ。それを行なわなかった貴方に我々を非難する権利はありません。オーエン、女性の方をお願いします」

「ぬ、拙者も男の方とやりたいのだが。あちらの方が手練であろう?」

「気持ちは分かりますが、女性の肌に火傷が残っては可哀相でしょう?」

「其方お人好しが過ぎるわナガルめ。まぁいい」


 半身で剣を構える男の姿には油断など微塵もなく、クリエルフィは戦慄した。


「ジガン流はオーエン・ソギタニが参る。テンフィオス女史とやら、女子めのこと扱われるのと魔術師と扱われるの、どちらがお望みだ?」


 この魔術師、神官崩れのチンピラなどでは断じてない。

 鍛練を重ねた一流の技の冴えを構えからだけで暗示させる、優れた手練である、と。


「男のほうは任せた。なんなら足止めだけでも構わんぞナガル」

「その方がいいかもしれませんね。私だとどうにも本気の命の奪い合いになってしまいますので」


 チラ、と指先から火の粉を散らしたのは牽制だろう。自分の魔術をあえてさらけ出して危険性を訴える、それほどの自信が相手にはあるということ。


「では、参ります。火神プロメテス教はナガルがお相手しましょう。私がこう言うのもなんですが、迂闊に炎の中には飛び込まないように」

「ぬかせ! お嬢様、しばし耐えて下さい。この男を倒して助太刀致します故」

「分かったわ。頼りにしてるわね、マルク」


 そうして、若い黒服連中が士民を遠ざけた通りの真ん中にて両陣営は剣戟の火花を散らして、しばしの後――


「ッ!」


 キン、とクリエルフィの聖霊銀剣が弾き飛ばされ、回転しながら地面へと突き刺さる。

 無手になったクリエルフィに突きつけられるのは、油断も容赦もない視線と鋭い刃の切っ先だ。


「遅くはないが、明け透けに過ぎるぞ。太刀筋が正直極まりない。その若さの女性にょしょうとして戦場に立つには狡知が足らん」

「くっ、お嬢様ぁ!」

「ナガル、任せた」


 ナガルを無視してオーエンに斬りかかろうとしたマルクに、逆にオーエンが後の先で己が太刀を合わせた。

 つばぜり合いの合間にナガルが素早くクリエルフィの剣を拾い、油断なくクリエルフィへと突きつけて動きを封じる。


――こいつ、なんという膂力!


 筋力ならば負けはない、と思っていたマルクの剣が、つばぜり合いで押し込まれていく。

 圧倒的な腕力に圧される聖霊銀剣が、相手のそれと違い両刃であるのがマルクの不運であった。


「……く、おぉっ」


 よく研かれたそれがマルクの肩に食い込み血があふれ出してなお、相手の圧が止まることはない。

 ずぶり、と刀身が肩に埋没して苦悶の声を漏らしたマルクに、


「チェストォオオオッ!!」


 気合一閃。丸太のような蹴りを腹に打ち込まれて、マルクは耐えきれず膝をついた。聖霊銀剣が掌からカランと落ちる。

 マルクの安全を問うクリエルフィの声をかき消すように、


「やった! 流石はナガルだ!」

「ナガルたちがやってくれたぞ!」

「当たり前だろ! ナガルは武闘派ミッチェルファミリーの魔術師なんだぜ? あんんな連中に負けるものかよ!」


 周囲から歓声と賞賛、安堵の声が次々と花開く。

 ナガルが誇るでもなく優しげな顔で片手を上げてみせると、それを合図にその場を影から見守っていた子供たちがささっと距離を取る。ここから先はマフィアが話し合う世界だ、と示されれば聞き耳など立てず大人しく従うのがリュカバースの子供たちなのだ。


「みかじめ料代わりとして、武器は回収させて貰いましょうか。これ以上暴れるようであれば次はお命頂戴いたします」

「どうせ暴れるならば鍛え直してからにせい。その方が楽しめる」


 自分たちから武器を回収した二人に向けられる周囲の視線が尊敬と信頼であることに、嫌でもマルクとクリエルフィは気付いてしまった。

 それはこれまでシヴェル大陸で幾度となく周囲から二人が浴びていた視線だったからだ。


 民はマフィアと、その暴力による治安維持を喜んで受け入れている。それを民の方が望んでいるのだ。

 この場においては自分たちの方が悪だ、というそのあまりの理不尽さに、クリエルフィはマルクに肩を貸して逃げるように店の中へと消えることしかできなかった。


「……どうして、どうしてこうなるの? 正しいのは私たちの筈でしょう! 私たちは正しい行いをしている筈なのに! 愚民が! 正しきの何かも知らないで! 易々とマフィアなんかに丸め込まれて、それが幸せであるかのように錯覚して!」


 手製のポーションをマルクに渡しながら、頬を伝う涙をクリエルフィは止めることができなかった。


 そんなクリエルフィになんて言えばいいか。

 二度目の、しかも今度は社会悪たるマフィアに後れをとった事実が散々にマルクを打ちのめしていて、クリエルフィに気を使う余裕がない。


 項垂れ、無言で黙り合う両者の均衡を、やがてマルクが破る。


「みかじめ料を払いましょう、お嬢様。それしかないようです」

「悪党どもに屈しろというの? あの賤しきラジィ・エルダートのように麻薬に手を染める悪党を許容しろと? 悪に堕するなんて嫌よ! 私は誇り高き【書庫ビブリオシカ】候補生なのよ!?」


 グスグス涙を啜りながら弱々しく憤る主に、それでもマルクは頷いた。


「アッティス老の言葉を思い出して下さい。リュキア貴族にとって芽蒔神スパルトイを信仰しているリュキア氏族以外は、この国では人ではないのです。であれば外国民の権利を守る統治機構がなくては異人文化が交わる下町の平和は保たれません」

「それが……マフィアだと言いたいの?」


 信じられない、とクリエルフィは未だ止まらない涙を拭うが、マルクは頷くしかない。状況がそうとしか考えられないからだ。


「そうです。リュカバースマフィアは疑いなくリュキア氏族以外の庶民から信頼を勝ち得ています。あの視線、あの歓声はそうでなくては生まれないのです」


 そう指摘されれば――否、マルクに指摘されるまでもなく本当はクリエルフィも分かっていたのだ。

 最初にみかじめ料を求めてきた黒服どもも、別段居丈高という雰囲気ではなかった。みかじめ料が払われるのが当然だからそれを回収しに来た、と言わんばかりの態度で威圧的でも攻撃的でもなかった。


 マフィアは疑いなく「リュキア貴族の横暴から」僑族を守っているのだ。そして時には僑族の敵意からリュカバース市民をも守ってもいる。

 一種の自警団として、リュカバースマフィアは上手くやっている。マフィアが歯車として噛み合うことで、リュカバースという街は繁栄しているのだ。


「……分かったわ、払いましょう」


 それが分かっていても、クリエルフィは悔しさを隠せないのだ。

 だってそれを認めるなら、マフィアに与しているラジィ・エルダートの正しさを認めることになってしまうのだから。






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