第427話 担任が変わって大変だけど、お姉ちゃんらしく弟の面倒だって見るんです
4年生になる場合はクラス替えが行われないので、穂月は今年も昨年と変わらない1年を過ごせるものとばかり思っていた。
確信が疑問に変わったのは始業式の朝だった。
「おはようございます」
柚ではない女性の教師が教壇に立ったからだ。
40代後半と思われる女性は眼鏡をかけ、凛とした佇まいで正面から穂月たち生徒を見据える。
「本日から皆さんの担任をすることになりました、谷口藍子です」
短い自己紹介に穂月はポカンとする。新学年になったばかりなので席が離れている友人たちも目をパチクリさせていた。
「柚先生はどうしたんですか?」
女児の一人が尋ねると、新担任は表情を崩さないまま告げる。
「室戸柚先生は新入生の担当になりました。私が担任では不服ですか?」
「え? あの、ただ気になっただけで……」
「ではこの話は終わりです。始業式が始まるので廊下に並んでください」
困惑が消え去らないまま、ぞろぞろと廊下に並ぶ集団に穂月も混じる。
「ビックリだねー」
出席番号が近いだけに、すぐ前にいる悠里に声をかける。
「うん……それになんだか怖そうな先生なの……柚先生が良かったの……」
穂月以上にガックリする悠里を慰めようとするが、その前にツカツカと新担任が歩み寄る。
「私語は慎みなさい。もし始業式に参加したくないというのなら、教室に残っても構いません。その場合は私の生徒と認めませんので、一年間はいないものとして扱いますが」
ギロリと見下ろされ、穂月の背筋に冷たいものが走る。優しかったこれまでの担任とは本質的に違うのだと理解する。
無言を肯定と受け取ったのか、穂月から目を離した新担任は今度はクラス全員に向かって先ほどの忠告を放つ。
「ここは学ぶための場であり、遊び場ではありません。勉学が嫌なら家に籠っていなさい。皆さんの将来がどうなろうと、私の知ったことではありませんから」
くるりと背を剥け、黒のタイトスカートから伸びる脚からカツカツ音をさせながら藍子が先頭を歩く。
その頃には新担任の迫力に圧倒され、昨年まではどんな行事でも楽しそうな雰囲気を醸し出していた穂月たちのクラスはシンと静まり返っていた。
*
「あとはお願いするわね、お姉ちゃんたち」
すでに仕事で家にいない母親に代わり、祖母が登校する穂月たちを見送ってくれる。これまでも穂月の家に集まってから全員で登校していたが、今日からは仲間が加わる。3人の弟たちだ。
入学式や事前の学校説明などでは母親や祖母が同行していたが、いつまでも一緒というわけにはいかない。小学校生活に慣れている穂月たちに白羽の矢が当たるのは当然だった。
「車に気を付けるのよ」
歩道を先導する朱華が手を繋いでいる晋悟だけでなく、穂月と希の弟にも注意を向ける。
「ほっちゃんやのぞちゃんも手を離さないように――って、のぞちゃんの場合はどっちが世話してるのかわからないわね」
最上級生となり、児童会長も務める朱華が頬をヒクつかせた。
車道へ飛び出したりしないよう手を繋いで登校しているのだが、希と智希のペアだけは弟が姉を引っ張るという図式になっていた。
「ねえさん、ねむいならあそこのベンチでひとやすみしよう」
「ともきくん、そんなことしてたらちこくしちゃうよ」
有言実行しようとする幼馴染を、晋悟が慌てて引き留める。二人の関係が一目でわかるような光景だった。
「春也は眠くない?」
「ぜんぜん。はやくがっこういってあそびたいっ」
活発な春也はあっという間に学校に馴染み、できたばかりの友人と遊びたくてウズウズしっぱなしだ。
幼稚園の頃からリーダー気質というか、中心ではしゃぐタイプだったので、入学式があった夜に友達がたくさんできたと報告されても彼を知る人間は誰も驚かなかった。
「そういえば柚先生は元気にしてる?」
「うんっ、ねえちゃんがちゃんとやってるかしんぱいしてた」
「おー」
目出度く同じクラスになった3人の担任は柚だった。これまで新入生を多く受け持ってきた関係から、適任者がいない場合はよく回されるらしい。
担任が交代したあとにムーンリーフで会った時に教えてくれた。穂月の母親には事前に変わるかもしれないと伝えていたらしい。
「あっ、まーたんだ」
「春也、手を離しちゃだめだよ」
手を引っ張って押さえるのではなく、穂月も一緒に走りだす。
家が近くではない友人とは通学路で待ち合わせをして、途中で合流して登校する。陽向より先に会った悠里も列に加入済みだ。
「やきゅうやろうぜ、やきゅう」
馬が合うのか、春也はやたらと陽向に懐いていた。朱華は精神年齢が近いからと言っていたが、よく一緒に遊んでくれるのが理由じゃないかと穂月は思っている。
「そんな時間ねえだろ。放課後は部活あるしな。キャプテンがアホみたいに張り切ってんだよ」
「聞こえてるわよ、不良部員」
「そりゃ、聞こえるように言ったからな。
つーか、誰が不良部員だ。真面目に練習に参加してんだろ。まあ、他の部員はメニューが厳しすぎてヒーヒー言ってるけどな」
「柚先生も了承した内容だし、問題ないわ。勝つために必要な犠牲よ」
言い切る朱華に何故か尊敬の眼差しを送る春也。根っからの体育会系気質なのか、部活というものに憧れを抱いたみたいだった。
*
4年生になって授業の難易度もさらに増した。加えて指導する教師が変わったことで、閉塞感にも似た空気が教室に充満するようになった。
「よそ見をしない。授業が嫌なら保健室にでも行きなさい。意欲のない者がいても邪魔なだけです」
スパルタとしか言いようのない藍子の方針は早々に生徒から恐れられ、中には子供から話を聞いた保護者が言葉の厳しさにクレームを入れたそうだが、頑として受け入れなかったらしい。
不服なら転校すればいいとまで言い放ち、窘めようとした校長には自分の指導方法が不満なら解雇しろと詰め寄ったほどだ。
これまでの学校でもたびたび保護者と衝突し、同じ学校に長く赴任した経験はない。こうした裏話は教師として勤務中の柚が、友人でもある穂月や希の母親に内緒だけどと前置きしながら教えるのだという。
「いいですか、二度は言いませんのでよく聞いてください。勉強に集中できる時間を持てるのは学生の間だけです。そして基礎を学べるのは今だけです。すでに授業についてこられない人もいるように、基礎を疎かにするとその後に続く応用の授業は決して理解できません。落第者になりたくなければ真剣に授業を受けなさい」
淀みなく言葉を並べると、教科書を片手に持ち、黒板に白チョークでカリカリと要点を書き込んでいく。
話す内容や態度は超がつくほど厳しいが、沙耶曰く授業内容は丁寧でわかりやすいそうだ。
「基礎を習得し忘れたからといって立ち戻ることはしません。取り返しがつかなくなる前に甘えた考えを捨てなさい。さもなくば落ちぶれるだけです」
柚みたいに些細な脱線で笑いを取ったりはせず、ひたすら教科書とそれに関する内容だけに終始する。
反抗して私語をしようとする児童がいれば、容赦なく教室を追い出したりする。その場合は授業の知識が1時間欠けるので、ますます内容についていけなくなる。
新学年になって早々、穂月のクラスは勉強をする子と不貞腐れて諦める子に分かれつつあった。
*
「はふー、疲れたー」
休み時間になると同時に机に突っ伏すのは、もはや穂月の恒例行事だ。
授業をするのに仲の良い者同士で席を近くする必要などないと、席順も出席番号順のまま、途中で変えるつもりもないらしい。それでも穂月は悠里と、希は沙耶と近くなので恵まれている方だが。
「藍子先生は怖いの。ゆーちゃんはのぞちゃんみたいにできないの」
「真似る必要はないです」
どこか尊敬するような悠里を、即座に沙耶が否定する。
今も腕を枕にすやすやと就寝中の希は担任が恐怖の大王に変わろうとも、素知らぬ顔で好き勝手に振舞う。
柚が担任だった頃は知り合いだったのと、近くに穂月たちがいたので比較的真面目に参加していたのだが、藍子になってからの睡眠率は100%という有様だった。
保健室へ行けといえば面倒臭そうに無視をして、無理やり廊下に追い出せばそこで眠る。学校へ来るなと言っても答えすらしない。やがて藍子も匙を投げ、それなら勝手にしなさいと放置されるに至っている。
「のぞちゃんママが藍子先生に呼ばれたって聞いたの」
「家庭で厳しく躾けるように言われたけど、無理だったからこの有様だと言い返したらしいです。何なら代わりに躾けてくれとも」
「さすがのぞちゃんのママなの」
変な尊敬をしつつ、悠里は大きなため息をつく。彼女もまた他の児童同様に、昨年までとペースが違う生活に疲れているみたいだった。
「藍子先生は言うほど悪い先生じゃないです」
クラスの中で新担任を擁護するのは沙耶を中心とした勉強ができる数人の児童だった。
「質問すれば丁寧に教えてくれますし、聞き逃した授業の内容もこちらが望めば何度だってしてくれます。去年までの基礎だってそうです。あれだけ熱心な先生はいないです」
「おー」
沙耶にそこまで言われれば穂月だって文句を――元々そのつもりはないが――言ったりはしない。
ただ破裂寸前の風船みたいに教室の雰囲気が悪化しているのは確かだった。
「そうだ、こういう時こそ皆で劇をして気分転換だよっ!」
お決まりの提案なので仲間内を除けば普段はあまり賛同者は多くないが、気分転換という言葉が聞こえたのか男女を問わずにぞろぞろ集まってくる。
「これは……いつにない規模になりそうです」
「きっと勉強以外なら何でもいいの。ゆーちゃんもそうだからわかるの」
「おー。のぞちゃんもこっちー」
短い休み時間なので凝ったものはできないが、適当な役を好きに演じて皆で騒ぐだけでも楽しく、ほんの少しだがクラスメートの表情も柔らかくなったような気がした。
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