第214話 OG戦と夏の大会

 この日、南高校のグラウンドは今年一番の活気に満ち溢れていた。理由はショートのポジションで、ノックを受けるチームメイトの存在だった。


「だいぶ動けてるじゃないか」


 ノックをする監督の田沢良太の表情も明るい。


「はいっ! 体を動かすのが、楽しくて仕方ないです」


 男子と遊んでいた時よりも、ずっと輝くような笑顔を見せるのは昨年の新人戦で膝を痛め、紆余曲折ありながら最近までリハビリに励んでいた高山美由紀だった。

 ソフトボール部の主将であり、実希子と並ぶ打線の核でもある。夏の大会を前にして、彼女が復帰したのは大きい。


 美由紀の復帰を喜んでいるのは、葉月たちだけではなかった。

 日曜日の今日、今年の春に卒業した旧三年生がわざわざ来週に迫った大会へ向けた総仕上げへの協力に来てくれたのである。


「事情を知った時は心配したけど、きっと最後は戻ってくると思ってたよ」


 真っ先にソフトボール部への協力をOGへ呼びかけてくれた岩田真奈美が、鼻の下を人差し指で擦りながら言った。泣きそうなのを我慢してる感じだ。

 お世話になった先輩を見て、ようやく念願の復帰が叶った美由紀も若干涙ぐむ。


 本格的な練習はできなくとも、体力強化メニューには取り組んでいたので、痛めた左膝に保護するためのサポーターはしているが肉体的な面ではほぼ問題ないみたいだった。


「よし。じゃあ、試合をするか。現役がOGに負けるんじゃないぞ」


 卒業した旧三年生が先攻だ。マウンドには葉月が上がり、捕手は好美だ。

 ショートに美由紀が入り、サードは一年生からのレギュラーである実希子が守る。柚と尚は残念ながらベンチだった。


「ピッチャーは葉月か。二年でもエースなんだから、ビシっと頼むぞ」


 真奈美の檄に笑顔で頷き、一球目を投じる。

 昨年よりも球速と威力を増したボールに、OGの一番打者が目を丸くする。


「ハハっ。岩さんたち、葉月のピッチングに驚いてるみたいだな。最近じゃ、アタシだって簡単にはホームランを打てねえんだ。引退した人間には難しいんじゃねえのかな」


「言ってくれるじゃないか、実希子。こっちにだって大学とかでソフトボールを続けてる奴もいるんだ。甘く見てると吠え面かくよ」


「おお、怖い怖い」


 肩をすくめる実希子に苦笑しつつ、葉月は二球目を投じる。

 コントロールも以前より良くなっており、好美が構えているキャッチャーミットの中へ吸い込まれるように収まる。球審をしている良太がストライクをコールし、あっさりと一番打者を追い込んだ。


 速球に意識を集中させたのがわかったところで、緩急を使ったチェンジアップを放る。泳ぐような体勢になって打者は空振りし、葉月は幸先よくワンアウトを奪った。


   *


「たはー。負けた、負けた」


 岩田真奈美に悔しそうな感じはない。むしろ爽快さを表現するように満面の笑みを浮かべていた。

 OGチームとの練習試合の結果は、葉月たちの圧勝で終わった。七点を取った現役チームに比べ、真奈美たちは散発の四安打で得点はなかった。途中からは調整として実希子も登板したほどである。


「これだけの仕上がりなら、監督も大会は楽しみなんじゃない?」


 真奈美に問われた良太は、得意げに白い歯を見せた。


「岩さんたちには悪いが、監督をして以降、最強のチームだと思う。これで負けたら俺の責任だ」


「そいつは悔しいね。でも納得だ。夏でも勝ってくれよ」


「はいっ!」


 元気に返事をして練習が終わったあと、真奈美たちの主催で焼き肉店を借り切っての激励会が開かれた。


   *


 夏の県大会当日。

 本格的な夏はまだだというのに、帽子を通して太陽の熱が伝わってくる。市立南高校は、ユニフォームの他に試合中は帽子も着用していた。


 だいぶ実戦の勘を取り戻した美由紀は、実希子のあとを打つ五番に入った。昨年は三番だったが、今年は好美がその打順を担う。

 高校でもレギュラーとして慣れてきた好美は、ミートするだけなら部内でも上手い方に入る。実希子の前でランナーを溜めたい良太は、その点に注目した。


 一方で部で二番目に打力のある美由紀を五番にしたのは、簡単に実希子との勝負を避けられないようにするためだと説明されていた。

 実希子の実力はすでに県内でかなり有名になっている。まだ強豪校との試合がないので懐疑的な見方をされることもあるが、それでも油断できない存在として南高校ソフトボール部ではナンバーワンの知名度だ。


 実際に春の大会では、実希子は相手から勝負を避けられるケースが増えた。その場合に次の打者となる五番が打てなければ、南高校の敗北に直結しかねない。だからこその、今回の打順である。

 美由紀が打ってくれれば、相手チームは簡単に実希子を歩かせられなくなる。そうなればこちらのものだった。


   *


 午前中から試合となった南高校。先攻というのもあって、一番打者が打席に入る。三年生にとっては高校生活最後の大会となる可能性もあるので、普段以上に気合が入っていた。


 夏の県大会は今回の土日を使って準々決勝までをトーナメントで行い、準決勝と決勝は翌週の日曜日に同じ形式で争う。優勝チームは八月に開催されるインターハイ、つまりは全国大会へ駒を進めることができる。


 葉月たちもそこを目指しているが、そう簡単に達成できる目標ではなかった。ましてや昨年の夏までは一回戦負けの常連だったのだ。他のチームに聞かれたら、笑われるのがオチである。それでも本気でインターハイに出場したいと願っているからこそ、日頃から厳しい練習も頑張れる。


 だがそれは相手チームも同じ。

 気迫溢れる投球により、南高校の一回は三者凡退で終了した。


 入れ替わるようにマウンドに立った葉月は、足元の感触を確かめる。息を吐けば緊張を自覚する。中学時代は焦っていたが、今では良い兆候だと思えるようになっていた。

 緊張しているとわかるだけ余裕がある。矛盾した表現かもしれないが、それが今の葉月の正確な状態だった。


 今年こそ念願に近づくため、葉月は最初の一球目から全力で腕を振る。余力を残すことを考えるよりも、いけるところまでいこうと考えた。

 観客席で見守ってくれる家族の応援に応えるべく、打者一人一人をアウトにしていく。その積み重ねが勝利に近づくと葉月は信じていた。


   *


 二回の表、早速実希子が歩かされる。無死で、先頭打者だったにも関わらずである。これには南高校の応援席からもどよめきが起こる。


 当の実希子は不満さを微塵も顔に出さない。性格的に個人主義に走りそうな感があるが、実は誰よりもチームを考えている。

 チームが勝つためなら喜んで全打席敬遠されるし、裏方の仕事も積極的にこなす。だからこそ言動はどうあれ、部内の誰からも慕われていた。


 その実希子が一塁上から視線を送るのは、ソフトボール部に復帰したばかりの美由紀だった。左打席でバットを構え、睨むように対戦投手を見る。


「美由紀先輩、頑張って!」


 ベンチから身を乗り出すようにして、葉月は声援を送った。観客席にはリハビリをサポートしたという、彼女の両親も応援に来ている。試合前に照れた様子で美由紀が教えてくれた。


 レギュラーも控えもスタンドでの応援組も、一緒になって美由紀の活躍を願う。

 祈りが届いたのか、カーブにタイミングを合わせたバットが美由紀の両腕の動きに合わせて、器用にボールを弾き返した。


 痛烈な打球が一二塁間を抜けていく。強振して引っ張った打球を右翼手が処理する間に、実希子は快足を飛ばして一気に三塁まで到達する。

 これで無視一三塁。相手チームにとっては、実希子の敬遠が裏目に出る結果となった。ここで監督の良太はスクイズを選択し、役目を見事に果たした六番打者が手を叩いてベンチに戻ってくる。


 華麗にホームインした実希子とハイタッチして、先制点を祝う先輩を葉月たちは出迎える。

 なおも一死二塁。得点のチャンスはまだ残っている。


 だが七番と、八番を任された葉月は揃って凡退する。せっかくの好機だったのに、スクイズでの一点だけで攻撃を終わらせてしまった。


「葉月ちゃん、切り替えて。凡退したのを引きずっていたら、相手に付け込まれるわよ。集中、集中!」


「はいっ!」


 グラブを取りにベンチまで戻った美由紀に背を叩かれたおかげで、葉月は自分でも驚くほどスムーズに頭の中の悔しさをリセットできた。


 やっぱり美由紀先輩は凄いな。

 感謝をしながら、葉月は自分の仕事場となるマウンドへ急いだ。


   *


 ゲームセットを告げる球審の声がグラウンドに響く。

 主将が戻った南高校ソフトボール部は春の大会よりも強固なチームワークを発揮し、初戦を見事六対一のスコアで勝利した。


 まともに勝負してもらえなかった実希子の代わりに、美由紀が三打点してくれたおかげだった。

 途中から葉月が三塁に、三塁の実希子が投手となり、弱小校とは思えない温存作戦も実行された。


 勝利を祝う歓声が応援席から大挙して押し寄せ、葉月も含めて部員たちは手を振って応える。誰より嬉しそうなのが美由紀であり、そして岩田真奈美は今回の勝利でも号泣していた。


「ねえ、葉月ちゃん」


 挨拶を終えてベンチから引き上げようとする際、美由紀が葉月に話しかけてきた。


「ソフトボールって、やっぱり楽しいわね」


「はいっ!」


「こうしてグラウンドに戻ってこられたのも、葉月ちゃんのおかげよ。ありがとう」


「そんなことはないです。美由紀先輩が頑張ったからです」


「ウフフ。葉月ちゃんは優しいわね。もっと一緒にプレイしたいから次の試合も勝ちましょう」


 もう一度「はい」と返事をした葉月は、美由紀と並んで歩く。その先では大勢の仲間たちが待っている。


   *


 翌日の日曜日。

 夜も近くなった時間に、南高校ソフトボール部の面々は保護者ともども借り切った焼き肉店にいた。

 部の伝統で、引退する三年生を労うためにいつも同じ焼き肉店が利用される。去年もこの店だった。


 残念ながら南高校は翌週も試合することはできなかった。それでも皆の前に立って挨拶をする美由紀の表情は晴れ晴れとしていた。


「大半は不在にするという不甲斐ない主将でしたが、それでもチームの一員と認めてくれた皆に感謝します。全員で辿り着いたベストエイトは私の誇りです」


 美由紀のスピーチ通り、葉月たちは準々決勝まで駒を進めた。一回戦負けばかりだった近年においては、驚くほどの好成績だった。

 ちなみに良太から聞いた話では、南高校の過去最高成績は県大会準優勝らしかった。ずいぶん前の話で、まだ強豪と認識されていた頃のことだと言っていた。良太自身も残っていた記録を見て確認したのだという。


 葉月がそんなことを考えてる間にも、美由紀の挨拶は続く。一通りのお礼のあと、次の主将を指名したいと言った。

 美由紀の両目が、真っ直ぐに葉月を捉える。周囲の部員も葉月を見て、賛成と言わんばかりの笑顔を作った。


「葉月ちゃんにお願いするわ。好美ちゃんに実希子ちゃん、柚ちゃんに尚ちゃんも助けてあげてね」


 皆に望まれているのであれば応えたい。その一心で葉月は承諾し、春道たち保護者から拍手が送られる。

 美由紀に呼ばれ、今度は彼女の隣で葉月が挨拶することになった。


「えっと、あの……とにかく頑張りましょう!」


「何だ、そりゃ。頼むぜ、新キャプテン」


 野次を飛ばしたのは実希子だ。

 あははと頭を掻く葉月だが、引退する三年生も含めて主将への就任を喜んでくれた。

 葉月一人では荷が重くとも、仲間がいれば十分にこなしていける。

 これまでの経験から実感していた葉月は、にこっと笑って頭を下げる。


「来年の夏の大会が終わるまで、よろしくお願いします」


 二年生になっての夏の大会が終わり、三年生は部を去る。岩田真奈美や高山美由紀から託されたものを、今度は葉月が後輩たちへ伝えていく番だ。

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