第6話 引っ越し

 喫茶店での話し合いから三日。時間は慌しすぎるほどに経過していた。

 和葉が持ってきた婚姻届にサインをして、それを彼女が市役所に届け出た日に晴れて春道は妻帯者となった。

 相手は事前の話し合いどおり、葉書で親族や友人に報告をしたみたいだが、春道は数少ない友人にはメールで、両親には電話で結婚したことを伝えた。


 事後報告となってしまっただけに、両親は酷く驚いたあとで怒ったが、最終的には春道だからしょうがないで片付いてしまった。

 父親は嫁の顔を見せろとうるさかったが、春道は「そのうちな」と告げただけで煙に巻いた。里帰りしてる暇はなかったし、どう考えても和葉がついてきてくれるわけがない。


 とはいえ、いつまでも息子の嫁が正体不明では両親も困るかもしれないので、後でデジタルカメラで和葉を撮影したのを、プリントアウトして送ってやろうと思っていた。そのぐらいなら和葉も協力してくれるはずだ。


 結婚式等を行ったりもしないので、それほど春道の周辺が騒がしくなったりはしなかった。親しい友人たちと数回メールのやりとりをしたぐらいだ。


 それでもするべきことだけはたくさんあった。様々な書類の変更手続きがもっとも面倒で手間がかかった。


 そして今日、いよいよ引越しの決行となったのである。


 荷物は必要なもの以外は捨てたり、親友にあげたりしたため、春道ひとりでも全然大丈夫な量だった。

 それでも自分の車で運ぶにはキツかったので、軽トラックをレンタルしてきた。中ぐらいの大きさのダンボールで、わずか十個程度だったため、一回で全部を荷台に乗せられた。


 松島家に着くと、不干渉を宣言しながらも手伝ってくれるつもりだったらしく、動きやすそうな服装の和葉が家から出てきた。

 たまたま今日は日曜日だったので、学校が休みの葉月も母親より先に玄関から外に飛び出してきていた。

 春道が和葉と入籍したので、戸籍上は本当の娘になっている。


 まだ童貞だっていうのに、いきなり子持ちになってしまうなんてな。


 まるでドラマのごとき展開に巻き込まれた自分自身に、春道は信じられない気分で苦笑した。


「今日からパパも一緒に住むんだよね」


 軽トラックの運転席から降りたばかりの春道に、人懐っこい笑顔を浮かべた葉月が走り寄ってきた。


「ああ。よろしくな」


 子供と接する機会が極端に少なかっただけに、どういうふうにしたらいいかわからず、普通に友人と話すような口調になってしまう。


「ほら、葉月。パパの邪魔をしたら駄目よ」


 念願の父親が家に来た嬉しさからか、早速まとわりつきだした葉月を、母親である和葉が制した。

 実際その行動は有難かった。あのままでは、娘となった少女の相手をするだけで日が暮れてしまう。


「葉月もパパを手伝うのー」


 子供らしく手足をジタバタさせて、唇を尖らせる。どうやら仲間外れにされるとでも思ってるらしい。


「俺なら大丈夫だ。せっかくの休日なんだから、友達とでも遊んでくるといい」


 時刻は午前十一時まであと少し。丁度子供たちが元気に遊びまわってる頃だ。

 もっとも春道の子供時代とは違い、現代の子供たちは外に出て遊ぶ機会が減ってるようだった。学歴社会において有利に生きさせるために、親たちは競い合うように幼少時代から我が子を塾に通わせる。


 勉強漬けのストレスを解消するために、子供たちが好んで使用するのがゲーム機だ。時代の進歩とともに、ひとりでも充分に遊べる環境がそこかしこにあった。

 ゲームのプログラムの仕事も、たまには請け負う春道からすれば好ましい事態かもしれないが、やはりどことなく寂しさを覚えてしまう。


「ヤだ。今日はパパとずっと一緒にいるの」


 娘となった少女がどういうタイプかは知らないが、とりあえず春道の遊んでこい指令は即座に却下されてしまった。


「葉月、パパを困らせないって、昨日ママと約束したでしょう」


「だってぇ」


 母親にたしなめられ、葉月がシュンとする。多少はかわいそうな気がしないでもないが、和葉とは必要以上にお互いのプライベートに干渉しないと取り決めてある。

 相手のプライベートには娘のことも含まれてると考えて間違いないため、春道がここでとやかく言うべきではない。


 春道が荷物を降ろしてるあいだ、母親が娘の説得を必死に続けていた。向こうとしても、娘が春道にべったりまとわりつくのは避けたいのだろう。

 何せ春道がへそを曲げて結婚生活を止めると言い出せば、これまでの和葉の苦労は水の泡になる。しかも事前に春道は子供の相手が苦手だと告げているのだ。こちらに気を遣って、娘の説得をしてるのは明らかだった。


 やがて渋々ではあるものの、葉月は母親の言葉に頷いた。名残惜しそうにしながらも、遊びに行ってくると告げて、自宅前からどこかへ走り去っていった。


 田舎町だけに、遊ぶスペースはいたる所に存在している。公園の数も都会よりずっと多い。バスケットのゴールやボールも、ほとんどの公園に設置されている。

 昔に比べれば外で遊ぶ子供たちはずっと少なくなっており、宝の持ち腐れだと近所の中年親父が以前に愚痴ってたのを思い出した。


   *


 邪魔者と言えば失礼だが、作業を遅らせる存在がいなくなったので、引越しは順調すぎるほどに進んだ。

 和葉も手伝ってくれて、瞬く間に春道の荷物は二階に運び込まれた。


「食事は冷蔵庫に毎食分入れておきますので、お好きな時間に召し上がってください。もちろん食べなくても結構です」


 基本的に二階だけでも生活できる環境なため、細かい部分は春道に任せられた。


「では、何か用があれば呼んで下さい」


 そう言って、和葉は階段を下りていく。運ぶまでは手伝うが、そこから先はご自由にどうぞと言わんばかりである。


 資料整理とかもあるので、手間はかかるが以降はひとりでやる方が何かと都合がいい。気を遣ってくれたのか、干渉したくなかったのかは不明だが、ひとりになれたのは正直有難かった。


 昔から食事等もひとりのケースが多かったので、各種色々と揃っている二階の生活環境は充分に満足できるレベルだった。これなら松島家の人間とは、必要以上に関わらない生活も可能だ。


 廊下を見渡せば、隅に洗濯物入れと書かれた少し大きめのカゴが置かれていた。恐らくあのスペースを利用して、洗濯物の受け渡しをするつもりなのだ。

 汚れた衣服をカゴに入れておけば、いつかはわからないが和葉が下へ持っていき、自分たちのを洗うついでに春道のもやってくれるのだろう。


 元々洗濯機は所持してなく、もっぱら近くのコインランドリーを使用してた春道には嬉しい限りだった。さすがに下着類は自分で洗おうかとも考えたが、今さら格好つけても仕方ないのでパンツ等も遠慮なく洗濯してもらうことにする。


 そう言えば、友人たちが大人の本を買う時にレジが若い女性だと、購入を躊躇ったりするケースがあるらしいのだが、春道の場合はそういったシチュエーションで憂慮した経験はなかった。


 目的の物が見つかれば相手がどんなタイプであれ、平然とレジまで持っていく。そんな性格だけに大人の本を買っても、友人たちみたいに色々と隠したりはせず、堂々と部屋の本棚に並べていた。


 知り合いは口を揃えて春道を強者と称したが、そんな自覚は何ひとつなかった。強いて言うなら、友人たちみたいに隠し場所について等、悩んだりするのが面倒くさかっただけなのである。

 春道とて羞恥心のひとつやふたつ程度は持っている。それを滅多に表にださないだけだった。


 恥ずかしい感情よりも、パンツを和葉に洗ってもらった方が春道にはメリットが多いと踏んだのだ。


「さて、これからの生活について考えるまえに、まずは荷物を片してしまうか」


 松島家の二階には個室がふたつ存在していたので、ひとつを仕事部屋に。もうひとつを私室兼寝室として使用することに決めた。

 これまで住んでいた、ひと部屋だけの狭いボロアパートと比較すれば、まさに天と地ほどの待遇の差だった。将来の経歴に離婚歴をつける代償とはいえ、ここまで至れり尽くせりでいいのかとも思う。


 和葉からの要望は一緒に住んでほしいというだけで、別に熱心に父親役を演じてくれと頼まれたりもしてない。むしろ関わってほしくなさそうな感じだった。


 娘があまりにも駄々をこねるので、仕方なしに春道と結婚するなんて荒業を考えたに違いない。娘が父親を必要としていても、彼女はまったく必要としてなさそうだったからだ。


 和葉が春道に必要以上に干渉しなくていいと言ったのは、少しでも早く娘に父親への興味をなくしてもらいたいからではないだろうか。父親が同居していても、以前の生活と何ら変わらないと実感すれば、やっぱり父親なんていらないと葉月が思う可能性もある。


 そうすれば即座に父親役の春道は不要になり、再び母娘ふたりきりの平和な生活に戻れる。春道と葉月に仲良くなってほしくない。それが和葉の本音かもしれない。

 人懐っこい娘とは対照的に、母親は人を寄せつけないオーラを常に発してる感じだった。あくまで春道の推測にすぎないが、当たっている自信はある。


 だからと言って、この恵まれた生活を一日でも長く続けるために、和葉のご機嫌を進んでとろうとは思わなかった。

 契約が予定よりずっと早く終わっても、春道自身には何の文句もなかった。我侭を言わなければ、家賃の安いアパートなどいくらでもある。


 最初から本気の結婚ではないだけに、最悪のパターンをすでに複数は想定していた。追い出されたら追い出されたで、短いホテル暮らしが楽しめたと思えばいいだけなのである。


 とにかく新しい環境は、仕事をするにあたっては最適である。この状況が継続されているうちに、ひとつでも多くの仕事を完成させて金を稼ぎたかった。


 ダンボールを開け、持ってきた私物を取り出すが、ほとんどはパソコン関連で占められていた。

 書斎と決めた部屋に、組み立て式のデスクセットを運び、電動ドライバーで形にしていく。多少面倒ではあるものの、組み立て式は簡単に分解と復元ができるので、こういった引越し時には便利である。


 同じく組み立て式の木製の本棚を完成させ、三段式の本棚を横にして床に置き、その上に同じタイプの本棚をさらにふたつ重ねる。


 これで持ってきた書類はあらかた収納するメドがついた。続いて、仕事道具となるデスクトップパソコンを机の上に設置する。ノートパソコンも持ってはいるが、自宅での仕事では主にデスクトップを使う。特に理由はないが、以前からそうしている。


 事前に松島和葉に職種を説明していたので、本来はネット環境がなかった松島家でもつい先日、ネット回線が開通していた。


 ファイルの整頓も終わり、一応仕事ができる状態にはなった。残りの荷物は布団等なので、私室に決めた部屋へ行って布団を敷く。幼少時から寝相が悪い春道は、ベッドだと夜中に床へ落ちてしまうため、常に布団を愛用していた。

 それに仕事時間が不規則なため、いつでも睡眠がとれるように布団は常に敷きっ放しである。


 人並みにテレビを見たりゲームもするので、持ってきたそれらの機器を私室に並べて、春道の引越し作業はほぼ完了した。


 午前中から始めたはずが、すでに外は日が傾きだしていた。

 葉月が二階に上がってくる気配が一切なかったので、まだ外で遊んでるのか、もしくは母親である和葉が制止してるかである。


 昼食もとらずに結構な重労働をこなしたため、先ほどからしつこく腹の虫が鳴いている。和葉に言えばすぐにでも食事を用意してくれるだろうが、春道にはまだやらなければならないことが残っていた。


 軽トラックのキーを片手に階段を下りる。突き当りがすぐ出入口なので、誰かに気づかれたりはしなかった。玄関に並んでる靴を見ると、葉月はもう帰宅しているようだ。


 車に乗り込み、エンジンをかけてからアクセルを踏む。レンタカー屋に、この軽トラックを返しに行かなければならない。


   *

 

 無事に軽トラックの返却を終えたあと、徒歩で旧自宅となったボロアパートへ戻り、駐車場に停めてある自分の車へ近づく。


 自慢の愛車は黒のソアラだった。昔見た漫画でその存在を知り、実物を見た瞬間にひと目で気に入った。

 少ない年収の中で必死にやりくりをして、身分不相応にも購入してしまったのだ。もちろん中古だが、比較的新しい年度のを選んだので、かなり値が張った。


 しかもローンを組んだのはいいが、二年なんて短い期間にしたおかげで、支払いはかなり大変だった。現在ではローンも払い終えているのでその点は大丈夫だが、問題は維持費と燃費の悪さだ。

 もっとも燃費なんぞを気にするようなら、スポーツカーに乗るなと言われるのがオチである。


 松島家では自家用車を所持していなかったので、自宅横の駐車スペースは春道が自由に使っていいと和葉から言われていた。


 通常の車より少しだけうるさいマフラー音を轟かせて新居前に到着する。駐車スペースに車を停めていると、玄関から松島葉月が飛び出してきた。まるで午前中のVTRを見てるかのごとき光景に、春道は思わず苦笑する。


 駐車を終えて運転席から降りると、すぐに娘となった少女が駆け寄ってくる。


「パパ、お帰り。もうすぐ晩御飯だよ」


 朝と変わらない無邪気な笑顔だった。


「いや、悪いけど俺は仕事があるから」


 基本的にずっとひとりで食事してきた春道にとって、他人と一緒に食卓を囲むのは違和感があると同時にプレッシャーでもあった。

 今夜もひとりで食事をしようと思って、途中コンビニへ寄って弁当を買ってきていた。


「……そんなにお仕事、忙しいの?」


 一緒に夕食をとるのを、心から楽しみにしていたのかもしれない。少女の目はみるみるうちに涙ぐみ、口調も不安定になっていく。


 だから子供は苦手なんだよ。


 心の中で呟いた春道が、どうやって葉月をなだめようか考えてると、ベストタイミングで母親の和葉も外へ出てきた。

 娘と春道のあいだに漂う雰囲気から事情を察知したのか、一直線に娘へ近寄って声をかける。


「あまり無理なお願いをしては駄目よ」


 春道に対する時と違い、諭すような口調の中にもどこか優しさが感じられる。


「だって葉月、パパとせっかくお食事ができると思って……」


 すっかり半泣きの葉月の頭を撫で、慣れた様子で和葉は娘を落ち着かせていく。この状況を無視するわけにもいかず、ボーっと春道はその光景を見てるだけだった。


「パパはお仕事が忙しい人なのって、ちゃんとママは葉月に教えておいたでしょう」


「うん……」


 涙を母親に拭いてもらった葉月が、春道の方を向いて「ごめんなさい」と謝ってきた。どうやら一緒に食事をするのは諦めてくれたらしかった。


「お仕事頑張ってね」


「あ、ああ……」


 多少の罪悪感に襲われながらも玄関で靴を脱ぐと、真っ直ぐ春道は二階へ向かった。

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