■ 174 ■ 民よ我が神を崇めたまえ Ⅱ






 翌日、やってきたまだ若い黒服二名の要求に従い、クリエルフィは黙って求められた金貨一枚二万五千カルを差し出した。

 一ヶ月のみかじめ料としてはかなり安い方だ。少なくともリュキアの他の都市と比べては。もっともそんな事実は少しもクリエルフィの誇りを慰めてはくれなかったが。


「払ったのですから、剣を返して下さいませ」

「生憎お前たちはまず暴力に訴えた実績がある。しかも二回もな」

「みかじめ料を払い続ける限りは売り払ったりせず保管しておくから安心しろ。危険性が低いと頭領カポが判断するか、そっちが自主的に立ち退く場合は退去完了後に返却する」


 悪いのはお前だ、と言われているようでクリエルフィとしては苛立ちが抑えきれず、つい爪をかんでしまいそうになる。

 だがその後にポーションを一つ売るように言われ、手渡した黒服の一人が袖を捲り上げて自らの腕にナイフを突き刺せば、流石にそんなイライラも驚愕で吹っ飛んでしまった。


 そのまま黒服がポーションを服用して怪我が癒えたことで、クリエルフィは理解した。

 要はポーションの効果を抜き打ちでチェックされたのだ、と。


「品質は問題ないぞコニー、ちゃんと癒えてるし痛みも消えた」

「売価も適正価格の範囲内だな、店内の清掃共に問題なし。他の店員はいないみたいだから雇用待遇確認は省略だな」

「あ……貴方がた、商品や店の状態も確認してますの?」


 そうクリエルフィに問われた二人は「なに言ってんだこいつ?」みたいな顔を見合わせてしまっている。


「当たり前だろ。みかじめ料をとる以上、その店が正当な商売を行なっていることを担保するのが俺たちの仕事だ」

「ボッたくりや羊頭狗肉みたいな店が増えれば治安が悪化してそれだけ頭領カポの害になるだろうが。何がおかしい」


 そう指摘されたクリエルフィからすれば全てがおかしい、としかいいようがない。

 クリエルフィの頭の中ではマフィアというのは不要な中抜きをして民を苦しめる存在でしかなかった筈だ。

 だが彼らはこうやって商売の内容が適切かまでも確認して回っている。これは完全に秩序の守護者側の行いだろう。


頭領カポには真っ当な商売だと報告をしておこう。では繁盛を祈る」

「売り上げが増えれば街が栄えるから、お互いのためにも頑張ってくれ。もっともそれは難しいだろうがな」


 そうカウンターに背中を向けた二人を、


「ま、待って下さい。難しいとはどういうことですの!?」


 クリエルフィは呼び止めずにはいられなかった。

 品質を確認し、真っ当だと太鼓判を押しながらも繁盛が難しい、と言われてしまう理由はどこにあるのか。それがクリエルフィにはさっぱり分からないのだ。


 再び顔を見合わせた両者が何やら視線で会話し、


「先に報告を届けてくれコニー。自棄ヤケになられても困るし、一応忠告だけしておく」

「分かった。気をつけろよヒューゴ、後のない人間は何でもやるからな」


 クリエルフィと同じくらいの年齢に見える青年が一人、クリエルフィの店へと残った。


「ヒューゴだ。ウルガータファミリーのソルジャーをやっている。で、どれくらいのことを、どの範囲で知りたいんだ」

「それは……どういう意味ですの?」

「人は面白くない話を聞かされると怒るだろ。俺も死にたくはないからな。だからどれくらいまでご機嫌を取って黙ればいいんだ? ってことを聞いてる」


 そう憤るでも笑うでもなく淡々と指摘されて、クリエルフィとマルクの方が今度は顔を見合わせてしまった。

 つまり、ヒューゴはここから先を正直に語れば両者が徹底して不快になる、と分かっているということだ。


「可能であれば、忖度なく語って頂けると助かります。暴力には決して訴えないとお約束致しますので」

「二度も暴力に訴えた連中の約束にどれだけ意味があるのか分からないが、ま、いいだろう」


 そうヒューゴは笑うと、改めて顔を引き締める。


「まず聞きたいのは、お前ら俺たちをどれだけ馬鹿だと思ってんだ、って話だよ」

「…………え?」


 いきなりそう切り出されて、クリエルフィは面食らった。

 クリエルフィはマフィアを悪だとは思っているが、別に馬鹿だとは思っていない。むしろ悪人というのはずるがしこいから脅威だと思っている。その筈であるが……


「ええと、貴方がたを馬鹿にしているつもりはないのですが……」

「じゃあお前らが馬鹿なのか。いいか? お前らにはもう信頼なんてのは欠片もないんだ。自分でやったことを思い出せよ、あのクズ騎士どもを引き連れてジィの教会を強襲してその居場所を奪ったんだぞ? それが信頼できる人間のやることかよ?」


 そうやって指摘されると、確かに地母神教マーター・マグナの内輪の話を知らない人間からすればとんでもない横暴にしか見えないと、ようやくクリエルフィも気が付いた。

 今更ではあるが、下町にとって救いはマフィアであり暴虐は領主の側なのだ。正しい認識を持てば、自分がどう見られていたかも自ずと分かってしまう。


「で、ですがラジィ・エルダートは所詮、孤児上がりの賤しき麻薬中毒者ですわ。そんな小娘が正式に地母神教マーター・マグナから支部長に任命された私の権限を侵害するなどあってはいけない話なのです」


 あれは内輪の話であって、リュカバースが云々の話ではないとクリエルフィは理解を求めて、


「俺も孤児だよ。元々はな」

「…………え?」


 ヒューゴの言ったことが、クリエルフィには理解できない。

 孤児というのは話も通じず、薄汚くて、誰これ構わず襲っては食糧や衣服を奪い、人の命を大切にしようともしない存在ではないのか?

 運良くラジィ・エルダートは教導司祭に拾われて教育を施されたから、そこそこは話が通じるようになったようだが……だがそれは地母神教マーター・マグナが矯正に尽力したからの話だろうに。


「ご冗談を、孤児とは文字も読めず、話の通じない野獣のような存在ではありませんか」


 ラジィ・エルダートは犯罪者たるダート修道司祭を捕縛せんとする部隊を容赦なく返り討ちにした挙げ句、己を保護してくれたツァディ・タブコフに麻薬を求めて幾度となく暴力を振るったと、そうクリエルフィは教わっている。

 孤児とはそういう、善意ある人を無闇矢鱈に傷つけるだけの害悪な存在ではないのか?


「――ああ、その通りだよ。だがそんな俺らに仕事と食事と知識をくれたのがジィなんだよ」


 あり得ない、彼が元孤児なんて嘘だとクリエルフィは直感的に思った。目の前のヒューゴは口調も発音もふとした仕草も垢抜けており、そこそこよいところの出にしか見えなかったからだ。


「またまたご冗談を。【書庫ビブリオシカ】がこの地にやってきてから最長でもまだ三年でしょう? そんな短い期間で教育――」


 そこまで口にしてからようやく、クリエルフィは思い出した。




――腐ってもラジィ・エルダートは金とコネで【書庫ビブリオシカ】を名乗っているわけではない。




 父親であるアンブロジオ・テンフィオスの言葉が脳内で木霊する。

 ラジィ・エルダートは周囲に敵しかいない状況で【書庫ビブリオシカ】の椅子を平然と掴んだのだ、と。それほどの書庫ビブリオシカの加護持ちだと。


「加えて言うならな、お前の目につく範囲にいる俺より年下のガキ共は大半が孤児だ。俺たちがこうやって今偉そうな服着て偉そうにしてられるのも全部ジィが食事いのちと、教師みらいと、働き先いきるいみを用意してくれたおかげなんだ。そんな恩人ジィをお前たちが追い出した!」


 バン、とカウンターに手の平を叩き付けたヒューゴの言うことが、怒りが。ようやく理解できた。

 ヒューゴの視点に立ってみれば、クリエルフィはリュキア貴族と組んでラジィを潰そうとした大悪党――いや、ヒューゴのみならず子供たち全員からクリエルフィはそう見られているのだ。


「で、ですがラジィ・エルダートは賤しい――」

「生まれとか育ちとかはどうだっていいんだよ。重要なのはジィは俺たちを畜生の道から救って、人間にしてくれた、ってことなんだ。翻ってお前はどうだよ? 俺たちを馬鹿にしかしてくれてないじゃないか。孤児だ賤しいって罵ってるだけだ」

「あ……」


 ようやくそこで、クリエルフィは自分がどれだけ失言を重ねていたのかに気が付いた。

 周囲に人がいたにも拘わらず教会の前でも散々声高に騒いでいたし、マフィア相手にも外道だ下郎だと啖呵を切ってしまっている。それをもう、多くの人が伝聞で聞いて把握しているのだ。


「この期に及んでお前、俺の前でよくジィを賤しいって言えるよな。それ間接的に俺を賤しいって言ってるようなもんだろ? それに気が付いていないってことはお前がとんでもねぇ馬鹿か、俺たちなんぞは幾ら侮辱してもいい存在でしかない、とお前が思っているかのどっちかだ」

「ち、違……私は、そんな、つもりじゃ……」

「じゃあどうしてそんな言葉がするりと出てくるんだ? 今でも孤児を賤しいって決めつけてるから配慮が思考の端にすら上らなかっただけだろ? だから最初に言ったのさ、お前ら俺たちをどれだけ馬鹿だと思ってんだ、ってね」


 そう吐き捨てると、ヒューゴがガリガリと頭をかいて嫌そうに舌打ちする。

 まるでクリエルフィより自分の方が失言をした、とでも言わんばかりに。


「……やっちまった。ジィからお前らへの対応は普通に・・・やれって言われてたのに。忘れてくれ」


 そう頭をかいているヒューゴの言葉の意味が、クリエルフィにはまたしても理解できない。


「普通に、というのは……?」


 そう尋ねると、ヒューゴが極彩色の芋虫か何かでも見たかのように顔を歪めた。

 侮蔑などでは決してないそれは、純粋な生理的嫌悪だ。触りたくない、近づきたくない、これは別の生き物だと言わんばかりのその顔は――



――一応聞いておくけど、貴方、自分の方から喧嘩を売ってきたって意識はちゃんとあるわよね……?



 そう聞いてきた時のラジィ・エルダートの顔に極めて酷似していた。



「あのさ、俺たちの恩人であるジィをお前、住み慣れた家から追い出したんだぜ? 普通に考えりゃジィのことを慕ってる連中から報復の一つくらいあるって思うだろ? その程度のことも思いつかないのか?」


 そう指摘されて、クリエルフィは自分のおめでたさにようやく気が付くことができた。

 もしラジィがヒューゴの言うように孤児たちに慕われているなら――ならこれまでどうして嫌がらせや報復の一つもなかったのか。

 普通に考えれば、店に水をぶちまけられたり落書きされたり、そういう嫌がらせの一つはあってもおかしくないのだ。



 だって、自分も他の【書庫ビブリオシカ】候補生と一緒に、大なり小なりラジィ・エルダートへそういうことをやっていたのだから。



「なんで反撃しちゃいけないんだ、ってジィに釘刺されたときは思ったけど今、よく分かったよ。お前、人に反撃されても自分に非があるとは欠片も思えない最低な奴だからだ」


 ずっとラジィが指摘していた事実が、ラジィ以外の人間から語られたことでようやくクリエルフィの心へと突き刺さった。


「いや、そうじゃないな。単にお前が俺たちのことを対等な人間だと思ってない真性のお貴族様だからか。物腰が丁寧なだけでリュキア貴族と同じってわけだ」

「そ、そんな、つもりでは――」

「そうか? でもさ、さっき俺は名乗ったけど・・・・・・・・お前は名乗らなかったよな・・・・・・・・・・・・


 その一言がトドメだった。

 貴族令嬢として教育されているクリエルフィは当然、名乗られれば名乗り返すのが礼儀だと躾けられている。

 そのクリエルフィがヒューゴに名乗られて名を告げなかったというその事実が、徹底的にクリエルフィを叩き潰すことになった。



 リュキア貴族がクリエルフィを羽虫だと嘲笑ったのと同じく、クリエルフィもまたヒューゴを人として認識していない、その決定的な証がこれだ。



「あ……う……ゲェッ……」


 心臓の拍動が乱れる。動悸が激しく、自分がカウンターの上に吐いたのだとクリエルフィが分かったのは、ゲェゲェという呼吸が全く肺腑に酸素を送り込めず、身体が生存を優先する非常時用に切り替わって意識がクリアになったからだ。


 一方で何気なく指摘したヒューゴにはわけが分からない。

 ただ失礼な奴だな、と言っただけでクリエルフィがこうまで打ちのめされている理由が、貴族のマナーなどろくに知らない庶民のヒューゴには理解できなかったのだ。


「な、なんか俺そんなにヤバい事言ったか?」


 これは争いになるか? と軽く身構えているヒューゴに、マルクも何を言えばいいのか分からなかった。

 実際、そこまで酷いことをヒューゴは言っていないし、忖度なく語れ、暴力は振るわないと約束したのはクリエルフィだ。

 これをマルクが破ることは、クリエルフィの名誉を更に傷つけるだけになるから、


「いえ、ご指摘ありがとうございました。ようやく私どもにも現実が見えてきたようです」


 そう頭を下げて、カウンターの上に広がった汚物を片付けに入る。

 此処でマルクがフォローに入っても、きっとクリエルフィは救われるどころか逆に傷ついたであろうから。






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