第439話 2年連続の卒業式号泣事件のあとは、いよいよ六年生になります

「うらあッ!」


「おー」


 マウンド上で穂月は目を丸くする。


 相変わらずの男前な叫び声を放ち、バットを一閃させた陽向の打球はもの凄い速度で外野の間を抜けていった。


「さすが引退したはずなのに、卒業前まで練習に参加し続けた暇人なの」


「おい、聞こえてるぞ、ゆーちゃん!」


 久しぶり……ではない練習用のユニフォーム姿の陽向が、到達したばかりの二塁でベンチ前にいる悠里を指差した。


「はわわ、地獄耳なの。ゆーちゃん食べられてしまうの」


「俺をなんだと思ってやがる!」


「「「ヤンキー」」」


 悠里のみならず、沙耶と凛も息ピッタリだった。


「なんて可愛くない後輩どもだ。今日が最後なんだから、徹底的にしごいてやるからな!」


「ちょっと、今日は6年生たちの送別会なのを忘れないでよ」


 そう注意したのは顧問の柚だが、顔には優しげな笑みを浮かべていた。


   *


「ちっ、さすがに俺1人じゃ現役には勝てねえか」


 6年生だけで9人もいないので下級生も助っ人参戦しているが、陽向以外は素直に引退した部員ばかりだったので勝敗は最初から明らかだった。


 当初は卒業生に花を持たせるつもりだったのだが、陽向が真剣勝負にこだわったため、途中からはほとんど試合になっていなかった。


「落ち込まないで、まーたん。2回戦で頑張ろう」


「ほっちゃん……よし、今日はとことんやってやろうじゃないか!」


「その意気だよ! じゃあ演目は何にしよっか」


「……演目?」


「最初がソフトボールなら、次は演劇だよ! やったね!」


「……送別会にかこつけて、明らかにほっちゃんがやりたいだけですわね」


 顔を引き攣らせた凛に、友人たちだけでなく下級生までもがうんうんと頷く。


「誰も反対せずに、着々と準備を進めているのが凄いわね……」


「それだけほっちゃんに慣れてきたといいますか、恒例行事ということです。今回は先生にも参加してもらうつもりです」


「え? ええと……そういえば職員会議があったような、なかったような……」


「お前ら、柚先生を確保しろ! 絶対に逃がすな!」


 前主将の命令により、抜群のチームワークを発揮した部員たちによって柚はあえなく拘束される。


「どうせ小学校では最後だ! やってやろうじゃねえか!」


「さすがまーたん!

 じゃあ主役を任せるから……ええと、シンデレラにしよう!」


「そうなると意地悪なお姉さん役はりんりんに決定なの!」


 背伸びした悠里に肩を掴まれた凛が、嫌々と首を振る。


「お、お待ちください! まーたん先輩扮する武闘派シンデレラに虐めなどしたら、逆にボコボコにされてしまいますわ!」


「……どうせ小学校では最後だしな。好き勝手にやっちまうか」


「ひいいっ、悪い顔になってますの! 今日ばかりは貴族の肩書を返上いたしますわあああ」


「だからりんりんは貴族ではないと思うのですが……」


 苦笑いを浮かべつつ、沙耶はベンチで眠りこけようとしていた希を起こす。


 ユニフォーム姿で虐めを打ち破る武闘派シンデレラがグラウンドに爆誕したが、逆襲された凛も他の部員も最後まで笑顔だった。


   *


「まーたんのスカート姿なの、激レアなの」


 穂月は「おー」とすぐ前の席で興奮する悠里に応じつつ、中学校の制服姿に身を包んだ陽向を見た。


 長髪は苦手だと最後までショートカットだったが、スタイルがいいのもあって女性らしさが際立っている。


 もっとも口を開けば即座に台無しになるが、穂月にとってそれこそが陽向なのでむしろお嬢様らしくされているよりはずっと好感が持てる。


「恥ずかしがって、今日まで一度も制服姿を披露してくれませんでしたからね」


 穂月の後方の席から、軽く身を乗り出した凛が会話に加わる。


 昨年に卒業した朱華は制服が届くなり、嬉しそうに何度もお披露目してくれたのだが、陽向の場合は頼まれても頷かなかった。


「まーたんは似合わないって言ってたけど、似合ってるね」


 穂月が言うと、友人二人は揃って同意した。


 膝丈のスカートをひらひらさせながら歩く陽向は優しいお姉さんみたいで、見ているだけで頬が緩む。


「来年はわたくしたちの番なのですわね……」


「りんりん、もうしんみりしてるー?」


「そ、そういうわけでは……ありませんわ」


「ゆーちゃんは卒業したくないの……今がすごく楽しいの……」


 他の生徒も巻き込んで、しんみり度合いを増加させてしまう。


「うん……本当にそうだよね……」


 緊張気味の陽向の横顔を眺めながら、穂月もポツリと唇の隙間から元気のない声を零していた。


   *


 昨年同様に、穂月たちは中庭で卒業生を出迎え、その中に目当ての人物を見つけると笑顔で駆け寄った。


「まーたん、卒業おめでとう!」


 穂月が中心となり、皆で選んだ花束を渡す。


「お、お前ら……うぐっ、うぐぐっ、うおおっ」


 式中も泣いている様子は見受けられなかったのに、受け取ると同時に目の前の友人が涙腺を決壊させた。


「2年連続の号泣事件発生なの」


「そういえばあーちゃん先輩の時もやらかしてましたわね」


 悠里と凛の指摘に陽向はうるさいと返しつつも、大事そうに花束を抱える。


「お前らが悪いんだろ、えぐっ、俺にまでこんな……おええ」


「た、大変です! 感極まり過ぎてえずきだしたみたいです!」


 沙耶が目を白黒させると、凛も頭を抱える。


「卒業生が晴れ舞台で嘔吐なんてしたら大惨事ですわ!」


「……花束で受け止めればいい」


「おー」


「たまに起きてたと思ったら、とんでもない提案をしないでくださいませ! ほっちゃんさんも乗り気になったらいけませんわ!」


 最終的に難は逃れたが、穂月たちの一団が中庭でもっとも騒いでいたのは間違いなかった。


   *


 陽向の卒業祝いは、夜に高木家で開催された。


 自宅が市営住宅なのであまり騒げないため、穂月がお願いすると両親は快く承諾してくれた。


 一緒に招かれた陽向の母親は恐縮しきりだったが、騒がしい雰囲気に感化されたのか、徐々に場に馴染みつつあった。


「まーたんはもちろん中学でもソフトボールをするのよね」


「嫌だっつっても、入学式の直後から連行されるんだろ?」


「よくわかってるじゃない、先輩として嬉しいわ」


 にこやかな朱華に以前みたいな翳はなく、中学生活が順調なのがわかる。


「それにしても、せっかくだから制服で参加してくれてもよかったのに」


「あんなひらひらした服、恥ずかしすぎるだろ」


「ホットパンツで好んで生足を出してるくせに?」


「人を痴女みたいに言うな!」


 穂月たちとでも楽しそうだが、やはり朱華が一緒だと陽向は余計に嬉しそうだ。


 その朱華も穂月たちも私服姿で、酒盛りをする大人から離れてリビングでジュースを飲みながら談笑している。


 最初は主役ということで陽向が中心だったのだが、お祭りごとには何の関係もなく参加する希の母親が音頭を取ると状況は瞬く間に一変した。


 菜月や茉優もわざわざ仕事終わりにお祝いに来てくれている。今夜は菜月の部屋でまとめてお泊りするらしい。


「にしても卒業したんだな」


「おー、まーたんがしんみりしてる」


「そりゃあな。入学当初は周りに馴染めなくて、2年になっても変わらなくて、かと思えば体育館で変なのと遭遇して……色々あったからな」


「出会った頃のまーたんは意地悪だったの」


 悠里が唇を尖らせると、痛いところを突かれたと陽向が顔を顰めた。


「……ワルというかクールを気取ってたけど、中身が伴ってなかった」


「ぐっ、いつもは寝てるくせに、こんな時だけ……」


 希にまで指摘され、たまらず陽向が大げさに胸を押さえる。


「まあ、事実だから仕方ないけどな。でも……おかげで楽しかったよ」


 そう言った陽向の屈託のない笑顔は、とても眩しかった。


 だからこそ穂月も元気に「うんっ」と返す。


「少しだけ離れ離れになるけど、来年にはまた同じ学校で一緒に過ごせる。それまで元気でいろよ」


「まーたんもね!」


   *


「今日から6年生です!」


 腰に手を当てて大張り切りの穂月の隣に、何やら元気のない春也がやってくる。


「どうしたの?」


「……まーたんがいなくなっちゃった」


 休み時間のたびに陽向に遊んでとせがんでいただけに、卒業したのを実感する新学期は寂しいみたいだった。


「大丈夫。また一緒に遊べるよ」


 弟の手を取り、まずは希の家に向かう。なかなか起きようとしない親友を起こすのも、穂月の大切な日課だ。


 昨年までと変わらないが、変わったものもある。


 小学校に通える最後の1年を踏みしめるように、穂月は通学路を歩く。


「のぞちゃん、朝だよー」


   *


 教室に入れば去年から一緒の仲間たちで集まる。担任は変わらず柚のままだ。


「皆、席に着いて。6年生になったんだから、下級生たちの見本になるような行動を心掛けてね」


「おー」


「……穂月ちゃんは誰彼構わずお芝居をしようと誘ったらだめよ」


「おー……」


 心の中が読まれたようで、少しだけしょんぼりしてしまう。


「以前なら注意されても気にしなかったですが、ほっちゃんも成長したものです」


「でものぞちゃんは相変わらずなの、ついでにりんりんも」


「え? わたくし……ほっちゃんさんやのぞちゃんさんと同類扱いなんですの?」


 何故かショックを受けている凛を後目に、穂月はそれならソフトボール部にたくさん勧誘してお芝居仲間を増やそうと、1人でこっそり決意するのだった。

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