36話―斧の魔神ダンスレイル
「う……。あれ? ここ、どこだろ?」
目を覚ましたリオは、冷たい大理石の床の上に寝ていたことに気付き身体を起こす。すぐ近くにあるテラスに向かい外を眺めると、自分が高い山の上に建てられた神殿の中にいることに気が付いた。
「うう、風が冷たい……お姉ちゃんたち、どこ行っちゃったの……?」
吹き込んでくる風の冷たさに身を震わせながら、リオは神殿の奥へ向かって進む。寒さから逃れようと歩を進めていくと、見覚えのある扉が目の前に現れた。
かつてアイージャと出会った時に見つけた、創世神の結界が施された古びた扉。それを見たリオは理解する。ここは魔神が封じられた神殿なのだと。
「ここって……。じゃあ、こうしたら……」
かつてのように、リオは扉に施された結界に触れる。結界はリオの魔力に反応して明滅を何度か繰り返した後、粉々に砕け散り消滅してしまった。
扉がゆっくりと開いていき、リオの前に道が開ける。扉の向こう側は漆黒の闇に包まれており、その先を見ることはリオにすら出来ない。
「……どうしたんだい? 入っておいでよ。そこは寒いだろう? こっちにきて一緒に暖まろうじゃないか」
「……!」
闇の中から響いてきた声に、リオは聞き覚えがあった。かつて屋敷に分身を送ってきた斧の魔神、ダンスレイルの声だ。リオが返事をしようとした直後、羽ばたく音が近付いてくる。
バサッ、バサッという音と共に、闇の中にぼんやりと人の輪郭が現れる。フクロウと人間を混ぜたような姿をした女――斧の魔神ダンスレイルが、リオの前にやってきたのだ。
かつて幻影として現れた時とは違い、上半身は薄い緑色の羽毛で覆われており、ビキニ型の白い胸当てを身に付けている。鳥のような足を除けば、下半身は人とそう変わらない。
「久しぶりだね、リオ。元気にしてたかい?」
「ダンスレイルさん……ここに封印されてたのはあなた……わぷっ」
「もう、そんな他人行儀な話し方はしてほしくないなぁ。もっとフレンドリーに話しかけてくれていいんだぞ?」
ダンスレイルはリオをぎゅっと抱き締め、ふわふわの羽毛が生えた腹に顔を埋めさせる。突然もふもふに包まれたリオは、全身の力が抜けてしまう。
リオを抱き締める力を強めつつ、胸当てで頭を小突いてしまわないよう気を付けながらダンスレイルは位置を微調整する。背中に生えた翼を広げ、リオを包み込む。
「ふわああ……」
「ふふ、君は本当に可愛いなぁ。アイージャはズルいね、こんな可愛い子を一人占めするなんて」
実際にはカレンもリオを可愛がっているのだが、ダンスレイルの眼中にはないらしい。羽ばたいてもいないのにふよふよと空中に浮かぶ斧の魔神は、慈母のような笑みを浮かべる。
「ほら、もっと甘えていいんだよ? 君を全部、包み込んで……」
そこまで言ったところで、ダンスレイルは顔を上げる。遥か前方にあるテラスへ目を向ける。その直後、何者かが飛び上がり、手すりを飛び越え床に着地した。
現れたのは、アイージャだった。すでにアムドラムの杖の力で作り出した白銀の鎧を身に付けており、敵意を剥き出しにしてダンスレイルを睨み付ける。
「やはり、姉上だったか……! リオは返してもらうぞ、姉上!」
「なんだ、誰かと思えばアイージャか。思ったより早く着いたなぁ、もう少しかかると思ってたが」
侵入者の正体を知り、ダンスレイルはおちょくるような口調で声をかける。アイージャは頭に血が昇っているらしく、耳を逆立てながら食ってかかる。
「うるさいわ! ここまで来るのにどれだけ苦労したことか……リオよ、妾と共に行こう。麓でカレンも待っているぞ」
「ダぁメ。リオはわ・た・しのモノになるんだ。しばらく二人でイチャイチャさせてもらう。お前ばっかりイチャイチャしてズルいとずっと思ってたんだからな!」
リオを渡すまいと、ダンスレイルは両足も絡めてガッチリと腕に抱いた少年をホールドする。ぷうと頬を膨らませる姉を見て、アイージャは頭痛を覚え顔をしかめた。
「……すっかり忘れておったわ。姉上は独占欲が強かったな……。姉上よ、我らは魔王軍討伐の旅をしている。こんな場所で足を止めているわけにはいかない。リオを返してもらうぞ」
「ふぅん。なら、私も同行しよう。そうすれば、いつでもどこでもリオとイチャイチャ出来るからね」
毅然とした態度でリオを返すよう要求するアイージャに、ダンスレイルはそう答える。彼女の返答を聞いたアイージャは、予想もしていなかった答えにポカーンとしてしまう。
その顔が面白かったらしく、ダンスレイルは宙に浮かんだまま笑い転げる。ひとしきり笑った後、斧の魔神は真面目な顔つきになりアイージャに語りかける。
「無論、それだけが目的ではないさ。可愛い妹と新しい弟のために一肌脱いでやろうと思ってね。風が運んでくれるのさ、良くない噂を……ね」
「……良くない噂、か。ここに来る前、妾も聞いた。この渓谷に住まうゴブリンたちが魔王軍に襲われたと」
二人がそんなことを話していると、小さな寝息が聞こえてくる。ダンスレイルの腕に抱かれたリオは、ぐっすり眠ってしまっていたのだ。
「おやおや、坊やはもうおねむのようだね。ふふ、寝顔も可愛いなぁ」
「ここに連れ去られる前、大量に魔力を消耗したからな。このまま寝かせておいてあげよう。起こすのは気の毒だ」
つい先ほどまで言い合いをしていたとは思えない仲の良さを発揮し、二人はリオを連れて神殿の外へ出る。その時、ふと疑問を抱いたアイージャはダンスレイルに問う。
「そういえば、姉上はこのまま外に出て大丈夫なのか?」
「ふっ、問題ないさ。私はすでに依り代を確保して身体を
アイージャの言葉にそう答えた後、ダンスレイルはリオを抱えたまま音もなくテラスから飛び降りて姿を消した。アイージャも無言で後に続き、麓で待つカレンの本に向かう。
しばらく山を降りた後、アイージャたちはようやくカレンが待つ馬車へ戻ることが出来た。カレンはダンスレイルがリオを抱いているのを見て顔をしかめるも、彼女を歓迎する。
「……ふうん、あんたが仲間に、ねぇ。ま、アタイはいいけどよ……リオを一人占め出来るなんざ思うなよ?」
「フッ、面白い。私は抜け駆けが得意でね。せいぜい、気を付けてくれたまえよ?」
カレンとダンスレイルの間に不穏な空気が広がるなか、リオが目を覚まし大きなあくびをする。目をこすりながら、半分寝ぼけた状態で呟いた。
「ふぁ……。ここ、どこ? もうハールネイスに着いたの?」
「おや、起こしてしまったか。済まないね、リオ。お詫びに、私がハールネイスに連れて行ってあげよう」
うとうとしているリオの頭を優しく撫でた後、ダンスレイルは名残惜しそうにアイージャにリオを預ける。そして、魔力を束ね己の身体を変化させていく。
彼女の変化を見て怯える馬をカレンが宥めている間、斧の魔神は姿を変える。八メートルはある巨大なフクロウへと変身したダンスレイルは、翼を広げ羽ばたき始める。
「都の位置はだいたい分かる。封印されている間にあちこち分身を送っていたからね。馬車ごと持ち上げて、目的地まで連れて行ってあげるよ」
「……すげえもんだな。やっぱ魔神ってのはぶっ飛んでやがるぜ」
ダンスレイルを見上げながら、カレンはそう呟く。一方、リオは完全に目を覚ましたようで、興奮しながらぐるぐるとダンスレイルの回りを走る。
「わあ、凄い! ダンスレイルさん、こんな大きなフクロウになっちゃった! かっこいいー!」
「ふふふ、そうだろう? 私はかっこよくて強いんだ。何せ、魔神の長女だからね!」
リオに誉められて気を良くしたダンスレイルは、両足で馬車を掴み空に浮かび上がる。馬の方はリオが担いで飛ぶことになり、一行は空路でケルケーナ渓谷を進む。
あっという間に渓谷を抜け、リオたちは南にある森の都ハールネイスを目指し空を往く。その様子を、ミニードアイバットを通してキルデガルドの配下の一人が見ていた。
「……やはりお母様の懸念が現実のものになったか。ふふふふふ、魔神たちよ、ハールネイスに来るがいい。わたしがたっぷりと……可愛がってあげようじゃないか」
王国のどこかにある寂れた墓地で、身体じゅうに縫い跡がある一人の女が不気味に微笑みながら水晶玉を覗いていた。新たな仲間を得たリオに、刺客の魔の手が伸びる。
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