■ 004 ■ 自由
とは言え、自由を奪われた状態のラジィにできることはそう多くはない。四肢は腐りかけ熱を持ち、発熱はラジィの意識を容赦なく苛み、身動ぎ一つするだけでも億劫だ。
だから最初の内は当然のように経過観察である。観察することが己の力になることをラジィは誰よりもよく知っている。
「目を覚ましたか、飯だ」
奴隷商が鉄格子の隙間から押し込んできたカビの生えかけたパンと塩しか振ってないような薄いスープというご馳走を、ラジィはありがたく喉に流し込んだ。少なくとも魚のリンパ液に比べればなんだってご馳走だ。
ついでに鎖つき腕輪足輪に縛られているとは言え、石壁と手足首を結ぶ鎖は鉄格子付近への接近こそ封じているものの、牢の奥側にいれば四肢は動かせる程度の長さがある。つまり自分の手足で食事ができるのだ。
――あー、海で漂っているより遙かに快適だわぁ。
もっともラジィの右腕は骨が砕けたままで、残る三肢も瘴気の影響でどす黒く変色していてロクに力も込められやしないのだが、そこはまぁ贅沢は言うまい。
その後行なわれた尋問には
拷問をされなかったのは恐らく四肢が腐りかけているラジィに命の危険なく苦痛を与えるのは困難と判断されたためだろう。
四肢への加害を封じられると、商品価値と命を落とさない拷問というのは結構難しくなる。奴隷商からすれば「話は聞きだせたけど死んでしまった」では意味がないのだ。
臭い飯を食み、傍らの壷に用を足すだけを繰り返しつつ、内心の心穏やかな安らぎとは裏腹に日々少しずつ憔悴していく演技を続けること三日。
力尽きたようにラジィは床に倒れ伏していた。ボロボロのローブがまくれ、隠すべきところが丸々露わになったあられもない姿である。
抵抗する気力も失ったようなそんな無防備な姿を目にして、下っ端っぽい雰囲気の奴隷商の一人が周囲を見回し、下卑た笑いを浮かべた。
同僚がいないのをいいことにラジィの牢の鍵を開き、腰紐を緩めながら男が中へと入ってきてラジィの太股に手を這わした、瞬間。
「【
「……は?」
まるで蛇のようにラジィの両脚が踊って、男の首に絡みつく。そのまま、
「商品には手を出さない。そういう最低限のルールは守った方がいいわよ」
首を挟まれ、引き倒された喉に全力の踵を叩き付けられた男は断末魔の叫びも発すること能わず、僅かな痙攣の後にそのまま絶命した。
「はぁ、商人としてのモラルもないとは。かなり質の悪い奴隷商みたいね」
死に絶えた男の身体をまさぐって鍵束を取り出したラジィは素早く四肢を拘束してる腕輪脚輪の戒めを外していく。
ついでに今は骸と化した男の腰にあった、実に安物っぽいナイフを手に取って牢獄を脱出。物陰に身を潜めて、
「少し早いが交代の時間だぞゴズ。寝てんじゃねぇだろうな」
「……ん? ちょっと待て、八番牢が開いてないか?」
「八番牢って……この前拾った女のガキだよな? まさかゴズあの女
二人組で階段を下りてきた男たちの後ろを取ったラジィは手早く後方の男の喉をナイフで掻っ捌く。
その間に前の男はラジィがいた牢に辿り着き、入口が開いた牢の中にあるゴズ某の死体を目にし、次いで歩いてきた通路に視線を向けて――ナイフを握るラジィと視線が交錯した。
男が首から提げていた笛を吹くより先に首へナイフを突き立てられなかったのは、偏にラジィの両脚が瘴気にやられて本来の性能の一割も発揮できなかったせいだ。
命と引き替えに牢に響き渡る、かん高い笛の音。
「! 脱走か!?」
「退路を塞げ! お頭に報告だ急げ! 残りは後詰めに回れ!」
あー、とラジィは階段から次々下りてくる男衆を前に顔をしかめた。
瘴気に犯され身体強化を駆使してなおろくに動かない手足、発熱で朦朧とする意識。これでは大人一人すら正面から相手取るのは危険である。ましてや、片腕で複数人を相手にするとなれば。
「あのー、私のことはもうあきらめません? そう約束してくれたらこれ以上は何もせず出ていきますから」
「ぬかせ、三人も殺しておいて何をほざく! 気を抜くなよ、腐りかけの手足だとこれ以上油断するな!」
どうにかして隙を作れないものか。ナイフを手に狭い通路で対峙するラジィと奴隷商らではあるが、ここで奴隷商の、そしてラジィの予想をも超える事態が発生した。
確実に息を止めた筈の、あのゴズとかいうエロ河童。それが再びむくりと起き上がり、音もなくラジィの背後へと迫りつつあったのだ。
勝機を奴隷商たちはそこに見いだし、可能な限りラジィの意識を自分たちへ引きつけることに注力する。
そうして音も気配もなくラジィの背後に近づいたゴズが猛然と、
「――え?」
ラジィの横を走り抜けて、ラジィではなく同胞である筈の奴隷商たちへ猛然とつかみかかっていった。
これには流石のラジィも完全に意表を突かれて一瞬だけ呆然としてしまう。更には血を流しきった筈の二人もまたむくりと起き上がってゴズへと加勢していく。ラジィも奴隷商たちも何が何だかさっぱりだ。
もっともそこでの虚脱が一瞬で済むのがラジィのラジィたる所以であるが、それでも疑問と困惑から完全に解放されたわけではない。
「おかしいわ。確実に仕留めたと思ったのに」
「いや、あの下種らは確実に死んでおる」
何事、とラジィが声のした己の右肩にチラと視線を向けると、そこにいたのは、
「骨の鳥?」
「竜である」
小さな宝珠を核とした、小鳥ぐらいのサイズしかない骨と何かの破片と布で構成された喋る骨格である。
一体何だこいつは、とラジィは首を傾げかけ、そして唐突に気が付いた。
「
「いかにも。汝が聖別した
鷹揚に
自分が、聖別した? というか聖別したなら塵は塵に戻るべきだろうに、なんでこいつは生きているのか?
「汝が所持していた装備と一部融合してしまったようでな。いや、見事な品質の道具であったし、込められた魔力も人にしては上等。いやはや、死に損なってしまったわ」
何でも
要するに骨と鱗と布を素材にしたゴーレムのようなものであるのだろう。浄化の影響か生前の記憶も復活しているらしい。
もっとも、死体を操っている時点でアンデッドの特性も抜けてはいないようだが……
「まあいいわ、とりあえず先に安全確保よね」
「助力しよう、吾が
なんか頓狂な単語が聞こえたような気がしたが、それよりラジィにとって自分の身を物理的に守ることのほうが最優先だ。
元孤児だったラジィは奴隷商のような、弱者を食い物にする職業に就く奴が大嫌いだ。真っ当な奴隷商もいるにはいるが、拾ったラジィを勝手に商品にしてる時点でこいつらは違う。
流石に進んで殺して回りたいほどラジィは狂暴ではないが、だからといって自分をこれ以上商品扱いしようとするなら命の保証などしてやれない。
そんなこんなでナイフと死体が猛威を振るった奴隷商のアジトは見事、たった十三才の少女一人によってあっさりと制圧されたのである。
§ § §
「主さま、こんなご無体な姿になってしまわれて……申し訳ありませぬ、このフィンめがついておりながら」
「いや、フィンがいてもあの最後の爆発だけはどうしようもなかったわよ」
そしてどうやら復活した
抵抗をやめ投降した奴隷商たちをふん縛り、地下牢だったそこから月光も眩い地上部分へと上がり屋外に出ると、そこにはスフィンクスのフィンが既にラジィを待ち構えていた。
フィンから最後の
「ラジィ・エルダート復活! ラジィ・エルダート復活! ラジィ・エルダート復活!」
ガス壊疽を起こしかけていた身体から一転して
「うるさいわフィン。夜半に大声出しちゃ周りの人たちに迷惑でしょう?」
どうやらここはどこかの都市の郊外にある一軒家のようで多少騒いでも問題はないだろうが、それはそれとしてマナーである。
「申し訳ありません。これは儀式のようなものでしてな」
右腕の骨折も癒やされ、四肢の黒ずんだ瘴気による腫れも消えた。今度こそ真の完全なる自由を取り戻したラジィ・エルダート、再び巡礼の職務に復帰である。
一度屋内に戻ったラジィは奴隷商たちの荷物を検め、その中に女性向けの粗末なワンピースと下着一式を発見。軽く水浴びをして乾いた布で雫をと汚れを拭い、手早くそれを身に纏う。
上から再び軽く濯いで絞った【
なお、その後警邏の騎士に事のあらましを説明しに行ったラジィだったが、奴隷商を壊滅させてきたと言っても信じて貰えず笑い飛ばされる結果となってしまった。
仕方がないので【
「【
「教会自体はあるようですが、この辺はどうやら
「なるほどなぁ」
再び奴隷商のアジトに戻ってきたラジィはペンを取り文を認め、街にあった小さな
奴隷商の持ち物から旅の荷造りをし、最後に地下牢に戻って他の奴隷たちを解放して回れば、これで一部始終を己の独房で見ていた彼らが騎士団に事実をそのまま語ってくれるだろう。
そうしてフィンに跨がったラジィは、
「街を出るまではそこに隠れててね」
「了解した、吾が
腰の巾着袋に復活した
「さあ行くわよフィン。未知なる世界へ!」
「冒険ではなくダラダラしに、ですか。主さまの性根には困ったものですよ」
もう十分に【
残る巡礼の期間は精々、
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