65話―牙と鎧の謀略

 同時刻、魔王グランザームの城では牙の魔神バルバッシュが食事をしていた。皿の上に山のように盛られた、まだ温かい血が滴る生肉を手掴みで平らげていく。


 バルバッシュは狂ったように生肉を口に詰め込み、生き血を飲み干す。その姿を見て、給仕係に任命された魔族のメイドたちは部屋の隅で抱き合い震えていた。


 ――牙の魔神が食らっている肉は、彼女たちの同僚だったモノだからだ。恐怖で震えるメイドたちを異に介さず、バルバッシュは満足そうにゲップをする。


「ふう、食った食った。いやァ、地上の連中を食うのもいいが、魔族を食うのも味なもんだ。……おめぇもそう思うだろォ? ガルトロスさんよォ」


「……私は無遠慮しておきましょう。ヒトの形をものを食らう趣味はありませんのでね」


 部屋の中に入ってきた、純白の鎧兜に身を包んだ男――『死騎鎧魔』ガルトロスはバルバッシュの言葉に首を横に振る。メイドたちに外に出ているよう声をかけ、部屋の中を見渡す。


 そこかしこに出来た血溜まりを見ながら、掃除係の者たちのことを思い気の毒そうにため息をつく。そんなガルトロスなど異に介さず、バルバッシュは大口を開け生肉にかぶりつく。


 肉を咀嚼しつつ、魔神は復活してから抱いていた不満をガルトロスにぶちまける。


「フン、まあいいや。で? 俺ァいつまでここで飯を食ってればいいんだ? さっさと地上に行かせろよ。流石に飽きてきたぜ」


「……そう簡単にはいきませんよ。ですが、このまま手をこまねいているわけにいかないのも事実」


 アーティメル帝国とユグラシャード王国での敗北により、魔王軍はそれまで有利に進めていた地上侵略の手を緩めざるを得ない状態になってしまっていた。


 空席となった二つの幹部の椅子も埋まっておらず、軍団の再編等の作業に人員を割かねばならない状態が続いているのだ。そのせいで、地上侵略も進まないのである。


「ケッ! グダグダ言いやがってよォ。いいぜ、ならこの俺が決めてやる。どの国を攻めて滅ぼすのかをなァ。俺が暴れりゃあ兄妹も姿を見せるだろ」


 バルバッシュはタオルで手と口を拭いた後、ガルトロスの懐からはみ出ていた地上世界の地図をひったくり広げる。しばらく地図を眺めた後、とある国を指差した。


 エルヴェリア大陸の南、海原に浮かぶ四つの島からなる国、ロモロノス王国に狙いを付けたバルバッシュはニヤリと笑う。地図を覗きながら、ガルトロスは声をかける。


「……バルバッシュよ。ロモロノスは広大な海に囲まれた天然の要塞国家。攻めるのには不適切だと思いのですが」


「ハッ、てめえは俺のことを何も分かってねえなァ。俺ァ牙の魔神でもあり、サメの化身でもあるんだぜ? 海はむしろ俺の城よォ。兄妹どもを血祭りにあげるのには格好の舞台だ」


 そう言いながら、バルバッシュは口角をつり上げる。三日月のうに湾曲する口の中から覗く刃物のような鋭い牙に、ガルトロスは冷や汗を流す。


「……まあいいでしょう。グランザーム様にかけ合ってきます」


「頼んだぜぇ。それと、俺と話す時はその口調を止めろ。ムズ痒くって仕方ねェ」


 部屋を出ようとするガルトロスにそう声をかけた後、バルバッシュは食事を再開する。ガタガタと皿が揺れる音を背に、ガルトロスは部屋を出ていった。



◇――――――――――――――――――◇



「よお、ガルトロス。話し合いは終わったのかあ?」


「……グレイガか。何故お前がここに?」


 謁見の間へ向かう途中、ガルトロスは声をかけられる。廊下の向こうから、グレイガが現れたのだ。グレイガはニヤニヤ笑いながら、ガルトロスに顔を近付ける。


「ククッ、魔王様直々に休養を命じられたのさ。どっかの役立たずどもとは違って、な」


「……あまりそう言うな。ザシュロームもキルデガルドも全力を尽くしたのだから」


 リオとの戦いに敗れ戦死した元同僚を庇うガルトロスを見て、グレイガは露骨に嫌そうな顔をする。ドスの利いた声を出しながら肩を掴む。


「てめえに何が分かる? 人間の分際で調子に乗るなよ。お前がしくじったら、俺が始末しに行くからな。覚悟しておくんだな」


 一方的にそう伝えると、グレイガはガルトロスを突き飛ばし去っていった。一人残ったガルトロスは、同僚が残した言葉を頭の中で反芻する。


 ――人間。魔族たちの中にあって、ただ一人の異質な存在。本来ならば幹部どころか兵として取り立てられることもない、魔族たちの大敵。


「……フッ。しくじることなどないさ。私は盾の魔神に負けることはない。何故なら……私は奴の兄だからな」


 そう呟き、ガルトロスは廊下を進む。謁見の間に入り、魔王グランザームにロモロノス王国の侵略作戦の指揮を執りたい旨を伝える。


「ほう。ロモロノスか。よかろう。あの国は地上世界の通商の要とも言える国。攻め滅ぼせれば大打撃を与えられるからな」


「……ありがたきお言葉。それでは、早速配下たちに準備を……」


「その前に、だ。牙の魔神を先行させよ。魔神が必ずしも味方ではないと……地上の者たちに思い知らせてやれ。ひいては、それが盾の魔神の権威の失墜にも繋がろう」


「……かしこまりました」


 地上世界の通商破壊と、リオが築き上げてきた魔神への信頼の崩壊……その二つを同時に進行せよという魔王からの命令に、ガルトロスは内心笑う。


 望むところだ。必ずや作戦を成功させ、自分に反感を持つ者たちを黙らせてやる。そんな決意をしつつ、謁見の間を後にしバルバッシュの待つ部屋へ戻る。


 廊下を歩きながら作戦を練っていると、前方から悲鳴が聞こえてきた。悲鳴のする方を見ると、バルバッシュがメイドたちを襲っていた。


「まだ食い足りねェ! もっと食わせろ! 俺の飢えを満たしやがれ!」


「きゃあああ! だ、誰か助けてぇ!」


 助けを求めるメイドの声に、応える者は誰もいなかった。奴隷階級の出であり、いくらでも替えが利く彼女らを助けたところでメリットは何もないからだ。


 ガルトロスはメイドがバルバッシュに丸飲みにされて食われたのを見届けた後、ゆっくりと近付いていく。血溜まりの中を進み、魔神に声をかける。


「バルバッシュよ。グランザーム様から許可が降りた。お前には先行してロモロノス王国へ向かってもらう。大暴れして通商破壊を行うのだ」


「クヒャヒャヒャヒャ! 嬉しいねェ、そんじゃあサクッと一暴れしてくるとしようかァ! 一万年ぶりの地上だ……俺ァもう止まらねえぜ……! 今から楽しみでしょうがねェ!」


 ガルトロスから地図と特別製の転移石テレポストーンを渡されたバルバッシュは、狂ったように笑いながら廊下を走っていく。彼を見送ったガルトロスは、やれやれとかぶりを振る。


「……見せてもらおうか。最も狂暴で凶悪と恐れられた、牙の魔神の実力を」


 そう呟き、廊下を歩いていった。兜の奥で光る瞳に、決意の炎を宿らせながら。



◇――――――――――――――――――◇



「さて、あの二人をどこで遊ばせるか……悩ましいものだな。近頃は観光地が増えて迷ってしまうぞ」


 魔界で起きていることなど露知らず、レンザーはエルザが自室に持ってきた大量の旅行用パンフレットを眺めていた。リオとエリザベートの仲が深まるよう、彼なりに四苦八苦していたのだ。


「うむ、こういう時はやはり海に行くのに限るな! 青い空、白い砂浜、常夏の海……男女のロマンスには打ってつけだ! よし、となればやはりロモロノス王国しかあるまい!」


 一人でそう結論付け、レンザーはパンフレットの山の中から一枚の冊子を取り出す。ロモロノスリゾート案内の文字が記されたソレを手に、ニヤリと笑う。


「フッフッフッ、喜ぶがいいエリザベート! 必ずやお前の恋が実るようにプランを練ってやるからな! さあて、今日は徹夜で作業をするぞ!」


 可愛い姪っ子の初恋を成就させてあげようと、レンザーは気合いを入れて冊子を読み始める。――この時、すでにロモロノス王国にバルバッシュが向かっていることも知らずに。


「ふむふむ、ここは良さそうだ……。いや、ここも捨てがたい。ううむ、これは長い戦いになるぞ」


 言葉とは裏腹に、顔には楽しそうな表情が浮かぶ。眠気覚ましのコーヒーを飲みながら、レンザーは気合いを入れ冊子を読み耽る。全ては、可愛い姪っ子のために。

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