2話―魔神との出会い

「……それにしても、ここはどこなんだろう? 随分古い神殿みたいだけど……」


 何とか九死に一生を得たリオは、神殿の中を探索していた。通常、人里離れた遺跡には程度の差はあれど魔物が住み着くものだが、この神殿にはゴブリンすらいなかった。


「……変だなぁ。ゴブリンすら見当たらない。まあ、安全なのは嬉しいけど……」


 小さな声でそう呟きながら、リオは神殿の出口を探して内部をさ迷う。しばらく歩いていると、結界によって厳重に守られた扉の前にたどり着いた。


 扉に施された結界は長い年月の経過によって朽ち果てており、今にも消えてしまいそうな状態だった。リオはこの先に出口があるかもしれないと考え、扉に触れる。


「もしかしたら、この先に出口があるかも……。でも、どうやったら開くんだろう? わっ!?」


 扉を開けようとあちこちを触っていると、突然結界が光を放ち粉々に砕け散った。扉が音を立てながら少しずつ開いていき、向こう側にある闇が姿を現す。


「うわあ、真っ暗だ……。どうしよう、灯りもないし進むのやめようかな……」


「ほう、よいのか? 出口を探しているのではなかったのか?」


 暗闇に怖じ気づき、引き返そうと背を向けるリオを何者かの声が引き留めた。リオが振り向くと、暗闇の中からが歩いてくる。


 現れたのは、頭に猫の耳が生え、床まで届くほど長い銀色の髪と漆黒の肌と尾を持つ獣人の女性だった。ボロきれを纏い、手足を鎖に繋がれた女性は、呆然としているリオを見て笑みをこぼす。


「お、お姉さんはだれ? どうしてここにいるの?」


「知りたいか? 坊。なら教えてやろう。わらわはアイージャ。かつてベルドールの座に名を連ねた、七人の魔神の一人」


 女性――いや、アイージャの言葉にリオは息を飲む。魔神――遥か昔、創世神と世界の覇権を巡り争った、超常の力を持つ者ベルドールを始祖とする七人の暗黒の神々。


 剣、槍、斧、鎚、牙、盾、鎧。七人がそれぞれの武装を自由自在に作り出す力を持っており、始祖ベルドールの敵討ちのため創世神に挑むも敗れ封印された。


 少なくとも、リオたち地上の民の間には、魔神についてそう伝わっていた。


「お姉さんが……あの、魔神? 創世神に挑んで、封印された……」


「左様。妾は七魔神が一人、盾の力を司る者。少年よ、礼を言うぞ。お主のおかげで、妾を縛る創世神の封印が解けたのだから」


 恐る恐る問いかけるリオに、アイージャは微笑みを浮かべながら答える。その言葉に、リオはようやく気付いた。あの扉にかけられていた結界こそ、創世神の封印なのだと。


 とんでもないことをしてしまったと心の中で大慌てするリオを余所に、アイージャは一歩、また一歩と前に進む。そして、リオの目の前に立つと、身を屈め顔を覗き込んだ。


「案ずるな、少年よ。お主は妾の恩人。手を下すような真似はせぬ。そう怯えるな」


「あ、うう……」


 優しく声をかけられるも、リオの震えが止まることはなかった。勇者の仲間として何度も死線を潜り抜けてきたとはいえ、リオはまだ十三歳の子どもなのだ。


「おお、そういえばまだお主の名を聞いていなかったな。坊よ、お主、名をなんと言う?」


「り、リオ……」


「そうか、リオか……」


 機嫌を損ねれば殺されるかもしれない。そう考えたリオは震える声で己の名を告げる。アイージャは小さな声で呟いた後、何かを考え始めた。


 少しして、アイージャは何かを決心し、目を細めリオを見つめる。品定めするような視線に晒され、リオは居心地の悪さを感じて身動ぎしてしまう。


「……ふむ。リオよ、妾から一つ提案がある。どうだ、妾の持つ魔神の力……継承してはみぬか?」


「ええっ!?」


 思いもしなかったアイージャの提案に、リオは飛び上がらんばかりに驚きをあらわにする。その姿がよほど面白かったのか、アイージャは微笑みを浮かべた。


「そうだ。お主のおかげで、妾は封印から解放された。だが……すでに妾の肉体は崩壊の時を迎えておる。もう、一日ももつまい」


 その時、リオはアイージャの身体が少しずつ透明になっていっていることに気が付いた。アイージャはリオの頬に両手を添え、慈愛に満ちた目で見つめる。


「先ほどお主を見た時、過去を全て見させてもらった。リオよ、お主はまだ若年なれど正しき心を持っている。もし魔神の力を託すならば、お主しかおらぬのだ」


「で、でも……僕は弱いですよ。相手の敵意を引き寄せて盾になることしか出来ませんし……。それに、僕の過去を見たなら分かるでしょう? 僕は……力を受け継ぐのに相応しい人間じゃあないんです」


 アイージャから目を反らしながら、リオは弱々しく答える。勇者パーティーに加わる前、リオは孤児だった。生まれた時に親に捨てられ、孤児院で暮らしてきた。


 しかし、八歳になった頃、彼のいた孤児院は重税によって潰れてしまい、物乞いとして生きることを余儀なくされてしまう。激しい迫害を受け、生きる場所はどこにもなかった。


 勇者たちと出会い、先天性技能コンジェニタルスキルを見出だされるまでは。


「見たとも。お主の記憶の全てをな。その上でお主に託したい。虐げられる苦しみの中で、なおも優しさを失っていないお主に……妾の生きた証を、魔神の力を受け継いでほしいのだ」


 少しずつ透けていく己の腕を横目に、アイージャはそう口にする。彼女は、記憶を通して見ていた。孤児として迫害を受け、勇者に虐げられながらも優しさと献身を忘れなかったリオの姿を。


 アイージャの真摯な言葉を受け、迷っていたリオはついに心を決めた。彼女の持つ魔神の力を継承し、己の身に宿すことを。アイージャを真っ直ぐ見つめ、リオは答える。


「……分かりました。そこまで言ってくれるのなら……僕は、あなたの力を受け継ぎます」


「そうか。そう言ってくれたこと……心から感謝する」


 リオの返答を聞いたアイージャは微笑む。次の瞬間、リオの顔を引き寄せ、深い口付けを交わした。驚いたリオは後ろに下がろうとするも、後頭部に腕が回され逃げられない。


 アイージャは事前に口を中を切っていたようで、生暖かい液体が舌に触れる。リオにとって、生まれて初めての口付けは――むせるような血の味がした。


「アイ、ージャさん……? なに、を……」


「驚かせてすまなかったな、リオ。これが継承の儀だ。妾の血を受け入れたことで……魔神の力が、お主に宿る」


 二分ほど口付けを交わした後、リオとアイージャの顔がゆっくりと離れる。呆然としているリオに、アイージャが答えた次の瞬間、異変が起きた。


 リオの身体の中を熱く煮えたぎるが満たし、駆け巡っていく。あまりの苦しさに座り込むリオを、ほとんど透けた腕でアイージャが抱き締める。


「う、ああ……! か、身体が熱いよお……!」


「しばしの辛抱だ、リオ。今、お主の身体が魔神の力に耐えられるよういる。それが終われば、儀は完了だ」


 苦しそうにもがくリオを抱き締め、アイージャは聖母のように励ましの言葉を送る。少しずつリオの身体が変化していき、黒色だった髪が青に変わり、猫のような耳が生える。


 肌は白から褐色へ変化し、腰からは尾が生え苦しみに悶え不規則に揺れる。全ての変化が終わると、リオはアイージャのような獣人へと変貌していた。


「はあ、はあ……」


「よく耐えたな、リオ。よくぞ魔神の力を受け継いでくれた。これで、お主には……己の望む特性を備えた盾を生み出す能力と、欠損をも治す治癒の能力、そして魔神の剛力が備わった」


 ぐったりとしているリオの頭を撫でながら、アイージャはリオの額に口付けをした。満足そうな微笑みを浮かべ、リオへ感謝の言葉を伝える。


「ありがとう、リオよ。妾の力、その全てを受け継いでくれて。……この先に、封印の神殿の出口がある。外に出たお主は自由だ。己の望むままに……生きよ」


 そう言い残し――リオの目の前で、アイージャは消滅した。リオは母親を失ったような悲しみに襲われ、涙を一粒流す。


「……ありがとう。アイージャさん。あなたのくれた力……ムダにはしませんから」


 そう呟き、リオは暗闇の中へ進む。己の進むべき新たな道を探すために。

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