第408話 先生、委員長じゃなくて座長ではだめですか?

 翌日以降も昼休みに体育館に行けば、西野陽向は1人でボール遊びをしていた。まだ怯えの残る2人をよそに穂月が真っ先に声をかけ、後で朱華が合流する。


 たまには朱華の友人も交えたりで、賑やかな昼休みを過ごせるようになったある日、陽向が唐突に切り出した。


「おまえら、いいんちょうはきめたのか?」


「いいんちょう?」


 首を傾げる穂月に、3年生の朱華が委員長について説明する。


 沙耶はすでにある程度知っていたみたいだが、穂月と悠里は初めて聞いたので揃って「おー」と歓声を上げた。


「まーたんはいいんちょうなの?」


「……まて。なんだいまのまーたんってのは」


 質問した穂月に、陽向が引き攣った笑みを見せる。


「まーたんはまーたんだよ」


 穂月の視線が自分から動かないのを確認し、盛大に陽向が狼狽する。


「ふざけんな。そんなへんななまえでおれをよぶな」


「諦めなさい、まーたん」


 半笑いの朱華に肩を叩かれ、ポニーテールにまとめている茶髪をざわめかせて、ますます陽向が絶望する。


「ほっちゃんにあだなをきめられたらおわりです」


 沙耶に同志を見るような目で見られ、最終的に陽向が肩を落として呻く。


「せめてクラスのれんちゅうのまえではって……むだだよな」


「諦めなさい、まーたん」


「ちくしょう、こうなったらしょうぶだ。おれにかつまでみとめてやらないからな!」



   *


「……ばかな。なんでだ……なんでかてないなんだ……」


 1対1のドッジボール勝負を3回終え、全敗した陽向が蹲るようにして床にブツブツと呟き続ける。


 傍目からは不気味にしか見えない少女の前に立つのは穂月。むんと力こぶを作るポーズで自らの勝利を祝う。


「あれでいて、ほっちゃんは運動が得意なの」


「おれだってとくいだったんだよ!」


 朱華の説明に納得がいかない陽向は、彼女の腕を掴んでガクガクと揺さぶる。


「そんなこと私に言われても」


「ほっちゃんはたいいくでもじょしでいちばんです」


「おとこのこといっしょにはしったりしてもかっちゃうの」


 沙耶と悠里に授業風景を教えられるも、やはり陽向は素直に敗北を認められていなかった。


「まあ、気持ちはわかるわ。私もほっちゃんやのぞちゃんと遊んでばかりいたから、他の子も皆あのくらい動けると思ってたもの」


 体育の授業などで本格的に同年代の運動能力を見て、穂月と希が別格だと知ったと朱華は続けた。


「そういう私も幼稚園の頃から、かけっこで一番ばっかりだったけど」


 ふふんとさりげなく自慢で終わらせた朱華に、素直な悠里が「はわわ、すごいの」と称賛する。


 ますます朱華が調子に乗りかけたところで、床に座って見物していた沙耶が「そういえば」と口を開く。隣では相変わらず体育館までは一緒に来るものの、遊ぼうともしない希がごろりと横になっている。


「いいんちょうのはなしはどうなったんです?」


   *


 自分が委員長にならなくてホッとしたという陽向の話を聞いた昼休みのすぐあとで、ランドセルを机に乗せて帰る準備を終えた穂月たちに担任の柚がその話題を口にした。


「これから本格的に授業も始まっていくけど、その前に委員長を決めたいと思うの。誰かやりたい人はいるかな」


 小学1年生は基本的に学校にいる時間が短い。本来なら午前中で終わりの学校もあるみたいだが、穂月たちのところでは学校生活に慣れてもらう意味も含めて給食と昼休みのあとは、短い5時間目の授業をして下校になる。


 もっとも15分程度の5時間目は授業というよりも、こうした決め事や学校についての説明、さらには児童たちから柚への質疑応答に時間が費やされていた。


 このことを母親に教えたら、昔は違っていたらしく、今は色々あるんだねと父親と一緒に感心していた。


「おー」


 クラスメートが次々と手を挙げるのを見て、穂月もそれに倣う。


「穂月ちゃんも立候補するのね」


「あいだほっ!

 でもいいんちょうじゃないのがいいの」


「え? どういうこと?」


 不思議がる柚につられたのか、クラス内の視線が穂月に集中する。


「ほづきはざちょうになります」


 椅子に立ち上がり、腰に手を当てて堂々と宣言する。胸を反り返した穂月に、少し後ろの席から悠里の「すごいの」という声が聞こえて来た。


「ええと……どういうこと?」


 笑顔こそ崩れていないが、柚が微妙に頬を引き攣らせる。


「ほっちゃん、ざちょうってしってるんですか?」


 沙耶からも疑問の声が上がる。穂月はしっかり頷くと、


「ざちょうはみんなのざちょうだよ」


 と得意満面で教えた。


「……穂月ちゃんはどうしてその座長になりたいと思ったのかな」


「ママのビデオをみたの」


「穂月ちゃんのママ……っていうと葉月ちゃんよね。なんだか嫌な予感がするわ」


 児童たちに聞こえないように小声で零す柚を後目に、瞳をキラキラさせた穂月や夢見る乙女さながらに胸の前で手を組んだ。


「きれいなおようふくきて、みんなたのしそうにおひめさまやおうじさまになったりしてるの。ずっとやってみたかったんだ」


「お姫様に王子様……? それに座長ってことは見たのは演劇のビデオかしら」


 どことなく微妙な表情なのは、葉月たちの演劇に柚も出演しているからだろう。


「ママにほづきもやりたいっていったら、じゃあゆめはざちょうさんだねって」


「なるほど……それで座長になりたがったのね」


 葉月の言い分にうんうんと頷いて見せてから、柚は「でもね」と繋げる。


「今は委員長しか決められないの。だから座長にはなれないのよ」


「どうして?」


「座長というのは学校じゃなくて、劇団に行かないとなれないのよ」


「じゃあげきだん? にいくっ」


「そのためには学校でのお勉強を頑張って、大きくならないとね」


 それからも少しのやりとりをして最終的にそうなのかと穂月が納得したところで、柚が改めて学級委員長についての立候補を児童たちに尋ねた。


   *


 立候補者が複数いたのもあり、投票を行った結果、委員長は沙耶に決まった。


 常日頃から大人じみた言動をして、男子であろうと女子であろうと校則を破ろうとすれば注意する普段の姿勢が委員長に相応しいと認識されたみたいだった。


「おう、ちびっこども。今日も元気に勉強してきたか」


 穂月たちが校門前で待っていると、希の母親が豪快な笑顔とともにやってきた。


 車でなく徒歩なのを見て、穂月の隣にいる希が不貞腐れたように目を閉じた。母親だけにクラスでは穂月以外に見抜けない希の心情がわかったのだろう。ふふんと勝ち誇ったように笑う。


「ムーンリーフでも家でもごろごろしてばっかなんだから、登下校くらいきっちり歩け。穂月、頼んだぞ」


「あいだほっ」


 希の手を引くのは穂月の役目だ。他の子供では地面でも眠ろうとする希に抗えず、途中で立ち往生してしまうのだ。


 もう片方の手は悠里と繋ぐ。その悠里の隣には沙耶もいる。


 幼稚園が別だった沙耶だけはさほど家も近くはないが、それでも朝は親に車で待ち合わせ場所まで送ってもらって、そこから皆で一緒に登校していた。


 下校の際はムーンリーフが営業中なら皆でお店へ行き、それぞれの親が迎えに来るまで一緒に遊んで待つ。休みであれば穂月の家だ。


 よく悠里や沙耶の親に一緒に遊んでくれてありがとうと言われるが、穂月からすれば楽しいので当たり前であり、わざわざお礼を言われる理由がわからない。


 前にそのまま2人の母親に伝えたら、穂月ちゃんはいい子なのねと笑顔で頭を撫でられた。


 最後に小さな声で希ちゃんにはあれだけどと加えられていたが。


 とにもかくにも穂月たちは引率役として迎えに来てくれた実希子と一緒にムーンリーフまで帰る。


 1人だと危険なので低学年のうちは人通りの多い道を集団で下校するように学校から言われていた。可能であれば保護者が迎えに来てもいいということで、穂月たちの場合は昼過ぎにムーンリーフから手の空いた誰かが来てくれる。


 大抵は実希子か尚で、たまに好美の場合もある。好美が一番優しいので、子供たちに大人気なのは内緒だ。


 希曰く、それが母親の耳に入ると拗ねて大変だかららしい。


「おかえりー、今日の学校はどうだった?」


 手洗いとうがいを済ませ、小さい頃からお馴染みの好美の部屋でおやつを食べていると、調理場から葉月が顔を出した。


「さっちゃんがいいんちょうになったけど、ほづきはざちょうになれなかった」


「委員長はわかるけど……座長?」


 怪訝そうな母親に委員長を決める際の柚とのやりとりを教えると、葉月は楽しそうにお腹を抱えた。


「アハハ、そっか、柚ちゃんも困っただろうね」


 パソコンで仕事をしながら話を聞いていたらしい好美も苦笑いを浮かべる。


「私としてはあの劇を見て、座長に憧れた事実に不安を覚えるわ」


「いいじゃない、子供の夢は尊重すべきだよ。ね、穂月」


「あいだほっ、ほづきはおおきくなったらざちょうになりますっ」


「他の皆は何か将来の夢とかあるの?」


 葉月に話を振られた面々で、真っ先に答えたのは沙耶だった。


「がくしゃさんになりたいです」


「渋い夢だねえ、悠里ちゃんは?」


「ええと、あのっ、あのあの、かんごふさん……? とかなの」


 まだよくわかっていないらしく、憧れている職業を言っただけみたいだが、葉月は笑顔で肯定する。


 最後は希の番なのだがすやすやと寝ており、答える気配は微塵もなかった。

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