■ 012 ■ 波乱の予感

「やれやれ、とんでもない夜になっちゃったわね」


 ランベールとその配下たちが生き残りを集め疾風のように出航、離脱していく様子を桟橋で見守りながら、ラジィはハァと息を零す。


「やはり想定外か?」

「あんなの想定してないわ。というか巡礼に出て殺した竜がこれで二体とか、私もしかして呪われたりしてるのかしら」

「……竜殺し、二体目なのか」


 ラジィの呟きが、ブルーノの背筋に悪寒を走らせる。

 本当にこの娘と組んでいいのかと今更ながらにブルーノは不安になったが、もはや一蓮托生。他のファミリーのシマを荒らしたツケは、ラジィに払って貰うしかない。

 そんなブルーノの不安を余所にラジィはふいに踵を返すと、ドラゴンの死骸の傍へ歩み寄り、


「そろそろ出てきてもいいんじゃない?」


 先ほどドラゴンが足を引っかけた穴に向かってそう声をかける。


『ラ、ランベールたちはもう帰りました?』


 穴の向こうから声が返ってきたことにブルーノは僅かに驚いたようだった。


「伏兵、知り合いか?」

「ううん。全然知らない子」


 実際、ラジィもそこにいるのが誰か知りもしない。だが多少は予想がつく。あのときラジィが戦に巻き込まないよう海に蹴り飛ばしたメイド服の少女。


「ランベールならとっくに帰ったわよ。もう船影も闇夜に紛れて見えないわ」

『よ、よかったぁ。冷静になってやっぱりオトシマエとか言われなくて……』


 情けない声と共に、穴からヒョイと泥だらけの顔を出したのは、


地母神教マーター・マグナが神殿騎士、ラジィ・エルダートよ。ナイスアシスト、助かったわ」

「えぇ? いや、隠れていたところを踏み抜かれただけなんですけどね……あ、フォ……いえ、ティナと言います。よろしゅう」


 やはりというか何というか、ノクティルカ一族に名を連ねる少女、フォンティナリア・パダエイ・ノクティルカである。

 いや、全てを捨てて国を飛び出してきた今は、当人が名乗ったようにただのティナと言うべきか。


「それ、変わった魔術ね。モグラ土竜みたいだわ」


 だがしかし今やそのティナの両腕は掘削に適した魔獣の爪のように変形していて、その鋭さたるやラジィ程度なら容易に引き裂いてしまえそうだ。

 もっとも訝しむラジィとは対照的にブルーノはどこか納得したように頷いているから、どうやらあの異形はこの大陸ではさほど珍しいものではないらしい。


「まぁ、モグラの魔獣ですね。ノクティルカの魔術は魔獣のそれを取り込んで奪うものですから」


 成程、とラジィは頷いた。ランベールたちが何故騎士のくせに魔術を封印しているのか不思議だったのだが、これで腑に落ちた。


 そもそもラジィが火種の存在に気付いたのは【全体観測オムニス・メトリア】が闇夜に暗躍する背中に翼を生やした何者かを捕捉したのが発端である。

 これが人と人との戦かどうか、というふうに悩んだのもそれが理由だ。だからランベール一派の誰かは空が飛べると踏んでいたのだが、赤竜との戦いでも誰もそれを披露しなかった。その理由がこれだ。


 魔術を使えばこういうふうに姿が変わるのがティナやランベールの魔術だというのであれば、身バレ回避のためにも人の目がある場所では魔術は使えない。

 魔術を使えなくても戦果を挙げられるように技術を磨き上げられたのがランベールたちだった、ということだ。


 穴から這い上がってきたティナの手足がみるみるうちに人のそれに戻っていく――途中で、


「え? 心音?」


 くるっと振り向いたティナの視線の先にあるのは、首が落ちた赤竜の死体。

 そう、死体である。その筈だ。


「心音? 鼓動の音なんて聞こえるの? 凄くいい耳してるのね」

「え、ええ……私、嗅覚と聴覚だけが取り柄なんで。にしても……竜の心臓にしては妙に小さい……まるで人ぐらいの大きさしかない……?」


 流石に息を吹き返しはしないだろうが、万が一にも仕留め損ねていては死んだランベールの部下たちも浮かばれまい。

 再び剣を抜いたラジィはいつそれが動き出してもいいよう警戒しつつ、竜の死骸に歩み寄る。


「音、どこらへん?」

「ええっと、胴体中央ですね。心臓がある位置は普通みたいです」


 ティナが指さした場所を見やって、ラジィは我が目を疑った。


「変だわ、竜麟が朽ち果ててる……」


 竜麟は生体装甲として異様な硬度を誇る、武具の高級素材として用いられるほどの逸品だ。

 それが竜が死んだ途端にこんな短時間で劣化を始めるなんて、ラジィは聞いたことがない。そんな資料にもお目にかかったことはない。


 こいつは普通じゃない、とラジィは既に堅さを失った竜鱗を手で剥がし竜の胸元に剣を立て、その肉を切り裂いていくが――


「……どういうこと?」


 中から出てきたのは心臓ではない。いや、心臓ではあるのだろうが。より正確に言えば心臓を内蔵した肉体。平たく言えば人間である。

 サラサラの黒髪を冠した十代半ばと思しき、顔立ちの美しい少年だ。


 胸元にラジィが耳を当てれば、確かに心臓の鼓動がそこから聞こえてきて、要するにティナが聞いていたのはこの少年の心音ということになる。


「よっこらしょ、っと。お、重……」


 ラジィが少年を赤竜の肉の間から引きずり出すと、それが引金であったかのように赤竜の肉体が崩れていき、光の粒となったそれらは渦を巻いて少年の身体へと吸い込まれていく。

 そうして全身像が明らかになった少年だが、その服には前後に血に濡れた赤い穴が空いていて、しかし見たところ少年の肉体それ自体には損傷はないように見える。


 その様子はまるで何かに身体をズブリと貫かれた後に霊薬エリクサーでも服用したかのようだ、とラジィが判断する横で、


「この服の紋章、リュキア王家のものですね……」


 ティナが唇を引きつらせる。

 シヴェル大陸における国家の紋章ならラジィもそこそこ分かるが、この大陸についてはサッパリだ。ただ少年が身につけている衣服の質が上等であることならラジィにも分かる。

 守護の魔術こそ込められてないが刺繍の冴えも【納戸ホレオルム】ラム・メドムのそれに勝るとも劣らない。一級の針子が仕立てた服だ。


「王家の紋章、庶民が身に着けられるものじゃないわよね」

「騎士に見つかれば普通に打首ですね」


 であれば、このリュキア王国においてリュキア王家の紋章など身に付けられるのは当然、王族か王族をも恐れぬ愚か者のどちらかだ。


「と、いうことは」

「この方、恐らくリュキア王国第三王子なんじゃないかと……」


 何故に竜の中から第三王子が出てくるのかとラジィは軽い目眩を覚えた。

 いずれにせよ、ランベールたちは任務を完遂することができなかったわけで、しかしラジィからすれば第三王子なんて厄介な存在の首を刎ねるなど御免である。


 そもラジィはランベールが語った予言など信じてはいないし、本当にその予言がこの第三王子を指しているとは限らないのだから。

 とは言え、


「放置するのも可哀相よね、これ」

「まぁ、どう見ても暗殺されかけたとしか見えないですね」


 身体強化ができるラジィがこの少年を引っ張り出すのに若干苦労したのは、少年の身体に重し付きの鎖が巻き付いていたからだ。

 あの赤竜が海から出てきたことから逆算するとどうやらこの少年、胸を一突きされ重しを付けられ海に沈められた、というふうにしかラジィには思えないのだ。


「ブルーノ、ウルガータのとこでもいいけど家を一軒借りたいわ。お願いできる?」

「手配できるが、生かすのか? またいつ竜に成るかも分からぬし、あまりに危険だ」


 ブルーノの言うことはもっともだが、将来の厄の芽を摘むと称して人を殺すみたいなお貴族様的行動はラジィはどうにも好きになれないのだ。


「一応は本人から話を聞いてみて、全てはそれからよ」

「了解した。家は手配しよう。もっとも私たちは責任は負えぬぞ、竜にも、王家にも」

「ええ。これは私の拾い物だしね。ティナはどうするの? 国へ帰る?」

「ええと、家には帰れないので一晩泊めて貰ってもいいですか? その後はやることありますし、長居せず出ていくので」

「この彼と同じ屋根の下でもいいなら構わないわ、いいでしょブルーノ」

「責任は負わぬがな」


 そうして、第三王子? を背負ったラジィは港を後にして歩き出す。

 この後に及んでたった一人の騎士もこの場に現れない辺り、どうやらこの国も中々に腐ってるようねと若干腹を立てながら。




 こうして【至高の十人デカサンクティ】が一柱、【書庫ビブリオシカ】ラジィ・エルダート、巡礼開始二ヶ月にしてマフィアの庇護の元、貴人たちと一つ屋根の下の生活が始まるのである。

 はてさて、ラジィは残る四年十ヶ月をのんびり平穏に過ごすことができるのだろうか? それはもはや神のみぞ知るといったところだろう。
















※ここまで拙作を読んで頂いてありがとうございます。

 投稿してみたらまだ余裕がありましたが手持ちのエディタではこの時点で59000字だったので、コンテストが終わるまでは一旦ここで句切らせていただきたいと思います。書き溜めもここまでなので、コンテスト終了後は不定期ながらラジィの物語が一段落するまでは投稿できればいいなと考えております。

(一日千文字でも毎日書いて投稿している人って凄いね、と改めて思いますね……)

 二度目にはなりますが、拙い処女作の読了、まことにありがとうございました!


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