第329話 菜月と茉優

 吹く風の冷たさに上着が一枚増えるも、視界を彩る豊かな色に目を奪われる。

 予定の講義を終えた菜月は大学の構内を歩きながら、小さく息を吐いた。


 南高校も進学校ではあったのだが、さすがに大学で学ぶことの難易度は高い。

 県大学に行っていればここまでの苦労はなかったかもしれないが、それでもなんとか遅れずについていけているのは幸いでもある。


 家に戻れば予習復習をしながら、隣人の真から預かっている合鍵で彼の部屋に入り、掃除などの家事を行う。

 ここ数日は顔を合わせていないので、課題のためにアトリエかどこかに泊まり込んでいるのかもしれない。


 菜月が心配になるくらい根を詰めすぎていたので、少しは休んでほしいのだが、生憎と素直に口にできるほど健気な女性ではなかった。

 とはいえ冷蔵庫に用意した食事はきちんとなくなっているので、日に一度くらいは帰って来ているのだろう。


 自室に戻り、自分の分の家事もこなす。

 アルバイトをしていないので潤沢とはいえなくとも、時間はそれなりにある。

 明日の講義の準備も終えれば、あとは自由時間だ。


 抱えたクッションの上にハードカバーを置き、パラパラとページを捲る。

 心安らぐ時間に間違いはないが、ほんの少しだけ寂しさを感じてしまう。


 相変わらず大学では挨拶など多少の触れ合いはあるものの、友人と呼べるような存在はいなかった。

 そもそも飲み会などに誘われても、菜月が断ってしまうのが原因なのだが。


 浮かれ気分でサークル活動やお相手探しに精を出す学生からは異端の存在みたいに扱われ、同様に真剣に励む学生はあまり群れずに勉学に没頭するパターンが多かった。


 その中でも話したりはするし、何度かお誘いも受けた菜月だが、同棲ではなくとも彼氏が隣の部屋に住んでいる身だ。そうそう他の男性とお出かけなどできないし、またそうしたいと思う性格でもない。


 最低限の化粧とファッション、あとは本があればよく、極めて狭い世界から出ようとしない菜月には、友人を作るという機会が極端に少なかったのである。


 それでも変な友人ができるよりはマシだし、不便も不利益も感じてないので問題もない。

 ただ茉優たちと過ごした記憶がある分、今みたいにふと寂しくなったりするのが困りものなくらいだ。


 午後四時近くなり、夕食の下準備を始めているとドアホンが鳴った。


 恐らく真だろうと思いつつも、以前に確認もせずに開けたら、その真に都会は危険だから注意してと叱られたので、とりあえずは誰が来たのかを見て、


「……え?」


 菜月は硬直した。


「なっちー、来たよーっ」


 両手を挙げた女性の元気な声に、頭が軽く混乱する。

 ドアホンのボタンを押したまま、菜月は首を傾げる。


「……茉優?」


「うんっ、サプライズでしたー」


「いや、連絡してから来なさい、普通に」


 ため息をつきつつも、玄関に向かう菜月の足取りは非常に軽かった。


   *


「沢君も一緒だとは思わなかったわ」


「僕も真君と会いたかったしね」


 胡坐をかいて座る沢恭介は、高校時代よりも大人っぽく見えた。

 ジーンズに柄もののシャツにお洒落なジャケットという服装も、今時とは言えないかもしれないが大学生っぽい。


「前になっちーが恭ちゃんも一緒にって言ってたのを思い出したんだぁ」


 舌足らずな口調は相変わらずだが、この前、地元で会った時よりもテンションが高い。


 ピッタリとしたハイライズの白いパンツに、薄いグリーンのニット姿の茉優も大人びて見える。

 念のためにとバッグと一緒に持参したネイビーのロングカーディガンも、親友らしからぬほどにお洒落だ。


「まさか茉優、またファッション誌を愛読し始めたの?」


「違うよぉ。茉優がいつも同じ服ばかり着てるから、年頃の女の子がそれじゃ駄目って柚ちゃんが見立ててくれたんだぁ」


 ほんわかした笑顔で自分の服を見ながら、変じゃないか茉優が尋ねる。


「凄く似合っているわ。私のも見立ててほしいくらいよ」


 体型が変わらないのもあって、菜月の私服は高校時代と同じだ。

 流行の変化を教えられても、余計な出費をしたくない気持ちが勝って購入意欲が沸かないのである。


「高校の時なら、明美ちゃんが色々教えてくれたんだけどね」


「そうだねぇ、お洒落さんだったもんねぇ」


 着飾るのが好きな明美は、ソフトボールで足が太くなろうとも、自分を可愛く見せるための追及は手を抜かなかった。

 とはいえ、あくまでも自分が楽しむためであり、異性関係にはあまり興味がなかったらしく、告白されても断り倒していた。


「あと、意外と涼子ちゃんもお洒落さんだったよぉ」


 中性的な容姿で性格は男勝りという涼子だったが、その反動のせいか、やたらと可愛いものに憧れる性質も持ち合わせていた。

 ふわふわしたドレスだったり、小動物だったり、普段とは違うギャップに周囲――特に仲良しの明美がやたらと萌えていたものだ。


「愛花はその二人に挟まれて、着せ替え人形みたいになってたわね」


「なっちーと茉優の分も服を選べて、明美ちゃんも涼子ちゃんも幸せそうだったねぇ」


「ええ……惜しい人たちだったわ……」


「冗談だってわかってるけど、皆、きちんと生きてるからね」


 ガールズトークを見守っていた恭介が、苦笑いで指摘する。


「ところで、真君はいないのかな」


「出かけているはずだけれど、電話をしてみるわね」


   *


 案の定、アトリエにいた真だったが、菜月が電話するなりすぐに帰ってきた。

 真もあまり社交性の高い性格ではないので、恭介ほどに親しくしている友人は大学にできていなかった。


 菜月と茉優が一緒に台所に立つ中、手伝おうとしながらも、狭いので邪魔だと追い出された男たちは居間で話をしている。


「なっちー、なんだか嬉しそうだねぇ」


 どうしようか悩んだが、ぽややんとしているようで親友は意外と鋭いところもあるので、素直に白状する。


「最近、頑張りすぎていたからね。

 真が気を抜けているようで、少しだけ安心したのよ」


「そっかぁ、やっぱり恭ちゃんを連れてきて良かったねぇ」


「できれば事前の連絡は欲しかったけれどね」


「えへへ~」


 本当に理解しているのかわからない笑みを浮かべ、すっかり慣れた包丁さばきで食材を切り分ける。一人での料理も嫌いではないが、誰かとお喋りしながらするのはより楽しかった。


「沢君には手料理を作ってあげたりしないの?」


「茉優はまだお父さんと住んでるし、仕事もあるからぁ」


「あら、それじゃあ今回は沢君と過ごすチャンスだったんじゃないの?」


「恭ちゃんとはいつでも会えるからいいのぉ」


 恭介の立場であれば嘆いてもよさそうだが、当人は真と楽しそうに会話中だ。


「なんというか、私の周りにはお人好しが多いわね」


「それはきっと、なっちーがそうだからだよぉ」


「そんなことはないと思うけれど……」


「あるんだよぉ」


「でも、大学では違うわね」


 虐められているわけではないが、ぼっち生活なのを告白すると、慰められるのではなく、きょとんとされた。


「なっちーは友達が欲しいの?」


「別にそういうわけではないけれど……」


「だから増えないんだよぉ。きっとなっちーが仲良くしたいって子がいれば、自然とそうなってるよぉ。だって、なっちーなんだから」


 自信満々に言い切られ、数秒ほど固まったあと、菜月は思い切り吹き出した。

 お腹を抱えて笑う姿があまりにも異質だったせいか、真や恭介までもが様子を見に来た。


「ごめんなさい、何でもないわ」


 涙を吹きながら真たちに言ったあと、菜月は茉優に抱き着いた。


「ありがとう。やっぱり茉優は親友ね」


「えへへ、もちろんだよぉ」


   *


 グッと心が軽くなった菜月は、食事をしながらも内心では笑い続けていた。

 友達を欲しいと思ってないのだから、できないのは当たり前。

 寂しいのは一人だからではなく、茉優たちに会えなかったからに過ぎないのだ。


「なっちー、ご機嫌さんになったねぇ」


「茉優のおかげでね」


 綺麗に夕食を平らげ、後片付けをしながら、またお喋りに花を咲かせる。

 夕食の席で茉優は菜月の部屋に、恭介は真の部屋に泊まるのが決まっていた。

 課題に精を出していた真も、恭介の滞在中は休みにすることにしたらしい。


「明日は皆でお出かけだねぇ」


「茉優はどこか行きたいところはある?」


「え~とねぇ、あっ、雷門っ!」


「また渋い選択ね。お寺とかに興味があったの?」


「なんとなく思いついただけだねぇ」


「茉優は変わってなくて安心したわ」


 帰省した際にも会っているのに、こうして顔を合わせれば話は尽きない。

 二人になって布団に入っても、しばらく話し続けた。


「えへへ、楽しいな」


「私もよ」


「帰ったら愛花ちゃんたちにも教えないとねぇ」


「待ちなさい。ずるいとか言い出したらどうするのよ」


 愛花もよく会いたいとメールをくれるが、都合が合わずにすれ違いになる場合が多かった。


「その時はその時だねぇ」


「まったく……仕方ないわね」


 ため息をつく振りをして菜月は笑い、そうしていつの間にか眠りに落ちていた。

 この夜、菜月は東京に来て一番というくらいに熟睡できた。


   *


 翌朝、希望通りに雷門の観光をした茉優はひたすらはしゃぎ、付き合っていた菜月も気が付けば一緒に楽しんでいた。


 見送りの時まで楽しい気持ちをくれた親友に感謝しつつも、嵐が過ぎたように静かに感じられたホームで、菜月は隣に立つ彼氏の手をギュッと握った。

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