第164話 家族でのおでかけ

 愛娘の高木葉月が、中学校へ入学する前の短い休み期間のとある日。

 高木家のリビングには戸高祐子がいた。食卓に和葉と向かい合って座っている。息子を実家に預けてる間に、遊びにきたのだ。


「自分の老いが、いまだに信じられないんです。和葉さんはどうやって、おばさんになった自分自身を受け入れたんですか?」


「いきなり遊びに来たかと思ったら、喧嘩を売るなんていい度胸ですね」


 にこやかな笑顔を互いに浮かべてるにもかかわらず、現場はとてもギスギスしていた。当初は慌てて制止しようとしたが、すっかり二人のやりとりにも慣れた。

 なるべく関わらないようにして、好きなようにさせるのが一番だ。春道は春道で、リビングで穏やかな午前中を堪能する。


 ソファに座る春道の膝の上には、次女の菜月が乗っていた。ここが指定席だと言わんばかりの態度で、テレビの教育番組を視聴する。

 普段なら仕事中の春道はリビングにおらず、母親の和葉が相手をしている時間帯だった。それだけに、珍しく朝から側にいる父親の春道に甘えたいのかもしれない。

 三歳も近くなるとかなり重い。だからといって強制的に退去させても、悲しませるだけだ。仕方なしに覚悟を決めて、菜月のやりたいようにさせておく。


 そのうちにテレビ番組を眺めながら、春道の膝からソファに下りる。安堵したのも束の間。すぐにまた上ってくる。どうやら、そういう遊びみたいだった。

 けれど抱っこをおねだりするわけでなく、ひたすら春道の膝の上に乗ったり下りたりを繰り返す。キャッキャッと菜月が楽しそうにしてるので、何の意味があるのかなどは深く考えないようにする。


 春道が菜月に遊ばれてる間にも、食卓の方ではコーヒーを飲みながら、和葉と祐子が妙に緊張感のある会話を継続する。


「喧嘩なんて、売ったりしませんよ。私はただ、先輩おばさんの和葉さんに気持ちの持ち方を尋ねてるだけです。何分、新米なものですから」


「ウフフ。謙遜しなくて結構ですよ。新米どころか、ベテランの風格がありますのもの」


「冗談はやめてくださよ。年上の和葉さんを差し置いて、私がベテランだなんて」


 どうして年齢のことで火花を散らしてるのかは、まったくわからない。とにかく近寄りたい雰囲気ではなかった。一種のストレス解消なのだとしたら、ずいぶん迷惑な方法だった。


「どちらにしても、貴女も立派なおばさんですよ。これからは、甘いものとかも控えるようにしてみたらいかがですか」


 少し怖い笑顔を作ったままの和葉が言った。


「何を言ってるんですか。疲れをとるには甘いものが最適なんですよ。あ、そういえば、知ってます? 駅前に美味しいケーキ屋さんができたみたいですよ」


「え? 本当ですか? それは初耳です。普段の買物では、なかなか駅の方まで歩かないものですから」


 数秒前までぎくしゃくした感じだったのに、気がつけば和気藹々とした雰囲気で会話を楽しんでいる。

 やはり女性はわからない。ため息をつく春道の膝の上に、小さな女性が再びちょこんと乗る。


「今日はこのような感じです」


「……何が?」


 だいぶ普通に会話ができるようになってきたとはいえ、さすがにまだ三歳児。

 こうして意味不明な言動をするのも、たまにではなかった。真剣に考えると疲れるだけだ。菜月が楽しければいいやと、良い意味での適当さを取り入れる。


 和葉たちは駅前のケーキ屋の話へ夢中になり、菜月は春道の膝の上で遊び続ける。とりたてて明確な目的はないが、こんな日もたまにはいいかと欠伸をする。

 ひと眠りしたくなってきたところで、葉月が帰宅した。今日は午前中に図書館へ行くと、朝から出かけていた。


「ただいまー……って、あ、祐子さんだ。こんにちは」


「こんにちは。葉月ちゃんは、相変わらず元気そうね」


 祐子の言葉に「それだけが取り柄ですから」と葉月が笑う。これから中学生になるだけあって、受け答えもだいぶ大人っぽくなってきた。


 そんなことを思っていたら、こちらを見た葉月が「あっ」と声を上げた。何事かと春道が驚く。

 リビングへ入る前に手を洗っていたらしい葉月は、母親のところではなく春道の隣に座った。


「……どうかしたのか?」


 尋ねる春道に、意味ありげな笑顔を見せて首を左右に振った。おかしな奴だなと首を傾げる。

 そのうちに、菜月がごろんと春道の膝上から、隣のソファへ移動した。


「チャンスっ」


 目を輝かせた葉月が、その言葉とともに行動を開始した。


「お、おいっ!」


 思わず春道は大きな声を上げた。

 食卓にいる和葉と祐子も、こちらを注目する。和葉は目を丸くし、祐子はクスクスと笑った。


 なんともうすぐ中学生になる長女が、いきなり春道の膝の上に乗ってきたのである。それこそ、先ほどまでいた妹の菜月みたいにだ。


「葉月、お前……何をやってるんだ」


「何って、甘えてるの。だって私、小さい頃に、菜月みたいに遊んでもらってないもん」


「それはそうかもしれないが……さ、さすがに重い……」


 小学校を卒業したばかりとはいえ、今年で十三歳になる娘。体重も次女の菜月とは大違いだ。年頃の女性に重いというのはどうかとも思ったが、さすがに我慢しきれなかった。


「葉月、早くどきなさい。春道さんが苦しがってるしょう」


 見かねた和葉が注意した。


「えー」


 不満そうに唇を尖らせたあとで、急に葉月が表情を輝かせる。


「そうだ。ママもパパに甘えればいいんだよ」


 娘の言葉に、和葉が照れるようなそぶりを見せる。甘えてもらえるのは大歓迎だが、膝の上に乗られるのは困る。

 愛妻の体重は、確実に二人の娘よりも上だからだ。


「そ、そうだ。せっかくだから、皆で買物へ行こう」


 強制的に葉月を膝上から移動させて、春道はその場に立ち上がった。

 食卓から見ていた和葉が、若干ムッとした表情を見せる。


「……そんなに、私を膝の上に乗せたくないのですか?」


「い、いや、そういうわけじゃなくて……その……乗る?」


「乗りませんっ!」


 そっぽを向く和葉を見て、祐子が大笑いする。


「アハハ。春道さん一家は、全員が仲良しですね。うちも負けていませんけど、少し羨ましいです」


 そう言ったあとで、椅子から立ち上がる。


「今日はこれで失礼します。春道さんたちを見てたら、私も宏和に会いたくなりました」


「そうですか。また暇がありましたら、いらしてください。変なことを言わない限りは、歓迎させてもらいます」


 和葉も、祐子を見送るために立ち上がる。その際に、せっかくだから一緒に出ようという話になった。帰宅したばかりの葉月を始め、春道たちも外出には問題のない服装だったからだ。


 お昼ご飯も外で済ませることになり、春道一家は祐子とともに玄関から外へ出た。顔を出している太陽が、穏やかで暖かな光をプレゼントしてくれる。


「もう、すっかり春ですね」


 空を眩しそうに見上げて和葉が言った。


「コートもいらない感じだな。どうせなら、一年中こんな感じだといいんだが」


 春道の言葉に、菜月を除いた全員がクスクス笑う。どうかしたのか尋ねると、代表して祐子が答えてくれた。


「春道さん、おじさんみたいですよ」


「残念ながら、俺は昔から暑いのも寒いのも苦手だよ。おじさんなのに、変わりはないけどな」


 そう言って、春道も笑った。


「では、春道さんが老化しないように、今日は少し歩くとしましょうか。祐子さんはどうします?」


 和葉に尋ねられた祐子は、慌てて首を左右に振った。


「私は遠慮しておくわ。それじゃ、また」


 そそくさと立ち去るかつての担任に、葉月はバイバイと大きく手を振った。隣では、妹の菜月も真似ていた。


   *


 徒歩で出かけたのは普段から利用する大手スーパーではなかった。

 結構どころか、普通なら車で行くような距離の店まで全員で歩いた。大きな敷地に円を描くような感じで、たくさんの店が並ぶ。

 スーパーはもちろん、ホームセンターやゲームショップまである。釣具店や食事処もあるので、家族連れなどは1日中遊べそうな感じだった。地元にはショッピングモールなどがないので、手軽に遊べる場所として重宝されている。


 何度も家族揃って訪れた経験があるので、菜月は大喜びだ。長女の葉月は自転車に乗って、友人たちとも一緒に来たことがあるみたいだった。かなりの距離を歩いてぐったりする春道を尻目に、どこの店へ行きたいなどの希望を伝えてくる。


「……俺は……とりあえず、休みたいよ……」


 肩で息をする春道に、妻和葉が苦笑する。


「体力不足にもほどがありますね」


 確かにそのとおりだが、自宅からここまではどう低く見積もっても十キロメートル以上はある。それだけの距離を、時折菜月を抱っこしながら歩いたのだ。息が切れるのは当然だった。


「じゃあ、皆でお昼ご飯を食べようよ」


 外出する際の目的のひとつが昼食だった。育ち盛りな葉月だけに、お腹が空いて仕方ないのだろう。

 食事の時間はゆっくり休めるのもあって、春道は即座に賛成する。


「そうしよう。回転寿司にでも入るか?」


 敷地内に立ち並ぶ店舗の中には、大手チェーンの回転寿司屋も存在する。春道の言葉に、誰より喜んだのは菜月だった。三歳も間近になり、刺身なども食べるようになった。幸いにしてお腹が痛くなったりもせずに、あっさり順応した。

 大好物になったお寿司を食べられると知れば、にこやかな表情を見せる。


 菜月に続いて葉月も賛成すれば、和葉にも断る理由がなくなる。家族全員で回転寿司屋に入る。店員に人数を告げて、テーブルへ案内される。最近は便利になったもので、パネルを使って注文ができた。


「ほら、菜月。たくさんお寿司が流れてるよ」


 興奮気味に葉月が言った。


「知ってます。前にも一度、来てますから」


 真面目な顔つきで、菜月が言葉を返した。あまりにも大人びてる言動に、普通なら誰もが驚きを隠せない。


 だが家族だけは別だ。普段から菜月が、母親の口調を真似てるのは全員が知っている。それでいて、楽しいことには年相応の行動も見せる。自宅リビングで、春道の膝上を行ったり来たりしてたのが証拠だ。

 今は面白がって、丁寧な口調を使ってるにすぎない。要するに、菜月にとっては遊びのひとつなのである。


「では、菜月さん。好きなお寿司を注文することにいたしましょう」


 キリっとした表情で、葉月が妹にノリを合わせる。それを間近で目撃した和葉が頭を抱えた。


「……普段は、砕けた口調を使った方がよろしいのでしょうか?」


「まあ、そこらへんは和葉に任せるさ。どんな口調でも、和葉は和葉だしな」


「フフ、そうですね。

 では、せっかくですのでお寿司を食べましょう」


 家族揃ってお喋りをしながらお寿司を堪能したあとは、葉月と菜月の衣類を見に行く。女性陣は楽しそうだが、こういう時の春道に居場所はない。

 なにせ、下着類も見たりするからだ。ある程度の時間を過ごしたところで、妻に買物が終わったらメールしてほしいと告げて店を出る。


 春道がひとりで向かう先はゲームショップだった。DVDなども販売してるので、見てるだけでも意外に楽しかったりする。そのうちに葉月たちも店へやってきた。メールするまでもなく、春道がどこにいるかはわかっていたみたいだった。


 帰りは眠そうな菜月を、春道がおんぶして歩いた。とりたてて大きな出来事はなかったが、たまにはこんな平和な一日も悪くはない。そう実感しつつも、次は徒歩での遠出は勘弁してもらおうと思った。

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