■ 357 ■ ある魔眼使いの困惑






「シア、こっちだ!」


 精悍な青年に手を引かれた二十歳ほどの女性が、ブロンドの髪を靡かせながら裏路地を駆ける。

 青年の巨体に押し隠されるように建物の影で息を潜めていると、


「クソッ! あのアマどこ行きやがった!」

「ざけやがって! なんとしても見つけ出さねぇとお頭に俺らが殺されるぞ!」

「あの細身だ、体力もねぇしそう遠くへは行けねぇ筈だ、探せ!」


 黒服に身を包んだ屈強な男たちが、眼を皿のようにして周囲を探索している。


「だから言ったんだよシア! マフィアなんぞを簡単に信用するな! と!」

「で、でも他に頭領カポに近づく方法なんて思いつかないし……」


 正直、他に手はなかったと彼女は思っている。

 そもそもからして悪いのはいま、追っ手を街に放っている恥知らずの方ではないか。


「第一、裏切ったのは私じゃなくてあっちです。悪いのはあっちじゃないですか」

「バカか! マフィアなんだから悪くて当然だろう!」


 頭はお前のほうが圧倒的に悪い! と青年にどやされて、彼女は淡く虹色に輝く瞳でキッと青年を睨み付ける。

 そう、頭の良し悪しはさておき、一応正義は彼女の方にあるのだ。




      §   §   §




 シアと呼ばれた女性は元々このレウカディアの出身の庶民である。リュキアの血を引いてはいるが、それも半分だけだ。

 母親はリュキア氏族に雇われていた下働きの底辺メイドであり、当主に一方的に貞操を奪われ、子供を身ごもったと知るや奥方から怒りを買い追い出された。その先で生まれたのが彼女だ。


 そうやって母親は野垂れ死に、孤児として生きていた少女はレウカディアのマフィアに攫われ、麻薬の運搬器具として出荷された。

 平たく言えば腹を割かれて死なない程度に臓器を抜かれ、代わりに麻薬を詰められて目的地まで運ぶ、生きる運搬袋として運用されたのだ。


 そうやって現地で腹から麻薬を取り出され、用済みになって野垂れ死ぬはずだった少女はしかし、気合いと根性と運で奇跡的に生き延びた。

 とはいえ腹に傷の残っている少女など娼館ですら用無しである。そのまま裏路地生活をしていた少女は魔術師による裏路地清掃を受けた結果、魔力持ちとして瞳神オルクス神殿に回収され、訓練兵となった。


 だが、少女は神殿騎士になるという誉れある未来に――どうしても納まることができなかった。

 少女の今や魔眼と化した瞳に映るのは、麻薬を抜かれ空袋として捨てられ死んでいった、同じ密輸袋たちの怨嗟の顔である。



――復讐を。この復讐を果たさずして、自分一人だけのうのうと神殿騎士なんかになれるはずがない!



 そう決意を秘めた少女は神殿騎士としてある程度、魔眼制御の教育を受けた後に神殿を脱走。冒険者として身銭を貯め、その過程で相棒となった青年と共にレウカディアへと戻ってきたのだ。

 己を密輸袋として扱った、クソッタレなマフィアファミリーを壊滅させるために。


「くぅっ、宿願を果たしたその日が命日とは! せめて祝杯ぐらいは上げたかったですよ!」

「お前が考え無しに突っ込むからこうなるんだろうが!」


 結論から言えば、復讐は一応成功した。多分成功した。

 多分、というのは自分たちを密輸袋として扱ったファミリーの頭領カポのことを、彼女は「スカルキ」という名前しか知らなかったからだ。


 そしてそのスカルキファミリーの頭領カポは彼女の魔眼によって今日、無様としか言い様がない死に方でこの世という舞台から退場した。

 復讐は、果たされたのだ。


 だがその後に待っていたのは、彼女を利用して敵ファミリーの頭領カポを殺害した、手を組んだはずのマフィアファミリーの裏切りである。


「用が済んだら即殺害とか! もう少し私を利用しようとか考えないんですか! 私は元神殿騎士の優秀な魔術師です、お買い得なのですよ!?」


 そう彼女はプンスカ怒るが、青年からすれば何を馬鹿な、といった話だ。


「【魅了テンプト】の魔眼持ちを利用しようなんて呑気に考える馬鹿がいるかよ!」

「貴方がいるじゃないですかガストン!」

「Bランク冒険者の俺の善性をマフィアと同列に考えるなよ!? だからお前はアホなんだよ!」

「何言ってんですか、マフィアも冒険者もクズのゴロツキって点においては大差ないでしょう?」

「お前マジで殴るよ。ボコボコに殴るよお前。お前それ本気で言ってるだろ」

「言ってますが?」


 俺はなんでこいつと組んだんだろう、とガストンと呼ばれた青年は頭をかきむしった。

 惚れた弱み、では絶対にない。ガストンは一般的にリュキア氏族顔と呼ばれる外見に、性的な興奮を覚えない美的感覚の持ち主だった。


 シア某が可愛いくない、という話ではなく、人種と出身と育った環境が異なるから美的感覚が全然違う、という話だ。

 だが二人がそんな馬鹿な会話を繰り広げている間にも、


「いたか?」

「こっちにはいねぇ! ただ逃げ道は既に封鎖済みだって報告が上がってきてる。連中は袋の鼠だ、刈り尽くせ!」


 マフィアの声が二人の隠れているすぐ側で響き渡って、だから彼女は覚悟を決めざるを得ない。


「こうなったらもう一度、やるしかありません」


 虹色の瞳で、そう彼女は拳を握りしめるが、


「だが、これ以上は不味いだろうに」


 ガストン青年がそっと女性の目を掌で押さえる。

 彼女は瞳神オルクスの元神殿騎士だ。しかも二種類の魔眼を瞳神オルクスから授かった、ある意味瞳神オルクス魔術師としてはエリートだ。


 だが複数の効果が宿る魔眼は、当然のように術師に負担をかける。

 それを抜きにしても、そもそも瞳神オルクスは眼の動きだけで、詠唱もなく魔術を発動できる特殊な神だ。だが身体の一部のみで魔術を発動可能、というのは当然その一部のみに凄まじい負荷がかかるということでもある。


 他の神教が詠唱と身動きと道具を駆使して魔術を扱うのに、瞳神オルクスは眼だけで完結しているのだからそれは当然の、瞳神オルクス魔術の対価である。

 結論として、瞳神オルクス魔術の濫用はその術師の目に障害を残す可能性が極めて高い。そして彼女は既に、本日使用可能な魔眼の回数を使い切っている。


「これ以上無理して魔眼を使ったら抑えが効かなくなった後に失明する、と言ったのはお前だろ」

「死ぬよりマシでしょう。その程度の計算もガストンはできないんですか? 頭足りてます?」

「お前ねぇ!? 第一お前が先走って慎重に事を運ばなかったのが悪いんだろうが!」

「悪いと思ってるから今ここで魔眼を使うんじゃないですか!」


 そう二人が言い争っているのは、それこそお前らはバカか、という話であり、


「いたぞ、あそこだ!」

「視線を合わせないように気をつけろ! 相手は【魅了テンプト】の魔眼持ちだ! 周囲を取り囲んで前後左右から仕留めろ!」


「「くそっ! シアガストンのせいで見つかった!」」


 気付けば黒服たちに周囲を包囲されているのは、もう大ポカが過ぎるとかそういう話ではない。

 結局のところこの二人は強いだけの、裏社会でどう生きればよいかをろくに知りもしないマヌケだったということだ。






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