第502話 お姉ちゃんには負けていられません、春也も夏の大会は全力で発奮します

 先に大会が行われている姉が着実に結果を残していると知れば、負けていられないのが弟の春也だ。先に夏を終えてなるものかと腕を振り、鼻息も荒くマウンドで仁王立ちする。


 夏の日差しも強烈になってきた1日。地元で行われる県大会の決勝で、春也は誰よりも気合が入っていた。


 目指す全国制覇をするためには、こんなところで躓いてはいられない。すでに東北大会の出場権を得たとはいえ、優勝はモチベーションを高める原動力になる。


 バッターボックスには小学校の頃からよく対戦する見慣れた顔。常連とまではいかなくとも、全国大会も経験している春也だけに名前と顔が一致する優秀な選手も多かった。


「確か、前に2塁打を打たれたっけな。その借りをここで返してやる」


 グッとボールを持つ手に力を入れ、ニヤリと笑った数秒後。春也の投じた白球は、ものの見事にセンター前へ弾き返された。


「あれ? 思った展開と違うぞ」


 打球を処理した晋悟を眺めていると、いつの間にやってきたのか、顰め顔の智希にキャッチャーミットで頭を軽く叩かれた。


「貴様は阿呆か」


「いきなり何だよ」


「力めばどんなに速くても棒玉になると理解したのではなかったか。それとも将来の夢をプロ野球選手から、プロの打撃投手にでも変えたのか」


「悪い」


 調子に乗って打たれたのは事実なので、頭を冷やす意味を込めて素直に謝罪する。


「けど今日はいつになく女房役をしてくれるじゃないか」


「当たり前だ。姉さんの応援のない試合などさっさと終わらせて帰りたいのだ。そのためには投手戦に持ち込まなければならない。乱打戦など以ての外だ」


「おう、智希らしくて安心したぜ」


 いつもの調子で軽口を叩き、大股でポジションに戻る友人の背中を眺める。


「なんやかんや言うくせに、さっさと負けろとは言わないんだよな」


 呟いてから照れ臭くなって笑う。すると春也の指先からは、自然と余計な力が抜けていた。


   *


 インターハイ2連覇を達成中の姉が率いる南高校より知名度は低いが、春也たちも地元では十分な期待を受けていた。


 県大会の決勝もかなりの応援団が駆け付け、熱心にブラスバンドの演奏に合わせて声援を送ってくれる。


 東北大会ではさすがに全校応援ではなくなるので、これも見納めかと最終回のマウンドで少しだけ寂しくなる。


「おい、なんでこの場面で感傷に浸ってるかはわからんし、知りたくもないが、阿呆な真似だけはしてくれるなよ。俺は姉さんに勝利を届けねばならんのだ」


「のぞねーちゃんって、お前が勝って喜ぶようなタイプだっけ?」


「貴様は相変わらず阿呆だな。貢物は質と量がともに大事なのだ。普通に考えればわかるだろうが」


「いや、普通に考えてわからないから聞いたんだが。

 でも、ま……智希が励ましてくれてるってことだけは理解した」


「フン……ならとっとと抑えろ。祝勝会はいつもの焼き肉屋だから、きっと姉さんたちも駆け付けてくれる」


「楽しみだな」


「もちろんだ」


 相棒を見送り、帽子のつばをいつもより少しだけ下げる。背中に当たる日差しですら応援してくれているように感じ、微かな疲労さえ消えていく。


「期待されてるなら、応えないといけねえよな」


 ピッチャーズプレートに乗っていた土を払い、上半身を屈めて親友のリードを確認する。県大会の制覇はもうすぐそこだった。


   *


 全県大会で優勝した勢いそのままに、東北大会でも勝利を重ねて全国大会への切符を得る。その頃には3連覇を目指す姉たちもインターハイ出場を確定させており、地元の盛り上がりはとんでもないことになっていた。


「宏和おじさんが甲子園に出場した時に近いってパパが言ってた」


 昨日に全国大会の開会式も終わり、これから予定されている試合に出場するため、春也はせっせと柔軟体操で体をほぐす。それが終わればキャッチボールから始めて肩を作っていく。


「僕のお父さんも言ってたね。自分たちは全国大会と縁がなかったから羨ましいって。もっとも両親は揃って高校から部活を始めたみたいなんだけど」


「いじめっ子だったもんな」


「その通りだったらしいから何も言い返せないね」


 集まりがあるたびに、実希子にからかわれる姿を春也たちも見ている。被害にあった葉月と柚が平気そうにしているので、そのことで深刻になったりはしない。


 けれど春也は和也に、晋悟は尚に、滾々と虐めの残酷さを教えられてきた。虐めた側は忘れることができても、虐められた側の傷は決して消えない。忘れるのではなく、痛みを呑み込んだまま過ごすしかないのだと。


「俺としては智希ママの方がいじめっ子に見える時もあるけどな」


「調子に乗りすぎるのは事実だから、そう指摘されるのも当然だな。だが実際は悪意ある行動を何よりも嫌う。俺や姉さんがそんな真似をしたら本気で激怒するだろう」


「そうなったら、とんでもないことになりそうだな」


「恐らくは葉月さんなり好美さんが仲介して事を収めてくれるだろうが、意図して厄介な事態を呼び込みたいとは思わんな。それに虐めなどという非生産的な真似をしてる暇があるなら、姉さんのことを考えていたい」


「知ってるか? 虐めは以ての外だけど、ストーキングも犯罪だぞ?」


「当たり前だろうが。貴様、誰に向かって物を言ってるか、理解しているのか」


「理解してるから忠告したんだぞ」


 ウォーミングアップを終え、真っ新なマウンドに上がる。それだけで気分が高揚して、無敵になったように錯覚する。


「……っと、ヤバいヤバい。また力み過ぎて、智希の奴に阿呆って叱られるとこだったぜ」


 苦笑いをして肩から力を抜き、それでも気合十分に打者を睨みつける。


「さあ、やってやろうか。負けて姉ちゃんたちの祝勝会に混ざるなんて、絶対に御免だからな」


   *


 春也はチームで絶対的なエースだが、1人の投手だけで優勝まで辿り着くのは至難の業だ。それを補ってくれるのが中堅のレギュラーでありながら、2番手投手を務める晋悟だった。


 春也と比べて力感のないフォームから繰り出される直球は伸びがあり、大抵の打者はボールの下を振る。変化球にもキレがあり、試合で完封したことも1度や2度ではない。


 そんな晋悟がエースになり切れない理由。それは人が良すぎる性格――ではなく、


「ああ……またやっちゃった……」


 遊撃を守る春也の耳にまで、マウンドで落胆する友人の声が届いた。


 甲高い金属音が残る大空に高々と舞い上がった白球が、追うのを諦めた外野手のさらに前方――フェンスを越えた地点にドスンと落ちた。


「そんな気にすんなよ。まだこっちがリードしてんだし」


 打者がダイヤモンドを一周する間に、春也はマウンドで友人を慰める。メンタルがピッチングに及ぼす影響は多いと考えているからだ。


「どうして僕のボールは簡単にホームランにされるのかな」


 腕組みをした晋悟は不思議そうだ。飛翔癖とでも言えばいいのか、友人の投げるボールは春也のに比べて長打にされる確率が高かった。


「悔やんでも仕方あるまい……む? どうやら投手交代のようだな。明日の決勝に温存とか言ってられる場合ではなくなったか」


「同点までは大丈夫だと思うんだけどな。監督、焦り過ぎじゃねえか?」


「僕は交代でありがたいかな、実は限界が近かったから」


 そういうことならと春也はマウンドを譲り受け、きっちりと後続を打ち取った。


   *


 決勝戦当日。全国制覇を目前に控え、春也の興奮も最高潮に達していた。しかも今日はわざわざ陽向が応援に駆けつけてくれているのだ。マウンドからその姿を確認すれば、尽きることなくやる気が漲ってくる。


「愛のために投げるのは結構なことだが、得意のポカをやらかすなよ」


「前の回に誰かが取ってくれた点を無駄にする気はねえよ」


「フン……なら、せいぜい頑張ることだ」


 スコアボードに刻まれた点数は1-2。裏の回に攻撃をする春也たちがリード中だ。初回に1点を失ったものの、その後はしっかり抑えてきた。相手も好投手だったので反撃が遅れたが、それでもつい先ほど4番の正捕手が、晋悟を1塁に置いた状態から本塁打を放って試合をひっくり返してくれた。


「これで燃えなきゃエースじゃねえよな」


 最終回の表、ツーアウトでランナーはなし。けれど1発が出れば試合は振り出しに戻る。打者は相手の4番。初回にタイムリー2塁打を浴びている。


「悪いけど俺はしつこいタイプでな。初回の借りはここで返させてもらうぜ」


 振りかぶって投げる初球。想定通りに打者は空振り――とはならず、耳を劈くような甲高い音が響いた。


「おいおい、嘘だろ!?」


 慌てて振り返ると、中堅の親友が全力で下がって、下がって、なおも下がって。


 フェンスに背中を預けるようにしてこちらを向き、掲げたグラブに落ちてきた白球を収めた。


「あ、あぶねー……」


「優勝の瞬間が喜びではなく安堵とは、なんとも締まらない幕切れだな」


「うるせえよ、でも……ハッピーエンドはハッピーエンドだ」


「フン、終わりよければすべてよしってことに――うおおっ」


 ニヒルな態度な友人が、走ってきた仲間によって容赦なく潰された。それを笑って見ていた春也も同じように潰され、マウンドに歓喜の輪が完成した。


 這いずるようにしてなんとか逃げ出すと、春也はこっちを見て何かを叫んでいる想い人に高々と右手を突き上げて見せた。

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