第355話 初節句

「初めての雛祭りだよ!」


 勢いよく拳を握り、座っていたソファから葉月が立ち上がる。


「百花の祝いでは気付かずに遅れて祝ったけど、今回はバッチリだよね!」


 三月三日は雛祭り。

 桃の節句とも言われ、女の子はこの日が初節句となる。


 男の子であれが五月五日だ。

 葉月も使っていた雛人形もリビングに飾り、準備万端だ。

 同じく女の子を産んだ実希子たちも、後で合流する予定になっている。


「……そうだな」


「パパ? なんか隠してる?」


 雛祭りを飾っている時から、妙な雰囲気を醸し出していた春道に葉月は胡乱げな視線を向ける。


「いや、そんなことはないぞ。初節句をきちんとお祝いしないとな」


 今度はやたらと張り切りだす。

 明らかに不穏な姿に、葉月同様に違和感を覚えた母親も半眼になる。


「春道さん、隠し事があるなら、早めに吐露するのをお勧めするわ」


「いや……隠し事というか……」


「パパっ、家族なのに水臭いよ! 何でも言って!」


 葉月が詰め寄ると、片頬をヒクつかせた春道だったが、やがて観念したようにため息をついた。


「あのな……イベントがあるたびに好美ちゃんに調べさせたら申し訳ないから、仕事の合間に少し調べてみたんだ」


「調べたって……雛祭りのこと?」


「雛祭りというか初節句についてだな」


 首を傾げた葉月から微妙に目を逸らし、春道は続ける。


「どうやら……初節句だけは一ヵ月前くらいから準備するのが普通らしいんだ」


「……え?」


 葉月が硬直し、和葉が目を見開いて口元に手を当てる。たくさんの愛情を注いでくれた母親ではあるが、葉月の百花の祝いをスルーしていたし、どうやら乳児時代のイベントについてはさほど詳しくなかったようである。


 もっとも葉月が小さい頃といえば、和葉も大変な時期だったので、とても責めたりはできない。


「じゃあ……」


 手遅れと繋げようとして、葉月は勢いよく首を振る。


「こういうのは気持ちが大切なんだよ!

 実希子ちゃんのとこだってまだだったし!」


 考えてみれば百花の祝いも百日どころか、半年も過ぎてから開催したのだ。


「そうね。過ぎたからと言って、何もしないよりはずっといいわ」


「……だから俺も黙ってたんじゃないか」


 愛する妻に睨まれて、そっぽを向きながら少し唇を尖らせる春道。

 孫も生まれたのでもうお祖父ちゃんになるのだが、可愛いと思ってしまうあたり、葉月もまだまだパパっ子である。


   *


 仕事をしている面々に配慮して、初節句のお祝いは夕方過ぎから開催された。

 今日ばかりは残りの業務を茉優に任せて、和也も早めに帰宅している。

 好美は店を閉めてからの合流となり、参加しているのは実希子夫妻と娘、尚夫妻と娘、あとは柚と葉月たちである。


 ひなあられは用意したが、穂月たちよりも朱華が笑顔で頬張っている。

 自宅でも雛祭りを飾り、午前中に尚が祝ってあげたらしいが、朱華は殊の外、皆で集まるのが好きなようで今回のお出掛けを楽しみにしていたらしい。


 実希子の家でも午前中に両親と一緒に祝ったらしいが、やはり春道が調べた一ヵ月前の準備というのは知らなかったようだ。


「言われてみれば、母さんが早く準備しろと怒ってたな」


「私も知りませんでした……」


 あっけらかんと笑う実希子の隣で、いまいち覇気のない夫がしゅんと小さくなる。


「仕方ないよ。子供の世話もあるし、あまりゆっくり調べてられないしね」


 特にまだ夜泣きのする穂月を相手にするには、葉月の休息も必要だ。

 穂月が眠ってくれれば一緒に仮眠を取ったり、必要な家事をしたりもする。加えて同居している両親も夫も積極的に手伝ってくれるので、大いに助けられている。


「こら、朱華。それはお酒だから飲んじゃ駄目よ」


 元気に走り回っていた娘の肩を、両側から尚がガッチリ掴む。言葉で注意しただけでは止まらないのを、母親だけに誰よりわかっているのだろう。


「別に構わないだろ。アタシはガキの頃から呑んでたぞ」


 実希子が助け舟を出すも、尚ではなく葉月がそれを否定する。


「子供にお酒なんて無理だよ」


「たかが甘酒だろ? 少しくらいなら大丈夫だって」


「え?」

「え?」


 葉月と実希子が目を見合わせて固まるという、いつか見た光景が繰り返される。


「白酒だってパパが教えてくれたから、スーパーの雛祭りコーナーでそれを買ってきたんだけど……」


「甘酒だろ?」


「違うわよ」


 ママとしては先輩の尚が、いまだ白酒を諦めない愛娘を抱き上げながら教えてくれる。


「甘酒にはアルコールが入ってないけど、白酒は立派なお酒なの」


「そうなのか? うちは甘酒を使ってたぞ」


「別に構わないでしょ。大人が白酒を呑んで、子供に甘酒を呑ませることで一緒に楽しめるし。うちはそうしてるわよ」


「へえ~」


 素直に感心する葉月だが、白酒と聞いていたので生憎と甘酒は用意していなかった。


「代わりに朱華ちゃんにはグレープジュースを上げるね」


 基本的に甘いものが好きな子供らしく、朱華は甘酒を見つけた時よりも顔を輝かせた。


   *


「水分を増やして柔らかくしたご飯に米麹を混ぜて、じっくり発酵させたのが甘酒で、一夜酒なんて呼ばれたりもしているらしいわ」


 遅れて合流した好美が、不在の間に白酒と甘酒の違いで盛り上がったと聞いた直後、目を光らせて知識を披露し始めた。

 茉優も一緒に来てくれたが、彼女は菜月に送るのだと、一心不乱にミルクを飲んでおねむ中の穂月を撮影しまくっている。


「最近はアルコール0なのもあるし、度数は1%以下だったりするので、基本的にお酒には分類されないみたいね」


「ノンアルコールビールみたいなもんか」


 発売当初はその名称とは裏腹に極々僅かな量のアルコールが含まれていたので、一時期話題になったのを実希子が覚えていたらしい。


「そんな感じね。最近ではノンアルコールビールもきっちり度数0のが発売されているはずだけど」


 好美だけでなく、葉月たちも基本的にはノンアルコールビールを呑まないので、そこらへんの知識は曖昧である。


「とにかく、子供でも安心して飲めるのが甘酒ね」


「それで、白酒は普通にお酒なんだよね?」


 葉月の確認を好美が首肯する。


「もち米を蒸して、そこにみりんを混ぜて、数週間程度経ってから臼で引き下ろして作られるのが白酒ね」


 スマホも見ずにすらすらと述べることから、事前に調べたわけではないのがわかる。


「さすが好美だが、何でそんなの知ってるんだよ」


 実希子の疑問を解消したのは、撮った写真を菜月に送って一息ついていた茉優だった。


「今日来たお客さんが教えてくれたよぉ」


 県中央の方から孫が遊びに来ると、ケーキを買ってくれたついでに甘酒やらの話になったらしい。


「何だよ、好美じゃなくて、常連のお祖母ちゃんの知恵袋かよ」


「まあね。ともかく、白酒は強い甘みがあるけど、アルコールは10%くらいあるから、決して弱いお酒じゃないのよ。酒税法上ではリキュールに該当するらしいし、何より甘酒と違って、家庭で作るのは法律で禁止されてるしね」


「本当なのか?」


「そのお祖母ちゃんが作ろうか娘さんに相談したら、そう言われて甘酒にしてって注意されたらしいわ」


 意外なところから得た知識に葉月がほうほう頷いていると、視界の隅で春道が和葉を見て苦笑していた。

 もしかしたら好美が話している途中から、来年からは自分たちで作れないか、こっそり春道に相談していたのかもしれない。


「要するに、この白酒はアタシのってことだな」


「実希子さんっ、まだ母乳をあげてるんですから我慢してくださいっ」


「ケチケチすんなよ。お、そうだ。智之がおっぱいやればいいじゃないか」


「出せませんよお」


 半泣きの夫に止められ、基本的に酒好きの実希子だが、愛する娘のために未練がましそうではあるがなんとか呑まないのを決めたようだ。


「来年にはきっと呑めるから、その時の楽しみにとっておこう」


「葉月にそう言われちゃ、仕方ないよな。よっし、んじゃその分食うぞー」


「わぁい、茉優もいただきまぁす」


   *


 楽しい時間が終わり、片づけを手伝う葉月は横目で雛人形を見る。


「穂月も大きくなったら幸せな結婚ができるように、雛人形をしまい忘れないようにしないとね」


 その穂月は和也が部屋で寝かしつけてくれているので、この場にはいない。


「その話は迷信らしいわよ」


 春道は素直に頷いてくれていたが、テキパキと食器を収納していた和葉が突然の暴露をした。


「そうなんだ」


「雛人形は元々子供の災厄を避けるためのものだから、いつまでも放置しておくと災いが戻ってくるなんて言い伝えもあるから、そこから来たんじゃないかしら」


「俺は片付けくらいできないと、良いお嫁さんになれないからだって聞いてたぞ。まあ、俺は男だから和葉ほど雛人形には詳しくないけどな」


「色々あるんだね」


「小学校とかでもやるかもしれないけど、穂月が大きくなったら一緒に調べるのも面白いかもしれないわね」


 色々な未来が脳裏に描かれては消えていく。

 そのどれもが楽しそうで、早く実現してほしいとワクワクする。


「その時はパパとママは、おじいちゃん、おばあちゃんって呼ばれてるね」


「そうだな、時間の流れは――」


 朗らかに笑おうとして、春道が額を押さえたまま固まる。


「……私はどうすれば……」


 視線の先には、極めて複雑そうな表情で頭を抱える和葉がいた。

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