■ 043 ■ 教育的指導




「はい? 教師?」


 最近はようやく火打石の扱いにも慣れてきて、しかしやはり面倒なので埋火に専ら頼っているティナが首を傾げる。


「ええ、孤児たちに勉強を教えるの」

「なんで私が?」


 かまどに鍋をかけながら首を傾げるティナは変なところで器用である。


「暇だから」

「暇じゃありませんー、ジィたちの食事作ったり洗濯したりしてますー!」


 顔をしかめたティナの言っていることは嘘ではない。実際ラジィが貧民街につきっきりのため、教会の家事はほとんどティナに任せているが、


「実際はほとんどアウリスにやらせてるくせに」

「はおっ!」


 図星を突かれたティナが悲鳴ともつかぬ情けない声を上げる。どうやら当人はバレてないつもりだったらしい。

 ビクビクしながらティナがよそったスープを手に、いざ四人で食卓に着く。フィンは今日はウルガータのシマで新入りの為に寝ずの番。食事のいらないラオは夜のパトロール中だ。


 堅パンをスープに浸しながら、ラジィは改めてティナを見やる。そろそろラジィにもこのティナという女の子が理解でき始めてきた。

 ティナは別にサボり癖があるのでも怠惰なわけでもない。ただ自分より上手くできる人がいるならそいつがやればいい、という思考が完全に頭の中に根を張っているのだ。


 ティナはこう見えて極めて思考が効率的なのだ。ただ効率を突き詰めるとティナの仕事がなくなってしまうというだけで。

 あまりよい考え方じゃないな、とラジィは思う。


 想像だが、恐らくティナはこれまで周囲からそういった扱いを受けてきたのだろう。その結果としてティナ自身もまた、自身を「使えない」と見做してしまう思考が身についてしまっているようだ。


「貴方、この中で多分一番上等な教育受けてるでしょ? クィスは第一、第二王子と差をつけられた教育しか受けてないし」


 実際はクィスも実務を任されていたこともありその教養は十分なのだが、そういうことはわざわざ言う必要はない。


「で、でもそれならアウリスだって……」

「アウリスは家事やってるじゃない。暇なのは貴方だけよ」


 ちなみにクィスだが、最近はフィンの神殿がなくても基本の獣為変態は可能、フィンの神殿ありなら部分変態も実現できるまでに上達している。

 そんなこともあり魔術の習熟も兼ねて、貧民街に空けたごみ捨て穴に火弾を打ち込んで焼却処理するのがクィスの近々のお仕事だ。


 リュカバースは経済活動が農業主体ではないため、生ゴミや汚物をリサイクルする仕組みが存在しない。よってそういうのは悪臭の元だし、纏めて焼いてしまった方が健康の為である。

 クィスの射撃や火勢制御の訓練にもなるし一石二鳥のお仕事だ。


 ラジィは嘆息した。元々ティナがごねるのは想定していたし、それにティナがどれだけ拒絶しようと、ティナを動かせる魔法の言葉をラジィは持っているのである。


「引き受けてくれたら庶民生活支援分の経費はチャラにしてあげるけど」

「やります」


 即答である。

 ティナもまたヒューゴたちと同様、ラジィに金でケツまくられる哀れな子羊でしかないのだ。


「ジィ、僕も手伝おうか?」


 クィスがそう提案してくるのはクィスが親切だからというよりはティナのやる気を心配してのことだ。


「ええ、でもクィスには皆に勉強ではなくて絵を教えて欲しいのよ」

「絵を?」


 そんなの何の役にたつんだ? とクィスとしては懐疑的だが、


「今後、兄貴分たちにはクロップ通りの警邏をしてもらうことになるんだけど……いざあそこが栄え始めると他のシマから妨害が入ると思うのよ」

「なるほど、似顔絵を書かせるのですね」


 流石にアウリスは優秀なようで、ラジィが全てを語る前に一人で頷いている。

 そう、他のシマからきたマフィアの顔を写すことができれば、あとはウルガータたちのお仕事になる。


「仮に模写までいかなくても、人の顔を描く練習しておけば自然と人の顔の特徴を掴むようになるでしょ? 見慣れない奴が入ってきた時に警戒もしやすくなるわ」

「ああ、そういう効果もあるんだね。分かった、うまく教えられるかはわからないけどやってみるよ」


 監視ならばラジィの【全体観測オムニス・メトリア】で十分なのだが、今後ドン・コルレアーニ傘下の魔術師とやり合うことになればしばしば【集中観測インテンティオ・メトリア】に切り替えるし、何よりラジィがドン配下の魔術師に殺される可能性もあるのだ。


 彼らが自分たちの手で生き延びられるようにして初めて人道支援だ。

 支援と見せかけて依存させるのは支援ではなく蹂躙、すなわち侵略行為でしかないのだから。




      §   §   §




 そんなこんなで、


「えー、此度あなた方に対し教鞭を執ることとなりましたティナです。学びたくない子は学ばなくていいんで邪魔しないで去ってくれると嬉しいです」


 空き家の一つを改造してクルップ通り学校の開校である。椅子などないので皆地べたに座り黒板とチョーク。ティナだけが大黒番の前で立っての授業スタイルである。

 人数はヒューゴやコニー、またウルガータのシマからも兄貴分格を連れてきて総勢二十名、といったところだ。


 なおティナとしては「逃げてもいいけど授業の邪魔はしないでね」というつもりで言ったのだが、その一言はヒューゴらを長らく怯えさせることになった。

 去る、の意味がティナとヒューゴたちではあまりに違いすぎたのだ。みな一言一句を聞き逃したら死ぬとでも言わんばかりの剣幕に逆にティナの方がびっくりである。


「えー、じゃあ先ずはお金の話優先ってジィに聞いているから数の数え方からね」


 孤児の大半は数の数え方も知らないような有様である、というのはやはりティナは貴人なのだろう。

 まさかそこから駄目だとは全く思っていなかったので完全に遠い目になってしまってはいるが、


――ここでは私が群を抜いて賢い。一番。尊敬の目、畏敬の眼差し。フフ、ウフフフフフフッ……!


 まさか教育を受けていない孤児を競争相手にして喜んでいるあたり精神的にはヒューゴたちと同レベルである。

 まあ、ティナは貴人であるのでそんな表情はマルッと隠して真面目な顔で授業を続けられるのだが。


 そんな感じで先ず初日は先ずは一から十、そして桁上がりの概念を教えて終わってしまう。

 あまり進まなかったなぁ、とティナとしては思うのだがこれはとんでもない勘違いなのだ。


 これまで勉強をしたこともない孤児らが、いきなり数字の数え方と桁の概念をなんらの抵抗もなく理解したのである。

 どう考えてもヒューゴたちの理解速度は異常なのだが、残念なことにティナは教えるのが初めて、ヒューゴたちは教わるのが初めて過ぎてどちらも全く気がつけていない。


「クィスだ。君たちに似顔絵の描き方を教えて欲しいってジィに頼まれた。いざという時ウルガータ、レンティーニファミリーにスパイを教える仕事、って言えば重要性は分かって貰えるかな?」


 そうしてクィスも同様に絵の描き方の手解きをしていく。先ずは他人の顔の特徴を掴むこと。いや、それ以前にまず他人の顔をよく見て記憶することからクィスは始めたのだが、


――この子たち、妙に人の特徴を掴むのが早いな。盗みとかやってたせいか?


 クィスは少しだけヒューゴたちの優秀さの片鱗を垣間見たものの、やはり此方も教わるのはさておき教えるのは初めてなので、周囲をよく見回す孤児の癖のせい? で思考が停止してしまう。


「二人とも、初の授業はどうだった?」


 その夜に教会へ帰ってきてラジィにそう問われた二人は、


「んー、割と上手くできたんじゃないかなって」

「そうだね。人の役に立つって案外悪い気はしないな」


 そうどこか浮ついた感じであり、仕事を勧めたラジィとしても一安心である。


「二人が楽しくやれたならよかったわ。初仕事お疲れさま! 久しぶりに食事は奮発しといたわよ!」

「はい。ジィと二人で腕によりをかけました」


 二人の初仕事を祝って夕食はいつもの堅パンではなく『ベッラルチア愛しきルチア』のロゼッタ花形パンプロシュット生ハム、パルミジャーノをたっぷりかけたトマトソースパスタと大盤振る舞いだ。

 おまけにデザートにはアウリスお手製のソルベまでついている。


 なお、これらは貴族からすれば粗食の部類に入るのだが、ティナもクィスもすっかりご馳走という認識だ。美味しそうに舌鼓を打つ。

 何だかんだで美味しいものを食べてきた筈の二人ではあるが、過去の食事よりこの地母神教マーター・マグナリュカバース教会で食べる食事の方が二人にはよほど美味しく感じられるのである。

 それが幸せなのか不幸なのかは、誰にも分からないが。


「私は普段の堅パンの方が好きですがね。これは噛み応えがありませぬ」


 なお、咬合力の差か獣のフィンにはふわふわのパンより堅パンの方が好みであるようだ。


「食事の楽しさか。吾は前々世に置いてきてしまったな」


 そして一人だけそれらの感覚を共有できないラオは、少しだけ寂しそうだ。


「ごめんね、仲間はずれにして」

「言うても詮無きことよ。飢えずに済む身体と思えばそう悪いことでもないのでな」


 なお、その後にラオの頭からお酒をかけると酔っ払うということが分かって、ラオもまたラオなりに食事を楽しめるようになったわけだが、それが幸せなことかは誰にも分からない。


「お酒に酔うのは悪い大人のやることよ」

「そう言うでない番よ、この身体に残された唯一の飲食的娯楽故な」


 すっかりラジィとラオはお酒を飲み過ぎる老人とその孫である。




      §   §   §




 そうして順調に孤児たちへの授業を進めていたティナではあったが、


「ただいまぁ……うう」


 最初はご機嫌だったのに最近段々と顔が曇ってきて、一ヶ月もたった頃には完全に意気消沈してしまっていた。

 その理由を問うに、


「あ、あの子たち頭よすぎるよ……私とは全然比較にならない……」


 ティナが教えたことを、まるで真綿が水を吸い込むかのように吸収してしまっているそうだ。

 たった一ヶ月で大陸共通文字の基本の読み書きを覚え、足し算と引き算ならほぼ完璧に計算できるようになったという。

 この調子なら普通の平民として暮らすために必要な読み書き計算は三ヶ月もあれば習得してしまうだろうとティナは踏んでいる。


「落ち込む必要はないわ。別に彼らの頭がずば抜けていいってわけじゃないもの」


 ラジィがそうティナを慰めるが、そこにちょっと噛み殺した笑いが含まれていることにティナは気づけない。


「じゃ、じゃあ私の頭がずば抜けて悪いんですかね……」

「そうじゃないわ。あえて言うなら私のおかげなのよ」

「……はい?」


 目をぱちくりさせるティナに、フィンが慰めるような視線を向ける。


地母神教マーター・マグナはその大部分が支援職だ、というのはお話ししましたね? だから主さまも当然、支援職なわけです」

「ああ、そういえばそんな話でしたね。それが?」

「では主さまは一体何の支援職なのか、という話ですよ」


 何を支援しているのか? と問われたティナは人道支援でしょ、としか思わなかったが、


「ああ、知育の支援ということですか」


 アウリスはやはりティナより頭の回転が速いようで、ポンと手を打ち鳴らす。


「正解。私は【書庫ビブリオシカ】、地母神教マーター・マグナに九つある支援職における、知識の支援担当が私ってこと」


 そう言われてようやくティナも気が付いた。ヒューゴたちが優秀だから学習が早いのではない。ラジィが加護を与えているから学習が早いのだと。


「ついでに言うとティナにも加護が働いているから、ティナも『教師として』かなり成長しているわ。皆の学びが早いのはそのせいもあるのよ」

「そ、そんな絡繰りが……」


 ぽかんとティナが口を開けて固まってしまう。


 ティナが教師として成長する速度も速いし、子供たちの学習速度も速い。そりゃあ異様な成長を遂げるわけだ、と傍で聞いていたクィスも納得した。

 口には出さなかったが、子供たちの上達速度に驚いていたのはクィスも同じなのだ。もっともティナと違ってクィスは男の子なので口には出していなかったが。


 クィスたちは与り知らぬことだが、ラジィは【至高の十人デカサンクティ】が一柱、地母神教マーター・マグナ最高の【書庫ビブリオシカ】加護持ちである。

 【御厨コクイナ】が一食で衰えた身体を癒やせるように、【菜園サジェス】が豊作を約束するように。【書庫ビブリオシカ】もまた驚異的な学習促進を周囲にもたらすことができる。


 ついでに言えばラジィがこの年で並の騎士より遙かに強いのは、【道場アリーナ】ツァディと共に鍛錬を続け、ずっとその加護を受けていたからだ。

 もっともそのツァディはラジィと一緒に学んでラジィの加護を受けていながら、勉強の方はからっきしだったが。


「……地味だけど、とんでもない加護だね」


 クィスが小さく呻いた。ほんの一年も経たずしてストリートチルドレンの知識を庶民の域にすら引き上げられる加護持ちなど、どこにいっても引く手数多だろう。

 何でこんな子がこんなところでマフィアの用心棒をやっているのかクィスは分からなくなったが、それを言うなら自分も同じか、と悩むのを止めた。


 何か言いたくない事情があるのかもしれないし、話す機会があればいずれ打ち明けてくれるだろうから。




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