第417話 授業参観で悪巧みはやめましょう、予期せぬ反撃を食らいますよ

 肌に湿気が纏わりつき、大人たちから覇気が消失する。そんな梅雨も中盤の1日に、穂月たちのクラスで授業参観が行われた。


 全校一斉ではなく、各学年ごとに日付が違うので、朱華や陽向などはもう済ませている。


 昨年も経験しているが、普段勉強している学校に親が来るというだけで、何故かとてもウキウキソワソワしてしまう。


 地に足がつかないような気分になっているのは穂月だけでなく、とりわけ悠里は朝から表情を輝かせていた。


「もうすぐ始まるの」


 穂月たち4人組は窓際の席で一塊になっている。公平を期すために席順はくじ引きで学期が変わるたびに行われるのだが、友人と近くになるため頻繁に交換が発生する。


 担任の柚が咎めないのもあり、1年時こそ男女並んでの席だったが、2年生になってからは女子同士が隣あって座ってもいいことになった。


 どうしてか前に聞いたところ、虐めもないので好きな子同士で座っても大きな問題には発展しないだろうと教えてくれた。


「みんなでお願いごとを書くのかな」


 穂月は教室の隅にある笹の木を見る。今日は7月7日。いわゆる七夕である。よく行くスーパーではイベントスペースに大きな笹の木があって、買い物客が願いを書いた短冊を飾れるようになっていた。


「きっとそうです」


 同意した沙耶の後ろで穂月の隣でもある希は、興味なさげに机に突っ伏している。話しかけたりしない限りは、これが彼女のノーマルスタイルだ。


「そろそろ先生が来るの。楽しみなの」


   *


 5時間目の授業が始まるなり、ぞろぞろと保護者が教室に入る。もしかしたら始まるまでは入室しないように言われていたのかもしれない。


 その中には当然のように、穂月の大好きな母親もいた。小声で「ママー」と呼び、小さくを手を振る。後ろの席ゆえの特権だ。


 見れば他にも穂月と似たような行動をしている児童がいた。


「ちゃんと先生の話を聞かないとだめだよ」


 やんわり注意する葉月の隣には、難しい顔をした実希子がいる。


「希、寝るな。母ちゃんにしっかりした姿を見せてくれ」


 近くに立っている沙耶と悠里の母親が口元に手を当ててクスリとする。穂月たち同様、4人の両親もとても仲が良かった。


「今日は皆さんに家族についての作文を書いてもらいます」


 いつもより綺麗に着飾った柚が、教卓に両手をついて宣言した。


 後ろの荷物入れのロッカーというか棚が並ぶ前に立っている保護者――母親が圧倒的に多い――も普段より3割ほどは綺麗だと思われる。


 化粧品と香水、それに仄かに安心させる親の匂いが教室に漂う。普段とは違う空気に、ますます穂月のみならず児童たちが高揚する。


 希だけは相変わらず気怠そうだが。


「時間は10分。その後、端の席の人から順番に発表してもらいます」


 元気な返事が教室に響く。


 前から原稿用紙が流れてくると、早速穂月も鉛筆を手に持った。


   *


「お母さんはいつも優しく勉強を教えてくれます。テストで良い点を取るとお父さんは褒めてくれます。2人の笑顔が見たいので、もっと頑張りたいです。出雲沙耶」


 沙耶の発表が終わる。盛大な拍手が教室に木霊した。


 出入口側から発表が始まっているので、窓際の穂月たちに回ってきた現在は終盤だ。次は穂月の隣に座る希の番になる。


 作文の途中で眠りこけようとしては背後から母親に揺り起こされ、なんとか作文は完成させたみたいだった。


 やはり気怠そうに立ち上がると、両手に原稿用紙を持つ。


「うちのお母さんはご飯を食べさせてくれません」


 衝撃的な第一声に教室内がザワリとした。


「待て、希。それはお前が小2にもなって食べさせてもらいたがるからだろっ」


 泣きそうな声で真相が暴かれるが、精神的にタフな希は動じない。


「おまけに娘が泣きそうになると、お腹を抱えて大喜びします」


 さらに剣呑な雰囲気に包まれる教室。母親たちの実希子を見る目がどんどん冷たくなる。


「私が寝ていると友達をけしかけて邪魔をします。外が寒くなっても家に入れてもらえなかったりもします」


 ひそひそ。


 ざわざわ。


 困ったように笑う葉月と他2人の母親。


 愕然としたまま固まっている実希子。


「虐待などはありませんが、母も父と同じように優しくなってほしいです」


「1日中寝てばかりいないで、たまには外で遊んで来いと送りだしてるだけじゃないかあああ、あんまりだあああ」


 ボロボロと涙を零して実希子が走り去る。


 これもまた突然の出来事だったので、改めて教室中が騒然とする。


「のぞちゃん?」


「……改心させるつもりがやり過ぎた」


 ひとまず発表を終えた希は、あとで慰めると小さくため息をついた。


   *


 途中のアクシデントはあったが、悠里の発表も無事に終わり、残るは穂月だけとなった。


 席を立った直後に1度だけ母親を振り返る。実希子の姿はいまだないが、葉月はにっこり微笑んでくれた。


 よし、と気合を入れて穂月は書いた作文を口にする。


「穂月のママは良い匂いがします。パン屋さんだからです。朝起きるともういなくて、夜も遅いです。でも学校帰りに行くと会えます。お客さんと話してる時、パンを作ってる時、穂月たちとお喋りをしてる時、ママはいつも笑顔です。その笑顔が穂月は大好きです。心がぽかぽかします。

 だから穂月もたくさん笑います。周りの皆がぽかぽかできるように、大好きなママと同じようにいつも笑顔でいたいです。高木穂月」


 にこやかに発表を終えると、葉月がハンカチで目元を押さえていた。


 何度も頷いては見慣れた笑顔を見せる母親に、穂月の心も普段よりずっとぽかぽかする。


「穂月ちゃん、ありがとう。皆も日頃の感謝をお母さんやお父さんに伝えられたと思います」


 場をまとめてから、柚は教卓に笹の木を乗せる。


「最後に保護者の方と一緒に短冊に願い事を書いてもらいます」


 原稿用紙同様に前から流れてきた短冊を手に持つ。前から順に好きな色を選んでいくため、穂月の手元に来た時は白しか残っていなかった。


「ママは何をお願いしようかな」


 それぞれの親が子供たちの席に移動し、隣にしゃがみ込む。2枚セットになっているので、短冊は親の分もある。


「穂月はね、もう決まってるんだよ」


 すらすらと鉛筆を走らせる。短冊に大きく書いたのは、


『いつまでもみんなといっしょにいられますように』


 という願い事だった。


「うん、いいお願いだね。私も穂月と同じにする」


「えへへ、同じー」


 書き終えた人から教卓の短冊に張り付けていくが、そこに若干沈んだ様子の希がやってくる。両手で大事そうに持った短冊には『母ちゃんと仲直りできますように』と書かれていた。


「ほうほう。そんなに希は母ちゃんと仲直りがしたいのか」


 いきなり背後から聞こえた声に、希がビクリとして振り返る。


 上半身を折り曲げ、顎に指を当てて半眼でニヤニヤする実希子がいた。怒っている様子も泣いていた様子もなく、どうしたことかと穂月は母親を見る。


「アハハ、実は作文があるとわかった時点で、希ちゃんが辛辣な内容を書くと予想してたみたいで……」


「一芝居打ったってわけだ。アタシがいなくなったと、希がしょんぼりしてるのもちゃあんと見てたからな。うりうりうり」


 柔らかいほっぺを指で突かれた希は、吊り上げた目を母親に向ける。


「そんな目をしたら母ちゃん、泣いて出て行っちゃうぞ。えーん、えーん」


 完全に嘘泣きである。わざとらしく披露された希は満面朱を注いでつけたばかりの短冊を剥ぎ取る。近くの席の児童から鉛筆を借り、ガリガリと先ほどまでの願いごとを消して書き直す。


『誰か母親を真人間にしてください』


 隣には同じ色の短冊。


『誰か娘を真人間にしてください』


 実希子が勝ち誇り、希が忌々しそうにする。だが途中で張り合うのを無駄と判断し、いつもの眠そうな表情に戻る。


 その際、実希子が残念そうにしたのが印象的だった。


「実希子ちゃんはね、ああやって希ちゃんとコミュニケーションを取るのが楽しくて仕方ないんだよ。私はちょっとどうかと思うけど……」


「タハハ、まあやり過ぎかもしれないけど、遠慮して親に何も言えない子に育つよりはいいさ。文句でも会話には違いないからな」


 そう言って実希子はいまだむくれた気配を見せる愛娘を抱き締めた。


「希がどんな子でもアタシの娘だし、いつまでもずっと愛してるからな」


「……うざっ」


「あんまりだ! また泣いちゃうぞ!」


 気が付けば周囲に人だかりができていて、作文発表の際には訝しげに実希子を見ていた保護者たちも目に涙を浮かべていた。


   *


「おいおい、まだ怒ってんのかよ。いい加減に機嫌を直せって」


 授業参観を終え、戻ってきたムーンリーフ。傍目には不貞寝をしているように見える希だが、穂月は友人が単純に照れているだけなのがわかった。恐らくは授業後半に母親から抱き締められながら言われた台詞が原因だろう。


「大丈夫だよ、これを見たら希ちゃんも笑顔だよ」


 コックコートに着替えた葉月が厨房から運んできたのは、満月を象ったパンだった。


「うわー、お月さまだー」


「表面はレモンと生クリームでコーティングしてるんだよ」


「でものぞちゃんのはー?」


 テーブルの上に乗せられたのは穂月の分だけだ。疑問に思って尋ねると、実希子が得意げに鼻の下を指で擦った。


「穂月が満月なら、希のはコイツだ。アタシが作ったんだぞ」


「わー、本だー」


 実希子が用意したのは本の見開きページに見立てたパンだった。それぞれのページに実希子と希と思われるデフォルメされたキャラが描かれている。


「どうだ、希」


「……いただきます」


「えっ、いきなり母ちゃんと分けるのかって、おいっ、その切り方だと母ちゃんの顔が半分に――ぎゃあああ」


 大げさに頭を抱える母親に、パンを四分割した希はいつになくニヤリとしていた。

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