第121話 夏休みの宿題と父親の威厳

 春道と和葉の実家への帰省も終わった。今年の夏休みはたくさん家族で遠出ができたので、愛娘の葉月はとても満足そうだった。きちんと宿題をしながら、友人たちとプールなどへ遊びに行ったりもしたみたいだ。


 そんな充実した夏休みの最後の日。高木家のリビングに、葉月の友人たちが集まった。

 今井好美、佐々木実希子、室戸柚。それに葉月を合わせたいつもの4人組だ。

 春道がリビングへ姿を現すと、驚いたように全員が揃ってこちらを見た。

 いつかと同じようにダイニングテーブルの上に教科書やノートを広げている。どうやら4人で夏休みの宿題をしていたようだ。


「そうか。今日は夏休みの最終日だもんな。宿題を完成させるために、追い込みをかけてるのか」


 テーブルの上の散らかり具合を見れば、朝からずっと頑張っている様子が伝わってくる。しかし、すでに正午近くなっているにもかかわらず、葉月たちの宿題が終了しそうな気配はなかった。


「でもねー、好美ちゃんは宿題、もう終わってるんだよー」


 葉月が言うには、好美だけは最終日を迎えるまでにすべて終了させているらしかった。葉月は残り少しで、柚も今日中には余裕を持って終われそうだと言う。

 それならどうして皆が忙しそうにしているかといえば、ただひとり、ほとんど宿題を終わらせていない者がいたからだ。


「プールへ遊びに行った時に、宿題の進み具合はどうなのか聞いたら、大丈夫だって言ってたじゃない」


 呆れ顔の好美が話しかけた相手は実希子だった。

 テーブルに散乱しているのは、どうやら彼女の宿題ばかりらしい。


「だ、だから……その……最終日に、好美のを見せてもらえればなーって……」


 実希子が上目遣いをする。

 楽して宿題を終わらせる方法を考えていたみたいだが、あっさりと好美に却下される。


「実希子ちゃんが私のを写したら、成績が良くなりすぎるでしょう。すぐにバレるわよ」


「大丈夫だよ、適度に間違った答えをいれるからさ。それなら問題ない」


「実希子ちゃん、頭、いいねぇ」


 感心したように葉月が言った。

 得意げに「まあな」と胸を張る実希子を見て、好美はまたもや呆れたようにため息をついた。


「そういうのは、頭がいいと言わないの。葉月ちゃんも、こんなろくでなしの意見を参考にしたら駄目よ」


「ろ、ろくでなしって……」


 辛辣すぎる好美の言葉に、実希子が絶句する。


「ねえ、好美ちゃん。ろくでなしってなあに?」


 言葉の意味がわからなかったらしく、葉月が質問をする。


「ろくでなしというのは、サボってばかりで、世間の役に立ってない人のことを言うのよ。例えば……実希子ちゃんとかね」


 礼儀正しそうに見えて、好美が毒舌なのは前からだ。当初は戸惑ったりもしたが、そういう性格だと知って葉月が付き合っているのであれば何も問題はない。普通に接していれば、強烈な毒舌の被害にもあわずに済む。

 普段は葉月の料理の腕が標的になっているみたいだが、今日に限っていえば集中砲火を浴びているのは、夏休みの宿題をサボリ放題だった実希子だ。

 その彼女が正面から好美に反論する。


「それは違うぞ、好美。アタシはサボってばかりじゃない。遊ぶ時は一生懸命だ!」


 大きな声で言い切ったあと、実希子は椅子に座ったまま腕を組んだ。上半身を得意げに反らし、何故か目を閉じてフンと強く鼻息を吐く。

 恐らくは彼女なりに一矢報いてやったと思っているのだろう。

 しかし好美はまったく相手にせず、満面の笑みを浮かべて葉月に告げる。


「こういう人を、ろくでなしって言うのよ」


「うん、わかったー」


 元気よく返事をする葉月に、実希子が「わかっちゃ駄目だろ」なんてツッコみを入れる。

 宿題が本日中にきちんと終わるかは不明だが、なんやかんや言いながら葉月たちは楽しそうだった。


   *


「あら、春道さんもいらっしゃってたんですか?」


 よほどキッチンで集中していたらしく、ダイニングに姿を現した和葉が春道の姿に驚きを見せた。


「ああ……そろそろ昼飯かなと思って来たら、葉月たちが勉強してたよ」


「そういえば今日、集まりがあるのを教えていませんでしたね。それじゃ、春道さんも一緒に昼食をどうぞ」


 微笑んだ和葉は、両手で持っているお盆を強調するように春道へ差し出してきた。

 乗っているのは、手作りのピザトーストだ。漂ってくる美味しそうな匂いに、子供たちが歓声を上げる。


「早速、テーブルの上を片付けようぜ」


 率先して実希子が教科書類をしまおうとする。


「勉強を始めるまでは時間がかかるのに、終わらせようとする時はあっという間ね」


「それこそ、今さらでしょう。学校での姿と一緒じゃない」


 呆れ果てている好美に、本当にフォローになっているのか疑わしいフォローを柚が入れる。

 ほとんど皮肉も同然なのだが、和葉お手製のピザトーストに目を奪われている実希子は特に気にしていないみたいだった。


「皆、ご飯前にきちんと手を洗わないと駄目よ」


 注意しながら、和葉は持っていたお盆をテーブルの上に置く。

 子供たちはすぐに「はーい」と返事をして、ぞろぞろと洗面所へ歩いていく。

 その隙に春道はリビングへ移動し、ソファの前に簡易テーブルを用意する。自宅のダイニングテーブルはさほど大きくないので、6人が一緒に昼食をとるのはさすがに無理そうだった。


「私と春道さんは、リビングで一緒に昼食ですね」


「たまにはいいだろ。夫婦だし、仲良く並んで食べるか」


「ウフフ。実希子ちゃんあたりに、からかわれてしまいそうね」


 そう言いながらも、妻は満更でもなさそうな表情を見せる。


「その実希子ちゃんなんだけど、会うたびに口調が男っぽくなってないか?」


 当初から口調に女性らしさはあまり感じられなかったが、成長するにつれて修正されるどころか悪化しているように思えた。


「少し歳の離れたお兄さんがいるみたいで、本人はその影響だと前に言っていたわ」


「そうなのか。顔立ちは女の子っぽいのにな」


 外で遊ぶ機会が多いからなのだろうが、葉月たちの中で一番日焼けをしているのは実希子だ。顔つきも女性にしてはどことなく凛々しいが、それでも整った顔立ちには違いない。成長してきちんと化粧をするようになれば、かなりの美人になる可能性がある。


 そのことを和葉に言ったりすれば変な目で見られるか、葉月の方が美人になりますとムキになるだけなので、あえて黙っておく。


「それぞれの事情がありますからね。よそ様の子供にまで、うちの教育方針を強制したりはできません」


「そのとおりだよ。まあ、俺からすれば、元気に育ってくれるだけでいいんだけどな」


「ですね。

 あ、皆が戻ってきたみたいですよ」


 春道と会話をしてる間も和葉は手を動かし続けており、ダイニングテーブには4人分のピザトーストに加え、野菜ジュースなども用意済みだ。

 一方の春道はリビングの簡易テーブルに自分と和葉の分を置いた。


「わー、美味しそうだね」


 今にも涎を垂らしかねない勢いで、葉月がピザトーストを凝視する。

 愛娘の様子に苦笑しながら、和葉は「早く席に着きなさい」と告げた。


 全員が揃ったところで、いただきますの挨拶をする。

 湯気を立ち昇らせるピザトーストをナイフとフォークで切り、子供たちが美味しそうに食べる。

 美味しいという感想を皆が言ってくれるので、昼食を用意した和葉はとても嬉しそうだった。


   *


 昼食を食べ終えると和葉がコーヒーを淹れてくれた。子供たちはカフェオレだ。

 午後も勉強が捗るように環境づくりをしてあげているみたいだが、早速ひとりの女児がグズりだす。予想どおりの実希子だ。


「お腹も膨れたし、皆で食後の運動をした方がいいんじゃないか。勉強も大事だけど、健康はもっと大事だぞ」


 彼女に唆されそうになっているのは、不本意ながら我が娘ひとりだけだ。真剣な顔つきで頷いてるあたり、単に話を合わせているわけではないらしい。

 父親としておいおいと思うが、春道が注意するよりも先に、好美が頼もしさを発揮してくれる。


「健康を求めるのも結構だけど、人生を生き抜くためには勉強も必要よ」


「好美の言いたいこともわかるよ。でもさ、勉強なんて将来の役に立たないじゃんか」


「そうかもしれないわね。だからといって、不必要なんて結論にはならないけどね。そもそも人間の将来なんてものほど、不確かなものはないわ。今は必要ないように思えても、私たちが成長してどこかで壁にぶつかった時に、役に立たないと思っていた勉強が助けてくれる可能性もあるのよ」


 好美の言葉を聞いて、春道は強烈な疑問を覚える。

 子供たちにバレないよう妻の耳にそっと口を近づけ、その点についての質問をしてみる。


「今井好美ちゃんって……本当に小学生なのか。変なスイッチでも使って、過去に戻ってきたりしてるわけじゃないよな」


「……確かに小学生かどうか疑わしくなるくらいの説明ではありましたが、春道さんの想像もサイエンスフィクションすぎます」


 現実離れした意見なのは百も承知だったが、本気でそう考えたくなるくらい大人びてるのが、今井好美という少女だ。

 葉月もずいぶんと大人っぽい一面を見せたりするが、彼女はその上をいっている。


 春道と和葉が好美についての会話をしているとは夢にも思わず、ダイニングテーブルでは激論が交わされる。

 最初はほぼ互角だったが、次第に実希子が押し込まれ始める。

 不利になった形勢を立て直す暇もなく、やがて彼女は何も言えなくなった。


「わかったのなら、きちんと宿題をするのよ」


「……はい」


 まるで教師みたいな好美の言葉に、力なく項垂れたままの実希子が返事をする。


「頑張ろうよ、実希子ちゃん。葉月、自分の分が終わったら、ちょっとだけ手伝ってあげるから」


「そうね。私も好美ちゃんが許可してくれる範囲で、手助けをしてあげるわ」


 葉月と柚の言葉に、実希子が素直に「ありがとう」と頭を下げる。


「本来は自分の力でやらないと身にならないんだけど、この分じゃ実希子ちゃんひとりで終わらせるのは不可能だものね。私も少しだけ手伝うわよ」


「皆、ありがとう。持つべきものは友達だよな」


「調子に乗らないの」


 好美に叱責されて再びシュンとするも、実希子は本当に嬉しそうだった。

 色々と言い合ったりもするが、喧嘩に発展せず終わらせられる。

 バラバラな性格の持ち主が集まっているからこそ、意外にバランスが取れているのかもしれない。


 子供たちの会話がひと段落したところで、隣に座ってコーヒーを飲んでいる和葉が「そう言えば……」と話しかけてくる。


「春道さんの子供時代はどうだったのですか? 私は序盤で宿題を終わらせる、4人で言うところの好美ちゃんタイプでしたけども」


 いきなりの展開に、ギクリとする。

 気になるのか、勉強しているようでいて、子供たちも聞き耳を立てている。


「……さ、さて。部屋に戻って仕事をしようかな」


 墓穴を掘る前に立ち上がった春道に、どこからか熱い視線が送られてくる。

 辿っていくと、ダイニングテーブルにいる実希子の席でピタリと止まる。


「こんなところに仲間がいた」


 実希子が浮かべたのは、いまだかつてない満面の笑みだった。


「えっ、そうなの? パパ、実希子ちゃんと一緒なのー?」


 葉月が座っていた椅子から立ち上がる。


「お、俺は……その……。

 お、おいっ。変な目でこっちを見るなって」


 リビングに来なければよかったと後悔しても遅い。

 こうしてまたひとつ、春道の父親としての威厳が失われていくのだった。

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