第215話 夏祭りの屋台
普段は静かな夜の通りが、煌びやかな光と人の波に包まれる。
夏休みに突入し、恒例のソフトボール部の夏合宿を終えた葉月たちは、地域で開催される夏祭りに皆で遊びに来ていた。
昔はよく春道や和葉に連れてきてもらっていたが、今年は友人同士だけだ。両親と妹は戸高一家と一緒に回る予定になっている。
「わー、美味しそうなのがたくさんあるね」
通りの左右を挟むようにして、たくさんの屋台が並んでいる。焼きそばやたこ焼き、お好み焼き。林檎飴や綿菓子などもある。
去年は家の用事があって参加できなかった尚は、とりわけ楽しそうに周囲を見渡している。
「結構、賑わってるじゃない。わくわくしてくるわね」
「そうだね、尚たん」
尚の隣には、彼氏の晋太がいる。すぐに別れそうだという周囲の予想に反し、二人は今でも仲良しバカップルのままだった。
晋太に誘われた他の野球部の部員もこの場にいる。去年のクリスマスに一緒に遊んだメンバーだ。なので当然、和也の姿もあった。
女性陣の方もクリスマスの時と同じだ。葉月、好美、実希子、柚、そして尚。五人全員が浴衣を夏祭りに参加している。
「それにしても、ずいぶんワイルドな格好をしているわね」
半ば呆れ気味に尚が横目で見たのは、浴衣の腕をまくり、足を出している実希子だ。
「だって窮屈じゃねえか。私服でよかっただろ」
「あのね、実希子ちゃん。ゴリラはゴリラでも、メスなんだからお洒落くらいしなさい」
「その考えは安直ね。メスと見せかけてオスの可能性もあるわ」
「するとおっぱいだと思っていたのは、ただの大胸筋!?」
尚の指摘に好美がツッコミを入れ、柚がわけのわからない乗り方をする。目が本気にも思えるが、それはきっと葉月の勘違いだろう。
「お前ら、好き勝手言いすぎだぞ」
口端を歪めて怒りの笑みを実希子が浮かべる。真っ先に犠牲になるのは尚のこめかみである。
女性らしさをあまり感じさせない行動を取る実希子だが、男性陣から不満の声は上がらない。むしろ楽しそうというより、熱心に見ている感じだ。
葉月が不思議に思っていると、隣に来た好美が理由を教えてくれる。
「連中が見ているのはアレよ。実希子ちゃんは無防備だから」
よく観察してみると、実希子が体を動かすたびに魅力的な胸元が覗ける。それでなくとも、重たげに揺れるのが浴衣の上からでもはっきりとわかるのだ。女の葉月にはあまり理解できなくとも、男性陣にとっては目が離せない光景だった。
好美に言われて葉月も実希子の様子を見ていたが、ふと気になった。
「実希子ちゃんって、下着つけてるのかな」
瞬間的に好美の顔色が変わる。まさかと思いながらも、一笑に付せない。そんな感じだ。
慌てて好美が背後から実希子の肩を掴む。
「ちょっと確認したいことがあるんだけど」
男子に聞こえないよう小声で好美は質問したのだが、生憎と実希子はその意図を理解できなかったようである。
「ブラならつけてねえぞ。ただでさえ浴衣って窮屈なんだよ」
男子がザワめき、女子が驚愕する。
さすがの尚も事態を重く見たようで、好美と一緒になって実希子をどこかへ引きずっていく。
「……浴衣の下、ノーブラ……?」
ぽつりと呟いた晋太に、柚がジト目を向ける。
「他の女に鼻を伸ばしてていいの? 尚ちゃんが戻ってきたら教えちゃおうかな」
「なっ!? ち、違うぞ。俺はそんなつもりで言ったんじゃない」
「そんな言い訳を、尚ちゃんが信じてくれるかしら?」
「当たり前だ。俺と尚たんの絆を甘く見るな」
断言した晋太に、同行中の野球部員から男らしいという感想が飛ぶ。
だが柚は感心するのではなく、小悪魔のように唇の両端を吊り上げた。
「じゃあ、教えても何の問題もないよね。二人の愛の絆を見せてもらうわ」
やってみろ。誰もが晋太はそう言うと思っていた。
しかし――。
「……室戸、林檎飴で手を打たないか?」
「葉月ちゃんの分もね」
葉月が何か言うより先に、晋太は猛ダッシュで林檎飴の屋台へ向かっていた。
柚は勝ち誇り、他の男子は同情の視線を晋太の背中に送る。批判的な感情を抱いている仲間はいないみたいだった。
すぐに晋太は戻ってきて、柚のおかげで葉月は林檎飴を食べられることになった。
「お金を払うよ」
元々買いたいと思っていたので、その分のお小遣いはある。
だが晋太は葉月の申し出を、全力で首を振って却下した。
「お願いだから奢らせてくれ。
……高木には中学の頃からずいぶんと酷いことを言ったりしてきたからな。この程度じゃ罪滅ぼしにもならないだろうけど、奢りたいんだ。あとは俺と尚たんの未来のためかな」
晋太が見せる現在の笑顔には、以前は存在した陰湿さが綺麗さっぱりなくなっていた。一緒に汗を流すことで野球部の面々とも仲良くなり、性格も前向きに変わったらしかった。
部活だけではなく尚との交際や、葉月に手を出さないように監視しながらも、何かと世話を焼いてくれた和也の存在も大きいみたいだった。彼自身が去年のクリスマスの時に言っていた。
すでに何十回と謝罪されており、もう葉月は許してるのだが、それでも晋太からすれば謝り足りないらしい。恋人の尚も一緒らしく、親友と呼べる関係になった今でも柚に謝ったりするのだという。
そのたびに柚は決まってこう返す。謝るより、このまま親友でいてくれた方が嬉しいと。
過去の辛さはまだあっても乗り越えていけそうだ。
林檎飴を美味しそうに舐めている柚本人が、葉月に教えてくれたことである。彼女にも高校に入学した当初のような暗さはない。完全にと断言していいかどうかは不明だが、小学校時代と変わらない明るさと行動力を取り戻してるように見える。
「気にすることはないわよ。遠慮なく奢られておきましょ。尚ちゃんにご馳走するために、お小遣いを多めに持ってきているはずだから」
にっこりと笑う柚を見て、誰かが囁くように言う。
「室戸って、社会人になったら社長とかを手玉に取って貢がせそうだよな」
和也も含めてうんうんと頷く男性陣に、怒るのではなく柚は悪戯っぽく流し目を送る。
「それなら将来の予行練習のために、何人かに付き合ってもらおうかしら」
高校生となった大人に近づきつつある柚も美人の部類に入る。彼女に誘惑されれば、被害にあうのを恐れつつも近寄る男性はきっといるだろう。
男性陣の中から一人が、勇気と決意を持って踏み出す。それを仲間が止める。
「やめろ。お前の財布、本当に空になるぞ!」
「構わない! 室戸みたいな可愛い子と一緒に祭りを楽しめるなら、俺の財布なんて幾らでも空にするさ」
「お前って奴は……」
男二人が何やら妙な友情を確かめあってるさなか、現場から離れていた実希子たちが戻ってくる。
実希子の胸元には黒色のTシャツが見える。どうやら近くの店で購入し、強引に彼女へ着させたようだ。
がっかりさを隠そうとしない和也を除く男たちに、実希子が怪訝そうにする。
「何だ、お前ら。さっきまでの元気はどうしたんだよ」
「……実希子ちゃんが自分の魅力に気づいたら、私以上の悪女になりそうね」
「柚、何か言ったか?」
「いいえ、何も」
「ならいいけど――って、おい。どうして柚と葉月だけ林檎飴を食ってるんだよ。さては抜け駆けしやがったな!」
アタシも食うと宣言して、好美を引きずるように連れて実希子は林檎飴の屋台を目指して歩き出す。
「ズンズン先に行かないでよ。晋ちゃん、私達も行こう。実希子ちゃんを自由にさせてたら、はぐれちゃうわ」
晋ちゃん、尚たんと呼び合うバカップルも手を繋いで人混みの中へ入っていく。
続くように柚も歩を進めると、まるで護衛の騎士のごとく他の男たちがぞろぞろと付き従う。
「わー。柚ちゃん、なんか凄いね」
葉月と和也だけが、屋台が建ち並ぶ通りの外れとなる現在地点に取り残される形となった。
「そうだな。じゃあ、俺達も行くか」
「うん」
高校生になってさらに身長が伸びた和也は、もうだいぶ葉月より大きくなっていた。小学校の頃とは比べものにならない体格である。
葉月の視線に気づいた和也が「どうかしたか」と尋ねる。
「和也君、大きくなったなと思って」
「そうか? まあ、部活で筋肉もついたから、そう感じるのかもな」
葉月の一言をきっかけに、段々と会話も弾むようになる。中学校も高校も同じなので、決して仲は悪くないのである。
「そういえば高木はソフトボール部の主将になったんだってな」
「和也君だって野球部の主将でしょ?」
「押しつけられちまった。断れない雰囲気にもなったからな」
近況を報告し合いながら、たこ焼きやフライドポテトなどを買って二人で食べる。払うと言っても奢ると返ってくるだけなので、葉月は財布から取り出したお札を強引に和也へ握らせていた。
「それにしても、連中はどこに行ったんだ?」
屋台が並んでいる通りは一本道の直線なので、前に歩いていればすれ違う計算になる。
だが屋台がなくなるところまで到達しても、実希子たちは見つけられなかった。
「皆で他の場所に遊びに行ったのかな」
「さすがにそれはないだろ。となると……余計な気を遣われたか」
「余計な……って、あっ……そっか。そういうことか」
小学生時代なら意味がわからず首を傾げていたかもしれないが、高校生にもなれば恋愛事に関しての理解もできるようになる。
ましてや実希子や柚は、葉月と和也をくっつけたがっているようなのだ。現実問題として嫌な気持ちはないが、積極的にという感じもなかった。
「ごめんね、和也君」
葉月が言うと、ドキっとした様子で和也が顔を正面から見てきた。
「な、何が?」
「和也君の好意は嬉しいんだ。でも正直、私には付き合うとかは実感できないよ。今はソフトボール部の事もあるし」
「わかってるよ。たださ、一つだけ教えてくれるか。高木は、その……俺の事、嫌いか?」
「……ううん」
葉月は小さく首を左右に振った。
「嫌いでは、ないよ」
和也は顔を輝かせて喜ぶも、葉月は新たな台詞を続ける。
「でも、付き合いたいかって言われたらわかんない。和也君を好きでもあるけど、その好きとはまた違う好きが必要なんでしょ?」
一瞬だけ目を丸くしたあとで、和也は優しげに微笑んだ。
「焦らなくていいさ、俺ならずっと待ってるから。答えが出たら、教えてくれ」
「約束する。和也君、ありがとう」
「気にするなって。それより、もう一回屋台を見て回らないか?」
「うん。私、射的がやりたかったんだ」
並んで歩き出すと、丁度射的の屋台周辺から聞き覚えのある女性の雄叫びが聞こえてきた。
「どうやら、佐々木たちはあそこみたいだな」
「あはは。今頃、好美ちゃんが必死になって実希子ちゃんの口を押さえてそうだね」
「かもな。だが祭りなんて舞台で、いつまでも佐々木が大人しくしてるわけないだろうに」
いつ頃からだろうか。葉月は和也の隣を歩く機会が増えた。そして、それを嫌だと思ったこともない。
今後も同じように彼の隣を歩き続けるのだろうか。
少しだけ大人になった自分と和也を想像した時、ほんのりと葉月の心が温かくなった。
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