129話―審判異神ビウグ

「ヒッヒ、吠えおるのう小僧! ならばやってみるがよい!」


「ああ、やるぜ? 見せてやるよ、槍神の力をな!」


 暗闇の中、ダンテとビウグの死闘が始まった。剣と槍がぶつかり合い、金属音がこだまする。月明かりすらない常闇をものともせず、ダンテは槍を突き出す。


 対するビウグは的確にダンテの繰り出す攻撃を避け、反らし、弾き返す。老人とは思えない軽やかかつ俊敏な動きは、異神故に為せるものであろう。


「チッ、ちょこまかしやがって。んじゃ、こいつはどうだ? 疾風一文字突き!」


「ヒッヒ、早いのう! だが、それだけじゃな」


 神速の突きが繰り出されるも、ビウグは海老反りになって槍を避けた。それを見たダンテは素早く槍を振り下ろし、打撃によるダメージを与えようとする。


 が、それすらも見越していたビウグは身体を倒し、地面を転がって逃げてしまった。厄介なことに起き上がりつつ剣を振り、真空波を飛ばして追撃を許さない。


 熟練の挙動を前に、ダンテはやりにくさを感じ小さく舌打ちする。神の技巧は伊達ではないようだ。


「チッ、面倒なこった。こっちの付け入る隙がまるでねえ」


『ダンテよ、ここは私に任せろ。我が灰色の旋風かぜで奴の動きを止めてやる』


 巧みに攻撃を避けるビウグに手を焼くダンテに、グリオニールがそう声をかける。自分より遥かに場数を踏んでいる手練れを相手に、一人では荷が重いと感じダンテは頷く。


「……だな。ここは任せる。オレがあのジジイにドデカイ一発ブチ込めるように、アシスト頼むぞ!」


『任せておけ。私の力……見せてやろう。お前に約束されし勝利の美酒を味わわせてやる』


「頼むぜ。相棒」


 グリオニールの魂が封じられているネックレスをダンテが手に入れてからの一ヶ月、二人は多くの修羅場を潜り抜けてきた。その中で培われたコンビネーションが、今牙を剥く。


「ヒッヒ、何をするつもりかね? ま、何をしようが……所詮は人の子。異神たるわしには勝てん」


「ああ、そうだな。オレ一人なら、の話だがよ。爺さん……あんまり舐めてると……死ぬぜ?」


 嘲笑するビウグの方を向き、ダンテはテンガロンハットを目深に被る。ネックレスから灰色の光が放たれた次の瞬間……風が渦を巻きビウグの足を封じる。そして、漆黒の槍が異神の心臓を貫いていた。


 あまりの早業に、老神は指一つ動かすことも出来なかった。口から紫色の血を吐きつつ、ビウグは槍を掴み己の身体を回転させダンテを吹き飛ばす。


「チィッ! 舐めた真似を!」


「うぉっ!? てめえ、ずりぃぞ! 普通は心臓貫かれたら死ぬのが道義ってモンだろーが!」


 地面を転がされ、ダンテは立ち上がりつつ叫ぶ。手応えからして確実に心臓を貫いたのに、ビウグは息絶えるどころかますます元気になっているのだ。


 身体を貫く槍を引き抜き、ビウグは真っ二つにへし折る。槍の残骸を投げ捨て、口元を流れる血を拭いながら笑う。その姿は、邪悪な鬼のうであった。


「ヒッヒヒヒ! 何を寝惚けたことを! わしは神! 心の臓を貫かれたとてそう簡単には絶命せぬわ!」


「へー、そうかよ。なら、アタイが消し炭にしてやるぜ!」


 その時だった。バチバチと電撃が弾ける音と共に、猛々しい叫びが大地に響き渡る。ビウグが振り返ったその瞬間――彼の脳天に黄金色の雷が落とされた。


「ぐお、があっ!」


「お前……カレン! どうしてここに!」


 現れたのは、腰から蛇の尾を生やし戦闘体勢に入ったカレンであった。額には小さな目玉がついたハチマキを身に付けており、暗闇での視界を確保しているようだ。


「へっ、起きてみりゃリオがぐったりしててよ。何があったか聞いて追っかけてきたんだ。あのファティマって奴から目ン玉借りてきたから楽だったぜ」


「お、おお……。そりゃ助かった」


 キュイキュイ動くハチマキの目玉に若干引きつつも、ダンテは窮地を救ってくれたカレンに礼を述べる。再び槍を作り出していたその時、怒気に満ちたビウグの声が響く。


「貴様ら……わしを怒らせたな……。そうまでして死にたいとは見上げた性根よ。よかろう。審判神としての権能の片鱗を見せてくれる」


 黒焦げになった身体を再生させつつ、ビウグはゆらりゆらりと揺れながら立ち上がる。その気迫にカレンとダンテは一瞬身がすくむも、すぐに気を取り直す。


 それぞれの武器を構え、ビウグの攻撃に備える。が、ビウグは二人に攻撃することなか両手を頭上に掲げた。そして、息を吸い込み叫びをあげる。


「出でよ! 審判の天秤よ!」


「うおっ、なんだ!? 地面が揺れて……」


 大地が揺れ、地中から何かが姿を現す。ダンテたちの前に現れたのは、錆び付きところどころが欠けた巨大な天秤だった。ビウグは二つある皿のうち、片方に剣の鞘を乗せる。


 すると、鞘が乗せられた皿が傾き落ちていく。その様子を見ていたカレンたちに視線を移し、かの老神はクイクイと指を怪しげに動かす。


「さあ、お前たちも乗せるがいい。魂の潔白を示すための所持品をな!」


「あっ! アタイの籠手が!」


「オレの帽子!」


 何かに引っ張られるかのように、カレンが左腕に身に付けていた籠手とダンテのテンガロンハットが飛んでいく。もう片方の皿の上に乗ると、天秤は均衡を取り戻す。


 ビウグは天秤の上に飛び乗り、厳かな声で口上を述べる。ダンテたちは声の持つ力に縛られ、絶好のチャンスであるにも関わらず身体を動かすことが出来ない。


「これより審判の戦いを開始する。天秤に魂の潔白を預けし者、己に肉体による格闘以外の攻撃を全て禁ずる。破りし者には天秤の裁きが下るであろう」


 口上が終わった後、ビウグは剣を天秤に突き刺し地上経降りる。コキコキと首の骨を鳴らしつつ、独特の構えを取り笑みを浮かべた。


「さあ、これでわしらは互いに徒手空拳でしか戦えぬ。かかって来るがよい。わしの力を見せてやろう」


「へっ、そんなん知るかよ。じいさんだけでやって……うぎゃあああ!」


 ビウグの言葉を無視して金棒を振るおうとした直後、カレンたちの持ち物が乗っている皿が僅かに下がる。それと同時にカレンとダンテの身体に激痛が走り、動きが止まってしまう。


「つう……マジかよ。こんなのアリか……」


「ヒッヒ、言うたであろう。わしもルールを破れば裁きを受ける。お前たちと条件は同じじゃ。さあ、存分に試合うとしようかの」


 心底愉快そうに笑いながら、ビウグはカレンたちを挑発する。二人は黙って武器を捨て、ポキポキと拳を鳴らす。今の激痛が相当頭にきたようだ。


 殺意のこもった視線をビウグに向け、カレンとダンテは拳を握る。互いに目配せし、ゆっくりと老神の間合いへ足を踏み入れていく。


「はっ、上等だぜ。さっきのお返し、たっぷりとさせてもらうからな。往生しろやジジイ!」


「オレたちの怒りを思い切らせてやる! 覚悟しろ!」


 二人は一斉に走り出し、ビウグに向かって拳を振るう。怒涛の連続攻撃を前に、老練の神はただ微笑みを浮かべていた。ゆらりと柳のように身体をしならせ、衝撃を受け流す。


「ヒッヒ。これぞ我が妙技……受け流し。凄いもんじゃろ?」


「チッ! 攻撃が当たりゃしねえ!」


 ぬるりと拳を避けるビウグに、二人は苦戦を強いられる。ただでさえ慣れない徒手空拳での戦いをせねばならない上、独特の回避法を披露するビウグに翻弄されているのだ。


 二人が手こずっている間に、ビウグはカレンを足払いで転ばせてダンテとの間に壁を作る。攻撃を躊躇するダンテの喉に向かって掌底を叩き込み、さらにカレンを蹴り飛ばす。


「うぐっ!」


「カハッ……」


「ヒッヒヒヒ! 徒手空拳ではわしに分があるのう。ほれ、どうした? もう降参かの?」


 ゆらゆらと身体を揺らしながら、ビウグは二人を挑発する。凄まじい威力の蹴りをまともに食らったカレンは、アバラが折れ動けなくなってしまう。


 そんな中、ダンテはネックレスを握り締め、ニヤリと笑みを浮かべた。


「……へっ。いいぜ。お前が切り札出したんなら……オレも出すぜ。グリオニール! 獣の時間だ! やるぞ!」


『ふっ、いいだろう。ちょうど今宵は新月……神聖なる闇の夜。我が力が最も強く発揮される夜だ……!』


 グリオニールはそう口にすると、己の魔力をダンテに注ぎ込む。風が吹き荒れ、壁となってビウグを阻む。突風の揺りかごの中で、今――灰色の魔狼が生まれようとしていた。

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