■ 197 ■ 華やかな、光眩しき初夏の日に






「ヘルミ、ここ留めておいたから続きお願い、クッカ! そっちは?」


 全裸に剥かれ、お貴族様のように下着からお着せさせられているサリタとヤナは心細さからお互いを――


「化粧してるんだから横向いちゃ駄目! シグネ、ビューラー。ん、これでいいかな」


 視認することもできず、その針子たちの迫力に文句も言えず、ただ圧倒されて案山子のように立ち尽くすのみだ。


「もう少し――シグネ、マスカラ取って……あと口紅――終わりました!」


 クッカという店員が声を張り上げると同時、サリタの腰に巻きスカートを留める。

 急ぎやってきたフルールが仮留めされていたサリタのスカートを軽く位置調整して、チッと舌打ち。


「スカートは……もう少し詰めた方がいいわね、――っと、テルヒ、仮留めしたから続きやって! ヘルミ! そっち終わった!?」

「まだです!」


 ヤナの顔にせっせと化粧をしていたヘルミがヤナの顎をクイッと上げて正面、左右と確認し、


「今終わりました親方!」

「よっしゃ、マントケープは手直し不要、よし、こっちはこれでいけるわ。テルヒ! まだ縫ってるの遅いわよ!」

「すみません親方! あと三針――終わりました!」

「っし! クッカ、あとは任せたわよ。私は他の仕上がり確認しに行くから!」

「畏まりました!」


 そうやって整えられたサリタの服装は、これはマフィアをベースに女性向けへとアレンジしたのだろうか。

 ミニのスカートはプリーツスカートながら腰、臀部、太股のラインがある程度はっきりするよう絞られていて、女性らしい曲線を引き立ててるデザインだ。

 上半身はシンプルなブラウスとベストに、袖を通さず肩に引っかけたスーツのような形のケープマントが金鎖で留められていて、さながら女性マフィアとでもいうべき姿に纏まっている。


「テルヒ、リボンの位置整えて」

「はいです!」


 対するヤナの方は、服のデザインは子供の愛らしさを重点的に押さえつつ、色合いで勝負するような意向らしい。

 白いインナーが裾から覗く、膝上丈のワンピースは漆黒。その上に袖がゆったり膨らみつつも手首で絞られた純白の上着を纏い、その上着を首元で留めるリボンと、手首から先を覆う手袋、そして両脚を覆うタイツは真紅。

 ヒールもまたよく磨かれた黒で、赤い髪を含めて漆黒、真紅、純白の三色が層を成してヤナの身体を覆っている様は、可愛さだけじゃない少女の刺々しさを上手く衣装で表現していた。


「よし、二人とも準備は終わったから動いていいわよ」


 そうして整えられた両者は改めてお互いを見やり、


「……サリタ、なのよね?」

「怪盗の変装ではないと思う」


 互いが普段見ている互いとあまりに違うもので、最早溜息しか出てこない。

 化粧と衣装、と言うよりこれではまるで人体改造だ。普段の相手の在り方と今の装いは、それくらいお互いの認識と乖離している。


「いい? 背中を丸めず、足元は見ない。前だけを見て、多少キツイぐらいでもいいわ。目元は鋭く、この世で一番美しいのは自分だってぐらいの態度で歩くのよ」

「はいじゃあ試してみようか。ここに立って、そう、そこから中央に向かって正面を向いてここで決めポーズ1」


 決めポーズ1ってなんだ? と先行のサリタが固まってしまうが、


「なんか偉そうに胸張って両手を腰に当てて、うん。それでいいわ。それが終わったらゆったりと覇王のようにこの細い舞台を真っ直ぐ歩く。奥まで進んだら決めポーズ2を半瞬決める」


 決めポーズ2、と言われてもやはりサリタには意味不明だ。


「そうね、マントケープをサッと背中に払う感じで、うん、それで結構。そしたら半回転して決めポーズ3。背中を美しく見せる」


 決めポーズ3、背中を美しく見せるといわれても何が何だか分からずサリタは泣きそうになった。


「ああもう、じゃあこうサッと右脚の踵を左脚に付けるように、そう! それが終わったら舞台中央に戻って一回正面向いて決めポーズ4。集大成よ」


 決めポーズ4、もうなるようになれ、と顔の前で指を大きく開いた右手を広げたらこれがわりと受けたらしい。サリタには何が何だか分からない。


「よし、それが終わったら来たときと反対側の舞台袖に消えて終わりよ。簡単でしょ?」


 簡単なわけがあるか、とサリタは今や混乱の極地に取り残されていた。

 自分は今、一体何でこんなことをやっているのか、頭の上でヒヨコがくるくる回っているような状態だ。


「よし次よ小悪魔! もう決めポーズは考えたわね!? さあ行くのよ」

「無茶言わないで!?」


 サリタに続いてヤナも背中を押されて、つんのめったように歩き出す。

 舞台の中央で決めポーズ1と腰に手を当てようとしたら、


「コンセプトが違うのに真似するな! 貴方のそれは可愛く、残酷にがテーマなのよ!」

「なにそれ!? そういうの先に言っといてよ!」

「見れば分かるでしょ見て分かんないお馬鹿なの!? ほら可愛くと残酷には同時にやらなくていいわ、交互にやりなさい!」


 可愛く、と言われてもヤナには何が可愛いのか分からない。これまでの人生で可愛さは一度もヤナに微笑んではくれなかったから。

 仕方なく腕を組んでフン、と睨むと、


「よし! そしたら歩く! 舞台の奥で今度は可愛さよ!」


 許可が出たので歩き出すも、ヤナの内心は冷や汗だらだらだ。


――可愛い、可愛いってなに!? 誰かあたしに可愛いを教えてよ!?


 考えている間にも足は他人のもののように勝手に進み、気付けば所定の位置立ち止まっていて、


――ええい、ままよ!


 スカートの端を摘まんで、カーテシーのように。しかしそれより遙かに大胆に、太股が覗くまで釣り上げてみせると、


「むぅ、可愛いとはちょっと違うけどまあ小悪魔っぽくていいわ! 次、半回転して背中を美しく見せる決めポーズ3!」


 何とか許可が下りて、しかし今度こそわけが分からん。背中、背中が広く見えればいいか? と爪先立ちし、腕を上げて頭上で交差。


「悪くないわ、センスあるわよ! さあ中央に戻って最後のポーズ!」


 後ろ姿を見せつけながら中央に戻り、いかん、ネタが尽きたとヤナはもうヤケクソだ。

 両手を胸元に揃え、片脚引いてやや前に乗り出すような姿勢からあざとくウインク。死ぬほど恥ずかしかったがクッカ以下フラーラ工房の針子たちには評判がよかったようだ。


「よし、二人ともそれでいいわ。さああとはこれらを十回ほど繰り返して、自分が美しく見える姿勢を自分の身体に覚え込ませるのよ!」

「十回……?」

「こんな恥ずかしいこと十回もやれっての!?」


 サリタとヤナは目を瞬いた。正直に言えば、自分たちが行なった仕草をまだ正確に把握し切れていないのだ。


「阿呆! 舞台の上に立ったら千人を超える観客の視線が全部貴方たちに釘付けになるのよ! その時になって恥かきたいの?」


 改めてサリタとヤナは自分が何を了承したのか、今頃になって恐ろしくなってきた。


「……コルナの爆笑している姿が目に浮かぶわ」

「ああ、私にも見える……」


 だがもうどこにも逃げ場はない。舞台の上に現れ、そして引っ込むまで二人はどこにも逃げることなどできないのだ。




      §   §   §




「レディース&ジェントルマン! お待たせしました! リュカバース開港記念祭三日目のファッションショー、これより開催致します!」


 わぁっという歓声のあとに楽団が音楽を奏で始め、会場は嫌でも盛り上がる。

 凸の形に形成されている特設舞台は、昼間はその凸部分で歌姫アナベルがその見事な歌唱を披露していたが、


「……あそこに立つのか」

「ビビってんのサリタ、と言いたいけどあたしもビビってるわ……」


 舞台袖から見た凸部分は三方向が観衆に包囲されていて、あそこで平然と歌や愛想を披露できる歌姫アナベルの胆力は尋常ではないのだ。

 ただ周囲に耳を傾けてみれば、


「だ、大丈夫かな。凄い盛り上がりだよ」

「やるだけやるしかないわよ、ピエラやラケーレのぶんも頑張るのよ!」

「いや、でも、膝がくがく……下で見てるのとは大違いなのね」


 どうやら臆しているのはサリタとヤナだけでなく、リュカバース市民から選ばれたモデルたちも同様らしい。

 そもそもモデルという職業がないこのご時世、ここにいる全員が普段は別の職を持つただの素人に過ぎない。

 フルールが言ったように、彼女らはただ憧れを集めるだけの存在ではなく、


『私だってあの服を着られればあのぐらいには可愛くなれる!』


 と観光客が思ってくれたほうが売り上げ的には万歳、という程度でしかないのだ。そりゃあ大観衆を前に腰が引けてしまうのは致し方あるまい。


「それではさっそく始めていきましょう! エントリーナンバー一番!」


 番号を呼ばれた時点で一人目が歩き出し、


「アイマーロ工房、『スターサイド』!」


 凸先端部に到達するとそこで工房名と衣装の名前が呼ばれるという流れらしい。


「サリタ、何番だっけ?」

「十一番だ。ヤナは?」

「二十番、最後だって……これクィスの嫌がらせじゃない?」

「クィスにファッションショーの順番にまで干渉する権限はないと思うが」


 ふと、視線を感じたサリタが反対側の舞台袖へ視線を向けると、


「ほら、クィスとマコが手を……コルナールはどうしたんだ?」


 絶対ニマニマしていると思っていたコルナールが、何故か赤い顔で俯いていて、二人を嗤う余裕もなさそうに見える。

 と、思ったらクィスがコルナールの腰にそっと手を伸ばして抱き寄せ――ははぁ。


「どうやらクィスがコルナを黙らせてくれているようだ」

「プッ、普段偉そうな事言ってるくせにコルナってばなに? 腰抱かれた程度で真っ赤になってやんの!」


 ケラケラとヤナは笑い、そしてサリタも応援してくれているクィスとマコに何とか笑顔を返せる程度には気が楽になった。


 そうして、


「エントリーナンバー十一番!」


 番号を呼ばれたサリタは意を決して舞台へと歩みだし、正面を向くと、


――なんて、人数。


 クィスのおかげで少し落ち着いていた心臓が再びバクバクと暴れ出した。

 千人近い、二千もの瞳がただサリタ一人だけに向けられている。サリタ一人が、あの歌姫アナベルのように注目を浴びている。


 何とかポーズを決めて歩き出せば出すほどに心臓の鼓動は早鐘のように暴れ、凸部分へと移動すると、


――鳥肌が立ちそうだ。全方向から視線を向けられるのがこんなに恐ろしいだなんて。


 サリタだって乙女だ。自らの容姿で人の好意を引きたい、と考えたことが一度もないわけではないが――


――凄い。感情の津波だ、これは。


 尊敬、


 嫉妬、


 羨望、


 秋波、


 下心、


 劣情、


 憧憬、


 感嘆、


 軽蔑。


 それらが渦を巻いてサリタ一人に注がれている。

 その事実にサリタは恐怖し――しかし同時に僅かな優越を――そう、愉悦を感じてもいる自分に気が付いた。


「フラーラ工房、『レディ・ハスラー』!」


 衣装の名が呼ばれた時点でリハーサル通りにマントケープを払うような仕草で半回転。

 背中に浴びせられる視線が、少しだけサリタの心を浮上させる。


――私如きでも、これだけの人目を集められるんだな。


 それが欺瞞であることをサリタは分かっている。視線を集めているのはフルールが仕立てた衣装で、サリタ自身ではないと。

 だが、逆に言えばサリタは服の中身として、度を超えて蔑まれたり疎まれたりするほどの存在ではない、ということでもある。


 だから、



『汚らわしい売女の娘が! よくも恥知らずにもそんなことが言えたものね!』



『救ってやる、俺が救ってやるとも。俺にしかお前は救えないんだ! だから俺の家族になって、一緒に戦おう、サリタ!』



 ああ、やはりあの誘いは間違いだったのだと、今ならば分かる。

 自分にしかお前は救えないと。家族に捨てられたお前は誰にも愛されることはない穢れた子なのだと。

 父親に汚され、義母に捨てられ、路上でしか生きられず知らないままに薬物へ手を伸ばし、そして――



『俺が家族になってやる! 誰も見向きもしないお前の家族になってやるから!』



 狂った男に攫われ、家族になろうと誘われて、そして本当に運良く、ダリルに救出された。

 そんな、ゴミみたいな人間でも――


「お疲れ様、サリタ。ぶっつけ本番にしては凄く立派だった、格好良かったよ」

「ええ、へたな貴族よりよっぽど輝いていましたよ!」


 だから、舞台を歩き終えたサリタは吹っ切れたように笑える。

 笑顔で、素直にクィスとマコの賞賛を受け入れて喜ぶことができる。


「ありがとう、クィス、マコ」


 これが夢であることは、分かってはいるけど。

 それでももう少しだけ、この温かな夢に浸っていたい。


 できれば、神様。もう少しだけ。




      §   §   §




――うう、なんであたしこんなコトしてるのよ。


 舞台の上に立ったヤナは、今更ながら安請け合いしてしまったことを後悔してしまった。


「本日最後の衣装です! エントリーナンバー二十番!」


 舞台の中央で腕を組んで傲慢にあらぬ方を睨み付けたつもりだが、本当に睨めているか自信がない。


――背中を丸めず、足元は見ない。前だけを見て、目元は鋭く、この世で一番美しいのは自分だってぐらいの態度で、歩く。


 当たり前のように、ヤナはそう生きているつもりだった。誰に役立たずと言われようと、誰に虚仮にされようと、絶対に見返してやると、心だけは折れないように。


――今思えば、否定される方がよっぽど楽ね。


 自分を馬鹿にしてくる奴は殴り潰せばいい。否定すればいい。馬鹿な奴と見下せばそれでよかった。

 だが、今自分に向けられている感情はどうか。


 敵意も侮蔑も落胆もあろう。

 だがそれ以上に、羨望と祝福と劣情と――何よりも嫉妬を向けられている。

 悔しいと、自分だって同じ服を着られれば、あんな小娘よりも輝けるはずと、そんな目で見られている。

 ヤナはこの場において勝者であり、覇者であり、唯一の存在であり、だからこそ、


――所詮はその程度って、そう見下されるのだけは絶対に嫌だ!


 失敗が怖い。無能であることが怖い。弱いことが怖い。

 失敗は失墜だ。権威の喪失だ。これまでは下から見上げて上に好き勝手な文句を言っていればよかったヤナは、今は一転して見上げられる立場にある。

 上の立場にあればこそ、それは強く、強固で、揺るぎなく――そう、馬鹿にされるような無能であることなど許されない。許しがたい。


 凸部分の先端にて、故にヤナは誇らしげに、傲慢に、不遜にスカートをギリギリまでつまみ上げる。


「フラーラ工房、『ディアボリッシュ・チャーム』!」


 指を離し、スカートが重力に引かれて降りるよりも早くに、裾を花のように翻して半回転、ポーズを決めて歩き出す。

 心臓の鼓動と脈拍すらも支配下に、レッドカーペットを歩く女王のように、優雅に、よりしなやかに。


 そして最後に、再び観客の方へ向き直る最中に少しだけ舞台袖が目に映って――


 両手を胸元に、可能な限りあざとくウィンクをすれば、ほら。


――あたしだって、可愛いじゃない。


 観衆の声がワッと沸いて、だからヤナは胸を張って舞台袖へ。


「お疲れ様、ヤナ。凄いじゃないか。皆が君に釘付けだ」

「でもいいんですかね、十二歳でしょヤナ。色々とアブナイ気がするなぁ」


 だから、舞台を歩き終えたヤナは自信たっぷりに笑える。

 笑顔で、素直にクィスとマコの賞賛を受け入れて喜ぶことができる。


「いいじゃない! あたしのほうが大人の女より魅力的だって証でしょ!」


 これが夢であることは、分かってはいるけど。

 それでももう少しだけ、この温かな夢に浸っていたい。


 できれば、神様。もう少しだけ。






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