第452話 今度はいきなりの結婚報告!? 春也も子供ながらに考えてみました

 周囲の大人が妊娠妊娠と騒がしくしている間に、外の気温はだいぶ上がってきた。まだまだ夏に及ばないとはいえ、部活中は汗だくになるほどだ。


 体を動かすのがまったく苦ではない春也は今日も部活を楽しみにしているが、その前にまず授業を終わらせなければならない。


「全部の時間が体育だったらいいのにな」


「ならば俺は自習を希望する」


 何気なく春也が振った話題に、腕組みをしていた智希が目を開けて反応した。


「でも自習だと外に出られないだろ」


「見つからないようにすれば大丈夫だ」


「全然大丈夫じゃないよ!? 智希君がいなくなると、僕が理由を聞かれるんだから変な真似はやめてよ!?」


 脱走の気配を色濃く感じたのか、慌てて晋悟が思い止まらせようとする。


「変な真似ではない。姉さんを眺めに行くのだ。遠くから近くからじっくりと」


「こういうのをストーカーって言うんだっけか」


 同意を求めるも、晋悟は微妙そうな顔になる。


「さすがに友達をストーカー扱いは……」


「フン、悪くない。姉さん専用のストーカーの座は誰にも譲らん」


「誇り高い職業みたいに言わないで! 小学生のうちから警察沙汰とかは絶対やめようね!?」


 いつもみたいに騒いでいると、やはりいつもみたいに担任の柚が教室に入ってきた。


「今日は授業の前に報告があります」


 自習ですかーとややふざける男子生徒に微笑んで首を振ってから、女教師は改めて教え子たちを見渡した。


「先生の名字が変わります。つまり結婚しました」


 数秒の沈黙後、女子を中心に歓声が上がる。唇に人差し指を当てて静かにするよう促しながらも、担任はどこか嬉しそうだ。


 おめでとうの大合唱にお礼を言ったあと、妊娠はしていないので休んだりするわけではないとも告げた。


「ただ名字が変わると皆も不思議に思うだろうから、報告をしたの」


 女子の1人が「先生ー」と手を挙げる。


「名字が変わるってどんな感じなのー?」


「最初は相手と同じ姓になると嬉しさも感じたけど、興奮が収まってくると寂しさの方が大きくなるかもしれないわね。もう40年以上もこの名字と連れ添ってきたわけだから」


 親との血の繋がりがなくなるわけではないが、関係が希薄になるような気がして妙に切ないのだとも教えてくれる。


 春也はそんなものか程度にしか思わなかったが、女子の中には深く頷いている生徒もいた。


 まだまだ子供盛りの春也たちと異なり、女子生徒の方が思考の成長は早いのかもしれない。


「だから将来皆が結婚することがあったら、迎え入れる立場の人は相手を気遣ってあげてくれると先生も嬉しいわ」


 まだ詳しくはわからなくとも、その時が来たらそうしようとは思うくらいに柚の言葉は胸に深く刺さった。晋悟も同じだったようで、しきりに覚えておこうねと言ってくる。


 だが1人だけ鼻で笑う男がいた。クラス1の問題児と目される智希である。


「くだらんな」


「智希君はどうしてそう思うの?」


「名字が同じである俺と姉さんは、そのような心配をする必要がないからだ!」


「……ええと、智希君にはあとで家庭訪問をしますので、お家の方――特にお母さんに伝えておいてください」


   *


「柚ちゃん、結婚おめでとう!」


 その日の夜。高木家では入籍した柚のお祝いが盛大に催された。


 もちろん春也も参加中で、取り寄せたお寿司をここぞとばかりに頬張る。姉たちも揃って席に着いているので、智希は近くにいない。


「皆、ありがとう」


 家庭訪問云々の件を智希の母親に伝えたあとで、改めて柚は頭を下げる。


「柚もついに人妻か」


「その言い方はなんか嫌だからやめて」


「いいじゃねえか。それに……」


「わかってるわよ……私だってちょっとどうかなって思ってるのよ……」


 柚と一緒に高木家に訪れた男性は、もちろん春也より年上だが父親よりもずっと若く見えた。


「芽衣先生のお友達なんだってー」


 名称を出したソフトボール部の顧問から聞いたのか、穂月がホタテの握りを頬張りながら皆に教えた。


「芽衣先生って新任だったよな? ってことは……」


「20歳差よ……」


 智希の母親に横目で見られた柚の声はとても小さかった。


「クックック、アタシの時は年下の旦那を散々からかわれたからな。覚悟はできてんだろうな、柚さんよお」


「お、お手柔らかにお願いするわ……」


 牙でも見えそうなくらいの笑みを作った実希子が肩に手を回すと、柚は露骨に頬を引き攣らせた。


「春也のクラスでは戸惑ったりしてる子はいなかったの?」


 小学4年生といえば多感な時期であり、担任という学校では身近な存在の変化に思うところがあるのではないか。


 母親に確認されて春也は改めて当時の様子を思い出してみるも、とりたてて気になった点はなかった。


「皆、柚先生って呼んでるし、室戸から黛になってもあんまり変わらないと思う」


「それだけは救いだったわ。お姉さん云々の宣言をしていた子はいたけど」


「……うぐ」


 逃げるように会話に加わった柚に、智希の母親が伸ばしかけた手をすぐに引っ込めた。


 まだ子供の春也でもさすがに姉弟で結婚云々はおかしいとわかるので、大人たちからすれば余計に頭の痛い問題なのだろう。


 もっとも注意したところで、智希が行動を改めるとは思えないが。


「きっと成長すれば大丈夫だよ」


「励ましてくれるのは嬉しいが、そう言っていた希は中学生になってもあの有様だぞ」


 妊娠中の菜月たちにソファを譲り、当人は小学生時代同様、器用に椅子の上で丸まって寝息を立てている。


 気休めにもならなかったと葉月は困ったように笑い、実希子は頭痛を堪えるように顔を何度も左右に振った。


「椅子が狭いと感じたら、是非、俺の背中も使ってください」


 そこへ渦中の人物が床で四つん這いになった挙句、そんなことをのたまったものだから実希子はもう涙目だ。


「普通に育ててるはずなのに、どんどん我が道を突き進む子供になっていく……」


「ま、まあ、素直だと考えれば長所だよ!」


「そうは言うがな、葉月さんや、娘には穂月がいるからまだいいとして、智希の方は……」


 チラリと視線を向けられるなり、申し訳なさそうに晋悟が俯く。


 一方で春也といえば、後頭部を掻くしかなかった。


「暴走したら手に負えないのは、智希ママが一番わかってるだろ」


「……まったくだ。だが……せめてお前たちだけは最後まで智希の友人でいてくれ……」


「ちょっと実希子ちゃん! それだと智希君が問題起こす前提になってるから!」


   *


 食事を終えた春也はデザートのショートケーキを堪能する。少し離れたところでは、今も智希の母親が友人たちに慰められている。


 智希は希の隣から動かず、晋悟も朱華に連れられて穂月たちとトランプで遊んでいる。カードゲームよりは体を動かしたい派の春也だが、さすがに夜も遅い時間に公園で走り回るわけにもいかない。


 せめて陽向と遊んでいようかと空になった皿をテーブルに置いていると、ふと柚が叔母に話しかける姿が目に入った。


「菜月ちゃんの経過は順調?」


「おかげさまで。

 ただ真や恭介君には負担をかけて申し訳ないです。あとははづ姉にも」


 経理が中心の菜月はともかく、2号店主戦力の茉優が妊娠したため、今から葉月が暇を見てはヘルプに入っているという。


 本店には和葉だけでなく、子供たちがあまり手もかからなくなってきたことで、尚も正社員になっても構わないと言っているらしく、それなりに人手は確保できつつあるみたいだった。


「葉月ちゃんたちが揃って妊娠した時も大変だったみたいだものね」


 柚は菜月の手に自分の手を重ね、労わるように微笑んだ。


「でも羨ましくはあるわね。きっと私には子供ができないだろうから」


「年齢的な面で……ですか」


「ええ、可能性はゼロではないけれど難しいと思ってるわ。そのことはしっかり彼にも伝えたんだけど、ね」


「構わないと押し切られたんですね。良い旦那さんだと思います」


「フフ、40過ぎたおばさんを好んで貰ってくれるんだから、文句は言えないわね」


 水で喉を潤してから、柚がほうと息をつく。智希の母親に半ば強引に呑まされたお酒のせいで、まだ顔が少しだけ赤い。


「結婚するつもりなんてなかったのに……強引に口説き落とされちゃったわ……若いっていいわね」


「柚さんだってまだ若いです」


「そうかしら?」


「そうでないと私も年寄りになってしまいそうなので、是非ともまだまだ若いと言い張っておいてください」


 顔を見合わせて笑う2人に、春也はとことこと近づく。


「春也君、どうかしたの?」


 真っ先にこちらに気付いた担任に、お祝いの間ずっと抱えていた疑問を口にする。


「結婚って両想いの男と女がずっと一緒にいることだろ?」


「ええ、そうよ」


「だったらどうして不安そうな顔をしたりもするんだ? 嬉しいことじゃないのか?」


 柚と菜月がまた視線を合わせ、そして一緒に破顔した。


「春也君の言う通りね。先生も、もっと素直に喜ぶわ」


「私もそうします。不安な想像より、嬉しい想像をした方が精神的にも健康でいられそうですし」


「子供の春也君に教えられるなんてね……いえ、子供だから、かしら」


「これが子供と一緒に成長するということなのかもしれませんね」


 そんな2人を春也は最初訝しげに見ていたが、あまりにも屈託なく笑い続けるので、そのうちに先ほどの疑問も含めて気にならなくなっていた。

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