第157話 修学旅行二日目~柚の告白と和也の告白~
修学旅行も二日目になる。
鳴りだした目覚まし時計によって、最初に起きたのはしっかり者の好美だった。
続いて葉月も目を覚まし、好美と分担してまだ眠っている実希子と柚を起こすことになった。
「実希子ちゃんって、なかなか起きてくれないのよね……」
まだ寝ぐせの残ってる頭を掻きながら、好美が言った。
「それなら好美ちゃんが、柚ちゃんを起こせばいいよ。葉月が実希子ちゃんを起こすね」
手強いわよ。追いかけてきた好美の言葉が背中へ届く前に、葉月は旅館の畳を蹴っていた。
舞い上がった身体を水平に伸ばし、そのまま真っ直ぐに落下する。
目的地は就寝中の実希子がいる布団だった。
「どーんっ!」
あまりに久しぶりだったので、自然と笑顔になる。
だが、葉月の下になった実希子の表情は驚きと苦痛に歪んだ。
全体重を乗せた目覚ましの一撃は、確実に標的を夢の世界から現実へ連れ戻した。げぼっと悲鳴を上げて両目を開いた実希子が、満足そうに鼻息を吐く葉月の顔を見て事態を把握する。
「お、お願いだから……もっと優しく起こしてくれよ……」
息も絶え絶えといった感じだが、とりあえず起床できたみたいなので葉月は実希子の上から離れる。
「おはよー」
葉月はその場に立ち上がってから、にこやかに挨拶をした。
「おはよ……他は皆、起きてんのか?」
「えっとねー。今、好美ちゃんが柚ちゃんを起こしてるところだよ」
葉月がそう言うのを待っていたかのように、柚の布団に近づこうとしていた好美が振り返った。
「ねえ、葉月ちゃん。柚ちゃんも置きそうにないから、さっきのを……」
「待って! お願いだから、待って。起きてるっ。私、起きてるからっ!」
好美の台詞を途中で遮りながら、柚が上半身を勢いよく起こした。すでに目はパッチリで、寝起き特有の眠そうな感じも見受けられなかった。
「な、何を考えてるのよ。葉月ちゃんに、実希子ちゃん以外の人を起こさせようとしたら駄目でしょ。本当に死んじゃうわよっ」
「おい、柚。なんでアタシだといいんだよ」
柚にツッコみを入れつつ、実希子も布団から出て立ち上がった。
「いつまでも喋ってないで、起きたなら顔を洗いましょう。すぐに朝食の時間になるわよ」
和室内にはトイレと洗面所が設置されているので、わざわざ外へ出る必要はない。最初に洗面道具を手に持った好美が、まずは顔を洗う。
次に柚が使い、葉月に実希子という順番で身支度を整えた。朝食をとったら、すぐに旅館を出発する予定になっているからだ。
「朝くらい、ゆっくりさせてほしいよな」
旅館を廊下を歩きながら、実希子が誰にとはなく言った。
朝食は全体でとるので、昨夜と同じ広間が会場になる。葉月たちは四人で、そこへ向かっている最中だった。
「休日のサラリーマンみたいね。何度も言うけれど、これは修学旅行なのだから仕方ないでしょ。ゆっくり楽しみたいのなら、大人になってからでも、また来ればいいわ」
好美の指摘に、実希子はきょとんとしたあとで笑顔になった。
「それ、いいな」
「そうね」
柚も、実希子に同調する。
「大人になってから、また皆で来ましょうよ」
葉月が「賛成ー」と両手を上げる。好美も嬉しそうに頷いた。
お互いの友情を確かめ合ってるうちに、朝食会場へ到着する。他の班の児童もおり、早くも賑やかな空気に包まれる。
全員が揃って教員の挨拶を聞けば、すぐに朝食だ。一泊二日の修学旅行を最後まで楽しむためにも、朝ご飯をしっかり食べて体力をつけなければならない。
*
旅館を出た一行は午前中に、歴史的に有名な建物などを見学して回る。
昼近くにテーマパークへ移動し、そこで昼食をとったあと、再びの自由時間となる。外へ出なければアトラクションで遊ぶのも、お土産を買うのも自由だ。
昨夜の旅館でもお土産は買えたが、荷物になるのを嫌がって帰り際に買おうとする生徒が大半だった。
葉月は旅館で美味しそうなお菓子を購入したが、それは道中のバスの車内で食べるためだった。甘いものは別腹なのかわからないが、朝食後でも仲の良い女性陣は笑顔で葉月のおすそわけを受け取った。
それをきっかけに、他の女子たちもそれぞれが購入したお菓子をわけあった。クラス全員の仲が良いだけに、和気藹々とした雰囲気でバス移動を楽しめた。
歴史的に古いお寺などの見学をして、住職の話を聞く。
案の定、実希子が暇そうにしていた。きっと、これから行くテーマパークのことで頭の中をいっぱいにしてるのだろう。
葉月の推測が正しかったのを証明するかのように、お寺などの見学が終わった途端に実希子は元気を復活させた。
「やっとテーマパークにいけるな。旅行前から、ずっと楽しみにしてたんだよ」
実希子の発言を聞いた好美が、呆れたようにため息をつく。
「実希子ちゃんに、歴史的建造物の価値を理解できるはずがないものね」
「当たり前だろ。アタシに、小難しいことを求めないでくれよ」
嫌味をさらっと受け流すあたりは、実希子もなかなかの性格をしている。
基本的に葉月も柚もお喋りなのだが、この二人を前にすると物静かに見える。
バスがテーマパークに到着すると、お昼を食べるより先に実希子は遊びたがった。このへんの行動は、男子とあまり変わりなかった。
なんとか我慢をさせて、テーマパーク内のレストランで揃って食事をする。
食べたあとは、いよいよお待ちかねの自由時間だ。元気な実希子が先頭に立ち、葉月たちを引っ張っていく。地元には大きな遊園地がないだけに、大興奮状態だ。
とはいえ葉月たちも、実希子をどうこういえなかった。ジェットコースターなどの乗り物を見ては、うわあと声を上げてしまう。
他の利用客もいるので、迷惑にならないようにしろと教員が大きな声で注意して回る。その声を聞きながら、最初に選んだ乗り物はジェットコースターだった。
もちろん、実希子の強い要望だ。
こういうのは苦手そうに見える好美も付き合ってくれた。
とにかく早く乗りたい実希子が、柚の腕を引っ張って二人ずつ座るタイプの車両の先頭を陣取る。すぐ後ろに葉月と好美が座った。
高いところはあまり苦手でないので、動き出した瞬間からウキウキする。
隣にいる好美は平静を装っているが、どことなく顔を引きつらせていた。
ジェットコースターが走り出す。空中に敷かれたレールを進み、一番高い地点まで到達する。
乗客の恐怖を煽るようにゆっくり走っていた車両が、急激に速度を上昇させる。
目も開けていられない風の体当たりで、髪の毛が乱れる。耳に轟音が響く中、なんとか葉月は目を開けた。
視界に見晴らしのいい景色が映った。しかし電車に乗ってるわけではないので、ゆっくり楽しむというわけにはいかなかった。
上り下りを繰り返すジェットコースターが揺れ、あちこちから悲鳴が上がる。とりわけ大きなのが、近いところから聞こえた。
好美かと思って隣を見るが、彼女はわりと平気そうだった。誰のだろうと思ってるうちに、ジェットコースターが終了に近づく。スピードがある分だけ、あっという間に終わってしまう。
それでも乗ってる間のスリルと快感を求めて、大勢の人が列に並ぶのだ。
「いやー、最高だったな。並んで、もう一回乗ろうぜ」
スタート地点まで戻ってくるなり、腕を上に伸ばしながら実希子が提案した。
意外だったのは、好美が乗り気な点だった。即座に付き合ってあげるわと返し、瞳を輝かせている。こういうのは嫌いだと思っていたが、どうやら気に入ったようだ。
葉月もまた乗るのに異論はなかった。だがひとりだけは別だった。
「お、おい、柚っ」
慌てたように実希子が、隣に乗っていた少女の頬を叩いた。
「だ、大丈夫よ、実希子ちゃん。
でも……私は、次は遠慮させてもらうわ」
顔面蒼白の柚を見れば、反対する人間は誰もいなかった。
葉月も休憩したいと言い、その間に実希子と好美だけでジェットコースターへ乗ってもらうことになった。
申し訳なさそうにしつつも列へ並ぶ二人を見届けてから、葉月はふらふらの柚を支えながらテーマパーク内のベンチに座った。
荷物はテーマパークの出入口にあるロッカーへ保管してある。リュックを背負いながらだとアトラクションを楽しめないので、生徒全員がそうしていた。
財布など最低限必要なものだけを所持している。
室戸柚に飲料を与えたくとも手元にない。葉月は彼女をひとりで休ませ、自動販売機を探した。
すぐに見つかり、ジュースではなくミネラルウォーターを購入する。ぐったりしてる相手には、その方がいいだろうと判断した。
駆け足で柚のもとまで戻り、購入したばかりのミネラルウォーターをキャップを外した状態で手渡す。
ありがとうと受け取った室戸柚が、口をつけて水を喉へ流し込んだ。
水分を取って少しは落ち着けたのか、顔色も徐々に戻ってくる。
「柚ちゃんって、ジェットコースターが苦手だったんだね」
柚の隣に葉月も腰を下ろす。
「あまり得意ではないけど、今日は特別だったわ。前に乗ったのより、ずっと迫力があって怖かったもの」
ミネラルウォーターのペットボトルを持った両手を膝の上に置き、柚が大きく息を吐いた。それだけでもよほど怖かったのがわかる。
実希子と好美が戻ってくるまでは、側にいてあげようと思った。
しばらく二人で黙ってテーマパーク内をボーっと見ていたが、そのうちに柚が口を開いた。
「ねえ、葉月ちゃん。私ね、仲町和也君が好きなの」
突然の告白に驚き、葉月は「え?」と目を丸くする。
そんな葉月に微笑みかけながら、柚は言葉を続ける。
「でも、仲町君には好きな人がいるの。私は振られてしまったわ、ついこの間ね」
柚に悲壮感はなく、むしろ晴れ晴れとした印象さえ受ける。何て言ったらいいのかわからず、葉月は相手が話すのを聞き続けるしかなかった。
「結果はわかっていたけど、後悔はしてないわ。自分の気持ちを伝えられただけでも幸せだもの。それに……仲町君の相手が葉月ちゃんなら、私も素直に祝福できる気がするの」
「え? 葉月?」
「きっと……近いうちにって、あら……噂をすれば、ね」
葉月の顔から外れた室戸柚の視線を追いかける。するとそこには、和也がひとりで立っていた。
「私はもう大丈夫だから、先に好美ちゃんたちのところへ行ってるわね。一緒に乗るつもりはないけど、ジェットコースターの下で待ってるわ」
それだけ言うと、柚は葉月から受け取ったミネラルウォーターを持ってベンチから立ち上がった。
にっこりと笑い、葉月と和也を交互に見てから、どちらにともなく頑張ってねと声をかけた。
何をと尋ねる暇もなく柚は小走りで立ち去り、ベンチ前には葉月と和也の二人だけになった。
和也が人差し指で、ポリポリと照れ臭そうに頬を掻く。
「なんか……気を遣われちまったな」
「そう……なのかな?」
葉月は首を傾げた。
「きっと、そうさ。この間、俺の気持ちを教えたからな」
「和也君の気持ち?」
「ああ。俺さ……お前が……好きなんだ。その、昔にさ、酷いことしちまったけど、あれも好きの裏返しっていうかなんていうか……と、とにかく、本気なんだ。俺と付き合ってくれ」
突然の告白に、葉月の頭がこんがらがる。ただ、目の前にいる男性の真剣さは伝わってきた。柚の影響もあって、葉月も恋愛というものを少しずつ理解しつつある。
けれど、今すぐにどうこうという気持ちはなかった。だからこそ、最終的には首を左右に振ってしまった。
「ごめんね、和也君。葉月……ううん、私ね……まだ、そういうのよくわからないんだ。だから、付き合うとかは……できないです」
嘘偽りのない気持ちだった。怒られるかと思ったが、和也はやっぱりなという感じで笑った。
「そう言われるような気がしてたよ。けど、俺のことが嫌いだって返事じゃなかったからホっとした。まだチャンスはありそうだってな」
それから真顔に戻った和也は、葉月に今度の野球大会で応援してほしいと言ってきた。告白は断ってしまったが、それくらいなら問題なかった。友達を応援するのは当たり前だ。
「わかった。応援に行くから、頑張ってね」
葉月が笑顔で言うと、和也も笑みを浮かべて頷いた。
*
葉月がひとりでジェットコースターのところまで戻ると、すでに乗り終えたらしい実希子と好美も、柚と一緒に待ってくれていた。
葉月の姿を見つけるなり、柚がすぐに駆け寄ってきた。
「どうだった?」
真剣な表情で尋ねる友人女性に、葉月は先ほどの和也とのやりとりをそのまま伝えた。教え終えたあとで、葉月は柚にごめんねと謝った。
「やっぱり……よく、わからないんだ」
「気にしないで。葉月ちゃんの気持ちが一番大事だもの。ただ、私に気を遣わないでいいというのだけは覚えておいてね。恋のライバル……にもならなかったけど、そういうのの前に、私と葉月ちゃんは友達なんだから」
「……うんっ!」
仲良く笑う葉月と柚を見て、事情を聞いていたらしい実希子が「青春だね」と呟いた。
「あら、羨ましがる必要はないわよ。実希子ちゃんの彼氏なら、昨日の自然公園にたくさんいるじゃない」
「……勝手に猿を人の彼氏にしないでくれ」
好美の言葉に、実希子が露骨に嫌そうな顔をする。
たまたまその様子を目撃した葉月は申し訳なく思いつつも、隣にいる柚と一緒にしばらく笑い続けた。
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