第371話 狙いと偶然と喜び
「おめでたいことなのに、呆れて物が言えなくなりそうというのは、どういうことなのかしら」
ムーンリーフにおける一日の営業を終え、夜にリビングで電話をした妹に、葉月は実に辛辣な言葉を返された。
そう言いたくなる理由もわかるので、葉月は苦笑するしかない。
「発案者は実希子ちゃんね」
「それが尚ちゃんなんだよ」
葉月の答えに一瞬驚いたあとで、すぐに菜月は納得する。
「ああ、朱華ちゃんだけ年上だものね。寂しく思ったのかしら。
でも、はづ姉たちの友情もそこまでいくと凄まじいわね」
「アハハ、でもまさか、本当に上手く重なるとは思わなかったよ」
「でしょうね。友人同士で妊娠のタイミングを合わせるとか前代未聞よ」
「友達になってくれそうだから、心強くはあるけどね」
素直な感想を口にすると、電話向こうで首を左右に振っているのがわかるくらいに、妹はやれやれといったため息をついた。
「すべてが順調に進めばそうでしょうけれど、子供でも人間なのだから、その心の成長は誰にも予測できないわ。友人になってくれると期待した子が、親同士の絆を引き裂く一因になる可能性だってあるのよ」
「心配ばかりしてたら、何にもできなくなっちゃうよ」
「さすがの楽天家ぶりね。もっとも、そうでなければ自分で店をやるなんて決断もできないのでしょうけれど」
「ウフフ」
「……先ほどのやりとりのどこに、そんな楽しそうに笑う要素があったのかしら」
「だって、なっちーがとっても心配してくれてるんだもん」
「……実の姉だからね」
「……うん。ありがとう」
報告はここで終わるかと思いきや、菜月のお小言ならぬ忠告にはまだ続きがあった。
「皆で話した通りの結果になれば素晴らしいけれど、妊娠も出産もそんなに甘いものでないのははづ姉がよくわかっているわよね。
流産の可能性だってゼロではないし、その場合は人間関係が複雑になってしまうかもしれないわよ」
「……そうだね」
「とはいえ、もう妊娠してしまったのだから、あとは皆で協力して、はづ姉も頑張って、元気な子供を産むしかないわよね」
「うんっ! お姉ちゃん、頑張るよ!」
*
妹に決意表明した翌日のムーンリーフ。
昼下がりになり、ある程度客足も落ち着いたところで、葉月たちは軽い休憩を取っていた。
店にはすっかりパート社員として馴染んだ和葉が立ってくれている。
「それにしても、まさか本当に重なるとはな」
醤油煎餅をパリパリと食べながら、実希子は昨夜の葉月同様の苦笑を顔に張り付けた。
穂月の子育ても順調なのもあり、妹がいる幸せを知っている葉月は、愛娘にも弟か妹をそろそろ作ってあげたいと考えた。
真っ先にママ友同盟で相談すると、葉月以上に尚が乗り気になった。
それなら今度は、皆の子供が同じ学年になるよう調整しようと。
当時の実希子は唖然としていたが、彼女も兄がいるので、二人目を作ること自体は考えていたみたいだった。
そこで恐らく無理だろうとしながらも、各夫にも相談した上で、子作りのタイミングを合わせるという、菜月に言わせれば暴挙に及んだのである。
「実希子ちゃんが狙い通りに妊娠した時はさすがと思ったけどね」
該当の人物を横目で見てニヤリとする尚に、すかさず葉月が同意する。
「最初に妊娠するのは実希子ちゃんだって予想してたしね」
「……なんか色々と思うところのある台詞だが、素直に祝福してもらってると受け取っておくわ」
半笑いの実希子に続き、一ヵ月遅れで妊娠が発覚したのは尚だった。
二人の順調さに慌てた葉月だが、こればかりは授かりものなので、自分の力で完全にコントロールするのは不可能だ。
一人だけ駄目かもしれないと思い始めた矢先、ついに葉月も妊娠した。
尚から遅れること一ヵ月で、予定日は実希子が来年の5月。尚が6月。葉月が7月になっていた。
「菜月ちゃんじゃないけど、よくもまあ話通りになったものよね」
好美もそう言いだすあたり、明らかに順調すぎた。
あまりに上手くいきすぎて、どこかでしっぺ返しがくるのではないかと、密かに怖くなるほどである。
菜月との電話の内容もついさっき話していたので、似たような助言を好美もしてくれる。
意外にも母親の和葉はあまり口数が多くなかった。
呆れているのかと心配になったが、葉月もいい大人だし、二人目なので口煩く言うこともないだろうと判断してくれたらしかった。それでも三十歳を過ぎた三人が、簡単に妊娠できた事実に驚きを隠せていなかったが。
「好美は大変だな」
唐突に切り出した実希子に、名前を出された好美が不思議そうにする。
「何が?」
「お年玉を渡す相手がもう三人も増えるぞ」
「大丈夫よ。その分、実希子ちゃんの給料を減らすから」
「横暴だ! 店長、ガツンと言ってやってくれ!」
「残念ながら、うちの優秀な金庫番には店長も頭が上がらないのです」
「何てこった。黒幕は好美だったのか!」
「黒幕って言わないでくれる?」
なんてふざけ合っていると、お手洗いに行っていた茉優が戻ってきた。
ついでに穂月たちのトイレも手伝ってくれていたらしい。
労うと笑顔で頷いてくれた妹の親友が、会話に加わる。
「ふわぁ、皆で楽しそうだねぇ」
妊娠の話題だったと知ると、事前に話を聞いていた茉優はこの場の誰よりも可愛らしい顔を輝かせた。
「はづ姉ちゃんたちを見習って、茉優もなっちーと一緒に赤ちゃんを産むよぉ!」
拳を握って宣言した茉優は、どこまでも本気の目をしていた。
*
「はづ姉! 茉優に変なこと吹き込んだでしょ!」
その日の夜。
リビングで団欒中だった葉月に、電話をかけてきた妹の第一声がそれだった。
二夜連続で大好きな妹の声を聞けた嬉しさを内心に秘めつつ、葉月は濡れ衣だと説明する。
「またお店を任せることになるから、
妊娠の報告とその時のお願いをしただけだよ」
実希子も別に煽ったりはしていなかったとも付け加えると、なんとも難しそうに唸ったあとで、菜月が大きく息を吐いた。
「つまり、茉優の暴走ということね」
「なっちー、愛されてるね」
「ありがとう」
頬を引き攣らせているのがわかるような声だった。
「よく穂月たちの写真を撮って、なっちーに送ってあげてるから、母性本能に目覚めたのかも」
「どうかしら。茉優は単純でいて、意外と読みにくいところもあるから」
どちらにしても、熱心に否定しないので、案外菜月も茉優と似たような願望を持っているのかもしれない。
聞いたところで素直に答えてくれないだろうから、葉月の胸の内に留めておくが。
「で、そのなっちーは真君とはどうなの?」
根掘り葉掘り聞きたがるところが実希子に似てきたと言われようとも、可愛い妹の将来に関わるのだから聞かずにはいられない葉月だ。
「大学卒業後、すぐに結婚とか?」
来年の春に卒業を控えている菜月は、すでに誰もが知っている大手メガバンクに就職が決まっている。
けれど東京で隣同士の部屋で暮らしている真に関しては、妹の口から語られるのは頑張っているという言葉だけだった。
「さすがにそれはないわね。
……いえ、子供を作らなければありなのかしら」
真面目に考え出した菜月は、ややしてからやはり「ない」の結論を出したみたいだった。
「真君の希望は?」
「詳しくはまだ聞いていないわ。美大の方が忙しそうだし。近々、何かしら話すことにはなりそうだけど」
「じゃあ、お正月の報告を楽しみにしてようかな。帰省はするんでしょ?」
「一応はそのつもりだけれど」
「是非そうして。さもないとお姉ちゃん、泣いちゃうからね」
*
「きょうだー?」
「うん、弟か妹ができるんだよ」
練習はしているが、まだトイレが一人でできるか怪しい穂月のために、今も葉月と和也は子供部屋に泊まり込んでいた。
三歳になるくらいには一人で過ごさせてみようと画策していたので、赤ちゃんが生まれる少し前から練習させてみようかと、葉月は昨日も和也と話し合った。
その穂月はまだ新しい命にピンときていないみたいだが、とりあえず葉月たちが嬉しそうなので、自分も喜ぶことにしたらしい。
わーと叫んで立ち上がり。ぴょんぴょん飛び跳ねる。
一応は子供部屋に防音のマットも敷いているが、もう夜なので慌てて落ち着かせる。決して怒鳴らず、宥めるように上手く和也が誘導してくれた。
ともすれば子供と一緒に騒ぎがちな葉月には、やはり頼りになる夫だ。
「いつー? すぐー?」
「来年の夏くらいかな」
「わーっ」
また両手を挙げて喜ぶ穂月。
もはやこの喜ぶというポーズをしたいがために、事情が理解できなくとも喜んでいるように見える。
少し前まではあまり言葉を話さずに心配したものだが、朱華と一緒に店に出たりもしていたからか、杞憂に終わるほど会話も成立するようになった。
「和也君にもまた迷惑かけちゃうけど、よろしくね」
穂月の妊娠中に、目を回しそうなほど忙しくしていた和也を思えば、どうしても申し訳なさが先に来てしまう。
「何言ってるんだ。俺の子供でもあるんだから、頑張るのは当たり前だろ。葉月が体の中で育ててくれてる間、外の仕事は俺に任せとけって」
「うんっ、頼りにしてるね」
「してるー」
葉月の真似をする愛娘を、顔を綻ばせた和也が抱き上げる。
「おう。パパは穂月のためにも、新しい赤ちゃんのためにも頑張るぞ」
妊娠中も出産時も出産後も。
大変なことはたくさんあるが、とても嬉しそうな父娘の姿を見た葉月は、必ず家族で乗り越えられると確信した。
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