愛すべき子供たち編

第375話 菜月たちの進路

 雪が降るのは珍しいくらいなのに、都会の冬は故郷よりも冷たさが肌に刺さる感じがして、菜月はどうにも好きになれなかった。


 それでも住めば都という言葉通り、慣れはする。


 妙に寂しさを覚える三月。


 菜月が大学に通うために過ごした部屋には小学校、それと中学校からの気の置けない友人たちが集まっていた。


「いやー、菜月が東京に残ってくれるのは朗報だったな」


 中学、高校とソフトボールを教えてくれたどこぞの女コーチみたいに、友人の一人である涼子が朗らかに笑う。


「東京見物の拠点が残ったという意味かしら? それなら涼子ちゃんだって関東の実業団に就職が決まっているでしょう?」


 菜月が問いかけると、涼子は笑みを一層濃くした。


「そうなんだけど、ボクはしばらく寮暮らしの予定だからな。

 皆を集めるには不十分だよ」


「それならあたしと一緒に住む?」


 そんなことを言い出したのは明美だ。

 女性にしては身長が高く、中性的な雰囲気漂う涼子とは対照的に、黙っていればとても可愛らしい女性で、やや赤っぽい毛髪が特徴的だ。


 菜月が二人と出会った中学校の頃から髪型などは変われども、全体的な印象はあまり変化していなかった。


「あら、二人ともついに結婚するんですか?」


 からかい半分に口を挟んだのは愛花である。

 涼子と明美との付き合いは菜月よりも古く、出会った当初は愛華がリーダーで、他の二人は取り巻きという感じだった。


 実際にはやや難儀な性格上、なかなか友人を作れなかった愛花を心配して、二人が常に寄り添っていたのだが。


「そんなわけないだろ! 前々から言ってるけど、ボクはノーマルだ!」


 何故か幸せそうに頬を赤らめる明美の隣で、唾を飛ばす勢いの涼子が否定した。


「でもぉ、日本でも同性婚が認められるかもしれないんだよねぇ」


 パン作りに邪魔だからと、髪を短くしている茉優が意味深な発言をする。


 明美が瞳を輝かせ、愛花が苦笑する。

 そして菜月は親友からそっと目を逸らす。


「茉優、友達に意味ありげな視線を送るのは駄目よ」


「大丈夫だよぉ、茉優にも恭ちゃんがいるし」


 にこやかに返してくれた親友の態度に安堵していると、愛花が思い出したように彼氏との仲の進展を茉優に尋ねる。


「高校の頃とあんまり変わってないかなあ。お店がお休みの日に予定が合えば会ったりするけどぉ」


 下唇に人差し指を当てて考え込む茉優は、二十代になって高校生の頃よりずっと色気を増していた。


 もともと仲間内でもスタイルは抜群のため、同性でありながら菜月もほんの少しだけクラっとしそうになる。


「じゃあ、結婚とかの話はまだ出てないんですか?」


「うん。茉優もお店が忙しいし、恭ちゃんも春から就職するし」


「確か県中央の企業でしたよね」


 全国的には無名でも、県内ではわりと名前を知られている企業に採用された恭介はまずは営業で経験を積んでいくことになるらしい。


 これは菜月が彼氏の真から得た情報で、もたらしてくれた当人と話題の人物は隣の部屋で旧交を温めているはずだ。


 夕方には菜月の部屋で一緒に食事をすることになっているので、そこで色々と話を聞けるだろう。


「涼子ちゃんは実業団、沢君は県内企業。

 皆、順当に就職が決まって良かったわね」


 菜月がしみじみ言うと、場の視線が一気に飛んできた。


「一番の出世頭だけに余裕だな」


「メガバンクだもんね。給料とかあたしとは比べ物にならなさそう」


 揶揄する涼子の隣で、明美が盛大にため息をつく。

 大手企業の採用を得られず、どちらかといえば中小企業よりの会社に春からOLとして働くのが決まっている明美にはどこか哀愁が漂っている。


「就職浪人せずに済んだだけ良かったでしょう。昨今は売り手市場とはいえ、全員が順当にいっているわけではないのですから」


「ブラック企業も多いしな」


 諭すような愛花の言葉に、うんうんと涼子も頷く。

 明美はわかってるわよと言いながらも、やはりどこか不満げだ。


「明美ちゃんはそんなに大手企業が良かったの?」


 気になった菜月が問うてみると、彼女らしいと言うべきか、なんと言うべきかな答えが返ってきた。


「収入が安定してると、

 涼子ちゃんが実業団をクビになった時に養ってあげられるでしょ」


「……どこまでも涼子ちゃん優先なのね」


 菜月が幸せ者ねと視線を向ければ、

 涼子は実に微妙な笑みを端正な顔に張り付けた。


「最近はちょっと怖くもある」


「えっ、あたし、重い女とか思われてる!?」


「い、いや、そういうんじゃなくてだな」


 両手をバタつかせ、慌てて弁解を始める涼子に隠れ、明美が小さく舌を出す。


 それを見た菜月は、二人は今後もこんな感じで一緒に歩んでいくのだろうと簡単に想像できた。


   *


「宏和君は残念だったよね」


 隣人の真たちも加わり、全員で鍋を囲んでの夕食の席で、その真が言い出した。


 宏和は菜月たちの一つ上で、学生時代から付き合いがあったが、今回の集まりには参加できなかった。


 というのも――。


「仕方ないです。社会人野球の練習が忙しいみたいですから」


 割り切りながらも、恋人の愛花はやはり寂しさを隠しきれてはいない。


 昨年に県大学を卒業した宏和は大学リーグで活躍したのもあり、それなりに有名な社会人野球のチームから声がかかったのである。


 本人はまだ野球を続けられると喜び、両親もどうせならとことんまでやってみろと応援した。その甲斐あってか、社会人一年目にも関わらず、投手としてそこそこの登板機会を与えられた。


「昨年の結果は悪くなかったとはいえ、抜群に良かったわけでもないですから、今年に改善が見られないと先が難しくなりますしね」


「先ってことは、やっぱり本人はプロを意識してるのかしら」


 菜月の確認に、この場では誰より宏和の事情を知る愛花が顔を縦に振る。ソフトボール部を引退してからさらに伸ばした黒髪が、さらりと彼女の頬に流れた。


「大学まではそうでもありませんでしたけど、就職したチームからはドラフトで指名された選手もいるので、どうしてもそちらを考えてしまうそうです」


「プロに進めるかはともかく、目指せるだけでも選ばれた選手みたいなもんだからな。可能性があるなら追いたくなるだろ」


「そう言う涼子ちゃんだって、プロみたいなものじゃないの?」


「一応日本リーグがあるけど、世間一般のプロのイメージとは違うよ。大抵は普通に仕事もするみたいだし、給料だって手取り14万とか15万とかって話だし。その分、寮に住めるから節約にはなるけど」


「そう考えると、なんだか世知辛くなってくるわね」


 菜月の呟きを最後にしんみりしてしまうが、恭介がわざとらしく手を叩いて注目を集め、皆で作った鍋料理を絶賛する。


「茉優ちゃんも作ったんだよね。

 料理上手で素敵だよ。毎日でも食べたいくらいだ」


 そう言って、僅かに上気した恭介が真剣な眼差しを茉優に向ける。


 菜月を始めとした面々が「おおっ」と注目する中、茉優はあっけらかんと、


「お店があるから無理じゃないかなぁ」


 一刀両断した。


「あの、茉優……今のはね、多分だけど……」


「いいんだ、菜月ちゃん。フォローされると悲しいやら恥ずかしいやらでいたたまれなくなるから」


 ほろりと涙を流した恭介は、次こそはと小さく繰り返しながら、テーブルに置いていた缶ビールをグイと飲み干した。


   *


 夕食会という名の宴会がお開きになったあと、菜月の部屋に泊まっていく女性陣はシャワーを浴びてから各々パジャマに着替えた。


 布団を並べて敷き、全員が横になって眠ろうとするも、電気を消した部屋に誰かの寝息が聞こえてくる気配はなかった。


「社会に出ると休みもバラバラになるので、こうして集まれる機会はさらに減るんでしょうね」


 寂しげに愛花がポツリと漏らした。

 菜月も考えていたことだったので、たまらなく切ない気分になる。


 それをあっさり吹き飛ばしたのは、

 深刻さを微塵も感じさせない茉優の一言だった。


「大丈夫だよぉ、茉優だって社会人だけど、なっちーの部屋によく遊びに来てたし」


「そうだったわね」


 おかしくなって菜月が笑うと、友人たちもクスクスし始める。


「社会人の先輩の茉優が言うなら大丈夫ですね」


「もう四年も働いてるからねぇ」


 布団の中でえっへんと腰に手を当てていそうなくらい、得意げな声だった。


「それに菜月は東京に残るし、ボクや明美も関東方面に就職が決まってる。愛花だって愛しい旦那様は関東にいるだろ」


「ま、まだ旦那様じゃないわよ!」


 愛花は慌てて否定するが、誰も言葉通りには受け取らない。


「でも、春から寮を出る宏和先輩と同棲して支えるんでしょ?」


 ニヤニヤしてそうな明美に、

 顔を真っ赤にしているであろう愛花が小声で肯定する。


「立場的にはまっきーと同じになるんだねぇ」


 眠るまで愛花を弄り倒してくれればという菜月のはかない願いは、一番の親友によって無残に破壊されてしまった。


「隣同士なんて言わずに、もう同棲しちまえばいいだろ」


「涼子ちゃんと明美ちゃんみたいに?」


「いやん」


「だからボクは寮住まいだ! それと明美、変な声を出すな!」


 わーわーギャーギャー騒いでいるうちに、心地よい眠気に襲われる。


 一人また一人と誰かの寝息が聞こえるようになり、最後、菜月も幸せな気分で目を閉じた。

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