■ 348 ■ 戦いは愛だよ、兄貴






「……人間が好きじゃなくても【至高の十人デカサンクティ】に成れるんですね」

「当然ですよぉ。貴族なんて庶民を玩具ぐらいにしか考えてないのに地母神マーター魔術、使えるでしょ?」


 そう言うことかとクィスは呻いた。前時間軸で死んだクリエルフィも最初は庶民など眼中になかったが、それでも【至高の十人デカサンクティ】候補生としての実力は身につけていた。

 他者への思いやりを起点とする地母神マーター魔術なのにそれができる、ということは要するに、思いやれる相手は万人が対象でなくとも構わない、ということだ。

 つまりは、


「貴方の思いやりは動物にしか向いてないんですね」

「はいー。私にはどーにも人を愛することができないので」


 こともなげに言い切られて、リクスは少しだけ感心した。人に対する思いやりがなくても、人は【至高の十人デカサンクティ】になれるのか、と。


「私が思うにー、私が助力するとその天使討伐隊って全滅を免れちゃう可能性がありますよね?」

「……ある意味連中も政治部に踊らされた犠牲者ですし、助かった方がよいのでは?」


 流石にそこまで言うのはどうなの? とリクスとしては思うのだがザインは手をヒラヒラ振って何を馬鹿なと笑う。


「いやー、そういう愛のない連中は別に生きる価値ありませんって。心にちゃんとした愛があれば自分の意思で『殺さない』って選択、できますよね?」


 クィスは静かに首肯した。言うことは間違ってはいないが――どうもザインは地母神教マーター・マグナ原理主義者であるようだ、と。


「リクス君は人と獣を分ける最大の差異ってなんだと思います?」

「言語を操ること、ですかね?」

「動物も言語は持っていますよ。正解は『愛』があるかないか、ということです」

「愛、ですか」


 どう返せば好いか分からずリクスが言葉を選んでいると、黙って二人のやり取りを聞いていたダレットが苦笑いを始めた。

 その様子から、ザインは割とよくこう言う話を人にふっかけているのだろうな、とリクスはなんとなく諒解する。


「動物の親子にも愛はあると思いますけど」

「それは愛というより本能ですよ。自分の血脈を子孫に残そうとする。言い換えれば我が身可愛さと同じです」


 我が子を生かそうとするのは自分を生かそうとする延長線上であり、そういう自己愛は生存本能でしかないとザインは語るが、じゃあザインのいう愛というのはいったい何なのだろうか?


「愛というのはですね、純粋に他人を助けたいと思う心を指すのですよ。自分に何の利益も見返りもなく、他者を助けたいと思う気持ち。これを聖獣以外の獣は持ち得ません。然るにこれこそが人を人たらしめる概念です」


 そう言われると、なんとなくリクスにも分からなくもない。確かに獣は自分と子孫以外の利益となることはしないだろう。

 親が子を慈しむ、血族を大切にするのは自分の設計図を未来に残そうとする生命としての本能であり、獣のそれから逸脱するものではない、ということらしい。


「愛こそが人の存在意義であるというのに、やれ人は国だとか、人種だとか、性別だとか、信仰だとかを理由に自分たちを富まし、自分たち同じ枠組みに入らないものを攻撃することを正当化し持て囃す。付き合ってると馬鹿になっちゃいますよ」


 なんとなくザイン、という人柄がリクスにも見えてきた気がする。多分この人は根底では人を愛しているのだろうな、と。


「リクス君に愛はありますか? 裏切られたり軽んじられたりした瞬間にあっさり別の感情へと反転するような、そんな薄っぺらい感情じゃない愛ですよ? それは愛ではなく恋ですから」


 叶わなければ、届かなければ敵意や憎悪へと転がり落ちるようなものは愛ではない、と。

 純粋に自分の利益を、見返りを求めることなく他者を思いやれる心があるか、と【至高の十人デカサンクティ】に問われ、


「あってほしい、とは思っています。ですがあまりに難しい」

「結構。君は只人なのでそれで十分です。ちゃんとした愛があるなら君は今頃【至高の十人デカサンクティ】になってますから」

「……それもそうか」


 流石に【至高の十人デカサンクティ】が言うことだけあって、馬鹿にされたとも侮られたとも思えずリクスは純粋に赤面した。


「君もティナさんもいい線いっていると思いますよ。愛のある人間は私は好きなので――まあ、君とティナさん個人の為ならば私も協力しましょうかね」

「ありがとうございます、【スタブルム】ザイン・へレット」


 そう頭を垂れると、猫のブラッシングを止めたザインがリクスを見て親しそうにニッコリ笑う。


「君の弟妹にもちゃんと愛を教えることですよリクス君。恋ではない、愛です。それが地母神教マーター・マグナの根底なのですからね」

「……難しいですね」


 それはダート修道司祭が徹底して無視していたことである為に、リクスの弟妹たちが抱く感情は微妙に歪んでいて、とても愛とは言いがたいモノになっているようにリクスには見えるのだ。


「難しく考えるようなことではありませんよ。君はあの子たちに幸せになって欲しいですか?」

「はい――ですが俺が一番幸せになって欲しいと願うのは……あの子たちではない」

「はー、それが君の心苦しさ、罪悪感、自分を嫌いになる理由ですか。自分の最も愛する人のために他人を利用する自分が気に入らない、と」

「……」

「気にすることはありません。神ならぬ身ゆえに我らは神が如き純愛を貫くことは能わず、選択をせねばならない。だから重要なのは愛を忘れないことです」

「神とは、純愛なんですか」

「そうですよ。誰しもを平等に愛した結果、というのは心のない処理系システムと同じように振る舞いますから。それでも、処理系システムと違って神は尊い。何故か? そこに愛があるからです。純愛こそが神だからです」


 最初から最後まで【スタブルム】ザイン・へレットはぶれないまま、リクスにそう説いてくる。


「愛さえ忘れなければ君はその君が慈しむ誰かを幸せにするために、彼女たちを道具にする、なんて甘えた選択を採らずにすむでしょうよ」

「肝に銘じます、【至高の十人デカサンクティ】」


 そこまで語ったザインは、喉が渇きを感じたのだろう。卓上のマグに手を伸ばし中身を一気飲みすると、


「ふにゃー……」


 スコンとそのまま机の上に突っ伏し寝息をかき始めてしまった。


「む。そういえば……ザインは下戸だったか。普段ザインは他人と食事しないから忘れていたよ」

「どれ、ベッドまでは私が運んでおきますよ」

「すまないね、メア」


 どっこいしょ、とリクスがザインをメアの背中に乗せると、赤ら顔のザインはそれでも獣の上にいると分かるのだろうか。

 うへへ、なんて気味の悪い笑い声を零しながらメアの背中を撫で撫で、客室へと消えていった。


「偉大な変人ですね」

「ザインを表すに過不足ない的確な表現だ」


 残るリクスとダレットは静かにお酒を酌み交わした。たまにはこういう夜があってもいいだろう。

 初めて、リクスは純粋に味わうだけの酒を呑めたような気がした。

 それがザインと話をした結果故であることは疑いなく、だから彼女は立派な【至高の十人デカサンクティ】なのだろう。






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