34話―ケルケーナ渓谷へ

 どうにかユグラシャード王国への入国手続きを終えたリオたちは、また騒ぎが起きてしまわないよう、翌日の朝早くにメルメラを出発する。


 関所を抜けたリオたちを、深い緑に染まった森が出迎える。豊かな自然に心を躍らせながら道を進み、一行は分岐点へと差し掛かった。


「ふむ、ようやく分かれ道に着いたか。リオよ、やはり南東のルートに……」


「ダメだよ、ねえ様。メルメラで会ったおじさんが言ってたでしょ? ユグラシャードは今大変だって。少しでも早くハールネイスに行かなくちゃ」


 リオの説得もあり、ユグラシャードの首都、森の都ハールネイスを目指し分かれ道を南へ進む。道を進むにつれ、木々が姿を消し殺風景な岩場に変わっていく。


 南北に長く伸びる、ケルケーナ渓谷と呼ばれる地へと踏み入ったのだ。これまで通ってきた街道とは違い、舗装されていない砂利道の上を彼らは進む。


「はあ……結局、この道へ来てしまったか。何事もなければいいのだがな……」


 リオと並んで御者席に座っていたアイージャは、ため息をつきながら地図を眺める。彼らがいるのは、ケルケーナ渓谷の北端、怪鳥の群れが生息するエリアだ。


 頭上からの襲撃を警戒し、リオは屋根の上に登る。馬を傷つけられては、今後の旅に支障をきたしてしまう。それを防ぐため、自ら馬車の守りを買って出た。


「リオー、もしヤバそうだったらアタイも呼べよ。助太刀してやっからな」


「ありがとう、お姉ちゃん。……あっ、早速来た!」


 馬車の窓から顔を覗かせたカレンと話していたリオは、匂いで敵の接近を感知する。巨大な鳥、イービルコンドルの群れがけたたましい鳴き声と共に頭上に現れたのだ。


 イービルコンドルの群れは馬を狙い、鋭い足の爪を広げ何羽かで同時に急降下攻撃を仕掛ける。リオは飛刃の盾を呼び出し、上空へ向かって勢いよく投げつけた。


「えいっ! お馬さんには指一本触らせないよ! シールドブーメラン!」


「ギャギュギャア!」


 リオは『引き寄せ』を発動してイービルコンドルたちの敵意を自分に向けさせた後、盾をバウンドさせて一気に数羽を撃ち落とす。攻撃を受けた怪鳥たちは、馬車の近くに落ちる。


 それを見た残りの怪鳥たちは、能力の解除されると共に一目散に逃げていった。低級な魔物ではあるが、相手と自分の実力の差を理解する知能はあるらしい。


「よくやってくれたな、リオ。おかげで鳥肉が大量に手に入った。……よし。今夜は鳥肉パーティーと洒落込むとしようか」


「わーい! 僕鳥肉大好き!」


 アイージャは馬車を止め、しっぽを伸ばして周囲に落ちたイービルコンドルの死体を回収する。リオも見よう見まねでしっぽを伸ばし、馬車の屋根に死体を積む。


「器用なことしてんな……。アタイもしっぽが欲しいぜ」


 その様子を見て、窓から顔を出したカレンがボソッと呟く。自分の腰の辺りを撫でつつ、後でリオのしっぽをモフモフしようと画策していた。


 そんな一行の様子を、遥か上空から見下ろす者がいた。魔王軍最高幹部、キルデガルドの手により改造された一体のミニードアイバットである。


「フン、呑気なものじゃな。ユグラシャードの南部の大半は、すでにわしの手中に墜ちたというのに」


 魔界のどこかにある研究所の中で、黄色いローブを着た幼女――キルデガルドは水晶玉を覗き込みながら呟きを漏らす。キルデガルドの背後には、四人の女がいた。


 女たちは全員がおぞましさを感じるほど透き通った白い肌をしており、わずかに死臭を漂わせながら屹立していた。キルデガルドは振り返り、彼女たちに声をかける。


「さて、仕事じゃ。死に彩られた娘たちデス・ドーターズよ。わしの研究が完成するまでの間、奴らを引き付けるのじゃ。王国を荒らし、魔神どもの目をここへ向けさせるな」


「承知しました、マイマザー」


 女たちの中で最も背の高い人物が短く答えると、四人は溶けるように消えていった。一人残ったキルデガルドは、水晶を懐にしまい研究所の奥へ歩き出す。


「さて、わしもはよう研究を完成させねば。クッククク、今に見ておれ、魔神よ。究極の兵器を造り出してくれるわ」


 心底楽しそうに笑いながら、杖を突き突き廊下を進む。キルデガルドの瞳には、言い知れぬ狂気が宿っていた。



◇――――――――――――――――――◇



 キルデガルドとその配下たちの陰謀など露知らず、渓谷を進んでいたリオたちは夜を迎えた。居心地の良さそうな場所に馬車を停め、野宿の準備を行う。


 リオはポーチの中から、あらかじめ収納しておいた薪の束を取り出し地面に並べる。アイージャが魔法で焚き火を起こしている間、カレンは怪鳥の死体の血抜きをする。


「うむ。火もいい具合に起きたな。カレンよ、そっちはどうだ?」


「おう、こっちも血抜きが終わったぜ。後は羽根をむしって内臓を取ったら焼いて食えるぞ」


 二人が夕食の準備をしている間、リオは馬の世話をする。しっぽをブラシに巻き付けてブラッシングしながら、馬の目の前に大量の干し草を並べる。


「お馬さん、ご飯だよー。いつも馬車を引いてくれてありがとうね」


「ヒヒーン」


 馬は気持ち良さそうに一声鳴いた後、もしゃもしゃと干し草を食べ始めた。その様子を見て、カレンは呟きを漏らす。


「リオの奴、随分懐かれてんなぁ。アタイが近寄ったら歯ぁ剥き出しにして威嚇するのに、あの馬」


「ふふ、獣人は動物に懐かれやすいが……リオは特にそうらしい。同じ獣人として誇らしいものだ」


 楽しそうに馬と戯れるリオを見ながら、カレンは羨ましそうに、アイージャは誇らしげにしていた。そうこうしている間に夕食の準備が整い、リオたちも食事を摂る。


 こんがり焼けた骨付きの鳥肉をかじり、カレンは幸せそうに頬を緩ませる。たっぷり脂の乗った肉の旨味に、リオも美味しそうに顔を緩めるが……。


「あちっ! うー、舌を火傷しちゃうよぉ」


 魔神になってから、すっかり猫舌になってしまったリオは涙目になりながら舌を外気に晒す。そんなリオに胸をきゅんとさせながら、アイージャは彼を手招きする。


「ほれ、こっちに来るがよい。妾がふーふーして肉を冷ましてやろう。それ、ふー、ふー」


「ありがとう、ねえ様」


 骨付き肉を受け取り、リオはふにゃりと柔らかな笑みを浮かべお礼を言う。そんなリオの可愛らしさに我慢出来ず、アイージャは抱き着き頬擦りをする。


「んー、やはりリオは可愛いな。何が可愛いって、この笑顔が何よりも可愛い!」


「あっ、ずりぃぞてめぇ! 一人だけ楽しんでんじゃねえぞ!」


「わわわっ、焚き火、焚き火が!」


 その様子を見てカレンも参戦し、リオに飛び付く。二人に挟まれ、リオはジタバタもがいていた。



◇――――――――――――――――――◇



「さー、ハールネイス目指してどんどんすすもー!」


 翌朝、リオたちは片付けを済ませ出発した。怪鳥たちが生息するエリアを無事に通り抜けた彼らは、ケルケーナ渓谷を縄張りにするゴブリンたちが住むエリアへ入る。


 次のエリアに入ってから少しして、リオたちを四方八方から刺すような視線が襲う。視線の主は一人ではなく、複数人……少なくとも、十人以上はいた。


「そこの馬車、止まれ」


 御者席に座っているカレンの耳に、女の声が届く。彼女の目の前に、一人のゴブリンが姿を現した。緑色の肌をした大柄なゴブリンの女は、頭に派手な羽根飾りを身に付けている。


「お前たち、何者だ? ここは我らの谷だ。通りたければ供物を寄越せ」


「分かった分かった。ちゃんと用意してあっから待ってろ」


 続々とゴブリンの女たちが集まってくるのを見ながら、カレンは馬車の中にいるアイージャに合図を出す。二人は事前にケルケーナ渓谷に住むゴブリンたちについて調べていた。


 彼女たちはこの渓谷を通る者たちの前に現れては『通行料』を貰い、外部の物資を得ることで生活している。故に、ちゃんと通行料を払えば先へ通してくれるのだ。


「ケルケーナに住まう者たちよ、通行料を支払おう。陶器の食器だ、これで足りるか?」


 大きな袋を持ったアイージャが馬車の中から現れ、ゴブリンたちに問いかける。袋の中には綺麗な装飾が施された食器がいくつか納められていた。


 ゴブリンたちのリーダーらしき羽根飾りの女が進み出て、袋の中を確認する。中の食器に満足したらしく、部下たちに合図して袋を受け取らせた。


「満足してくれて何よりだ。では、妾たちはこれで……」


「待て。供物は満足した。だが、まだ足らぬ。我らは魔王軍の侵略で男を大勢失った。だから……中にいる者も、ついでに寄越せ」


 そう言うと、ゴブリンの女は隠し持っていた短槍を構える。アイージャ、カレンとゴブリンたちの間に、緊張が広がっていった。

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