■ 199 ■ それは後のない崖のように
「明日には1-7を止めろとはどういうことです!」
緊急の連絡、ということでファウスタとの連絡役から伝えられた内容に、ダリルは平静ではいられなかった。
作戦は順調に進んでいる。あと三日もすればリュカバースマフィア雇用魔術師の誰一人としてまともに立つこともできなくなるだろう。
「我々は勝ちつつある、いや勝っているんだ! それをどうしてです!」
「このリュカバースに帰省したアンティゴナの息子、竜牙騎士団員がそのダニに襲われたからだ」
あり得ない、とダリルはそれを一蹴した。
「カルセオリー伯邸は避けるように1-7には厳命している! それはただのブラフです!」
「違う、その竜牙騎士団員はお忍びで下町の祭りを楽しんでいたのだ」
「は…………?」
ダリルは思わず絶句してしまった。リュキア貴族は誰もが選民主義で、下町の、しかも僑族が屯する場所に赴くことなど想定するはずもなかったからだ。
ダリルが納得するよう、連絡役は務めて表情を温和に保ち、そっとダリルの肩を叩く。
「安心しろ、閣下もお前たちの落ち度とは考えてはいない。だが竜牙騎士団員は全員が閣下以上の序列持ちなのだ。人種が違えどリュキアに生きるならこの意味は分かるだろう」
それはダリルも分かっている。このリュキアは徹底した選民主義で、序列が何よりもモノを言う。
それは分かっている、分かってはいるのだが、
「……しかしまだその竜牙騎士団員は倒れていないのでしょう? でしたら続行すべきだ! 今は上手くいっているからと仕切り直して二度目が上手く行くとは限らない! 敵だって馬鹿じゃないんだ!」
ダリルは正しい戦術的判断を説いて理解を求めた。竜牙騎士団員がファウスタに直接圧力をかけた、ということはまだ
であればファウスタが腹芸で時間を稼げば勝利は自然とレウカディアの手に転がってくる。
「一晩だけ猶予が与えられているだろう。今晩総攻撃をかけてマフィア魔術師の数人も殺せば、君たちのアピールとしては十分だろうに」
「敵はグラナを倒した手練なのですよ! まだ、まだ早いのです。もっと病呪が通らなければ、一度解除などして猶予を与えては対策されてしまうかもしれない……!」
敵がグラナを超える相手だと分かっているはずだ、と理解を求めたが、連絡役はダリルに別の理解を求めているようで、
「二度目が上手く行くとは限らない、程度の戦力では困るのだよダリル。いいかね? 戦力というのは戦略目的を達成するための一手法であり、恫喝としての側面も持つ。それが二回目は通じませんでは話にならないだろうに」
「――ッ!!」
連絡役の言うことは戦略的な見地としては極めて真っ当だ。
それに戦力は行けと言われたときに攻めて、引けと言われたときに退かねばならない。それが正しい在り方であるのは疑いない。
「ですが魔術師戦は戦争ではありません。相性の関係もあり――これは疑いなく勝機なんです! リュカバースマフィアを壊滅させるための!」
「マフィアを殺す、というだけならそうなのだろうな。だが、侯爵閣下にとってはもう違うのだ。君は侯爵閣下の命令より
ダリルはわなわなと震える拳を固く握りしめることしかできなかった。
命令に従わない軍隊に存在価値などない。それはもうただの愚連隊であり、反逆者の烙印を押される危険な暴力でしかなくなってしまう。
言うことを聞かず徹底抗戦を語るダリルに、連絡役は僅かに苛立ってきたようだった。
「1-7の攻撃は明日で停止、その上で結果を出せ。これは侯爵閣下の決定である。ママ・オクレーシアの顔に泥を塗るなよ、
その名を出されては、ダリルもこれ以上の反対はできなかった。
「畏まりました。御下命に従います」
「結構。なに、君の取り込んだ魔獣は狂暴だと聞いている。期待しているよ、ダリル」
そう肩を叩かれても、ダリルにはなんの喜びもない。
ただ、政治で仲間を危険に晒されただけだ。これをどうして喜べようか。
§ § §
「さあ、今晩が正念場ね」
教会にて、震える手で聖霊銀剣と竜麟の剣を腰に佩きながら、ラジィはそう虚空を睨む。
既に戦えるような身体ではない。食事は昨日から喉を通っていないし、意識は朦朧として剣を握る手にはロクに力が入らない。
「ジィは下がっているべきだ。敵は今晩全力で仕掛けてくるかもしれないんだぞ」
「まぁ、リッカルドがいれば控えも検討したけど、流石に戦力が足りないわ」
ラジィは非難するでもなくそうクィスに告げる。リッカルドは唯一ダニの影響を受けずに戦える魔術師だったが、まだ子供であるということを誰もが失念していたのだ。
結果として深追いをしてしまい、ソフィアの人工聖霊活動範囲外まで移動してしまって、
リッカルド自身は人工聖霊と共に既にソフィアの中へと戻っているが――ソフィアにももう噛み痕が刻まれているので、これ以上は働かせられない。
「壊すのではなく奪っていった、ってことは価値が分かる奴の筈だから、まぁ勝てれば
現在ほぼ五体満足で動けるのはクィスのみだ。かろうじてマルクとイオリベが支援をできる程度であり、
「派手に動けば今晩はマコがリュキア騎士を率いて助太刀してくれる。ジィが無理する必要はないって」
「いいえ、ここは無理のしどころよ。ラーマコスさんが来てくれるにしても、初動を防がなきゃ話にならないでしょ?」
騒ぎがあればマコが来るとして、先ずは騒ぎにならなければどうしようもない。
それはその通りであるのだが……
「大丈夫よ。私には【
敵の動きが完全に把握はできていなくても、ラジィの身体を最適に動かす手段として【
演算要素が欠けている以上、絶対必中絶対回避にはならないが、それでも病んだ身体を無理矢理動かせるのだから戦力としては数えられるのだ。
「私が敵なら、もう諦めるかワンチャンでドンの首を狙うかのどちらかね。今更ここで他の
【
敵が冷静に考えるなら、被害を抑えるために襲撃自体を止めるだろう。七日かけて弱らせるというのが戦略だった以上、それが破綻したなら潔く諦めるのが正しい判断だ。
だが、もしそれができない理由があるなら――最大の利益を狙うだろう。
小さな勝利を上げて「我々は負けてません」みたいなアピールをしても、襲撃者の雇い主であるリュキア貴族がそれを評価してくれるはずもないのは火を見るよりも明らかだ。
「今晩を凌げばかなり不利を押し戻せる。四の五の言わず勝ちに行きましょ。頼りにしてるわ、お兄様」
ティナとアウリスはもう戦力には成り得ない。【
だからガレス、シンルー、ナガル、オーエンを予備選力としてウルガータの側に置いておき、戦場に立つのはクィスとラジィ、後方支援に短剣(当人曰く手裏剣と言うらしいが)投擲役のイオリベの三人だ。
ラジィが言うことを聞いてくれる子じゃないことはクィスは嫌と言うほど知っているし、魔力を込めた拳で気絶させようにも魔力はラジィの方が上だ。
万策尽きているクィスにできることは、だから、
「分かった。ただ前衛は僕に任せてくれ」
ラジィを守り切り、敵を叩き潰すことだけだ。
§ § §
「三人か、其方は支援魔術師がメインみたいだね」
黒服に黒いマント、黒い仮面で全身を覆い隠した人影を前にして、クィスはゆったりと拳を握る。
今のクィスは全身を獣為変態させた半人半竜の装いだ。制御が下手だった頃のように尾は生え背中は鱗でびっしりと覆われ、喉の形状まで変わっている。
元々はダニ対策だが、単純に防御力も上がる。魔力消費は多いものの、獣為変態を維持する方が戦闘では効果的だ。
ドン・ウルガータが所有する館の一つ、芝生が敷き詰められた長閑な前庭にて、三人と二人が対峙する。
灌木の裏にはイオリベが潜み、館内には四人の予備魔術師が控えているが、現状ではこの五人――否。
「話は聞いていたけど、なるほど
震える手でラジィが両腰の剣を引き抜いて、地面から盛り上がってきた土塊人形を見やる。
だが汎用性に優れるものの突き抜けていない
「ウチから奪った
そうラジィが聞いてみても、戦場で会話をする趣味は
ただ黙ったまま五体の土塊人形でラジィとクィスを取り囲む。
「僕が魔術師をやる。人形の対処を頼む」
「了解、お兄様」
残る一人の魔術師が使う魔術は不明だ。聖句でも詠唱してくれれば分かるだろうが、もう向こうも最初から聖句込みの身体強化は展開済みだろう。
あとは実戦の最中に何とかするしかない。
「攻撃開始」
「【
敵首魁の、そしてラジィの宣言と共に、クィスは弾かれたように奔りだした。
敵は倒す、ラジィは守る。兄を語るならそれぐらいはやってのけて当たり前だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます