208話―そして、猫は獅子になる

 煌々と満月が大地を照らし出すなか……リオとダーネシアの戦いは最終局面を迎えようとしていた。青い氷の爪と黒いサソリのハサミがぶつかり合い、火花を散らす。


 互いに一歩も譲らず、攻防が続いていく。リオもダーネシアも長い戦いの中ですでに体力、集中力共に限界が迫ってきており、決着が着くまでそう遅くはない。


「受けてみよ! スコーピオン・ハンマー!」


「よっと……こうしてやる!」


 ダーネシアは右のハサミと鉄槌を一体化させ、リオ目掛けて勢いを付けて振り下ろした。対するリオは、氷爪の盾を斜めに構えてハサミを滑らせ受け流す。


 リオは攻撃を受け流されて体勢を崩したダーネシアのこめかみに回し蹴りを叩き込み、吹き飛ばした。さらに追撃を放とうとするも、サソリの尾に阻まれる。


「うわっと! 危ない危ない」


「案ずるな、そこまで強力な毒を仕込んではいない。精々、数分の間身体が痺れて動きが鈍る程度だ」


 尾でリオを牽制しながら、ダーネシアはそう口にする。あくまでも、毒を使うのは牽制のため。己自身の実力でリオを越え、打ち倒す。


 並々ならぬ決意を宿し、ダーネシアは起き上がり再び突進していく。今度こそハサミを叩き込まんと、鬼気迫る表情を浮かべリオを見据える。


 それを見たリオは、ダーネシアの闘志に敬意を表し迎え撃つことを決める。氷爪の盾に魔力を流して強度を限界まで高め、さらに自分自身に強化魔法を施す。


「ヘビィブーツ! さあ、これで準備万端! 来い、ダーネシア!」


「ゆくぞ……リオ!」


 リオとダーネシア、二人の獣がぶつかり合う。激しい激突音が鳴り響き、大気が震えた。一瞬の静寂の後、流れ落ちる滝の音が戻ってくる。


 互いの意地と誇りを賭けたぶつかり合いの末に、せり勝ったのは……リオだった。氷爪の盾に叩き付けられたハサミが砕け、鮮血が吹き出す。


「ぐ……バカ、な……」


「僕の、勝ちだね……。ダーネシア!」


 激痛に顔を歪めるダーネシアに向かって、リオはもう片方の氷爪の盾を振りかぶる。直後、最後の力を振り絞りダーネシアは後方に飛んで避けた。


 残された力の全てを振り絞り、最後の攻勢に出る。これまでに変身してきたハヤブサ、オオカミ、リクガメ、ヘビ、カバ、ヒョウ……全ての獣の力を兼ね備えた姿へ変わった。


「その姿は……」


「……これがオレの最後の切り札だ。一度この姿になれば、命尽きるその時限まで二度と元の姿には戻れない。オレかお前……どちらかが倒れ死すまで、戦いは終わらない!」


 あらゆる獣の力を同時に発現させるのは体力を……いや、生命力を凄まじく消耗するらしい。口からどす黒くなった血が垂れ、地面に滴り落ちる。


 ダーネシアを避け逃げ回っていれば、十数分もすれば命知らず尽きるだろう。しかし、リオはそうしない。文字通り、己の命を賭けて最後の勝負を挑んできたのだ。


 その覚悟を無残に踏み潰すような真似は、リオには出来ない。してはならないのだ。ただ一人の戦士として。


「……その覚悟、受け取ったよ。なら、僕も……全力で迎え撃つ!」


「ありがたい。……あまり、時間は残されていない。これが……最後の、勝負だ!」


 ダーネシアは背中に生えたハヤブサの翼を広げ、リオ目掛けて突っ込んでいく。虎とヒョウの爪を指に生やし、リオを切り刻まんと猛攻を仕掛ける。


 リオは攻撃を氷爪の盾で捌き、反撃のチャンスを見出だそうとする。が、死力を尽くした命懸けの攻撃を物凄いスピードで繰り出すダーネシアを前に、反撃に移れない。


(速い……! このスピード、ハヤブサの力が働いてるんだ! どうする、このままじゃ押し切られる! その前に反撃に移らないと!)


 何とか反撃しようと、リオは思考を巡らせる。その末に、一つの策を閃く。ダーネシアの見せた覚悟に匹敵する、身を削るハイリスクな策を。


「今だ! ハアッ!」


「飛び越すつもりか! そうはさせぬ!」


 リオはダーネシアを飛び越え、背後に回って必殺の一撃を叩き込もうとする。生命力が失われつつある今、背中を守る甲羅の強度が落ちていると判断したのだ。


 が、そう簡単に飛び越えることが出来るほど、ダーネシアは甘くない。リオと同時に飛び上がり、渾身の力を込めたベアハッグで仕留めようとする。


「しま……」


「これで……終わりだ!」


 絶対に逃がさない。その意思を込め、ダーネシアはリオを捕まえる。が……すぐ異変に気付く。あまりにも、リオの身体が


「これ、は……!?」


「……なんとか、成功したね。アイスキャット・サーバント!」


 いつの間にか、リオがダーネシアの背後にいた。リオはジャンプで飛び越えると見せかけて、実際は氷の分身を跳躍させ、自分はダーネシアの股下を潜っていたのだ。


 一瞬で自分そっくりの氷像を作り、身代わりにする。もし気付かれれば、全体重を乗せたボディプレスでリオが敗れる……薄氷の作戦であった。


「……ふ、勝利を焦ったな。この程度の策に、気付けなんだとは……な……」


「これで、今度こそ終わりだよ。アイスシールドスラッシャー……クロスエンド!」


 次の瞬間――必殺の一撃が、ダーネシアを捉えた。誇り高き獣の王は、翼をもがれ地に墜ちていく。地面に叩き付けられ、ついに……長い戦いに、終止符が打たれた。


 ダーネシアは呻き声を上げながらのなんとか仰向けになり、夜空を……そして、自分を見下ろすリオを見つめる。申し訳なさそうな顔をするリオに、優しく声をかけた。


「何故……そんな顔をする? 誇るがいい。お前は勝ったのだ。千獣の王に、な」


「……いいや、僕の負けだよ。最後の最後で、あんな策を使うことでしか勝てなかったんだもの」


「そう自分を卑下するな。あの状況……オレがお前の立場なら、同じようなことをしていたさ。勝利には変わりない。誇れ、偉大なる魔神よ」


 最後の最後で奇策に頼らなければならなかった己を恥じるリオに、ダーネシアはそう言葉をかける。全身全霊、持てる力の全てを使い戦った。


 その果てに敗れ去るのならば悔いはない、と……ダーネシアの晴れやかな表情がそう物語っていた。それを見たリオは、ゆっくりと頷く。


 死力を尽くした戦いの末に、自分が勝った。それを恥じることは、ダーネシアへの侮辱になる……そう考えたからだ。


「いい、戦いだった。敗北こそしたが……むしろ、心が晴れ晴れしている。ふっ、本当に……いい、気分だ」


「ダーネシア……」


 ダーネシアの背中に付けられた傷から流れ出る血が、少しずつ減っていく。命尽きる時が、じわじわと近付いてきているのだ。


 皮肉にも、ダーネシアが禁じてきたサソリの獣人の呼び名……忍び寄る死デスストーカーのように。ダーネシアは僅かに首を動かし、リオを見上げる。


 そして、最期の嘆願を口にした。


「……リオよ。最後に、頼みたいことがある。お前の顔を……オレに、よく見せてくれ」


「うん、いいよ」


 ダーネシアの最後から願いに応じ、リオは氷爪の盾を消しその場にしゃがみ込む。ダーネシアの目を覗き込みながら、死に行く好敵手の手をそっと握った。


「……母上の仇を打てたのは、君の協力があったればこそ。ありがとう、リオ。我が人生最大の敵にして……友、よ……」


「ゆっくりおやすみ、ダーネシア」


 リオに見守られながら、ダーネシアはゆっくりとまぶたを閉じ永遠の眠りについた。強敵の最期を見届けたリオは、そっと手を合わせて黙祷を捧げる。


 このまま遺体を放置して帰るのは気が引けたため、リオはダーネシアを葬るのに相応しい場所がないか探し始める。二人が戦っていた崖の頂上に行ったリオは、うんうんと頷く。


「ここがいいや。ここならお月様も下崖下の景色も見られるし。よし、ここに埋葬してあげよう」


 ダーネシアの遺体を担ぎ、頂に運んだリオは丁寧に埋葬する。永遠に溶けることのない、虹色に輝く氷の柱を墓標としリオはその場を去っていく。


「……さようなら。ダーネシア」


 そう呟き、背中に双翼の盾を装着してテンキョウへ帰還する。すでに夜は明け、朝日が顔を出しはじめている。暖かな光を放つ太陽は、優しく……ダーネシアの墓を見下ろしていた。


 長い長い死闘の末……リオは一つ大きくなった。小さな猫は今……偉大なる若獅子として目覚める。誇り高き獣の想いを受けて。


「さあ、早く帰らなきゃ。お姉ちゃんたちが心配しちゃう」


 ヤウリナでの戦いが、幕を降ろした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る