87話―苛烈、残忍、牙の脅威

「トドメだァ? ハッ、舐めてんじゃねェ! そんなモン食らうかよ! リキッドボディ発動!」


「え……!?」


 クイナの指がバルバッシュの首筋に触れる直前、牙の魔神は大声で叫ぶ。すると、かの者の身体が水へと変わり、指がすり抜けてしまった。


 水へと変わったバルバッシュの首自体は確かに両断することが出来たものの、すぐ元通りになってしまい、結局致命傷どころかかすり傷一つ付けられない。


「そ、そんな……!」


「クヒャヒャヒャヒャヒャ!! ざァ~んねん! 俺は自分の身体を水に変えられるんだよォ! まずは……てめえから死ねェッ!」


 クイナに狙いを定め、バルバッシュは牙へと変えた手を振りかざす。攻撃が当たる寸前で後退し、クイナはギリギリで難を逃れることが出来た。


「てめえの相手は一人じゃねえぜ! 俺たちのことも忘れるな!」


「フン、下等生物め。いいぜ、ガルトロスが来るまでの暇潰しに遊んでやるよォ」


 クレイヴンの言葉にそう返し、バルバッシュは悪意に満ちた笑みを浮かべる。鉄球がまるで踊るかのように宙を舞い、バルバッシュ目掛けて打ち込まれていく。


 牙の魔神は軽々と鉄球を避け、手牙を振るい少しずつ鉄球をかじり削り取る。負けじと応戦するクレイヴンだったが、明らかに形勢不利に追い込まれていた。


「グッ、クソが! 鉄球を削り取るとか有り得ねえだろうがよ!」


「クヒャヒャヒャヒャヒャ! 魔神の力を舐めてもらっちゃァ困るぜェ? 特に……俺の削食さくじきの牙はこんなモンじゃ終わらねえからよォ!」


「クレイヴンさん、危ないですわ!」


 半分近く削り取られ、もはや武器としての役割を果たせなくなった鉄球の隙間を縫うように走り、バルバッシュはクレイヴンに接近する。


 まずいと判断し、エリザベートが救助に入る。それを見たバルバッシュは、背後に手を伸ばし、後ろから忍び寄ろうとしていたクイナに裏拳を放つ。


「あぐっ!」


「同じ手ェなんざ、そう何度も食らうかよ! クヒャヒャヒャヒャ! そゥら、てめえらも食らいな!」


 クイナを吹き飛ばしたバルバッシュは、腕を真っ直ぐ横に伸ばしつつ身体を回転させ、クレイヴンとエリザベートにラリアットを叩き込む。


「ぐあっ!」


「あうっ!」


 手加減、容赦など一切ない魔神の剛力を叩き込まれ、二人は壁に激突しめり込んでしまう。あばら骨がへし折れ、口から血を吐きながらクレイヴンは呟く。


「つ、つええ……。これが魔神の力か……。へっ、リオの奴、あんとき手加減してくれてたってことか」


 晩餐会での出来事を思い出しながら、クレイヴンは己を鼓舞するためわざと軽口を叩く。しかし、武器を失い重傷を負った彼にもはや戦うすべはなかった。


「クヒャヒャ、まずは一人脱落ゥ~。さァて、さっさとトドメを……チッ!」


「ありゃ、バレちゃった。勘がいいね、やんなるよ」


 クレイヴンにトドメを刺そうとしていたバルバッシュは、何かに気付き身体を反らせる。鋭く透明なガラスで作られた手裏剣が首筋スレスレを飛んでいったのだ。


「……いいぜ。てめえはさっきからチョロチョロうざったくてしょうがなかったんだ。先に殺してやる」


「やってみなよ。拙者の忍法で返り討ちにしてあげるから! ゴブリン忍法『縮地の術』!」


 クイナが叫んだ瞬間、姿が一瞬にしてかき消える。バルバッシュが身構えるよりも早く、神速の一撃が顎を捉えた。クイナは目にも止まらぬ速度で連撃を叩き込む。


(チッ、面倒なことしやがる。リキッドボディは一度使うとしばらくは使えねェ。面倒だが……少しだけ付き合ってやるか。冥土の土産に、少しくらい花を持たせてやるよ)


 縮地の術を駆使した掌底の嵐を受けながら、バルバッシュはそんなことを考えていた。どれだけ攻撃を受けようとも、すぐに魔神の再生能力で傷が癒える。


 再生能力を上回る速度で攻撃を繰り出せない以上、クイナに勝ちの目はなかった。――彼女が一人で戦っているならば、の話ではあるが。


「わたくしのこと、お忘れではなくて? クイナさんにばかり目を向けていると、痛い目に合いますわよ!」


「チッ……グッ!」


 バルバッシュへの攻撃にエリザベートも加わり、二対一へと戦局が移り変わる。クイナが攻撃を放って離脱し、方向転換している隙にエリザベートが攻める。


 エリザベートが下がっている間に、クイナが掌底を叩き込む。この連携の前にはさしものバルバッシュもたまらず、少しずつ切り傷が増えていく。


 再生能力を、二人の攻撃速度が上回り始めたのだ。


「いいよいいよエリ嬢! 少しずつ切り傷が出来てきた! このままいけば勝てる!」


「ええ! クレイヴンさんの分まで、たたか……」


「面白いことをしているな。どれ、私も混ぜてもらおうか」


 このままいけば勝てる。見出だされた希望は、絶望に塗り替えられた。魔王軍最高幹部、『死騎鎧魔』ガルトロスが戦いの舞台に現れたのだ。


「う、嘘……うあっ!」


「隙アリだぜェ、ゴブリン忍者ァ!」


「クイナさん!」


 予想もしていなかったガルトロスの登場に驚き、攻撃の手が止まったクイナはバルバッシュの裏拳を食らい、壁に叩き付けられ気絶してしまう。


 形勢逆転し、今度はエリザベートがバルバッシュとガルトロスを相手に二対一の状況に持ち込まれてしまった。強大な敵を前に、身がすくみ動けなくなる。


 エリザベートにとって、相手は無力な雛鳥を狙う大鷲に匹敵する存在だった。


「さて、残る愚か者はお前たちだけだ。すでに他の反逆者どもは始末した。覚悟してもら……いや、いいことを思い付いた」


「あァ? なんだったんだよ、藪から棒に」


「小娘。そこに転がっている二人をこちらに渡せ。そうすれば、貴様『だけ』は生かして帰してやる」


「え……」


 ガルトロスはエリザベートに悪魔の取り引きをもちかけた。クイナとクレイヴンを見殺しにし、無様に逃げ帰れ。兜の向こうから覗くガルトロスの目が、そう語っていた。


「貴様のことは知っているぞ。エリザベート・バンコ、かの四大貴族の一角にして跡取り候補。そうだろう? まだこんなところで死ねないはずだ。故に、慈悲をくれてやろうというのだ」


「……クヒャヒャ、いい提案じゃねェか。いいぜ、決着つくまで見守ってやるよ」


 二人に見つめられるなか、エリザベートは下を向き沈黙する。二人を見殺しにすることは出来ない。かといって、自分がバルバッシュたちに勝てるとは思えなかった。


(わたくしは……わたくしは、どうしたら……こんな時、師匠が……リオさんがいてくれたら……)


 エリザベートは心の中でそう呟く。それと同時に、想像する。もし、リオが自分の立場ならどうするであろうか、と。


(……そうですわ。師匠なら……こんな状況でも、絶対に諦めませんわね。最後まで……全身全霊で、相手に立ち向かう。なら、わたくしだって!)


 覚悟を決め、エリザベートはキッと前を向く。レイピアを構え、ガルトロスとバルバッシュに凛とした声で宣戦を布告する。


「わたくしは仲間を見殺しになどしませんわ! 例え敵わずとも……最後まで戦士として……バンコ家の一員として……そして、リオさんの弟子として! 戦い抜いてみせます!」


「そうか。ならばお前から殺してやる。バルバッシュ、見ていろ。素晴らしい殺戮ショーの始まりだ」


 そう口にし、ガルトロスはエリザベートに突撃する。二人はぶつかり合い、激しい戦いが始まる。レイピアによる斬撃や刺突が繰り出され、ガルトロスを押し返す。


「はっ! てやっ! はあーっ!」


「フン、なかなかの動きだが……私には勝てん。人を捨て、魔族へと変わった私にはな! アーマーパージ!」


「くっ……このっ!」


 ガルトロスは四肢を切り離し、遠隔操作しながらエリザベートをなぶり始める。レイピアを奪って真っ二つにへし折り、抵抗するすべを奪う。


 そして、両腕で拘束し、足で執拗に蹴りを叩き込む。ひたすらに、彼女の顔に向かって。


「私の抵抗を飲まなかったのだ、相応の制裁をさせてもらう! そのツラを醜く歪めてくれるわ!」


「ぐ、う……あぐっ! ま、まだ……諦めません! 絶対に!」


 そう叫び、エリザベートはなんと自力で拘束から抜け出してみせた。ガルトロスに肉薄し、拳を何度も何度も鎧に叩き込む。しかし、頑丈な鎧には傷を付けることが出来なかった。


「はあ、はあ……」


「……これは驚いた。まさかここまで戦えるとは。だが、すべてムダだ。ここで死ぬがいい!」


 ガルトロスは手足を呼び戻し、エリザベートを蹴り飛ばした。倒れた彼女へ向かって、腕を変形させた剣を振り下ろす。


(ここまで、ですか……。師匠、不甲斐ないわたくしをお許しください……。おじ様、エルザ……さようなら……)


 死を覚悟し、エリザベートは目を瞑る。が、何も起こらない。恐る恐る目を開けると、目の前に――リオが立ち、剣を受け止めていた。


「し、しょう……?」


「ごめんね、エッちゃん。遅れちゃって。でも、もう大丈夫。ここからは……僕が戦うから」


 リオの瞳には、闘志の炎がたぎっていた。

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