第213話 葉月と実希子のメイド喫茶(文化祭)

 春の大会も終わり、一学期の目玉ともいえる文化祭が開かれる。

 昨年はソフトボール部の出し物に協力した葉月だったが、今年はクラスの方を手伝うことになった。もちろん実希子も一緒である。


「なあ……本当にやるのか?」


 実希子の顔は、かつてないほどげんなりしていた。


「当たり前でしょ」


 クラスメートの女子が両手を腰に当てた怒りのポーズを取る。


「実希子ちゃんのおかげで体育祭は散々だったんだから!」


「あれはアタシのせいじゃねえだろ! 運営に文句を言ってくれよ!」


 ソフトボール部の春の大会前に行われた南高校の体育祭。優勝候補とされたのは実希子が所属するF組。つまりは葉月たちのクラスだった。


 優勝候補の名に恥じない働きを実希子はした。

 何故か相撲で男子生徒側にエントリーされていたが、新年度から別クラスへの所属中の柳井晋太を土俵の上で豪快に投げ飛ばして勝利を得た。


 玉転がしでは、力任せに実希子が押した球を葉月たちが追いかけるだけのような形になったが、コースが直線だったのもあって見事に一位を獲得した。


 他のクラスからブーイングされる中、午後の競技の騎馬戦は格闘技さながらの展開となった。葉月が騎手で実希子が騎馬の先頭に立った。

 違う学級の騎馬を文字通り蹴散らし、好美を担いでいた尚と柚に体当たりをかまして撃退した。雄叫びを上げる実希子の上から懸命に手を伸ばし、倒れゆく他の騎手の頭からハチマキを奪ったのは、いいのかどうかはともかく葉月の体育祭における思い出の一つだった。


 結果葉月たちのクラスは総合優勝確実の得点となったのだが、体育祭運営を担う生徒会と教職員の協議により、実希子に反則賞が贈られた。

 ポカンとする実希子へ追い打ちをかけるべく、彼女が参加した種目の得点を無効とされたのである。

 理由は女子として参加するには、あまりにも屈強すぎるから。


 抗議するも聞いてもらえず、実希子の活躍が獅子奮迅すぎたせいで葉月たちのクラスは優勝を逃したのだった。

 その代わりに参考優勝という形になったが、正式に認可された成績ではなく、何事にも真剣な担任の桂子には納得できない結果で体育祭は終了した。

 唯一の救いは全力で戦うのは当然と桂子が実希子の擁護に回ったおかげで、余計な説教をされなかったことくらいである。


 とにもかくにも、そんな感じで葉月の二年生での体育祭は終了していた。


   *


「でも、なっちーは喜んでたよ」


 体育祭は休日に行われ、保護者の観覧は自由だ。今年も葉月の両親だけでなく、妹の菜月も応援に来てくれていた。

 その際に春道はビデオカメラで撮影をしており、菜月は今も時間があればその映像を見ている。


「ああ、腹を抱えて爆笑してたな。あれは喜んでるっつーか……まあ、いいさ。どうせアタシは見世物がお似合いの女だよ」


 教室内で一人黄昏る実希子の背中を、クラスメートの一人が押す。

 教室の一部がパーテーションと天井からのカーテンで仕切られており、中では紙コップや紙皿、さらには電子レンジなどが置かれている。

 ジュースはペットボトルからホットと兼用の紙コップに注いで提供する。おかげで温かいコーヒーの注文も可能だ。


 軽食はサンドイッチや焼きそばがある。それぞれ男子が家庭科室を借りて作ったのを運んで来て、レンジで温めるなりして販売するのである。

 男子は裏方となり雑用を担当する。では女子は何をやるのかといえば、もちろんウエイトレスだ。


 文化祭の出し物で何をするのかアンケートを取った際、男子が結託して最多投票となったのが教室を利用したメイド喫茶だった。


 仕切り以外のスペースが席となり、普段から教室にあるものを使う。

 四つの机を合体させるように縦横で並べ、学校から借りた白いシーツで一つのテーブルとする。椅子は六つ。横に四、縦に二となる。それぞれ向かい合う形で座る。込みあって来たら相席をしてもらう予定でいた。


「ほら、早く着替えて。実希子ちゃん、外側は意外といいんだから」


「……褒められてる気がまったくしねえぞ」


 ぶつくさと文句を言いながらも、クラスで決まったことには従う。体育会系な性格だけに、意外と実希子は真面目なのである。

 葉月も仕切り内で手早く着替える。覗かれないように、他の女子が見張りに立って順番で行っていた。


「それにしても、どこからこんな衣装を調達してきたんだよ。うちの男子は変態ぞろいか」


「演劇部にあったらしいよ。前にもメイド喫茶をやったクラスがあって、使用後に寄付されたんだって」


 他のクラスメートと一緒に衣装を借りに行った際、演劇部の人間から聞いた話を葉月は実希子に教えた。


「じゃあ、多少サイズが合わねえのは仕方ねえか。ちと胸がキツいな……」


 身長や肩幅などは合っているのだが、胸部だけは違ったらしい。元が大きいだけに、小さめとなると実希子のその部分がより強調される感じになる。

 葉月のみならず、メイド服姿の実希子を見たクラスメートの女子全員が見惚れた。高身長に巨乳、さらには顔立ちの良さもあって、抜群に似合っていたのである。


「な、何だよ、じろじろ見て。そんなに変か?」


「違うよ、実希子ちゃん。凄く似合ってるよ」


「うん。葉月ちゃんの言う通りだよ。これなら噂になってバンバンお客さんが入るよね!」


 キャーキャーと周囲で騒がれるうちに、基本的に調子に乗りやすい実希子はその気になってきたみたいだった。


「よっしゃ! やると決まったからには全力だ。スケベな男子どもの財布を、片っ端から空にしてやろうぜ」


「おーっ!」


 葉月も含めたこの場にいる女子全員が、了解の意も込めて右手を上げた。


   *


 ジュースは紙コップ一杯で百円など割高だが、元を取った分以上は寄付をすることが決まっていた。余れば、文化祭後の打ち上げに使われる。

 メイド喫茶という名目だけで、開店と同時に客である男子生徒が大挙して教室へ押し寄せる。


「ご注文はお決まりですか?」


 アルバイトをした経験もないので、こうした機会は珍しい。メイド服というのは多少恥ずかしいが、それでも葉月は楽しんで接客していた。


 他の女子も同様だが、実希子だけはなんだか笑顔が引きつっている。恐らく接客をしながら柄じゃないとでも思っているのだろう。彼女が素を露わにして客へ対応し始めるのも、時間の問題のような気がした。


 忙しなく動き回っていると、見覚えのある三人組が座っていた。普段から仲良くしている好美、柚、尚である。


「様子を見に来たよ」


 尚が片手を上げる。


「で、あのゴリラはどこ?」


「ここだよ」


 ホラー映画のワンシーンのごとく、写メを取ろうとスマホを構えていた尚の背後から、ぬっと手が伸びてきた。

 脇の下に入り込み、尚を強引に立たせたのはゴリラ扱いされた実希子だった。


「よく来たな。人手が足りねえんだ、手伝ってってくれよ。なあにスカートははいてるんだ。上はブラだけにでもなればメイドっぽく見えるさ」


「それじゃメイドじゃなくて、ただの痴女でしょ! 先生方に捕まって怒られるわよ! そんなに脱ぎたきゃ、自分で脱げばいいでしょ」


「そっか、その手があったな。

 ……なんて言うわけねえだろうが!」


 持ち上げていた尚を下ろしたと思ったら、今度は彼女のこめかみを両手のグリグリし始める。

 痛い痛いと尚を半泣きにさせて気が済んだのか、どことなく実希子はスッキリしたような顔になった。


「まったくストレスが溜まるぜ」


「……私で解消しないでほしいんだけど」


 実希子にジト目を向けたのは、ようやく解放されたこめかみを両手で撫でる尚だ。


「人をゴリラ呼ばわりするからだ」


「似たようなものでしょ。菜月ちゃんが見たら、また爆笑するわね。ゴリラがメイド服着てるって」


 ニヤつく好美の前で、実希子は落胆するように肩を落とす。


「……想像できるからやめてくれ。

 あー……本当にもう嫌だ。誰か代わってくんねえかな」


「無理だよ」


 葉月は言った。


「だって実希子ちゃん、指名ナンバーワンだもん」


 驚きの声は上がらなかった。むしろ好美たちは納得していた。


「そんな凶悪なものを二つもぶら下げてれば当然ね」


 実希子の上半身に向けられた柚の視線に、羨望が込められているのは葉月の気のせいではないだろう。

 実希子ほどではないが尚はそれなりにあり、葉月と好美は同レベルくらいだが人並みな感じだ。例外が柚である。そのボリュームは小学校時代と比べても、あまり増えてないように見えた。


「こんなのがそんなに羨ましいか? 重くてかったるいだけだぞ?」


「それは強者の理論よ。弱者の目線に立てない愚か者の発言だわ!」


「強者って……」


 椅子から立ち上がった柚のあまりの剣幕に、さすがの実希子もたじろぐ。


「努力してるのに……! お腹がたぷたぷになるまで牛乳を毎日飲んで、お風呂では欠かさずマッサージをしてるのにどうして!?」


「いや、どうしてって言われても……アタシのは勝手にでかくなっただけだし」


「そんなの嘘よ。何か理由があるはずだわ。今からそれを私に見せなさい!」


「おい、柚、やめろ。こんなところで脱がそうとするなって!」


 にわかに教室内が騒がしくなったところで、好美の指示を受けた尚が背後から柚を羽交い絞めにする。


「離して! あの秘密を知らなければ死んでも死にきれないわ!」


「落ち着いて柚ちゃん。乳欲しさにゴリラになってもいいの!?」


「この際、構わないわ。ゴリラでもオランウータンにでもなってやるわよ!」


 完全に柚はブチ切れている状態だった。収集がつかなくなりつつある状況をなんとかすべく、好美は笑顔で言う。


「ご馳走様。楽しかったわ」


「え? 好美ちゃん、まだ何も頼んでないよ」


「やめろ、葉月。好美の行為を無にするな」


 葉月の肩に右手を乗せた好美が、沈痛な面持ちで首を左右に振った。

 強制的に退場させられた柚の喚き声が聞こえる中、その様子を見ていたのか困惑気味の春道が姿を現した。隣には和葉もいる。


「……今の柚ちゃんだよな。なんだか泣いていたけど、何かあったのか?」


「乙女には色々あるんだよ。察してあげなきゃ」


「そうなのか。大変だな」


 言いながら春道が葉月を見た。途端に笑顔になってメイド服が似合っていると褒めてくれた。

 それだけで葉月はとても嬉しくなり、接客用とは比べものにならないくらいにこにこしてしまう。


「パパもママもいらっしゃい。あれ、なっちーは?」


 確実に一緒に来ているとだろうと思った菜月の姿が見当たらない。


「変ね。さっきまでそこにいたはずなのに」


 和葉も一緒になってきょろきょろと教室内を見渡す。


「……なっちーならここにいるぞ」


 顔をヒクつかせる実希子の側、ワンピース姿なのに床でブリッジでもするような体勢で悶えている菜月がいた。


「ゴ、ゴリラがメイド服着てるーっ!」


 響いた少女の笑い声に引っ張られ、教室中で大爆笑が起こる。


「おい、葉月。なんとかしてくれよ!」


「ごめんね。私、パパの接客中で忙しいから」


 迷子になってなければ心配する必要もない。ルンルン気分のまま、葉月は注文された烏龍茶を用意するべく仕切り内に入る。


「ちょっと、こっちを見ないでよ。あはは! 似合ってるから、その格好でウホウホ言ってみてよ!」


「そんなに言いたきゃ、なっちーが言えばいいだろ!」


「その格好で凄まれても……あはは!」


 仕切りから少しだけ顔を出して様子を見ると、指差し笑う菜月に実希子が怒りを爆発させるところだった。


「こんなことやってられっか! アタシはそもそも反対だったんだ! うらあァ!」


「ちょっと実希子ちゃん、メイド服を引き破って脱ごうとしないで! 下着が見えちゃうわよ!」


 悲鳴に似たクラスメートの声に反応し、一人の女子が室内に舞い戻ってくる。柚である。


「脱ぐなら私に秘密を見せてぇ!」


「あはは! あはは! ゴリラー!」


「ぬああ――っ!」


「……どうすればいいんだ、これ」


「私に聞かないで」


 春道と和葉は頭を抱えていたが、この騒ぎでクレームが入るどころか教室内は大盛り上がりだった。


 だが駆けつけた担任の桂子によって、実希子と柚がたっぷりと説教されるはめになる。


 ちなみにもう一人の元凶である菜月は、桂子の登場と同時にお澄ましして難なく乗り切っていた。

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