第370話 愛娘たちのキャンプ

 暑さでうなされることもなく、ぐっすりと眠れるようになった夜。


 訪れる冬の厳しさに耐えさせるためなのか、もしかしたらこの時期は一年でもっとも快適かもしれない。

 幼い子供がいるのもあって、なるべく冷房を使わないようにしている葉月は、起床するなりそんなことを考えた。


 普段よりもゆっくり眠った朝。

 テキパキと身支度を整えた葉月が向かうのは、ムーンリーフではない。


 我が子のように愛する店では現在、茉優と和葉が頑張って仕込みをしているはずだ。葉月が病気になったとかではなく、前々からそう決まっていた。


 そうというのも――。


「ママ、おはよー」


 葉月が動き出してすぐ、にこにこ笑顔の愛娘も起きた。

 まだ早朝と呼べる時間帯なのだが、子供は元気である。

 夫の和也も一緒らしく、葉月が朝食を作っている間に、それぞれの身支度を済ませる。


「穂月、ちゃんと顔を洗った?」


「大丈夫、俺が見てた」


 パタパタと走ってきた二歳児を椅子に乗せながら、和也が答えた。


「春道パパも出かけたのか?」


「そうみたい」


 葉月が起きてきた時には、両親の姿は見えなくなっていた。


 店を手伝っている和葉同様に、今日に限っては春道が配送の仕事をすることになっていた。それもこれも普段から忙しく働く葉月たちに、連休をプレゼントするためである。


 明日は定休日なので、今日だけの臨時助っ人だ。


「春道パパにも和葉ママにも迷惑をかけてしまうな」


「うん。本当は二人とも一緒に行きたかったんだけどね」


 社員旅行などでは休んだりもするが、あまり頻繁に店を開けすぎるのも良くない。

 そこで今回みたいな配置になった。


「でも、謝る前に感謝しないとね」


「そうだな。せっかくだから楽しもうな、穂月」


「あいー」


 元気に返事をしたはいいものの、その視線はホカホカと湯気を上げる卵焼きに釘付けだった。


「穂月は本当に卵が好きだねー」


「アレルギーとかもないみたいだし、好物があるのはいいことなんじゃないか」


 いただきますの挨拶をして全員で朝食を取る。

 日常的に大きな変化はないが、こうした日々の何気ない瞬間が葉月はとても好きだった。


   *


「いららしたー」


「お、なんかまた変な言葉を覚えたな」


 若干一名は微妙だったりするが、子供たちが喜ぶので、どこかへ出かける時にはミニバンなどの広い車で一緒に移動する。


 元々は会社の車を借りていたが、いつまでもそれは良くないだろうと、少し前に実希子が新車でミニバンを購入した。

 夫の智之も無事に働いており、家計も安定してきたので可能になったらしい。


 食欲はあっても物欲は少ない実希子なので、貯金というか給料は勝手に蓄積されている状態らしく、そのうちに実家を出て家を買おうか悩んでもいるそうだ。

 その実希子に独特の挨拶をかました直後、忙しない愛娘は見つけた年上のお姉ちゃんにダイブする。


「いららしたー」


「ほづきちゃん、いららしたー」


 まだ落ち着きがないとはいえ、四歳児になれば会話もわりとスムーズに行える。


「朱華ちゃんは今日も素直で元気だね」


 挨拶を済ませて尚に微笑みかけるも、返ってきたのは実に微妙な反応だった。


「どうかしたの?」


「最近、ちょっと反抗期気味でね……」


 やや疲れた様子の尚の目には、薄っすらと隈ができていた。


「あれ何、これ何はまだいいとしても、自分が気に入らない答えだと反発ばかりしてくるのよ。この前の一件が引き金になったのかも」


「反抗期かあ……。自分の子供の頃はよく覚えてないし、なっちーにはあまりそういうのなかったしなあ」


「覚悟しといた方がいいわよ。もっとも物に当たったり、誰かを叩いたりしない分だけ、うちは平和なのかもしれないけど」


 反抗期の内幕を聞かされ、浮かべた葉月の苦笑にも不安が宿る。

 穂月がそうなるとは想像し難いが、そもそも朱華だってさほど手のかかる子供ではなかったのだ。


「ともかく、今日のキャンプは穂月ちゃんたちも一緒だから、少しは心も体も休められそうだわ……」


 面倒を見る子供は三人に増えるが、その分、保護者も増える。

 今から参加している父親は和也だけだが、晋太と智之も仕事が終わり次第、合流する予定だった。


   *


 以前にも利用したことのある自然公園でキャンプスペースを借り、そこにテントを張る。


 日中は穏やかに暖かく、過ごしやすいので子供たちはとにかく大はしゃぎだ。

 やはり一名は除外されそうではあったが、そこは穂月が放っておかない。

 というよりも実希子が、おもいきり穂月をけしかける。


「こないで!」


「いららしたー」


 まったく通じ合っていない会話を繰り広げながら、逃げる希を穂月がひたすら追いかける。


 葉月は母親として何度もこれでいいのか実希子に確認するのだが、そのたびに普段ぐーたらしてるんだから、こうして運動させた方がいいと返ってくる。


「それに希があんなに話すのを見てると、母親として嬉しいしな」


「その希ちゃんは、凄い目つきで実希子ちゃんを睨んでるけど」


「大きくなったら絶対に嫌われるわよね」


 鼻の下を指で擦る実希子の隣で、子供たちの追いかけっこを注視する葉月が絶え間ない苦笑を浮かべていると、尚が達観したような表情で肩を竦めた。


 そして嫌われるの一言に、猛烈なショックを受ける実希子。


「こんなに愛情を注いでるアタシが、どうして希に嫌われるんだよ!」


「娘の苦境を放置してるからでしょ」


 あっさり尚に言い切られ、さらに実希子が愕然とする。


「アタシは一体どうすれば……

 はっ! そうか! アタシも一緒に追い回せばいいんだ!」


「待って、実希子ちゃん! 余計に事態を悪化させるだけだと思うの! それよりだったら一緒に遊ぶとかにしよう!」


「そ、そうだな! ようし! バドミントンでもやるか」


 バドミントンというより、それを真似た子供用の玩具を実希子は持参していた。

 物珍しげに穂月と朱華は軽いラケットを手に取るが、ぜーはーと肩で息をするもう一人の二歳児は見向きもしない。


 むしろようやく強制的な鬼ごっこから解放されたと、安堵しているみたいだった。


   *


「おー、茉優も来てくれたのか」


 翌日の仕込みが不要な定休日前日は、閉店時間はあまり大差なくとも作業量は大幅に減る。


 もっともムーンリーフの場合は、朝から仕込んだものをその日に調理したいという葉月のこだわりもあって、当日に作業することが多かったりするのだが。


「えへへ、茉優だけじゃないよぉ」


 見慣れたファミリーカーだったので予想はついていたが、好美や柚に加え、なんと春道と和葉まで夜になったキャンプ場にやってきた。


「和葉がどうしても参加したいと駄々をこねてな」


「春道さんっ!」


 和葉が強めに袖を掴み、春道が軽く謝って笑い合う。

 いつものじゃれ合いに、祖父母が大好きな穂月がダイブする。


「ジジー、ババー」


 受け止められた穂月が、ものすごい勢いで特に春道に懐く。

 赤ん坊時代に世話をしてもらったのを覚えているわけではないだろうが、その甘えん坊ぶりは父親に対するものに負けずとも劣らない。


 当初から軽くショックを受けつつも、春道パパには敵わないなと零していた和也は現在では微笑ましそうに我が子の行動を眺めている。


 嫉妬心はそれなりにあるのだろうが、それを呑み込んで逆に春道に穂月と仲良くする秘訣などを聞いたりして、愛娘との仲もこの上なく良好にしたのだから、葉月にとっては誰より頼りになる旦那様だ。


「げ! うちの両親も来たのかよ!」


「ええっ!? 嘘でしょ!」


 さらに到着した車から降りて来た人物を見て、実希子と尚が揃って絶句した。


「どうせなら親同士も親睦を深めようと思ってな。密かに連絡を取ってたんだよ」


 何気なく笑う春道だが、あっさり実現にこぎつけるあたりが尋常ではない。


「アハハ……和也君のパパには敵わないって意味がわかったような気がするよ」


「だろ?」


 何故か嬉しそうな和也に、葉月もまた嬉しくなる。


「和也君のご両親も来てくれたみたいだし、ご挨拶に行こうか」


「穂月はもう行ってるみたいだしな」


 孫との触れ合いを楽しみながら、両親たちは両親たちでお酒を酌み交わしたりして談笑する。


 そちらにひょっこり混ざっている実希子はさすがとしかいいようがなかったが、尚に小声で「だから希ちゃんに距離を置かれるんじゃない」との指摘を受け、慌てて我が子のもとに駆け寄ったが、酒臭さのせいで即座に拒絶されていた。


 同情すればいいのか、笑えばいいのかわからないシーンも多々ありながら夜は更け、はしゃいでいた子供たちもテントで眠りに着く。


 小さなテントで子供たちだけ眠らせるのは不安もあったが、近くに大人用のテントもあるし、両親たちの酒盛りもまだ終わりそうにないので任せることになった。

 とはいえ葉月たちも代わる代わる、こっそりと子供たちのテントに異常がないか様子を見る予定になっていたが。


「考えてみれば、アタシたちもこうしてキャンプとかに連れてきてもらったよなあ」


 缶ビール片手の実希子が、懐かしそうに満天の星空を見上げる。


「海とかにも連れて行ってもらったわね。お泊り会とかもしたし、今から思えば、ああした一つ一つのイベントが大人になるのを促してくれていたのかもね」


「お、今日は珍しく好美も語るじゃないか」


「それだけ歳を取ったということね」


「……年齢の話はやめましょう」


 教師生活の楽しさに普段は忘れているらしいが、ふと思い出すと柚は自分の年齢に寂しさを覚えるらしい。


「子供がいらないってわけでも、結婚したくないってわけでもないんだけどね」


「だったら例の離婚したっていう教師で手を打ったらどうだ?」


 実希子の提案に、柚は割合本気で悩み、


「ないわね。いい人なのは間違いないんだけど……」


 本人が聞いていたら顔色を失いそうなくらいに、一刀両断した。


「人生なんて、どんなに悩んだってなるようにしかならないわよ」


 少しだけお酒を呑んだらしい尚が、ケラケラと笑う。

 だがすぐに真面目な顔つきになり、


「だから今を楽しむのが一番よね。

 ……そのせいで学生時代に間違いも犯したけど」


 とてもじゃないが良い経験とは言えないとため息をつき、柚に慰められては涙目になる。


「朱華が反抗期だって話は聞いてたが、そのせいで情緒不安定なのか?」


「どうだろうね。私たちの前ではいつもの朱華ちゃんだったし」


 小声で実希子と会話をしていると、テントからのそのそと子供たち――特に穂月の寝顔を――菜月のために撮影していた茉優が出てきた。


「皆、ぐっすり~」


「そいつは良かった。

 アタシたちもそろそろ寝るか? 向こうの宴会も終わりそうだし」


「そうだね。フフ、今日も楽しかったな」


 お店をやっているのも楽しいが、今日みたいに皆で遊ぶのもまた格別だ。


「満足するにはまだ早いだろ。もう一日残ってるぞ」


「そうそう。二日酔いで動けない実希子ちゃんを、皆で追い回すという大切なイベントがあるわよ」


「その場合、先頭を走るのは希ちゃんになりそうね」


「ハッ! 返り討ちだ!」


 ニヤリとしていた実希子が、尚と好美にからかわれ、余計に闘争心を高める。

 その状態で眠れるのか心配になったが、良く晴れた翌日には、緑豊かな公園に子供たちとはしゃぐ実希子の笑い声が木霊すことになる。

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