第196話 体育祭と相撲

 完全ではないにしろ、虐めから解放された柚は翌日から本来の彼女に戻った。

 好美が実希子を迎えに行き、それから柚の家へ行って最後が葉月となる。正式に学校から許可されたのもあり、全員が自転車通学である。

 葉月たちは中学時代のをそのまま使っているが、柚だけは今回が初めての自転車通学となるので新しいのを用意した。近所の自転車屋に葉月たちも付き合って購入したものだ。


 黒髪の三つ編みも似合っていたが、それらの恰好は柚にとって暗黒時代の象徴となる。楽しかった思い出の残る小学校時代の髪型に戻すことで、リフレッシュしたかったのだという。

 茶色がかった長い髪が風になびくたび、シャンプーの良い香りが漂ってくる。柚も加わったことで通学時の隊列は、前列が実希子と好美、後列に葉月と好美という形になっていた。


「どうだ、柚。ソフトボール部には慣れたか?」


「そうね。まだ体はキツいけど、雰囲気には慣れたわ。いい先輩ばかりだし、それに尚ちゃんとのことも心配したほどではなかったしね」


「そうだな。あれはあれで調子に乗りやすいだけの女だったんだな。柳井とのバカップルぶりを見てればよくわかるぜ」


 柚の回答に満足そうな態度を見せた直後、実希子はそう言って大げさにため息をついた。


「ま、まあ、おかげでクラスにも変な雰囲気はなくなりつつあるし、よかったんじゃないかな」


 そう言った葉月は先日の学級会議において、推薦されての学級委員長に決まっていた。あまり乗り気ではなかったのだが、頼まれたからには全力で頑張るつもりだった。副委員長は柚にお願いした。


「なら今日の体育祭は期待できそうか?」


 ニっという音が聞こえてきそうなくらい、得意気に実希子は唇を左右に伸ばした。


「もちろんだよ!」


 元気よく答えた葉月の前方に、ようやく見慣れてきた校舎が現れる。

 市立南高校。近所では有名な進学校であり、三年生の大半が大学受験を控える。そのため体育祭や文化祭は受験生でも楽しめるようにと、一学期に企画されていた。二学期までに学校行事を終えて楽しんでもらおうという意図である。


 三年生の秋は受験一色だが、二年生は修学旅行がある。

 一年生の場合は自然学習と称したキャンプが企画されているらしかった。ちなみに秋には全学年を対象とした球技大会もある。一、二年生は全員参加が基本だが、三年生だけは辞退も可能という話だった。


「実希子ちゃんたちのC組には負けないからね!」


「いい度胸だ。返り討ちにしてやるぜ」


 体育祭という理由もあって、葉月たちは登校時からジャージを着用していた。夏用に半袖の白シャツとハーフパンツもあるが、どちらを身に着けるかは自由だ。

 とはいえ衣替えもまだなのでジャージ姿で行う生徒が多数になると思われた。ジャージに関しては学年ごとに違いはなく、在校生全員が青色である。


   *


 葉月と柚が教室に入ると、ガヤガヤとしている室内で二人ほど死にかけてるようにグッタリしている男女の生徒がいた。男は柳井晋太で、女は御手洗尚である。

 机の上に顎を乗せた顔を上げた尚は、葉月たちを見つけるなり立ち上がってゾンビのように動き出した。


「ねえ、葉月ちゃん……筋肉痛によく効く薬って知らない……?」


 葉月の隣の椅子を持ち主に拝借し、尚は疲れ切った声で質問してきた。同じ部活で汗を流してるのもあって、最近では会話の回数が増えていた。


「やっぱり、湿布を貼るくらいしかないんじゃないかな」


 葉月からのアドバイスに頷いたあと、少しだけ様子を窺うようにして尚が柚を見た。


「柚ちゃんは……どう? 筋肉痛とか」


 表裏のない真奈美や、真面目でしっかり者の美由紀らとも一緒に部活へ励むうちに、少しずつだが尚の性格も変わってきた。陰湿さが薄れてきたのである。


 中学が一緒で虐められていた柚曰く、虐めグループのメンバーではあったが中心人物ではなかったらしい。どちらかというと、リーダー格の女生徒に嫌われないように愛想を振りまいていたという。


 柚自身の過去の行いに対する罪悪感も手伝って、尚を許そうと決めたのはそういう理由もあるのだと少し前に本人が葉月に教えてくれた。

 これが首謀者であったなら、和解を考えてなかったかもしれないとも。


「私はお風呂でマッサージするとかかな。でも筋肉痛はあるわよ。こればかりはどうしようもなさそうだわ」


「そっか。やっぱり我慢が一番ってことね」


 尚が諦めのため息をつく。もう柚がどんな格好をしても、どのような口調で喋っても、それを理由にからかったりいじめたりはしなくなった。

 お互いにぎこちなさは残っているがそれは当然であり、あとは二人で解決するしかない。もちろんそのための手助けなら、葉月は喜んでするつもりだった。


「晋ちゃんも筋肉痛で唸ってばかりだし、この状態で体育祭なんて無理だよね」


 ちらりと尚が視線を向けたのは、彼氏の柳井晋太である。公然でも平気で晋ちゃん、尚たんと呼び合い、今や校内では知らない者がいないほどのバカップルとして認定されている。

 柚との一件もありしばらくは白い目で見られていたが、当の柚が一緒に行動しているのもあって最近はだいぶ和らいでいる。その点に関しても、尚は柚に心から感謝しているみたいだった。


 それはそうだろうと葉月も思う。おかげで尚は校内で孤立せずに済んだのだ。教室でもちらほらと他の生徒と会話をする機会を増やしている。もっとも回数が多いのは葉月たちだ。

 最初は尚を嫌っていた実希子も、彼女が逃げないで真面目に部活へ来るうちに少しだけ見方を変えたみたいだった。好美も同様である。


 一方の晋太も本格的に野球部へ入ってしごかれているらしい。以前に和也から聞いた話では、こちらも意外と真面目でサボったりしないそうである。

 バカップルといえど、彼女がいるのを妬んだ同じクラスの野球部員が常に目を光らせている影響もありそうだ。


 教室のドアが開かれる。入ってきたのは教員ということで、生徒たちのとは違うメーカーのジャージを纏った田沢桂子だった。普段のザ・教育者といったイメージとは違う姿に、生徒たちから軽いどよめきが起こる。


「おはようございます。高校生活は基本的に一度しかありません。体育祭で汗をかける機会も、人生の中では限られています。だからこそ全力で励みましょう。頑張ってください」


 堅苦しい一面もあるが、桂子はとても生徒思いかつ公平な女性である。そのため恐れられながらも、しっかり慕われていた。葉月たちのクラスのまとまりがいいのも、彼女の力が大きい。


 保護者の観覧も許可されているらしく、専用のスペースもある。これは葉月にとって嬉しい限りだった。今日は日曜日なので、大好きな両親も妹の菜月を連れて見に来ると言っていた。実希子や好美の親も来る予定になっている。好美の母親の場合は店を臨時休業するほどである。

 好美曰く、保護者同士で集まる楽しさを知って参加に歯止めがきかなくなっているらしい。苦笑しながら話していたのが記憶に残っている。


   *


 指定の時間になり葉月たちがグラウンドに入ると、観覧席には大勢の保護者が陣取っていた。各々にブルーシートを敷き、弁当やらお菓子やらを広げている様はまるで大人の遠足である。


 桜の名所で花見でもしてるのかというくらいに並ぶブルーシートの一つに、両親の姿を発見する。大きめなのを使い、実希子や好美の保護者と一緒に見ている。

 さらには柚の両親の姿もあった。来ると聞いてなかったのか、驚きの声を上げた柚が軽く赤面する。


「まさかお店を臨時休業にしたの?

 もう。お父さんもお母さんも仕方ないんだから」


 そう言いながら柚は、どことなく嬉しそうだった。

 その柚の両親は娘の呟きに気づかず、春道たちと談笑していた。とても平和な光景に、見ているだけで葉月も楽しくなってくる。


「あれ。葉月ちゃんのお父さんだよね」


 いつの間にか、葉月の背後に尚が立っていた。


「指導室で叱られたけど、あの一言は胸に突き刺さったな。君には本当の友達がいるかってやつ。

 考えてみたら、私にはそんな存在はいないのよね。仲間とはいっても、利害関係のみで集まっていただけ。中心人物の顔色を窺い、自分が虐められるのを恐れて、決められた生贄を虐げて笑う。

 思い出すほどにただのクズよね。でも、恐ろしいのはそんな行為に疑問を持つどころか、正しいと信じていたこと。あの時の精神状態にはもう戻りたくないわ」


 顔色や口ぶりを見ても、過去の行いを後悔しているのが伝わってくる。だからこそ柚もわだかまりを残しつつも彼女を許そうと決め、普通に接しているのだろう。


「そうしてもらえるとありがたいわ。それに私も気を付けないと。誰もがいつでも被害者に、そして加害者にもなり得るのだから」


「なに怖い顔してんだよ!」


 真剣な空気が一瞬にして吹き飛ばされた。犯人は実希子だ。


「せっかくの体育祭なんだし、楽しもうぜ。

 しっかし不思議な高校だよな。体育祭の種目に相撲なんて入れるかね、普通」


「そんなのがあるの?」


「何、驚いてんだよ。尚は知ってるだろ。F組の選手になってんだから」


「……え?」


 動きを止めた尚に、実希子が本部から貰ってきたと思われる種目表を見せた。

 そこには確かに相撲の二文字があり、F組の女性代表として尚の名前が記載されていた。しかも初戦の相手はC組――実希子である。


「私、聞いてないわよ。葉月ちゃん!?」


 体育祭のどの種目に誰が参加するかは、事前に学級委員長の葉月が中心となって、各生徒に確認を取りつつ決めた。知っているからこそ、尚は葉月に尋ねたのだ。


「あれ。そういえば相撲に関しては、柚ちゃんが推薦したい人がいるって言ってたから任せたはずだよ」


 全員の視線が柚に集まる。

 真相を暴露されても動じない柚は、遠い目をして青空を見つめる。


「気を付けないといけないわ。

 誰もがいつでも被害者に、そして加害者になるのよ」


「柚ちゃん!?」


 尚の口から悲鳴に近い声が飛び出した。


「公開処刑みたいなものじゃん! あのゴリラと正面からやりあって勝てる人類なんて、この世に存在しないって!」


 同じ部活で実希子の基礎体力の凄まじさを痛感している尚は、本気で恐怖しているみたいだった。


「ずいぶんな言いようだな。ま、その分だけ手加減しなくてもよさそうだ」


「ひ、ひいいっ!」


「ちなみに男子の代表は柳井君よ。愛の共同作業ね。二人で頑張って」


 にこやかな笑みを見せる柚にいつまでも食い下がれるはずもなく、最終的に尚は肩を落として相撲に出るのを承諾したのだった。


   *


「ああ……酷い目にあったわ」


 体育祭終了後、尚の第一声がそれだった。

 体育祭の総合結果は、三年生の岩田真奈美の所属するクラスが優勝となった。学年別では実希子擁するC組がトップで、全体でも三位に入る好成績を叩き出した。ちなみに二位は二年生の高山美由紀がいるクラスである。


 尚は参加した相撲で実希子に瞬殺され、土俵下まであっさりと吹き飛ばされて撃沈した。柳井晋太もB組の和也と対戦し、同様の運命を辿っていた。それでも全力を尽くして向かっていったので、クラス内の評価は上がったみたいだった。

 次々とクラスメートに話しかけられる二人の姿に、柚は少しだけ微笑んでいた。それを見た葉月は、柚の優しさの一面を改めて知った。


 皆で一緒に昼食もとれたし、楽しい体育祭になった。これから続いていく三年間の道のりもきっと明るい。そう思えた一日だった。

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