■ 099 ■ 後始末
「うわぁ死屍累累だぁ……」
ツァディがリュキア騎士にやったことは頭蓋に魔力を流して気絶させた、のではなくご丁寧にも全員の腹に一撃だ。
周囲には苦痛に悶える悲鳴が響き渡っていて、だから多分胃壁が破れているのだろう。
そこからなお、なんとか立ち上がろうとしたものは両脚をへし折られ、手をついて身を起こすものは両腕を折られ。
彼らにできることはもうウジ虫のように這って移動する事だけである。
強姦されそうになっていたティナではあったが、苦痛に悶絶しながら血の混じった胃液を吐き、失禁し泣きながら地面を転げ回っている騎士たちを見るとザマァを越えて哀れになってくる。
聖句を唱えた騎士たちを、聖句無しに鎧の上から素手でワンパンしてきっちり胃に穴を空けるとか、
――何なのあの人。母さんみたいに
ティナから見ればもう完全に怪物にしか見えない少年を引き連れてラジィは今、尻餅をついたアンティゴナ・カルセオリー伯爵にピシッと剣を向けている。
「さて伯爵? この場で虫けらのように死ぬか、ウルガータについてこの街のウジ虫どもと麻薬を一掃するか。どちらがお望みかしら」
麻薬、という言葉を耳にしたツァディの身体からまるで怒濤のように神気が吹き出してきて、ティナは更にドン引きだ。
これだけやっておいてどうやらあのツァディ、かなり手加減していた方らしい。しかもこの後に及んでまだ聖句を一言も唱えていないのだ。
「ジィ。麻薬に手を染めているならこいつ、殺しておいた方が良くないか? 麻薬を作る奴はクズだ。人の痛みが分からない、矯正の期待も持てないゲスだろうに」
その暴威に正面からあてられている伯爵は息も絶え絶えに膝を付いて震えているが、ラジィは首を横に振る。
「殺しても次の貴族が来るだけだし、リュキア王家に喧嘩売っても仕方ないでしょ。八百八士の魔術師が押し寄せてくるわ」
「八百人ぐらいなら俺が全員叩き潰してもいいが」
「……それやったら今度は北のノクティルカがこれ幸いと攻め込んでくるわよ」
「それも全員叩き潰せばよくないか?」
「…………だからディーはカイにウホウホミラクルゴリラって言われるのよ」
「それ言ってるのカイ姐さんじゃなくてお前だろ」
しかもこの二人、ツァディにそれができないとは一言も言っていないのがもう会話からしておかしい。常識が完全に吹っ飛んでしまっている。
今にも泡を吹いて気絶しそうなカルセオリー伯の首をツァディは掴むと、グイと腕一本でつるし上げて意識を確保する。
「で? ウルガータに協力する? それとも首だけになってウルガータにお届けされるほうがいい?」
ラジィに下から睨め上げられ、カルセオリー伯は青い顔でガクガクと頷くだけの玩具と化してしまう。
「きょ、協力する! ドン・ウルガータに協力する!」
「麻薬は以後扱わない?」
「あ、扱わないと約束する! だ、だからこの化物を止めてくれ!」
「ディーがいなくなっても手の平返さない?」
「勿論だ! 約束する! 約束するぅううっ!!」
「結構。ああ、言っておきますけどこの程度ならディーだけでなくて私でもできますから、ねっ!」
ラジィが繰り出した拳が腹に突き刺さったカルセオリー伯もまた、ツァディが手を放すと胃液を吐きながら失禁してのたうち回るウジ虫の群れにその身を連ねることとなった。
「強姦魔の親玉にまで落ちぶれた己の無様さを建国夢見た八百八士に侘びることね、成敗!」
いちおう身分の上の方ということで、ラジィはこれまで自分が所持していた回復のピジョンブラッドを伯爵閣下のポケットに突っ込んでやる。これがあれば胃袋ぐらいなら半日程度で塞がるだろう。
「さ、早く帰って皆の傷の手当てをしましょ! 傷が癒えたらパーティーよ!」
既にその場に二本の脚で立っているのはラジィとツァディのみ。めでたし、めでたしだ。
§ § §
「なるほど、
ツァディが静かに暴れる様を遠巻きに見ていたウルガータは呆れたように呟いた。
プライドばかりが高いリュキア騎士団が、夜中に、しかも僑族であるドンの要望に応えて貧民街に出撃するなどまずあり得ないはずだったが――伯爵が自ら出張るなら話は別だ。
伯爵個人をも出撃させられる。そこまでドンと伯爵が蜜月の関係にあったことは、ウルガータはおろかアンニーバレも知らなかった。その切札をドンは徹底的に隠していて、切るべき時に正しく切った。純粋な読み合いで、ドンはまだウルガータより何枚も上手だ。
故に急いで救援を、せめてソルジャーを呼び寄せラジィとティナだけでも回収して離脱を、とウルガータは完全に撤退戦に入る準備を進めようとしていたのだ。
だがそんなウルガータを何かに気が付いたらしいフィンが何故か押し留め、不安でやきもきしていたのだが――どうやら本当に心配ないらしい。
「確かに、これ以上安全な保管場所はなさそうだな」
「ええ。いくらカイの支援があったとはいえ、ツァディ・タブコフは同僚が次々倒れていく中を神とほぼ単騎で相対し、その神臓を引きずり出した傑物ですから」
どうやったら負けるのか想像も付かない、とフィンの声音にも呆れたような色が多分に滲んでいる。
「……神臓があるから強い、んじゃないんだよな?」
「無関係ですな、あれは神にしか扱えない臓器ですよ。純粋にディーは自分の力で強いのです」
とんでもない話だ、とウルガータは本日何度目かも分からぬ眩暈を覚えた。
要するにツァディ・タブコフはほぼ単独で、降臨直後で不完全な状態とは言え神を打倒した人間、ということになる。しかも「他人への思いやり」を基点とする
一般的な力の求道者とは違い、
要するにツァディは「他人を思いやる心」で純粋に天使であるラジィを上回っている、ということだ。とても人間とは思えないが、フィン曰くごく普通の庶民の子、疑いなく只人だという。
「……あっちはもう大丈夫そうだな。なら最後の仕事といくか」
「では、私もラオを回収して後を追いますね。挟み撃ちにしましょう。逃げられては厄介ですから」
「助かる、フィン」
そうしてウルガータはフィンと別れ、護衛二人がツァディに
「よう、どこへ行くんだ?」
追いついた先、月の光も細くしか射さぬ貧民街の裏路地にて、ウルガータの声で男は静かに逃げる足を止める。
「哀れなものだな。リュカバースに王手をかけたマフィアのドンがこんな裏路地をコソコソ這い回っているたぁよぉ」
「ウルガータか……」
振り返ったコルレアーニは、某かの算段を立てたのだろう。逃げる素振りも見せずに両手を開いてウルガータと相対する。
「誠に遺憾ながら俺の完敗だ。だがウルガータ、お前の勝利は実力ではなく運でもぎ取ったものでしかないぞ」
「ああ、分かってるよ。そんなことは」
リュキア貴族がこんな夜中に、僑族であるコルレアーニの要望に応じて貧民街までやってくるとは、ウルガータは想定していなかった。万が一があっても夜明け後だと考えていた。
最後のあの瞬間にツァディが現れたのは完全に運だ。読み合いでは、完全にコルレアーニはウルガータたちの上をいっていた。
マフィアのドンとしての計算高さにおいて、まだウルガータはコルレアーニには勝ち得ない。ウルガータは素直にそれを認めている。
「だが、負けは負けだ。それは潔く認めるとして――どうだウルガータ、知恵袋として俺を雇わないかね? 北部、要するに国内の他の都市との窓口をお前は持ってはいまい」
遺憾ではあるがウルガータは頷いた。今後リュカバースを裏から支配するとなれば、他の都市と顔繋ぎはあったほうがいい。
ウルガータが単独で支配者層と面を合わせるより、コルレアーニを従えて向かった方がよりウルガータの力量や度量を示すことになるだろう。
だが、それは獅子身中の虫を抱えることでもある。
「ドン、俺はあんたの才能に敬服してる。俺よりマフィアとしてあんたの方が優れていることはよく理解している。だからこそあんたは危険だ。下に置けば、必ずあんたは俺に牙を剥く」
「落ち着けウルガータ。グラナを倒された俺にはもう切札など残っていないのだ。しかもお前は七人もの魔術師を擁していて、その団結も固い。これでどうしてお前に牙を向けよう? ん?」
実際のところ、コルレアーニは真面目にウルガータの下で働いてもよいと考えてもいるのだ。
敗北は屈辱だ。だが死よりはマシだ。生き残れるなら――当然蠢動するつもりだが、積極的にウルガータと事を構えるつもりは今のところのコルレアーニにはない。
無論、ウルガータにドンとしての資質が欠けると見たなら手の平はいくらでも返すが、それはそれで当然のことだ。
無能が組織の長に居て良いことなど、一切ないのだから。
「悪いことは言わんから俺を買えウルガータ。その方がリュカバースの統治もよりやりやすくなる」
コルレアーニの言っていることは全面的に事実だろう。今後のことを考えるなら、ウルガータはコルレアーニを生かして知識を搾り取った方がいい。
だが、
「……ウルリカ、という名前に聞き覚えはあるか?」
「ウルリカ? ……いや、知らんな。探し人か?」
真顔で首を傾げているコルレアーニを前にして、ウルガータの腹は決まった。
懐からダガーを引き抜いて、一歩ずつコルレアーニへと迫っていく。
「ま、待て! 早まるなウルガータ! その名が一体何だというんだ!?」
「クソが、それはお前が麻薬の密売人として使っていた女の名だよ。自分が麻薬売買の片棒を担いでいると後から知って、後悔から麻薬に手を出して首吊って死んだ俺の姉の名だ!」
もはや我慢もならぬとばかりにウルガータは走り、コルレアーニも説得を諦めて駆けだした、薄暗い路地の先に――
「どぉこ行くんだよコルレアーニィ! 俺を置いてお前、どぉこ行こうってんだよぉお!?」
「うぉああああああああああっ!?」
突如現れたグラナに行く手を阻まれたコルレアーニが初めて、この強かで剛胆な男が初めて恐怖に悲鳴を上げた。
腹が切り裂かれた傷もそのまま、血を失って土気色になり冷えかけている身体で、グラナがコルレアーニにがっしりとしがみ付く。
「なぁ、なぁ、救済してやるから一緒に行こうぜコルレアーニィ! 死後の世界はいいぞぉ! もぉ苦しまなくてすむからなぁ!! なぁ、なぁ、コルレアーニィ!?」
「ふざ、ふざ、ふざけるなグラナぁあ! 来るなぁっ! 私はまだ死なん! お前のようには死なんぞ! 放せ、放せ放せ放せはなせぇえええっ!」
そうして悲鳴を上げてグラナを振り解こうとしていたコルレアーニが、急に糸の切れた人形のようにかくん、と膝を付いた。
ウルガータが近づこうとしたところで路地からフィンがヒョイと顔を出し、ウルガータに安全のため下がるようアイサイン。
そのままフィンは裏路地にうつぶせに倒れたコルレアーニの背中に耳を当てて、
「心肺停止してますな。平たく言うと死んでます」
残念そうな顔で首を振った。
「む……退路を断つついでに少し驚かしてやるだけのつもりだったが……悪いことをしたかの?」
ふわり、と空から降りてきたラオがフィンの頭上に着地して、ちょっと気まずそうにウルガータをその瞳なき虚穴で見やる。
姉の仇だった男は、ウルガータが手を下すことなく恐慌からの心不全で死んでしまった。
「……いや。俺に殺されるよりよっぽどコルレアーニにとっては屈辱的な死だろうよ」
あのドン・コルレアーニが、誰の手で負けるのでもなく自分の恐怖心に負けて死んだのだ。これより滑稽な話はそうそうあるまい。
誰よりもグラナを恐れていたのがドン・コルレアーニだったということ。それ即ちコルレアーニはグラナのことを信用はしていても信頼はしていなかったということ。その事実がドン・コルレアーニの命を最終的に奪ったのだ。
誰も信じなかった男が、それ故に死んだ。ただそれだけのことだ。
「死体の操作か。ラオ、お前さんそんなこともできたんだな」
同じく今やコルレアーニに覆い被さるように倒れているグラナを見て、ウルガータはせせら笑う。
この有様からして、グラナは別にアンデッドとして甦った、ということではないのは明白である。
「ティナやクィスたちには内緒であるぞ? 怖がられるのは本意ではない。優しく頼れる皆のラオでありたいのでな」
「よく言うぜ」
ハハッと笑ったウルガータはフィンと並んで踵を返す。
総ては終わった。いや、あるいはここから総てが始まるのだろうが、今日の日の出まではこの余韻に浸っていても許されるだろう。
「……終わったよ、姉さん」
リュカバース裏社会に蔓延っていた麻薬商売網は、これで撲滅される。
後はウルガータが油断して次のコルレアーニが台頭しないよう、リュカバースに目を光らせるのみだ。
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