第372話 愛娘たちと新しい一年

 例年に比べて降る雪は少ないのに、雲だけは多いどんよりとした冬。


 吐く息は冷たく、手袋をしていなければすぐに指先がかじかんでしまう。

 それでもキンと冷えた空気は澄んでいて、どこか神秘的でさえあった。


 どの家庭も厳かに新年を迎え、新しい一年に希望を抱く。

 そんな元旦に、葉月の住む高木家には午前中から続々と人が集まってきていた。


「あー……アタシも初詣に行きたかったな」


 ソファの上で胡坐をかく実希子が、未練がましそうに天井を見上げる。


「前々から不思議だったんだけど、どうしてそんなに初詣が好きなの? 私たちの中で、一番神頼みしなさそうなタイプじゃない」


「お前、さらっと失礼なこと言いやがるな」


 学生時代から発情猿呼ばわりしていた友人を半眼で睨んでから、実希子はうーんと唸る。


「ガキの頃からの恒例行事だったから、単純に初詣をしないと変な感じっていうか、一年が始まるって気がしないんだろうな」


「毎年の習慣ってことね。少しだけ納得したわ」


「あとは初詣が終わったあとの日本酒とか?」


 からかい半分で言ったのだが、即座に反応した実希子が葉月に前のめりになる。


「そう! 冷えた体に染みわたる清酒の熱さがたまらないんだ!」


「呆れた……単にお酒が呑みたいだけじゃないの」


 ふうと息をついた尚が肩を竦める。


 仲間うちでもっともお酒が好きなだけに、実希子が唇を尖らせる心情は葉月も理解できるのだが、両親も含めて頻繁に呑むわけではない葉月にはそこまで同意できなかった。


「尚はともかく、葉月はアタシの気持ちをわかってくれるよな!?」


 なので話の矛先を向けられても、満面の笑顔で頷けなかったのである。


「私はどっちかといえばお酒より、皆で楽しく騒ぐ方が好きだからなあ。呑むのがジュースであっても、あんまり変わらないかも」


「そんな……! アタシはこんなにも孤独だったのか」


 大げさに頭を抱える実希子に苦笑していると、インターホンが鳴った。


「誰だろ?」


「希たちが帰ってきたんじゃないか?」


 実希子と尚に見守られながらカメラで確認する。


「あれ、好美ちゃん?」


 すぐに応対すると、疲れ切った顔で好美が軽く手を上げた。


「あけましておめでとう。

 実家にいても、いつ結婚するんだの話ばかりだから逃げてきたわ」


「アハハ……大変だったね。とりあえず中にどうぞ」


 断る理由がないのでリビングまで案内すると、葉月の呟きから来訪者を知っていた実希子が手を叩いて歓迎する。


「おめでとさん。好美ももう毎年こっちに来いよ」


「母親になって図々しさが増してるわね、実希子ちゃん。ここは葉月ちゃんの家で、あなたの家ではないんだけど」


「ハッハッハ、そう硬いこと言うなって」


「そうだよ。それに私たちだって、好美ちゃんの部屋をあんなに使わせてもらってるんだし、遠慮しないで」


 受け取ったハンガーにコートをかけながら、好美はありがとうと笑顔で葉月にお礼を言う。


「実を言うと、実希子ちゃんの言う通りになりそうでね……」


「そんなに言われるんだ? 好美ちゃんの老後を心配してるのかな?」


「あれは単純に孫の顔が見たいだけね。気持ちはわかるけど、毎回同じ説明をするのも疲れてきたわ……」


 そのやりとりで好美の来訪理由を知った実希子は、友人の悩みを豪快に笑い飛ばす。


「さすがの好美もお手上げみたいだな。

 でも気持ちはわかるな。アタシもそうだったから」


 とにかく孫を欲しがった実希子の母親は、できちゃった結婚でも娘を叱るどころか、よくやったとお褒めの言葉をかけたらしい。


「問題は好美ちゃんにそのつもりがないってことよね」


 尚が飲み物を手渡すと、それを持って好美もソファに腰を下ろす。


「未来のことは誰にもわからないから、必ずしも独身を貫くというわけではないでしょうけど、今のところは予定も願望もないもの」


 葉月たちはそれで納得するが、そうもいかないのが両親――特に母親だったりする。


「私は急かされたりしなかったけど、結婚がもっと遅れてたら、やっぱりママから催促されてたのかな」


「和葉ママのそういう姿はあまり想像できないけど……。

 孫が絡むと親は変わるからね」


 尚の言葉に実希子がすかさず同意する。


「おまけにうちは自分で育てたがるからな。だったらもう一人産めばいいのに」


「実希子ちゃん、さすがにそれは無理難題だよ」


 葉月の乾いた笑いを背後に、思うところがあるのか尚もため息をつく。


「うちはたまにならいいけど、毎日の世話は疲れるって遠回しに言われたことがあるわ。だから中古でも新しい家に引っ越せて気分爽快よ」


「そんなもんか。近所ならあまり意味ないかもと思ってたが、逆に近所だから別々に住んでもいいのかもな」


「強制はできないけど、是非そうすべきだと思うわ。夫婦の時間も取れるしね」


   *


 普段から人が集まる高木家だけに、新年から来訪者が多いのは想定済みだったが、好美の次に訪ねて来た人物には、さすがの葉月も少しだけ目を丸くした。


「柚ちゃんだー」


 学生時代ならともかく、大人になってからは父方の実家に行く機会も多かった友人が、一時間ほど前にやってきた好美と同様の表情を浮かべて立っていた。


「両親についてくと、親戚から結婚や孫はまだかと煩いから、葉月ちゃんたちの新年会にお呼ばれしてるって理由で逃げちゃった」


「ア、アハハ……」


 リビングで好美も同じ理由だったと聞き、柚の疲弊しきった顔に少しだけ明るさが戻った。


「三十歳を過ぎた娘がいると、どこの家でも似たような感じになるのね。晩婚化も独身率も加速してる現代だというのに」


「時代に取り残された人間とは憐れなものね」


「オイオイオイ! 柚も好美も場を暗くすんな!」


 どよどよした空気を実希子が四散させると、今気付いたとばかりに柚が首を傾げた。


「あれ? そういえば穂月ちゃんたちは? 和葉ママたちもいないし」


「皆で初詣に行ってるよ。私たちは留守番中」


「もうすぐ帰ってきそうだけど、追いかけてみるか?」


 葉月の説明を聞いたあと、実希子の問いかけを受けて好美と柚は揃って首を左右に振った。


「初詣なら帰りに好美ちゃんと二人でも行けるし、穂月ちゃんたちが帰ってくるのを待ってるわ」


「二人で子供が降ってくるのでも祈るのか?」


「祈って叶うならそうしてもいいわね」


 真顔で悩み始めた好美に、大慌てで実希子は冗談だと繰り返した。


   *


 和也たち保護者が帰宅後の手洗いうがいまできっちり面倒を見てくれて、穂月たちも楽しい初詣ができたみたいだった。


 特に穂月は自分の足で歩いた初めての初詣に今も感動中で、お姉ちゃんと慕う朱華と手を繋いだまま興奮口調で色々と教えてくれる。


 だいぶ会話も成立するようになってきたが、それでも意味不明な言動も多いので、母親の葉月もなかなかに解読が大変なのだが。


「……希はずっと抱っこされたままだったのか」


 実希子が夫の腕ですやすやと寝息を立てている愛娘にため息をつく。

 彼女が同行していれば穂月をけしかけて、強引に運動させていたのだろうが、生憎と父親の方は娘に甘いみたいである。


「智之! 希は厳しいくらいで丁度いいって言っただろ! その年からサボリ癖をマスターさせてどうすんだ!」


「ご、ごめん……」


 そして小山田夫妻は相変わらずかかあ天下だった。


「朱華はいい子にしてた?」


「ああ。穂月ちゃんと一緒だと、特にお姉ちゃんぶりたがるからね。普段とは大違いだったよ」


「パ、パパっ!」


 大慌ての愛娘に、夫婦が仲良さそうに笑う。

 ラブラブなのは学生時代から変わっていないようで、葉月も一安心である。


「和也君もありがとうね。穂月も楽しんだみたいだし」


 少しはママがいないのを寂しがってくれるかと思ったが、終始はしゃいでいて、そうした様子は微塵も見せなかったらしい。


「頼もしいと褒めればいいのか、寂しいって拗ねればいいのかわかんないね」


 葉月が口元に手を当ててクスクスと笑うと、和也も笑顔で頷いた。


「無事に新しい一年を迎えてくれただけでも、親からすればありがたいけどな」


「そうだね。このまますくすくと育っていってくれれば言うことなしだよ」


 一通り周りの大人に初詣の武勇伝を語り終えると、トタトタと穂月が葉月のもとまで歩いてきた。


 抱っこでもねだるのかと思いきや、しゃがんだ愛娘はそろそろと葉月のお腹に手を伸ばしてきた。


「まだでてこないのー?」


「来年って教えたでしょ」


「もうなったんじゃないの?」


 きょとんとする穂月に、そうだったと葉月は開いた手で口を覆って驚きを露わにする。


「ええと……数ヵ月後って言ってわかるかな? なんて説明すればいいんだろ?」


「朱華くらいの年になれば、まだ説明も楽そうだけどな」


 ひたすら首を捻る葉月に、実希子も悩ましそうな顔をする。何を言っても、暇さえあれば寝てばかりいる希のことが頭にあるのかもしれない。


「そのうち朱華みたいに、あれは何これは何が始まってくるわよ」


「アハハ、じゃあ今のうちから慣れておかないとね」


 とはいえ子供向けに簡単に言えば煙に巻くみたいだし、大人に対するような詳細な説明をしても理解できるとは思えない。


「やっぱり悩むなあ」


「なやむー」


「アハハ、穂月もなんだね。ならママと一緒に勉強していこっか」


「あいー」


 元気に手を上げる愛娘に頬擦りしながら、葉月は今年も良い一年になることをひたすら祈り続けた。

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