第391話 皆が集まるお正月

 積もるまではいかず、降っては溶けてを繰り返す今年の冬。


 濡れたアスファルトに残るみぞれみたいな雪の名残をシャリシャリと踏みながら、皆で神社を目指す。


 普段から閑散としているが、今朝は町全体が眠っているかのようにさらに静かだ。


「おほー、雪は降ってねえけど冷えるな。大丈夫か、智希」


 マフラーに口元まで沈めた実希子が、両手に抱える愛息の様子を見る。

 十分に厚着をしたのもあり、寒がってはいないみたいだった。


「お正月といえば、大抵は雪が積もってるイメージなんだけどね」


「これも温暖化ってやつの弊害なのかもなー」


 雪こそ降るが、昔に比べて積もる量は明らかに減っている。

 葉月の愛娘である穂月が、雪遊びに興じていた昨年は割と多かった方だ。


「私は寒がりだから、冬は暖かい方がありがたいわね」


 そう言って会話に加わってきたのは、マスクで顔の下半分をすっぽり隠している尚だった。風邪を引いているわけではなく、単純に保湿と予防のためだという。


 最近ではマスクをして出歩く人も増えているので、葉月としても子供たちのためにもマスクをした方がいいかなと考えたりもする。


 一説によれば近い距離で会話でもしない限り、普通に外を歩いている分にはインフルエンザの飛沫感染はあまり気にしなくてもいいらしいが。


 とはいえ幼い子供を抱える母親が慎重を期すのは悪いことではない。


「確かに冬は過ごしやすくなったが、代わりに夏がキツくなるぞ?」


「……そうだったわね。今年の夏も酷かったわ」


 過ぎ去った昨年の夏を思い出しているのか、息子の晋悟を抱いている尚の肩が落ちる。


「夏が暑くなりすぎて、

 東北地方に住んでる恩恵が感じられなくなりつつあるわよね」


「昔は真夏でも長袖を着られるくらいだったのにね」


 今年も実家にいたくない柚が、すかさず尚に同意した。

 変わらず同じ小学校に勤めている彼女は、職業上特に夏の暑さを感じるみたいだった。


「猛暑日なんてない夏も珍しくなかったのに、今じゃひと夏に一度どころか、二度三度と当たり前にあるもんね」


「でも柚には夏休みがあるだろ」


 何気なく実希子がツッコみを入れた瞬間、柚の顔が険しさを増す。


「誤解されがちだけど、夏休みだからといって生徒と同じように休めるわけじゃないのよ。教員の夏季休暇なんてせいぜい五日よ。それ以外に休みたければ有休を使うしかないわね」


「うへぇ~、やっぱ楽じゃねえな」


「年配の先生には当たり前のようにセクハラをしてくる人もいるし、本当にうんざりだわ。子供たちの愛らしい笑顔がなければ、とっくに辞めてるわね」


「その生徒たちも時には反抗するしな」


 以前に柚が直面した問題を言っているのだろう。

 当時は大変だったが、今ではそれなりに良い思い出に変換されているのか、柚が引き摺っている様子はなかった。


「あそこまで酷いのはもうないけど、細々としたものはいまだにあるわね。学校は社会の縮図みたいなものだから当然よね」


「あやか、もうすこしでしょうがくせいになるよ」


 肩を竦める柚の隣に、子供用のコートを着た朱華がぴょんと飛び跳ねるように進み出た。


「そうだったわね。フフ、小学校は楽しい所だから、楽しみにしてるといいわよ」


 元気に「うんっ」と返事をする朱華のすぐ後ろで、実希子が苦笑する。


「社会の縮図だったら楽しいも何もないだろ」


「怖がらせてどうするのよ」


「ひはい、ふねるはよ、よひみぃ」


 好美に頬をつねられた実希子が、涙目で抗議する。


「それに社会にだって楽しいことはたくさんあるでしょ」


「確かにな」


 ケラケラ笑う実希子に、ため息をつく好美。

 そんな大人たちの足元で、穂月が朱華に小学校についてあれこれ質問していた。


   *


 皆での初詣を終えて高木家に戻ると、早速宴会じみた食事会が行われる。


 息子に母乳を上げていた実希子は、正月に限ってお酒を解禁するらしく、誰よりも豪快に雄叫びを上げて缶ビールを一気呑みする。


 すかさず好美に「体に悪い呑み方は止めなさい」と注意されていたが。


 子供たちはお節料理よりも、甘くて美味しいお汁粉に夢中だ。

 はふはふと朱華と穂月が隣り合って一生懸命食べている。


 一方の希はお汁粉の入ったお椀をじーっと見つめているが、なかなか腕を伸ばさない。何をしてほしいのか察知済みの実希子は、すぐに夫へ甘やかさないように通告する。


 なんとか自発的に行動してほしい母親の願いと愛情が通じたのか、ようやく希が動き出す気配を見せる。


 そして――


「寝てどうすんだよっ、腹が減ってるんだろ」


 つーんとした感じの無視ではなく、単純に反応するのが怠いといった感じで、狼狽する母親に視線すら向けない。


「こうなったら徹底抗戦だ! 希が自分で食べるまで、一切手伝わないからな!」


「み、実希子さんっ」


 あまりに厳しいと思ったのか、慌てて智之が実希子を翻意させようとする。

 だが実希子の決意は固かった。


「幼稚園でも先生に食べさせてもらってるんだぞ!? そろそろ食事くらい自立させないと問題だろ!」


「そ、それは……」


 このやりとりだけ見ても、家では最終的に智之が折れて愛娘にご飯を食べさせているのがわかる。


 実希子は餓死しそうになるほど空腹が強まれば、目の前に料理はあるのだから、さすがの希も食べるはずと考えているに違いない。


「一歩間違えば虐待ね」


「怪我や病気でもないんだぞ! ただ面倒だからって理由で飯を食わせてもらいたがって、要求が受け入れられないと虐待って、さすがにあり得ないだろ!」


「まあ……もう幼稚園にも通ってるし、そろそろ自分で食べないのは問題よね」


 苦笑しつつも、最終的には好美も実希子の計画を受け入れる。

 周りの大人たちがハラハラドキドキで見守る中、真っ先に動いたのはやはり穂月だった。


「のぞちゃん、たべないの? おいしいよ?」


 温かいお汁粉でほっぺを赤くした穂月が、実に愛らしい笑顔で話しかけた。

 だが反応してもらえずに首を傾げていると、隣で朱華が事情を教える。


「のぞちゃんはじぶんでたべれないんだって」


「そうなのー? じゃあ、ほづきがたべさせてあげるねー」


 にこやかに宣言した穂月は、箸を自分のお椀に残っていたお餅に突き刺した。

 ふーふーと息を吹きかけることもなく、湯気を立ち昇らせるお餅を持ち上げる。


「でも、ほっちゃん、のぞちゃんねてるよ?」


「おくちにいれるとだいじょうぶだよ」


 朱華の疑問にさらりと答え、躊躇なく餅を希の口元へ運ぼうとする。


 熱感が伝わってきたのか、それとも嫌な予感を覚えたのか。

 一瞬にして覚醒した希が、もの凄い勢いでソファから起き上がった。


 じりじりと接近しつつあった穂月から距離を取ると、

 すぐに空いている椅子に座る。


「おしるこ、はやくっ」


 慌てた様子で腕を伸ばすも、ニヤニヤする実希子が逆襲とばかりに反応しない。


「のぞちゃん、ほづきがたべさせてあげるね」


「いらな――ふごっ」


 熱いお餅を強引に突っ込まれ、希が涙目になる。


「お笑い芸人のコントみたいだな」


「そんなこと言ってる場合じゃないよ。さすがに穂月を止めるからね」


 まだ子供の穂月だけに手加減を間違え、箸を喉に刺してしまったら大変だ。

 実希子の同意を得る前に、葉月は愛娘を剥がい締めにするようにして希から引き離した。


   *


「今度から素直に食べない時は、穂月に世話してもらうからな」


 じろりと睨まれたところで実希子は気にしない。


「元はといえば、希が自分で食べないから悪いんだ。飯くらいきちんと食え」


 さすがに昼のやり取りで懲りたのか、夕食の席では希もきちんと自分で箸を動かした。実希子の希望で隣に座らせた穂月の視線がプレッシャーになったのかもしれない。


「穂月が一緒で良かったぜ。希が一人で幼稚園やら小学校に通ってたらと思うとゾッとする」


「そういう意味じゃ、友人同士で妊娠時期をある程度合わせるというのも一つの方法かもね」


 尚の同意に、帰省していた菜月に会うために高木家へ遊びに来ていた茉優がもの凄い勢いで首を縦に動かす。


「以前にはづ姉にも忠告したけれど、逆にそれが原因で仲に亀裂が入る可能性があるのを考慮できているのならね」


「そう考えると、難しい問題でもありますね」


 今度は愛花が頷く。

 彼女は宏和と一緒に夜になってから高木家に来ていた。


 籍を入れたので一緒に宏和の実家へ行ったらしいのだが、一癖も二癖もある親族から逃がすため、宏和の父親の泰宏が二人一緒に高木家へ送り出したという。


 その愛花は、プロで頑張る宏和を支えるため、今は妊娠するつもりがないみたいだった。


「ま、悩むより実行してみる方がいい時もあるぞ」


「一理あるかもしれないけれど、ソフトボール以外で実希子ちゃんの助言には素直に従いたくないわね」


「何でだよ!」


 いつもなら会話をしている最中にも希は菜月に甘えようとするのだが、今回は常に穂月が傍にいるので自由に動けないみたいだった。


「そういや、子供連中は何か相手を愛称で呼んでたな」


「私も気になったわ。

 穂月がほっちゃん、希ちゃんがのぞちゃんと呼ばれてたわね」


 実希子と菜月の話題が娘たちのことに移る。


「じゃあ朱華は何になるんだ?」


 何気なく実希子が疑問を口に出すと、当人が教えてくれた。


「あやかはあーちゃんなの」


「幼稚園でニックネームをつけあうのが流行っているみたいでね」


「それでか。ま、似合ってるし、いいんじゃないか」


 大人たちだけでなく、子供たちは子供たちで小さくともそれぞれの人間関係を築いている。


 今年も子供たちは着実に成長してくれるのだろうと思うと、葉月は新年から幸せな気持ちに包まれた。

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