第406話 2人はいつもこんな感じだけど、たまには希も怒るんです
入学式の翌日。
朝の教室で穂月は目についたクラスメートに片っ端から声をかけるが、どうにもよそよそしい反応ばかりだった。
むーと首を傾げていると、近づいてくる足音が聞こえた。
「あ、あの、あのあの」
膝丈のスカートと袖の長いシャツを着ている少女が、恥ずかしそうに手をもじもじさせている。
「おー、ゆーちゃんだ」
「うんっ、ゆーちゃんもその、あの、おなじクラスだったの」
「そうなんだー」
会話に応じているうちに、俯き加減だった少女の顔が上がりだす。ミドルボブの前髪に隠すようにしていた大きな瞳が覗く。
「ふたりはしりあいだったんですか」
トレードマークの黒ぶち眼鏡を手で直しながら、スカートにトレーナー姿の沙耶が声をかけてきた。たまたま近くを通りかかった時に会話が聞こえたらしい。
「ようちえんであそんでたのー」
「そうなんですか、じゃあわたしにしょうかいしてほしいです」
「しょうかい?」
「なまえとかをおしえてくれればいいんです」
「ゆーちゃんだよ」
「できればほんみょうがいいです」
「ほんみょう?」
メトロノームみたいに左右に首を傾げ、穂月は最後に沙耶を見る。
「みょうじとなまえのことです。わたしなら出雲沙耶です」
「おー」
沙耶の堂々とした自己紹介に、思わず穂月は拍手をしていた。
「ありがとうございます、じゃなくて、はくしゅのまえにかのじょのなまえをおしえてほしいんですが」
「ゆーちゃんっておしえたよ」
「……もしかして」
ずれかけた眼鏡を沙耶が震える指先で直す。
「しらないんですか?」
「ゆーちゃんはゆーちゃんだよ」
「あのっ、あのあの、ええと、その、ゆーちゃんは
「おー」
「そのはんのう……やっぱりしらなかったんですね」
呆れ果てる沙耶と少なくないショックを受ける悠里。
「ようちえんで、いつもいっしょだったのに……ぐすっ」
「あっ、なかないでください、たかぎさんもわるぎがあったわけじゃないとおもうんです」
「でもでも、ううっ、ひっく」
「ほら、たかぎさんもなにかいってあげてください」
「ゆーちゃんとさっちゃんはなかよしさんだね」
素直な感想を口にしたのだが、何故か穂月は2人にポカンとされてしまう。
「さっちゃん……?」
「うん、さっちゃん」
「できればふつうにみょうじでおねがいしたいです」
「みょうじ?」
「……さっきおしえたはずですが」
「あいだほっ」
グッと拳を握る穂月に、怪訝そうな目を向ける沙耶。
「あいだほ? なんですか、それは。
まあ、いいです。こんどからきちんとみょうじでよんでくだされば」
「さっちゃん」
「……あたまがいたくなってきました」
「じゃああそぶ?」
「どうしてそうなるんですか」
「ママのおともだちが、こまったらからだをうごかすとかいけつするってー」
「……しないとおもいます」
「あのっ、あのあのっ、ゆーちゃんはいっしょにあそぶの」
おどおどとだが、悠里が手を上げてくれたので穂月は笑顔になる。だがすぐに遊ぼうとするのを、沙耶が待ったをかけた。
「もうすぐせんせいがきますので、やすみじかんにあそんだほうがいいです」
言い終わるが早いか、本当に担任の柚が教室へやってきたのだった。
*
入学したばかりなので授業は行われず、最初の一時間目は自己紹介に費やされた。1人ずつ黒板前まで歩き、自分の名前や特技などを発表する。
出入口に近い席から順番に進んでいくが、とある少女でピタリと止まった。
「ええと……小山田さん?」
困り笑顔の柚が何度か声をかけるも、希は机に突っ伏したままだ。
教室内がザワつき、やがて1人の男児が立ち上がる。
「おい、おまえ、はやくじこしょうかいしろよ」
怒鳴ってもろくに反応しない希に、あちこちから文句が飛ぶ。
「皆、落ち着いて。ひとまず小山田さんは飛ばして――って穂月ちゃん?」
スタスタと歩いて希の背後を取った穂月は、友人の両腕を持ち上げる。
「のぞちゃんだよ」
「のぞちゃんってなまえなのかよ、へんなのー」
先ほどの男児がここぞとばかりに希だけでなく、助けに入った穂月をもからかおうとする。
だが穂月は怒るのではなく、即座に頷いた。
「そうだよー」
「え? ほんとうに?」
きょとんとしたあとで、男児がまた席からお尻を上げた。
「うそだ、そんななまえのやつなんかいないもん」
「でものぞちゃんだし」
穂月の目が本気だったがゆえに、沈黙が教室に舞い降りた。
ややしてから、バカにされていると思ったのか、男児が顔を真っ赤にして怒鳴る。
「じゃあみょうじがのぞで、なまえがちゃんなのかよ」
「のぞちゃんはのぞちゃんだよ」
睨まれても態度を一切変えない穂月。
そして友人に腕を掴まれたまま、すぐ横で大声での口論をされても目を開けようとしない希。
これ以上場の空気が悪くなるのを避けるためか、ここで担任の柚が口を挟む。
「ええと……穂月ちゃんのお名前は高木穂月だよね」
「あいだほっ」
元気な返事に戸惑いと疑問が教室に広がるが、柚はあえて触れずに言葉を続ける。
「希だからのぞちゃんって呼んでるのよね?」
「あいだほっ」
「じゃあ、穂月ちゃんにとって高木の部分は、希ちゃんにとって何になるのかな」
「のぞちゃん」
「ええと……」
「いいかげんにしろよ」
バンと大きな音が教室に響いた。怒りで紅潮している男児の仕業だった。
乱暴な動作に慣れていない大多数の児童が怯え、特に弱気な悠里みたいな少女は軽く泣きだしてしまう。
「おおごえをださないでください」
見かねた沙耶が注意するも、余計に男児は興奮を強くする。
「あいつがわるいんだ! あたまがおかしいんだよ! かあちゃんもそういってた、あいつとはかかわるなって!」
「おー」
「おーじゃねえよ、ほんとうにあたまがおかしい――」
ガタリと。
それまで死人のようだった希が唐突に立ち上がった。バランスを崩しかけた穂月の肩を抱きながら、男児を睨むように見据える。
「な、なんだよ」
しっかりした足取りで近づき、希はフンと鼻を鳴らす。
気圧された男児が腰を抜かすように着席する。
「……小山田希」
黒板前に立った希は何事もなかったかのように自己紹介すると、さっさと自分の席に戻る。
あまりにいきなりの出来事だったため、誰も何も言えなくなり、教室に変な空気が充満する。
「はい、じゃあ次の人。
あ、その前に穂月ちゃんは自分の席に戻ってね」
*
「こ、こ、こわかったの」
休み時間になるなり、穂月の席まで駆け寄ってきた悠里は涙目だった。
「あなたたちはふだんからあんなかんじなんですね」
黒ぶち眼鏡を指で弄ぶ沙耶も、ため息をつきつつ近づいてくる。
「のぞちゃんのママはまいにちほづきにのぞちゃんをたのむっていってるよ」
「どちらかといえばたかぎさんが――」
先ほどの時間に自己紹介したせいか、名前呼びからさらに他人行儀な呼び方に変わった沙耶に穂月はにこにこと告げる。
「ほっちゃんでいいよ」
「たかぎさんが――」
「ほっちゃんでいいよ、さっちゃん」
さらに笑みを深めて見つめると、やがて沙耶が眉間を押さえて大きく息を吐いた。
「……わかりました。では、ほ、ほ、ほっちゃん……」
「さっちゃん、かおがあかいよ?」
「しかたないです、ほかのひとをそんなふうによんだことなんてないですから」
「じゃあほづきがはじめてだねー」
「そ、そうですね。
こほん、それより、おやまださんは――」
わざとらしい咳払いのあとで――まだ赤面中だが――平静を装って話を続けようとした沙耶に、またしても穂月は訂正を被せる。
「のぞちゃんだよー」
「……ええ、もうなんでもいいますとも、のぞちゃんだろうとほっちゃんだろうといいますとも」
「さっちゃんこわい」
「ああっ、べつにおこってませんから、なかないでください、ゆ……ゆーちゃん」
「うんっ」
愛称で呼ばれたのが嬉しかったのか、笑顔になった悠里から涙の気配が一瞬で消え去った。
「では、はなしをもどします。のぞちゃんはいつもこう……ねているんですか」
「うん、でもはなしはきいてるよー」
「そうなんですか? いまもですか?」
「そうだよー、じぶんにはかまわないでくれっていってる」
「わたしにはきこえませんでしたが……こごえではなしてるとかですか?」
「ううん、なんとなくわかるのー」
事実をそのまま教えたのだが、何故か沙耶は壊れた機械のように首を動かして、穂月ではなく悠里を見た。
「たしかゆーちゃんはふたりとおなじようちえんでしたよね?」
「うんっ」
「ようちえんのときもねてばかりいたんですか?」
「よくほっちゃんがのぞちゃんをころがしてたの」
「……そうですか、よくわかりました」
疲れたように頷いたあと、眼鏡と一緒に沙耶は顔を上げた。
「あなたたちはほうっておけません。これからはわたしがかんしします」
「かんし?」
不思議そうにする穂月に、人差し指を立てた沙耶が簡潔に説明する。
「そばにいてみまもるということです」
「じゃあ、ともだちだねー」
「あっ、ええと……はい。
で、でも、かんしはしますっ」
「よろしくね、さっちゃん」
「……はい、ほっちゃん」
「あのっ、あのあの、ゆーちゃんもいっしょがいいの」
手を挙げてアピールする悠里も、もちろん受け入れる。
幼稚園の時と同じく、あっという間に友達ができたと穂月はにんまりする。
「みんなでいっしょにあそぼうねっ」
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