第153話 葉月の臨海学校

 今年も待ちに待った夏休みがやってきた。

 終業式の前から高木葉月はワクワクで、友人の好美らとどんなふうに遊ぼうか、暇さえあれば考えた。

 その中でも一番楽しみにしていたのが、夏休み中に行われる臨海学校だった。


 予定は一泊二日。

 大好きな父親や母親と離ればなれになるのは寂しいが、仲の良い友人たちとのお泊りも魅力的だ。テントを張って、皆でキャンプの予定もある。


 そして当日。


 大きなリュックにたくさんのお菓子を詰め込み、臨海学校の舞台となる舞台へ学校が用意したバスでやってきた。


 車中も各班で出し物をしたりなど、おおいに盛り上がった。担任教師のあくまで授業の一環だという注意を受けても、おとなしくなったりはしなかった。

 最終的には遊び盛りの葉月たちに我慢をさせるのを、教師の方が諦めた。担任する子供たちが、ウキウキしてはしゃぐのは当たり前だと思ってるのかもしれない。


 とにもかくにも、バスは目的地の海へ到着した。

 各学級で点呼をとったあと、事前に決めていた班ごとに砂浜でテントを張る。葉月はもちろんお馴染みの四人で班を組んでいた。


 好美が指示を出し、力仕事を厭わない実希子が主力となって動く。葉月と柚は細かな手伝いをするといった感じだ。

 チームワークが抜群なのもあって、テントの設置はすぐに完了した。大半の女子が、男子の手を借りている現状にもかかわらずだ。

 葉月は誰にともなく自慢げに胸を張った。仲町和也が途中で様子を見に来てくれたが、なんだか寂しそうに肩を落としたのだけが不思議だった。


 テントの設置が終われば、皆で昼食の時間になる。家から持参してきたお弁当を食べる。食事中の間も、葉月たち生徒はずっとそわそわしていた。

 ご飯を食べ終わったあとは、お待ちかねの自由時間がやってくるからだ。とりわけ男子たちは、ご飯よりも先に海で遊びたそうだった。


 昼食後、教員から海で遊ぶ際の注意がされる。そわそわする生徒たちの様子に苦笑しながら、早めに終わらせてくれた。

 自由時間に突入し、葉月たちはテント内で水着に着替える。派手な水着は学校で禁止されているので、いわゆるスクール水着だ。夏休みに皆でプールへ行く際もこの格好なので、特別な不満はなかった。


 年齢が上がってくるにつれて、胸の発達具合だとかブラジャーの有無について女子の間で話されるようになった。葉月も多少ふくらんできてはいるものの、とりたてて気にしたことはない。何かあれば、母親に相談すればいいだけだ。


 仲良し四人組で、最初にそうした問題に直面したのは実希子だった。当人は重いだけだと苦笑する。

 一方で着替えなどがあるたび、柚が羨ましそうにした。葉月と好美は同じくらいだ。どうしてこんな話題で盛り上がれるのか、まだ葉月にはピンとこなかった。


 着替えた葉月たちは、揃ってテントを飛び出す。空は澄みきった青色一色で、雲ひとつない。前方に視線をむければ、そこには空にも負けないくらいの綺麗な海がある。思わずテンションが上がり、わーいと叫びながら駆け出してしまう。

 実希子がすぐに応じ、並んで海へダッシュする。少し離れて柚が続く。班長の好美だけが、歩いて海へ向かっていた。


 海へ入る前に、きちんと準備運動をする。そうしないと、監視している教員に怒られる。実希子と一緒に準備運動をしてるうちに、柚だけでなく好美も追いついてきた。


「あのまま海へ飛び込むんじゃないかと、心配したわ」


「葉月だけをだろ?」


 好美の言葉に、身体を動かしながら実希子が笑顔で応じる。


「そうよ。当たり前じゃない」


 相変わらずの毒舌ぶりだが、好美と実希子はなんだかんだでかなりの仲良しだ。こういったやりとりもコミュニケーションのひとつだと、葉月も理解するようになった。


   *


 準備運動も終わった。

 寄せてくる波にそーっと足を伸ばす柚を尻目に、葉月と実希子がジャンプして海へ突入する。


「わー。凄く冷たいねー」


 実希子が「そうだな」と頷く。

 すでに季節は夏だ。日差しが降り注ぐ分だけ暑さも増す。海の表面にも届いてるはずなのだが、足を踏み入れれば心地よい冷たさがやってくる。

 とても気持ちよくて、気がつけば腰まで浸かっていた。


「私、浮き輪を持ってきたわよ」


 柚が、右手に持っていた浮き輪をその場で膨らませる。

 葉月たちは全員が泳げる。それでも浮き輪に掴まって浮かぶのは楽しい。プールでもよく柚が持ってきてくれた。

 大喜びする葉月の隣に、パンパンに張った浮き輪が置かれた。早速両手を乗せる。ゆらゆらと波に揺られる感触は、まるで雲の上で眠ってるような感じだった。


「おいおい。浮き輪でまったりするのは早いだろ。アタシと競争しようぜ」


 元気いっぱいに実希子が提案してくる。

 頷いたのは葉月だけだった。とりわけ好美は、付き合ってられないとばかりに浮き輪と戯れる。


「仕方ないな。アタシと葉月と柚の三人で競争するか」


「え? 私も含まれるの?」


 予想してなかったのか、柚が驚きを露わにした。


「当たり前だろ。それじゃ、あそこにある岩までな。好美は、スタートの合図を頼む」


 柚が戸惑ってるうちに競争が開始され、葉月と実希子は全力で泳いだ。途中で何故か男子が参加してきたりもした。

 最終的に一着で目的地へ到達したのは、スポーツ万能な実希子だった。


「よしっ。アタシがトップだ」


「実希子ちゃんは、やっぱり速いねー」


 葉月は実希子から送れて到着した。それでも柚よりは上だった。興味を持った男子たちが勝手に途中参加したのもあって、全体の何番目なのかはよくわからない。

 ただひとつ確かなのは、まだ柚は泳いでる最中だということだ。

 ようやく岩のところまで到着した柚が、水面に顔を出した。


「ぷはっ。実希子ちゃん、速すぎでしょ」


「アタシは普通だよ」


 実希子が得意げな顔をする。


「柚がのんびり屋なだけだろ」


「佐々木が普通なら、他は全員のんびり屋だろ」


 そう言ったのは同じクラスに所属する男子だった。和也と仲が良かったはずだ。

 実希子が反論しようとしたところで、砂浜の方からマイクを使って教員があまり遠くへ行くなと叫んだ。


「これ以上、ここにいたら怒られるかもしれないな。戻ろうぜ。今度も競争だ」


「う、嘘でしょ。私……着いたばかりなんだけど。こんなことなら、好美ちゃんと一緒にいるべきだったわ……」


 後悔する柚の前で、実希子がフライング気味にスタートする。

 波があるのでクロールよりも、平泳ぎの方が先へ進みやすい。なにより疲労度が大きく異なる。

 すぐに実希子を追いかけようか悩んだが、柚と一緒にゆっくり戻ろうと決めた。


 二人で顔を出した状態で手足を動かし、少しずつでも着実に砂浜の方へ戻る。すでに実希子は好美のところへ到着してるみたいで、こちらに向かって何か叫んでは両手を振る。


「実希子ちゃんって、本当に元気よね……」


 隣で泳いでる柚が呟いた。


「そうだねー。凄いよねー」


 パチャパチャと泳いで砂浜へ戻った頃にはかなり疲れていた葉月たちとは違い、実希子はまだ何往復もできそうな余裕を残していた。


   *


 浮き輪を使ったあとは、他の班の女子と一緒にビーチバレーをした。空気で膨らませたボールを使った。

 面白そうだと男子も参加するようになり、班対抗で試合をしたりもした。


 精一杯はしゃいで遊んだあとは、皆で近くの温泉施設を利用する。貸し切りではなかったので、他のお客さん方とも一緒に入った。


 ゆっくり暖まってからテントを張った場所へ戻り、ガスコンロを使って砂浜で調理した。お決まりのカレーだったが、以前にも行事で作った経験があるので、大半の生徒が手慣れた様子で調理を行った。

 葉月も創作料理などを披露したりせず、純粋にカレーを作った。


「葉月って、本当に料理が上手くなったよな」


 実希子が、実感のこもった感想を口にした。

 今回の調理では葉月が中心となり、好美らはサポートに回った。テントを張った時とは役割分担が完全に変わった。

 調理過程で主役になれなかった実希子だが、食事が開始されてからは再び注目を集めている。他の人が一杯目を食べている間に、早くも二杯目を平らげようとしているからだ。


「もの凄い食欲ね。さすがに呆れるわ」


「それだけ葉月のカレーが美味いってことさ。まだおかわりあったよな」


 好美の発言にも負けず、男子顔負けの食欲でおかわりをする。さすがに二杯目より量は減ったが、食べる勢いは変わらない。ガツガツと、豪快に口の中へ放り込む。

 およそ女性とは思えない食べ方なのだが、実希子に限っては意外と似合ってるから不思議だった。


「でも、本当に美味しいわよね。最初の頃は、どーんだったのにね……」


「やめて、柚ちゃん。葉月ちゃんが昔を懐かしんで、必殺技を披露したがったらどうするの!」


 本気で怒る好美を見て、やっぱりどーんは危険なのだなと改めて思った。いつかまたやりたいという希望を持っていたのが、どうやら叶わずに終わりそうだった。


   *


 夕食が終わり、皆でキャンプファイヤーをする。

 存分に楽しんで、午後九時の就寝時間を迎える。だがテントに入った葉月たちは、懐中電灯の薄明かりを頼りにお喋りをする。

 寝袋は意外に暖かく、夏なのもあって風邪はひきそうになかった。


「お泊りでの会話といえば、ひとつしかないわよね」


 こうした場面では、必ずといっていいほど柚が主導権を握る。対照的に好美はつまらなさそうだ。実希子は話に付き合ってあげるものの、葉月はまだわからないので聞くだけになる。


「知ってた? ウチのクラスでもカップルが誕生してるみたいよ」


 柚が具体名を上げた。葉月もよく知ってる二人で、何度か会話もしている。実希子が驚いた様子を見せると、得意満面になった柚はさらに別のクラスメートの名前も口にした。


「臨海学校だからって、何も無理に交際しなくてもいいだろうにね」


 好美が呆れた感じで言った。


「好美ちゃん、わかってないわね。臨海学校だからこそでしょ。特別なイベントで、急速に接近する二人……。素敵だと思わない!?」


「いえ、全然」


 好美に冷たくあしらわれた柚が「もう」と軽く拗ねる。話題を変えるのかと思いきや、諦めきれない様子で今度は葉月に同意を求めてくる。


「葉月ちゃんは誰か、素敵だなって思う人はいないの?

 もちろん、パパ以外でね」


 葉月も年齢を重ね、柚らと会話をしてるうちに恋愛というものが何なのかわかるようになってきた。

 けれど知識として理解するのと、興味を持つのとはまた別だ。結局は、これまでと大差ない答えを告げるしかなかった。


「ごめんね、柚ちゃん。葉月はまだ、よくわかんないや」


「そっか、残念。でもね、私、思うの。きっと葉月ちゃんを見てる男子が、側にいるんじゃないかなって」


「はへ?

 んー……そうなのかな……」


 葉月が首を傾げてる間に、少しだけ真面目な顔つきをした好美が柚に尋ねる。


「それでいいの?」


 柚は軽く微笑んで頷いた。


「もちろん。私はそれを望んでいるもの」


 葉月には意味不明な会話だったが、とりあえずあまり気にしないようにした。

 以降もお喋りを続けていると、徐々に眠気が襲ってきた。誰からともなく目を閉じ、懐中電灯が消される。

 真っ暗になったテント内は、すぐに心地よさそうな寝息で一杯になった。

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