第156話 葉月の修学旅行~初日~

 時間が過ぎるのは早いもので、葉月も通っている小学校で最上学年となった。

 新しい一年生が希望と不安を抱いて入学してくるのを、児童会長として出迎えた。

 以降も運動会の準備など、様々な仕事を他の役員たちと一緒にこなしていくうちに一体感が生まれた。


 四月、五月を経て六月になる。

 葉月だけでなく、クラス全員がお待ちかねのイベント、修学旅行の日程がやってくる。


 旅行前から両親と一緒に買い物をして、持っていくバッグなどを買ってもらった。

 好美らとも持参するお菓子を買った。準備が完了すれば、あとは当日を楽しみに待つだけだった。


 祈りが通じたのか、六年生になっても葉月たち仲良し四人組は全員が同じクラスに所属できた。和也も一緒だ。だからこそ余計に修学旅行が楽しみだった。

 隣の県へ一泊二日で出かけるだけなのだが、臨海学校などとはまた違った期待と興奮があった。


   *


「楽しみだねー」


 迎えた修学旅行当日。

 葉月は学校前から乗ったバスの座席で、隣に座っている好美に話しかけた。

 二人掛けなので葉月が好美と、その後ろに実希子と柚が一緒に座った。


「楽しみなのは確かだけど、気苦労も多いわ。約一名、はしゃぎすぎないように、監視する必要のある問題児がいるからね」


「ハハハ。言われてるぞ、葉月」


 好美の言葉を聞いていたらしい実希子が、座席の背もたれの上にひょっこりと顔を出した。葉月が座ったまま見上げていると、好美も実希子と同様に笑いだした。


「面白い冗談だわ。さすが、学校一の問題児ね」


「……そういう返しをするか」


 抗議するような声を出しても、実希子は好美の毒舌に本気で怒ったりしない。楽しんでるような雰囲気さえあった。

 口論をしても大抵は実希子が負けて終わる。

 なのに機会があれば、先ほどみたいに会話へ乱入してくる。最初の頃は不思議だったが、今ではそういうやりとりなのだと理解できるようになった。


「実希子ちゃんが羽目を外しすぎなければ、監視する必要はないんだけどね」


「それは無理だ。

 アタシがおとなしくしてたら、せっかくの修学旅行中に雨が降るぞ」


「そうなのよね。本当にまいってしまうわ」


「……そんなことはないと、言ってくれないんだな」


 実希子があまりにも悲しそうな顔をしたので、葉月は慌てて彼女が求めてる台詞を口にした。


「葉月は優しいな……」


 他にも言葉を続けようとしたが、その前に柚も背もたれの上に顔を乗せてきた。葉月の後ろが実希子で、好美の後ろが柚だった。


「三人で話してないで、私も仲間に入れてよ」


 柚は元々他の女子と仲良くしていたが、葉月と和解して以降は一緒に行動するようになった。今では、大切な親友のひとりだ。

 その柚を、すぐ隣から実希子がからかう。


「仲間に入りたいって、柚は好美に虐められたいのか?」


「実希子ちゃんと一緒にしないでよ。私は単純に、葉月ちゃんたちとお喋りしたいだけよ」


「おいおい。アタシだって別に、虐められたがってるわけじゃないぞ」


 お返しとばかりに、柚はクスクス笑いながら「どうかしらね」と実希子に言葉を返した。


「あーあ。アタシの味方は葉月だけか。助けて、児童会長」


「え? どちらかというと、葉月も好美ちゃんの味方なんだけどー」


 しれっと言うと、実希子が叫ぶように「それはないだろ」と言った。

 いつの間に聞いていたのか、周囲からも爆笑が起こる。


「佐々木、振られたな」


 男子のひとりにからかわれた実希子がうるさいと返し、それが合図となって車内全体で会話がかわされるようになった。


   *


 早朝に学校を出発したのもあって、昼過ぎには最初の目的地へ到着した。

 すでに隣の県に入っており、見慣れない風景がバスの外に広がる。緑豊かな自然公園は、葉月たちも名前を知ってるほど有名だった。


 ここではたくさんの動物が飼育されており、ふれあうのも可能だった。葉月たちのような修学旅行生には、飼育員の人が担当についてくれる。

 動物の特徴や、何を食べるかなどの情報を色々と教えてくれるのだ。


「きちんと聞いておけよ。学校に戻ってから、テストをやるからな」


 男性教師の発言に、大半の児童が「ええーっ」と不満の声を上げる。その中のひとりには、葉月と同じ班の実希子も当然のように含まれていた。


「さすがにあんまりだろ。好美もそう思うよな?」


「いいえ。むしろ当然でしょう。これは修学旅行――つまり、普段とは異なる場所で学び、知識をより深めるための行事なの。終了後に確認のためのテストをするのは当たり前よ」


 正論で言い返された実希子は、口をあんぐりさせる。真面目な好美の模範解答に驚きつつも、直後に苦笑しながら肩を竦める。


「なんか最近の好美って、葉月のママに似てきてないか」


「あ、雰囲気は似てるよね」


 柚が即座に同意した。

 言われてみれば確かにと、葉月も思った。丁寧な口調で理論を口にするところは、本当にそっくりだった。


「悪い気はしないわね。葉月ちゃんのママは、とてもかっこいいもの。あんな大人になりたいわよね」


 好美が微笑む。もしかしたら和葉を意識するあまり、性格や言葉遣いがより似だしたのかもしれない。


「そういう点で言うと、葉月はパパの方に似てるよな」


 実希子の言葉に、好美が頷く。


「普段は頼りなさそうなのに、ここぞでは的確な指摘をしたりするところね」


「そ、そうなんだ。パパに似てるのは嬉しいけど、葉月って普段、頼りないと思われてるんだね」


 落ち込む様子を見せる葉月を、真っ先にフォローしてくれたのは実希子だった。


「アタシは十分に頼りにしてるぞ。あんな人間味のないことを言うのは、好美ひとりだけだ」


「あ、あそこにお猿さんがいるわよ」


 実希子の言葉を遮るようにもたらされた情報に、葉月は目を輝かせる。


「本当だー。たくさんいるね」


 公園内に猿山が作られ、そこでたくさんの猿が生活中だ。自然公園なだけあって檻がなく、猿たちは見物客へ簡単に近づける。

 黙って見ていると、そのうちの一匹が人懐っこそうに近づいてきた。

 興味津々に手を差し出してみた葉月にではなく、実希子へじゃれつく。


「うわっ。何だ、こいつ。アタシにまとわりついてくるんだけど」


「きっと仲間だと思って、求婚してるのよ。よかったわね」


 好美に「よくないよ」と返しつつも、実希子はなんとか猿を追い払った。それでも周囲には、まだ何匹かの猿がいる。


 誰かが餌をあげられるのか聞いた。案内してくれている飼育員の答えはノーだった。決まった時間に餌を与えてるので、あげないでほしいと言われる。

 残念がる児童たちに、飼育員が続けて注意をする。


「お菓子などを食べ歩いていると、襲われて奪われる危険性もあるので気をつけてくださいね」


 話を聞いていた好美が、真剣な顔つきで口を開く。


「そんなことをしては駄目よ、実希子ちゃん」


「好美。それは猿だ。いい加減にしとけよ」


「あら、ごめんなさい。食い意地の張ってるところがそっくりだから、つい間違えてしまったわ」


 にっこりと笑う好美の姿に、実希子は諦め気味にため息をつくしかなかった。


   *


 自然公園をひと回りしたあと、休憩場所で昼食をとることになった。初日の昼食だけは、各自が家から持参するように言われていた。

 食べ終えたらすぐ捨てられるようにと、和葉は使い捨ての容器につめたお弁当を持たせてくれた。見てみれば、他の班員も同じような感じだった。


 お昼ご飯を美味しく食べたあと、自由時間が与えられた。

 動物たちを見物しにいく班があれば、自然公園内のテニスコートを借りて遊ぶ児童たちもいる。

 他には自転車を借りて、サイクリングなども楽しめるみたいだった。


 修学旅行への出発の際に、両親からお小遣いを貰えた。おかげでどの遊びもできるが、なるべくなら無駄遣いは控えたかった。まだ修学旅行には先があるからだ。

 いきなりお金を使いまくっては、明日満足に遊べなくなってしまうかもしれない。

 葉月の考えに全員が賛同してくれた。実希子が不満がると思ってただけに意外だった。その点を正直に言ってみると、彼女は愉快そうに笑った。


「お金を使わなくなって遊べるだろ。例えば、皆でマラソンをするとかな」


「却下します」


 好美にそう言われるのは予想済みだったらしく、実希子は笑顔のままだった。


「冗談だよ。それにしても、やっぱり好美は葉月のママに似てるよ」


 皆でひとしきり笑ったあと、葉月たちは自然公園内の動物たちをもう一度見て回ることになった。


   *


 自然公園を出る時にはもう夕方だったので、初日の宿へ到着する頃にはすっかり暗くなっていた。

 泊まるところは旅館の和室で、各班ごとにひと部屋ずつ使う。いわゆる四人部屋で、小学生の葉月たちには十分な広さだった。


 宿へ着いて部屋へ荷物を置くなり、葉月はロビーで公衆電話を使った。旅行中無事なのを、両親に伝えるためだ。携帯電話を持たされてないので、連絡を取る方法はこれしかなかった。

 春道は持たせてもいいんじゃないかと言っていたが、母親の和葉がまだ早いと反対したのだ。葉月自身、まだ興味がないので別に構わなかった。同じ班の中で持ってるのは、柚ひとりだけだ。


 実希子も好美も公衆電話で家へ連絡した。最後に葉月の番となった。

 自宅の固定電話を呼び出す音が鳴り、数回程度で和葉が出てくれた。


「もしもし、高木です」


「あ、ママー? 葉月だよ」


 葉月の声を聞けたからかはわからないが、電話向こうで和葉が嬉しそうにするのがわかった。


「宿に到着したの?」


「うんー。今日はね、自然公園でお猿さんと遊んだんだよ」


 ひとしきり日中の出来事を報告したあとで電話を切る。

 本当はもっと話していたかったが、順番を待っている児童が他にもいる。葉月が公衆電話を独占するわけにはいかなかった。


 部屋へ戻って荷物を整理していると、すぐに夕食の時間になる。部屋着として指定された体操着姿になり、四人揃って食事部屋に指定された広間へ移動する。


 広間にはすでに、学年全員分の夕食が用意されていた。お膳の上に乗る美味しそうなおかずの数々に、実希子でなくとも涎が溢れそうになる。

 小さな鍋もあれば、お刺身も肉もある。豪勢という言葉が、ピッタリと当てはまる献立だった。


 全員で席につき、教員の話を聞いてから夕食が開始される。いただきますの合図をしたのは、児童会長の葉月だった。


 ご飯を食べながら、各班ごとに皆の前でクイズ大会などのイベントをする。葉月たちの班は柚の提案で、動きの小さなダンスを披露した。大盛り上がりだったので、当初はあまり乗り気でなかった好美も最後には笑顔を見せていた。


 食事を終えると、今度はお風呂時間になる。大きな温泉があるので、班ごとではなくクラスごとに入る。

 露天風呂などはないが、全員でお喋りしながらの入浴は楽しい思い出になった。

 実希子だけでなく、普段は冷静な好美まで少しはしゃぎ気味だったように思える。もちろん葉月もだ。


 温泉後には、旅館内にあった卓球で遊んだ。各生徒が持ってきた携帯電話やデジタルカメラで、記念写真を撮りまくる。

 葉月も春道が貸してくれたデジタルカメラを持参していたので、好美らと一緒の姿を撮影してもらった。

 そうこうしてるうちに消灯時間が迫り、割り当てられた部屋へ戻る。


 柚の得意な時間になり、いつもの恋愛トークが繰り広げられる。

 内容は普段とあまり変わらないが、皆で布団をかぶり、消灯された部屋の中で教師に見つからないよう小声で会話をするのが新鮮だった。


 話をしてるうちに眠くなってきたところで、お喋りがお開きになる。

 こうして葉月たちの修学旅行の一日目が終了した。

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